第143話 潜入、プロキシア帝国
翌日、リオはアマンドを出発すると早速、プロキシア帝国に向かった。目的はもちろんルシウスの手がかりを掴むためだ。
ルシウスがプロキシア帝国に所属する人間なのかどうかはわからないが、レイスがプロキシア帝国の大使を自称しているとわかった以上は、捨ておくことができない土地であろう。上手く潜入して、国の上層部にいる人間から情報を吸い出すことができれば儲けものである。
リオは風の精霊術で空を飛び、帝国中央部に位置する帝都ニードガルトに向けて進んでいく。
道中、いくつかの都市に立ち寄って、ルシウスが率いる傭兵団の情報を収集してみたものの、有力な情報を得ることはできず――、そうして、アマンドを出発した三日後、リオは帝都ニードガルトにたどり着いた。
(城が遠い……。都市の面積は結構広そうだ。帝国を自称するだけはある)
都市の近場から歩き、城壁外の区域から帝都に立ち入ると、リオは遥か遠くにそびえる帝国城を見上げる。視界に映る帝国城は実に雄大で荘厳華美であった。
とはいえ、今リオがいる城壁外部の都市整備は乱雑で、どんよりとした空気が漂っている。
(とりあえず城壁内部に向かうか)
リオは一先ず帝都の中心部に向かうことにした。
そうして歩くこと小一時間。適当な露店に立ち寄って帝都の情勢を確認すると、城壁に設けられた門の一つにたどり着く。そして入都税を支払い、城壁内の領域に足を踏み入れる。
すると、城壁内はあからさまに城壁外と住む世界が違っていた。城壁外も城壁に接近するにつれて生活ランクが上がっていくことが窺えたが、城壁の内部に入ると目に見える形で暮らしぶりが豊かであることが感じられるのだ。
歩いている人々の衣類はもちろん、顔つきに覇気があるし、至る所に露店が繰り出していて、活気で溢れている。さらには、たたずむ建物も綺麗で、きちんと都市整備も施されており、兵士が随所を巡回していた。
どこの都市も少なからず城壁の内部と外部で住む世界が分けられているものだが、ここまで城壁の内部の開発を優先して力を入れている都市も珍しいかもしれない。あたかも傭兵出身の皇帝ニドル=プロキシアの生き様を示すがごとく、弱肉強食の住み分けがなされていた。すると――、
「……ん?」
ふと視線の先に捉えた帝国城の外観に、リオは微かな違和感を覚える。気になって魔力を見透かすように目を凝らしてみると、帝国城をすっぽり包み込むように円柱状の魔術結界が張り巡らされていることに気づいた。
(何の結界だ?)
リオは目をみはると、思案顔を浮かべる。
そもそも結界魔術は術式構造が複雑で、シュトラール地方の魔術水準ではまだ十全な実用化が難しいとされている魔術である。それでも中には古代魔道具を部分的に解析して限定的に実用化にこぎつけている国もあるが、継続して魔力源を確保するコスト面に難点があることから、大規模な結界魔術となると使用を断念せざるをえないのが現在のシュトラール地方における各国の一般的な状況だ。日常的に使用されているのはせいぜい小規模なもので、要人のごく近辺を囲う程度のものであろう。
しかし、今、帝国城を囲っている魔術結界は、明らかに大規模結界に分類されるものであった。精霊の民の里で使用されているものにはまだまだ及ばないが、シュトラール地方の一般的な結界魔術の水準は明らかに上回っていることが窺える。
(侵入者探知の効果があるのは間違いなさそうだけど……やっかいだな。他にも効果があるかもしれないし、近くで結界を調べようにも日中は警備の目がある。夜まで待つか)
リオは微かに顔を曇らせると、やはりあの男――レイスが関係しているのは間違いなさそうだと考え、小さく嘆息した。試しに城の中に潜り込んでみようと思ったが、あれではなかなか骨が折れそうだ。
