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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第八章 付き添い、頼りない王女の小さな成長

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第158話 第二王女様の今後

 リオが朝食を用意しに退室した後、フローラは最後に意識を失う前に見た――気がする黒髪の少年のことを、悶々と考えていた。


(リオ様、なのかな? でも、髪の色が違うし……)


 ついさっき、ハルトは自分がフローラを助けたと言っていた。となると、最後に意識を失う前に目撃したのはハルトだ。髪色は灰色だから、黒髪に見えたのはフローラの見間違いだった可能性が高い。

 だが、ハルトはどことなくリオに似ている気がする。というより、そんな気がしてならない。だから、フローラはつい当時のリオの容姿を頭の中に思い浮かべて、ハルトの容姿と重ね合わせてしまう。

 リオはちょうど成長期真っ盛りに突入する手前にいなくなってしまったから、今に至るまでの間に身長も顔つきも声もだいぶ男性的になっているのだろうが、ハルトみたいに成長しているのではないだろうか。とはいえ――、


(……わからない。もう少し、詳しく話を聞いてみないと)


 自分が意識を失っている間に何があったか、フローラはまだ話を聞いていない。現在地はパラディア王国なのか、村人達はどうなったのか、自分をパラディア王国へ飛ばした男はどうなったのか、そもそもどうしてハルトがあの場に現れたのか、訊きたいことは山ほどある。それに――、


(もしかしたらアマカワ卿以外にリオ様がいる可能性もある……のかも? 私の勘違いな可能性だって……)


 と、フローラは思った。当時、あの野外演習の後に捜索隊が編成されたが、崖の下にリオの遺体は見つからなかったという。となると、リオが生きている可能性は高い。

 それなのに、リオがベルトラム王国の王立学院に戻ってこなかったのは、自分の扱いを知ってしまったからだろう。指名手配まで受けてしまったのだから。

 そんなリオが今、ベルトラム王国関係者の前に好き好んで姿を現すはずがない。というより、リオが生きているとしても――、


(…………私なんかと関わりなんか持ちたくない、はずだよね。詮索しちゃいけないのかな?)


 と、フローラは思い至る。果たして安易にその正体を突き止めようとしてもいいのだろうか? 仮にフローラが意識を失う前に見た少年がリオだったとして、自分はどうしたいのか? フローラにはわからない。しかし――、


(…………それでも、本当にリオ様なら)


 フローラは逸る気持ちを抑えられず、忸怩たる想いで顔を曇らせる。理由は上手く言語化できない。だが、それでも訊きたいと思う気持ちが込み上がってくることが、何故か抑えられなかった。

 そうして、フローラの理性と感情がせめぎ合っていると――、


「っ!?」


 トントンと、室内にノックが響き渡る。フローラの身体はびくりと震えた。


 ◇ ◇ ◇


「食事の用意ができました」


 リオはそう言って、フローラのベッドの隣に設置されたテーブルの上にトレイを置く。


「あ、ありがとうございます」


 フローラは恐る恐る礼を言って、リオの顔をそっと窺った。


「まだ体調が万全ではないでしょうし、胃に負担がかからないように、軽いものを作ってみました」


 リオが鍋の蓋を取る。すると、中に封じ込められていた香りがふわりと立ち込め、フローラの鼻孔を擽った。あれこれ思い悩んではいるが、今のフローラは極限の空腹状態にある。美食への誘惑を断ち切ることはできず――、


「……良い匂い。これは?」


 フローラは思わず目をみはり、鍋に視線を吸い寄せられた。


「粥です。王族の方が口にするような料理ではないのかもしれませんが」


 と、リオは説明する。


「粥……。いえ、最近、食べたことがあります。勇者様がお暮しになっていた世界の食材に似ているからと、勇者様が手ずからお作りになっていましたので」

「それは重畳。でしたら私の説明は不要ですね。お注ぎいたします」

「……は、はい。お願いします」


 フローラはごくりと唾を飲んで首肯した。その視線はやはり鍋へと吸い寄せられている。


「ああ、一応、毒見が必要でしたら、私がさせていただきますが……」


 リオが思い出したように、念のため、毒見を申し出ると――、


「い、いえ、大丈夫です!」


 フローラはとんでもないと言わんばかりに、強くかぶりを振った。


「畏まりました。それでは、熱いのでお気をつけください」


 リオは椀にお粥をよそって、注意を促す。お椀の中身は少なめの穀物に豆腐、細かく刻まれた鶏のささみ肉と白髪ねぎによって具材が構成されている。そこに少量の白ゴマがまぶされて、塩ベースと思しき透明のスープを彩っていた。