その後、リオは適当な宿屋を手配すると、後で問題になった時に不自然に思われない程度に城の様子に関して聞き込み調査をすることにした。
◇ ◇ ◇
そして、帝都の民衆が寝静まった深夜。
結局、あれから大した情報は何も得られていない。さらに何日かかけてじっくりと調査を行ってもいいが、伝手がなければ何か情報が得られる可能性は低い。
結局、リオが選んだのはハイリスクハイリターンな方法だった。自室の窓からこっそりと宿屋を抜け出すと、黒い装束を纏って行動を開始する。
目指すは帝国城――、城壁内部に存在する城壁をいくつか乗り越え、順調に帝都の奥へ進んでいく。夜の帝都、特に城壁内の住宅街はしんと静まり返っており、時折巡回している兵士以外に出歩く人の姿は見当たらなかった。
すると、貴族街を抜けて帝国城に接近したある地点から、とたんに街並みが途切れ、代わりに見晴らしのいい石畳の広場に出る。広場の先には分厚く高い石壁に覆われた帝国城がそびえており、リオは広場に踏み入る直前でぴたりと歩みを止めた。
(篝火が焚かれているし、巡回している兵士の数が多いな。結界の範囲もちょうど城壁を覆うように計算されて展開している。とりあえず城の周りをぐるっと回ってみるか?)
可能性は低いが、結界のほころびがあるかもしれない。そう考え、リオは結界が展開している城の付近を回ってみることにした。まずは地上を走り回り、突破口を捜してみる。
しかし、隙らしい隙は見当たらない。少なくとも地上から結界に探知されずに侵入することはできないだろう。
となると、残るは空からの侵入を試みるか、結界に干渉して無効化するしかない。とはいえ、後者の選択肢はなるべくとりたくはなかった。下手に結界に干渉すると、結界の種類によっては即座に察知されかねないからだ。ならば、先に空からの侵入を試みてみるしかない。
リオはふわりと空に舞い上がると、結界よりもさらに高度をとって、帝国城を俯瞰することにした。すると――、
(結界の上部に微かなほころびがあるな。もちろん罠の可能性もあるけど……)
魔力が行き届いていないのか、結界の上方に通り抜けられそうな隙間を発見する。
罠の可能性もあることから、結界の性質を調べた方がいいようにも思えるが、それこそが狙いで、待ち伏せを受けて攻撃される危険もある。
とはいえ、他に侵入可能な経路らしい経路は一つも見当たらなかったし、限られた一部の者だけが知る隠し通路が存在しない限りは、見落としもないはずだ。
明日以降に新しい侵入経路が都合よく出来ると考えるのは楽観的すぎるし、今ここに存在する結界の隙間が一時的な不具合で、明日には埋まっている可能性もある。
リオはしばし逡巡すると――、
(入ってみるか)
結界の隙間を縫って、中に入ることにした。もとより多少のリスクは承知で、いざとなれば手荒に調査することも念頭に置いているのだ。もしかしたらこの城の中にルシウスのことを知っている人物がいるかもしれない以上、ここで臆するわけにはいかない。
庭の中は警備の兵士が多いため、とりあえず屋根の上に降りると、闇に紛れて城内に入り込む。まずは可能な限り城内の構造を把握しておく必要があるだろう。
そうして、リオは灯りの消えた上層階の窓から城内に入り込む。続けて、室内に誰もいないことを確認し、巡回の兵士がいることを警戒しながら、恐る恐る通路に躍り出ると――、
(……誰もいない? 魔力探知系の魔道具もなさそうだけど)
通路にも見張りの兵士が一人もおらず、リオは目を丸くする。
城内は灯りもなく真っ暗で、不気味なほどに静まり返っていた。サッと目を凝らしてみるが、探知系の魔術によって発生するだろう魔力の痕跡が滞留している様子もない。
(外庭にはあれだけ見張りの兵士がいたのに……やっぱり罠か?)