「はい!」


 フローラは美しい椀の中身に目を輝かせると、嬉しそうに首肯する。おずおずと手を伸ばして、椀の取っ手を掴む、が――、


「あう……」


 椀を持ち上げようとするその手は、ぷるぷると震えている。自力で持ち上げられないことはなさそうだが、少しばかり危なっかしい。


「……あまり力が入りませんか?」


 リオはスッと目を細め、フローラの手元を見やる。


「は、はい……」


 フローラは不安そうに頷いた。


「毒の後遺症かもしれませんね」

「え……?」


 リオが理由を推測すると、フローラは呆然と疑問符を浮かべる。


「森に棲む蜘蛛の毒にかかっていると伝え聞いておりますが、ご存じありませんでしたか?」

「……は、はい。熱だと思って、あっ、でも、もしかしてあの時の蜘蛛、かも? 朝、森の中で朝起きたら、首筋がチクッとして……」


 呆け顔で頷くフローラだったが、蜘蛛を見つけてパニックに陥った時のことを思いだすと、ハッと顔色を変えた。


「……おそらくはそれが理由だと思います。攻撃的な蛇や蜘蛛は毒を有していると聞いたことがありますから」


 と、リオは首肯して語る。一瞬の間があったのは、フローラが一人で森の中で眠っている光景を想像して、流石に痛ましい気持ちになったからだ。いったいどうしてそんな目に遭っていたというのか、と。


「だから私、症状がどんどん悪くなって……」


 フローラの顔は真っ青になる。


「遅効性の厄介な毒だったせいか、発見が遅れたみたいですね。とはいえ、手持ちの魔術薬ポーションで解毒いたしましたので、どうぞご安心を」


 リオはフローラを落ち着かせるべく、柔らかい声で告げた。


「……あ、ありがとうございます」


 フローラは心底ホッとしたように息をつくと、深々と、何度もリオに頭を下げる。


「いえ。お気になさらず、体調の回復にお努めください。一応、お椀は持てるようですし、後遺症に関してはもう少しだけ様子を見てみましょうか」


 リオは微笑してかぶりを振った。


「……はい」


 フローラはリオの顔をじっと見つめ、少し気恥ずかしそうに頷く。すると――、


「というわけで、とりあえずそのお椀をお貸しいただけますか?」


 リオがベッドの傍にある椅子に座って、フローラに手を伸ばした。


「……はい、え?」


 フローラは言われるがままリオにお椀を差し出すも、すぐに不思議に思って小首を傾げる。


「恐れながら給仕させていただきます。少し冷めて、ちょうど食べ頃かもしれませんね。熱いようでしたら仰ってください」


 と、リオは自らの行為が意味するところを説明しながら、木製のスプーンで中身を掬って、フローラの口許に運んでいく。


「え!?」


 フローラは顔を真っ赤にして面食らった。


「今の状態では手を動かして召し上がるのも一苦労でしょう?」

「は、はい……」


 リオが問いかけると、フローラは気恥ずかしそうに頷くが――、


「あの、では、お願い……します」


 覚悟を決めたのか、目を瞑って、小さく口を開いた。その頬は熟れた桃のように紅潮している。目を瞑ったままでは、食べづらい気がしないでもないが――、


「では、入れますよ? 口に当てます」


 リオは何も突っ込まず、断りを入れてから、そっとスプーンをフローラの口許にあてがってやった。この歳になって子供みたいな真似をしてもらうことが、恥ずかしいのだろうと思ったから。


「はむっ」


 フローラは小動物のように口を閉じて、もぐもぐと咀嚼する。ややあって――、


「美味しい……」


 パッと目を見開き、ごくりと飲み込んだ。


「それは良かった。たっぷりと召し上がってください」


 リオはくすりと笑うと、丁寧な手つきで次の一口をスプーンに掬い、お椀を下に添えてフローラの口許に運んでやる。


「……はい」


 フローラはおずおずと頷いた。恥ずかしそうに頬は赤らめたままだが、今度は目を閉じることはしない。目のやり場に困ったように視線をさまよわせながらも、上目遣いにリオの顔を見つめて、スプーンを口の中に入れてもらった。


「熱くはありませんか?」


 ちょうど咀嚼が終わったタイミングで、リオが尋ねる。


「は、はい。ちょうどいいです。本当にすごく美味しくて、アマカワ卿が作ったのですよね?」

「ええ、一人で各地を旅しているものでして、よく料理を作っています」

「そうなのですか。各地を……」


 フローラは関心を示したように目をみはった。すると――、


「そのおかげで偶然にフローラ様の窮地に遭遇することができました」


 と、リオが告げる。


「……あの、それでは、やはりアマカワ卿が私を助けてくださったのですよね?」


 フローラは恐る恐るその事実の再確認する。


「はい、然様でございますが……」


 リオは首肯して、質問の先を促すべく首を傾げた。フローラが何かを訊きたそうだったから。すると――、


「私の記憶だと、村の方々の他に、私を捕まえようとしていた人達もいたはずなのですが、彼らはどうなったのでしょうか? 色々と気になりまして……」


 フローラが質問の意味を補足する。まあ、当然の疑問だろう。


「では、恐れながら給仕しながらお話をさせていただいても?」

「はい、もちろんです」


 リオは食事と事情の説明を併行して行うことにした。

 フローラはやや硬い声で頷く。すると――、


「畏まりました。結論から申し上げると、フローラ様を捕らえようとしていた者達にはお引き取り願いました」


 リオは過程を省き、まずは端的に結論から語った。


「それは……、どのように?」


 フローラは小首を傾げて尋ねる。あの状況で大人しく帰ってもらえたとは思えないのだ。


「無論、戦闘を経てです」


 リオが静かに告げると――、


「っ、それは、私のために危険な真似を……」


 薄々と予想はしていたのであろうが、実際に戦闘があったと聞いて、フローラの顔つきが変わった。


「いえ、私の目的は元より別にあったと申しますか、あの場にいたとある男にあったものですから。仮にフローラ様があの場にいらっしゃらなくとも、戦闘は発生していたことでしょう」


 リオはバツが悪そうに苦笑して、かぶりを振る。


「えっと……、では、本当に偶然だったのですね」

「ええ。フローラ様を捕らえようとしていたのはパラディア王国の王子が率いる部隊でしたが、私が追いかけていた男はその王子に雇われていた傭兵でした。私はその男のことをずっと探していたんです。最近になって、その男がパラディア王国にいると知りまして」

「……どうして、その男の人を?」


 フローラがリオの顔色を窺いながら、恐る恐る質問すると――、


「……両親の仇だからです」


 リオがやや硬い声で答えた。


「っ、す、すみません。立ち入ったことを訊いてしまい……」


 フローラは慌てて謝罪する。


「いえ、もう終わったことですから。それに、その辺りのことを教えないまま、円滑にご説明することもできないでしょう?」


 リオは諦観の笑みをたたえて、フローラの顔を見据えた。リオとしても中途半端に情報を伏せることで、あれこれ下手に勘繰られても面倒である。この辺りのことは包み隠さずに説明すると、あらかじめ決めておいたのだ。だが――、


「あの、その……」


 フローラは返答に窮してしまう。重たい事実を何のためらいもなく突きつけられて、躊躇しているのだろう。


「最終的に私が傭兵の男を仕留めたことで、王子が率いる部隊とは手打ちと相成りました。戦闘の過程で王子の部隊にも相応の被害を与えましたので、当面は彼らからの追手を心配する必要はないかと……。どうぞ」


 リオはそんなフローラの心情を知ってか知らずか、さらに詳細に経緯を語った。そして、タイミングを見計らっていたかのように、フローラの口許にスプーンをあてがう。


「……はい」


 フローラはこくりと頷き、スプーンを口に含んだ。


「それと、村人の方達とも一応は円満に別れましたので、そちらもご安心を。ウィルとドンナーという二人が、フローラ様のことを心配していましたよ」


 リオはさらに、村人達のことを教えてやる。


「そうですか、あのお二人が……」


 フローラは複雑そうに顔を曇らせた。


「何か気がかりでも?」

「……いえ、色々とご迷惑をおかけしてしまったなと。書き置きと一緒に、村長様の家にお詫びの品を置いてはきたのですが、きちんとお別れはしませんでしたし」

「お詫びの品を……」


 リオはわずかに目を丸くする。謝礼の名目でリオも決して少なくない金銭をウィルに渡してきたからだ。とはいえ、あの時のウィルの様子だとフローラが残していたお詫びの品とやらに気づいていた様子はない。となると――、


(あの場には村長もいた。黙っていたのか?)