と、一瞬そう思ったリオだが、今のところは騒ぎになっている雰囲気が微塵もないので、気にしすぎなのかもしれないと考え直す。
とはいえ、なんだか妙に調子が狂う。
だが、リオはかぶりを振ると、もう少し城内を調べてみることにした。巡回の兵士は見当たらないが、念には念を入れて、堂々と歩く真似はしない。
なお、帝国城は厳密にはいくつかの館によって構成されているが、現在地は本館――玉座の間や執務室、会議室等、主に行政・軍事の公務で使用される施設が密集している建物――の上層である。
普通の王城ならば本館に城内の兵士の詰め所もあるはずなのだが、やはり誰もいないのか、人の気配はまったく感じられない。
(とりあえず下の階に降りてみよう。誰もいなければ別の建物だ)
おそらくどこかに居館――皇族や王城勤めの貴族が暮らす館――となっている建物が少なくとも一つ以上はあるはずである。
上手く潜入できれば、そこにいる人間から情報を吸い出せるかもしれない。今回、リオの狙いは兵士ではなく、一定の地位にいると思われる人物だ。そういった人物の方が顔は広いだろうから、当たりを引く可能性は高い。
とはいえ、今リオがいる建物に兵士以外の誰かがいる可能性もあるので、道中、めぼしそうな部屋に侵入を試みてみることにした。だが、厳重に鍵がかけられている部屋ばかりで、中から人の気配も感じられない。
結局、リオは先へ進み、下の階層へと降りていくことにした。
本館は防衛の観点から一階と二階に出入り口が設けられていないのが通常なので、出入りするには他の館と橋で繋がっている三階の出入り口を通らざるをえない。
リオの場合は適当な窓から抜け出し、空を飛んで他の館に忍び込むこともできるが、今は城内の構造を確認する必要もあるので、今回は歩いてみることにした。闇に潜むように、慎重に歩を進めていく。
すると、他の建物への連絡通路となっている三階の橋の上に、ようやく見張りの兵士を発見する。他の建物に繋がる橋は全部で五つ。そのうち四つ橋が見張り番によって守られている。
潜入する側からしてみたらあまりありがたくない事実だが、リオはようやく発見した兵士の姿になんだか妙に安堵してしまった。とはいえ、次に移動する建物をどこにするか、すぐに意識をそちらに切り替える。そして――、
(一応、先に警備が手薄な方を潰しておくか。そっちの構造も把握しておこう。妙にでかいけど……)
悩んだ結果、先に警戒が薄い建物を探索することにした。警戒の程度からして誰かいる可能性は低そうだが、構造だけでも把握しておけば、後々役に立つかもしれない。
そうして、リオは静かに、素早く、橋を渡って移動する。すると、そこは――、
(…………なんだ、ここは? 訓練場? いや、闘技場か?)
円形の闘技場らしき建造物だった。天井は吹き抜けになっていて、月明かりが薄っすらと屋内を照らしている。今リオがいる場所はちょうど観客席の上方らしい。眼下にはフィールドと思しき野晒しの地面が広がっていた。
(まあ、ここに見張りは置かないか。この様子だと中の構造を確認する必要もないかな)
リオは興味を失うと、踵を返していったん本館へ戻ろうとする。だが――、
「っ!?」
侵入時から精霊術の身体強化でずっと研ぎ澄ませていたリオの感覚が、微かな気配を察知した。直後、気配の主がリオに接近する。
リオは慌ててその場から飛び退いた。すると――、
「ほう、闇に紛れた余の微かな気配を察したか。流石、結界を潜り抜けてここまで侵入してきただけはある。余はニドル=プロキシア。この国の主だ。歓迎するぞ、不埒な侵入者よ」
そこには、プロキシア帝国初代皇帝の名を自称する――巌のような男が、晴れやかな笑みをたたえて立っていた。