 と、リオはやや呆れがちに想像した。まあ、あの場ではそれを言いだせる雰囲気でもなかったのだろうし、それを話し合っていたところで余計に話が面倒になっていただろうから、黙って貰っておいてくれた方がありがたい。だから――、


「でしたら、何も問題はないでしょう。念のため、私からも多めに貨幣を渡しておきましたから」


 リオはやや呆れがちに微笑して、フローラを励ました。


「えっ、そ、そうだったのですか? 申し訳ございません、本来ならば無関係のアマカワ卿にご負担をおかけしてしまい……」


 フローラは事実を知り、慌てて頭を下げる。


「いえ、あの場から円滑に立ち去るための名目でもあったので、お気になさらず。どうぞ」


 リオは軽い調子で言って、かぶりを振った。そして、再びフローラの口許にスプーンをあてがう。


「あの……、はい」


 フローラは申し訳ないと思うと同時に、なんだか子ども扱いされているようで、恥ずかしそうにスプーンを口に含んだ。

 そして、ここぞとばかりに、リオの顔をおずおずと見つめると――、


(やっぱり、似ている?)


 と、そんなことを思う。

 学院時代にリオと話したことなんて本当に数えるほどしかないのだが、学院内でリオを見かける度に、気がつけばその姿を視線で追っていた。ずっと話してみたかったからだ。立場や周囲の目など気にせず、話してみたかったから。リオに憧れていたから。

 だから、もしかしたら成長したリオかもしれないと思う人物が現れた今、フローラは数年ぶりに当時の感情を鮮明に取り戻していた。目の前にいる相手のことを強く知りたいと思う。

 だが、フローラがあまりにもまじまじと見つめているものだから――、


「……あの、どうかなさいましたか?」


 リオが戸惑い顔で首を傾げた。


「あっ、いえ、その、そ、そういえば、ここはどこなのでしょうか!?」


 フローラはハッと我に返ると、思いついた質問をあたふたと口にする。


「パラディア王国の南西部のとある岩場です。ここはそこにある私の隠れ家でして、まあ、さらに南西に進むと、ルビア王国があります」


 リオは岩の家の情報は適当にはぐらかして、現在地の情報だけを伝えた。


「パラディア王国……」


 フローラは顔を曇らせる。徒歩で移動するとなると、ベルトラム王国までの距離は生半可ではないからだ。すると――、


「……私からもいくつか、伺ってもよろしいでしょうか?」


 リオが質問の許可を求めた。


「はい、もちろん」


 フローラは二つ返事で了承し、質問する側が変わる。


「どうしてフローラ様はパラディア王国にいらっしゃるのでしょうか?」


 リオはまず、フローラがパラディア王国にいる理由を尋ねた。すると――、


「……姉に会うため、魔道船に乗ってガルアーク王国からロダニアへ向かっていました。ところが、船の中で私の部屋に侵入してきた二人組の男性がいまして……、最初は私のことを殺しにきたと言っていたのですが、不思議な石を放り投げられて、気がつけば一瞬でパラディア王国の森へ飛ばされてしまいまして」


 と、フローラは順を追って、説明する。


「不思議な石で、一瞬でパラディア王国へ? その、殺しにきたのに?」


 リオは怪訝そうな顔を浮かべた。


(転移魔術が込められた結晶か? そんな物まで所持しているのか。けど、殺すだけならわざわざパラディア王国へ飛ばす理由はない)


 と、考えながら。


「えっと、このまま殺すのが惜しくなったとか、おまけがどうとか言って、運が良ければ助かるかもしれない、と。おそらくは空間魔術が込められた古代魔道具エンシェントアーティファクトだと思うのですが……」


 フローラはおずおずと当時の状況を語る。

 リオは微かに目を見開くと――、


「その魔道具を使った人物の名前はご存じですか?」


 と、尋ねた。


「いえ……。あっ、でも、私が村の外で最後に意識を失う前に、パラディア王国の王子と一緒に行動していた傭兵ではないかと。くろ……アマカワ卿が討たれたという、ご両親の仇の……」


 フローラはそう語って、恐る恐るリオの顔色を窺う。


「……然様ですか。確かに、あの男なら気まぐれでやりかねませんね。人を騙して陥れることに喜びを感じる、醜悪な性格をしていますから」


 リオは得心し、不快そうに顔をしかめた。


「…………」


 フローラは何か訊きたそうな面持ちを覗かせるが、口を開くことはしない。ただ、薄々と目の前にいるリオの両親がそうやって殺されたのだろうと、想像した。


「失礼いたしました。恐れながら最後にもう一つだけ、ご質問をお許しください」


 リオは苛立ちを吐き出すように小さく息をつくと、恭しく頭を下げて最後の質問の許可を求める。


「何でしょうか?」


 フローラが承諾すると――、


「最低でもあと数日はこちらで養生なさるとして、その後、フローラ様はどうなさるおつもりですか?」


 リオは落ち着いた声で、フローラの今後の動向を確かめた。


「それは……、お姉様に会いに、なんとかロダニアへ行こうと思っています……」


 フローラは悩ましそうに答える。お姫様育ちの彼女にとって、容易な旅にならないことは、その身をもって体験済みだからだ。

 リオもそのことは聞くまでもなく承知している。実際、パラディア王国で為す術もなく野垂れ死にそうになっていた。だから――、


「……よろしければロダニアまで、私がお連れしましょうか?」


 リオはそう申し出た。過去を振り返ると少し形容しがたい複雑な想いはあるが、元より送り届けるつもりでフローラをあの状況から助け出したのだから、きちんと役目を果たすつもりで。だが――、


「えっ……?」


 フローラは呆けた顔でリオを見つめる。まさしく不意を突かれたといった感じだ。それがリオには少し意外で――、


「では、どのようにロダニアへ向かうつもりなのですか? お金と、移動手段と、道中の身の安全の確保と、旅慣れしていないフローラ様には色々と荷が重すぎるのではないかと愚考いたしますが……」


 と、リオは問いかけた。予想としてはそのまま当然のように護衛をお願いしてくると思っていたのだが、他に何かしらの当てでもあるのだろうかと不思議に思う。すると――、


「あの、ですが、アマカワ卿に悪いので、これ以上のご迷惑をおかけするわけには……」


 フローラはひどく申し訳なさそうに語って、いたたまれない様子で俯いた。


「いえ、元より知り合いに会うため私もロダニアへ向かう予定ですので、そこまで重く受け止めていただかなくともよろしいのですが……。それとも、他にお考えがおありですか? ならば無理にとは申しませんが」


 リオはフローラがそこまで遠慮する理由がいまいちわからず、その出方を探るように顔色を窺う。一瞬、もしかしたら警戒されているのかなとも思ったが――、


「その、お金は……、所持している物を処分すればなんとか工面できると思うのですが、考えというほどの案は、そのお金で案内役と護衛を雇うくらいしか。同盟国のルビア王国まで行けば、助力を請うこともできるでしょうが……」


 と、フローラが口にした案を聞いて、それはないのかなと判断する。


「ルビア王国を頼るのはともかく、冒険者の類を護衛として雇うなら、お勧めしかねますね。高い金額を提示すれば実力者を雇うことはできるかもしれませんが、相手の人間性は保証できませんし、下手をすると素性を勘ぐられる恐れもあります。ここはまだパラディア王国内ですよ?」


 リオは半ば呆れた様子で難色を示すと、最後にバツが悪そうに言う。下手な人物を護衛に雇えば、却ってフローラの身に危害が加えられかねない。


「それは、そう、なのですが…………」


 と、歯切れの悪い物言いをするフローラ。


「私のことは信じられませんか?」


 リオが思いきって尋ねてみると――、


「……へ? い、いえ、そんなことは! アマカワ卿は信頼できる人物だと思います! で、でも、信頼できるお方だからこそ、頼るわけにはいかないといいますか……!」


 フローラは血相を変えて、慌てて主張した。

 リオはその勢いに目を丸くすると――、


「……でしたら、私を頼っていただけませんか? ここでフローラ様を放置すれば、クリスティーナ様のお怒りを買ってしまいそうなので。それに、私の知り合いにも顔向けができません」


 くすりと笑って、そう語りかける。

 フローラは「うっ」と、言葉に詰まってしまった。そして――、


「お姉様と……、お知り合いの方、ですか? 我が国の貴族の方でしょうか?」


 と、恐る恐る尋ねる。


「はい。クレール伯爵家の、セリア様です」

「え、セ、セリア先生ですか!? セリア先生がロダニアに!?」


 リオがセリアの名を告げると、フローラは目を見開く。


「ええ、実はクリスティーナ様をロダニアまで護送するにあたって、私もお手伝いをさせていただきまして、セリア様も同行なさっていたんです」

「アマカワ卿が……、お姉様とセリア先生をロダニアまで?」


 フローラは目をぱちくりと瞬いて訊いた。


「はい。エマール伯爵家のヴァネッサ卿もいらっしゃいますよ。現状だと証明はできないのですが……、いえ、確か通行証の代わりにと、別れ際にクリスティーナ様からブローチを賜わりました。何ならご覧になりますか?」

「え、あ、はい……」


 リオが水を向けると、フローラは呆け顔で首肯する。


「では、取ってきましょう。鍋の中身も少し冷めてしまったので、温め直してきますね」


 リオはそう言い残すと、トレイを持ってスッと立ち上がった。そして、フローラの返事を待たず、そのまま退室していく。


「お姉様と、セリア先生を、アマカワ卿が……」


 フローラはなお呆然した面持ちを浮かべたまま、ぼそりと呟いた。それだけ今の話が、リオがクリスティーナやセリアと関わりを持っていることが、衝撃的だったのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 そして、数分後、リオはブローチと温め直した鍋を持参して、フローラのもとへ戻る。


「どうぞ」


 と、リオは机の上に鍋が乗ったトレイを置くと、フローラにブローチを提示する。


「これは、お姉様の……」


 フローラはブローチを受け取ると、愕然と目を見開いた。ややあって、ちらりとリオの顔を見やって――、


(王家の、お姉様の紋章が入ったブローチ……。お姉様が自分の紋章が入った私物を渡すほどに、アマカワ卿は信用されているんだ)


 と、そんなことを考える。普通、王族は自分の紋章が入った私物を無暗に誰かには渡さない。渡すとすれば、よほどに信に値すると判断された人物だけだ。ましてやあのクリスティーナが貴族とはいえ他国の人間にそんな物を渡すなんて、かなり意外だった。


(お姉様もアマカワ卿がリオ様かもしれないって、思っているのかな? その上でこれを渡した?)


 もしかしたら既に二人の間でその事実が共有されている可能性だってある。もっとも、仮にそうであるのならば、既にその話はしてくれている……だろうと思うが、少し自信は持てない。


(いや、でも、アマカワ卿がリオ様と決まったわけでもないし……)


 そう、現状ではそもそも本当にハルトがリオかどうかすらわからない。単なるフローラの思い込みかもしれないのだ。

 そうして、色んな考えや疑問が頭をもたげて、フローラが延々とリオの顔とブローチに視線を行き来させていると――、


「信じていただけましたか?」


 リオが流石に痺れを切らし、微苦笑して水を向ける。


「そ、それは、最初から、はい!」


 フローラは慌てた様子で、こくこくと頷いた。すると――、


「では、改めて伺いましょう。よろしければロダニアまで、フローラ様をお連れしましょうか?」


 リオは姿勢を正し、再度、落ち着いた声でフローラに問いかける。

 しばし、フローラは葛藤し、忸怩たる面持ちを覗かせたが――、


「……お願い、します。このご恩は必ず、私自身が必ず、お返しすると誓います。だから、どうか私をロダニアまで連れていってください」


 フローラは深々と頭を下げた。今度は恩を仇で返すような真似はしない、他人任せにもしない――と、そう誓って。


「畏まりました。お任せください。では、出発の前に体調を戻さなければなりませんね。お話はいったん中断して、しばし食事に集中しましょうか。今度は冷めないように」


 リオは恭しく頷いた。そして、微笑しながら、食事の時間にしようと提案する。


「……はい!」


 フローラは元気よく返事をした。


「では、どうぞ」


 そう言って、リオは粥を掬ったスプーンをフローラに差し出す。

 フローラは上品にスプーンを口に含んだ。そして――、


「……美味しいです」


 と、泣きそうな声で、嬉しそうに言う。


「ありがとうございます。デザートにリンゴを摩り下ろしたジュースもございますので、しっかりと召し上がってください」


 久しぶりに満足に食事をできているのかもしれない――リオはそう思って、優しくフローラに語りかけた。

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