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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第七章 それでも続いていく明日へ

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第141話 その頃 その四

 場所はガルアーク王国城。リオ達がリーゼロッテ所有の魔道船に乗り、ロダン侯爵領の領都ロダニアを出発した日の午後のことだ。

 勇者・坂田弘明は、ガルアーク王国の大貴族であるグレゴリー公爵家の令嬢――リゼット=グレゴリーが主催したお茶会に参加していた。

 参加者は主催者のリゼットと、その取り巻きの令嬢達、そして主賓としてお呼ばれした弘明、さらにはつい先日に弘明の婚約者となったばかりのフローラ=ベルトラムと、付き添いとして同行したロアナ=フォンティーヌである。つまり、男性の参加者は弘明のみ。お茶会が始まり、お決まりの挨拶を終えたところで――、


「伺いましたわ。ヒロアキ様とフローラ様はご婚約なさったとか。おめでとうございます」


 リゼット=グレゴリーが、弘明とフローラへにこやかにお祝いの言葉を贈る。すると、他の令嬢達も口々に「おめでとうございます」と言いだした。


「ああ。まあ、ありがとう、と言っておこうか」


 弘明は少し照れくさそうに、満更でもない様子で頭を掻く。一方で、フローラは「ありがとうございます」と折り目正しく頭を下げていた。


「勇者様の正妻の座を射止めるだなんて、素敵ですわね。まず間違いなく、フローラ様は後世にも名を残されるのではないでしょうか? 憧れますわ」


 リゼットはすかさず弘明とフローラを持ち上げる。すると――、


「あー、でも俺、正妻とか側室って表現は嫌いなんだよなあ」


 弘明は芝居がかった仕草でかぶりを振った。


「あら、どうしてでしょうか?」


 リゼットは興味深そうに目をみはって質問する。


「だって、自分の女に順番をつけるってことだろ? 俺は平等に接したいし、順番に縛られたくもない。他にも身分とかあれこれ面倒くさいルールが発生したりとかな。息苦しくて堪ったもんじゃない」

「まあ。では、ヒロアキ様と結婚した女性は等しく寵愛を受けることができると? 博愛主義でいらっしゃるのですね」

「うーむ、まあ、博愛主義っていうのは少し違うかもな。俺はルールとかしがらみが嫌いなだけだ。妻同士の仲が悪かったりとか、後妻は肩身が狭くなるとか、一般的な王侯貴族の家だとそういうのがあるんだろ? 嫌いなんだよな。女同士で勝手に派閥を作って、男を巡ってギスギスいがみ合うの。それで被害を被るのは部外者というか、当の男だったりするしな」


 などと、弘明が面倒くさいと言わんばかりに、自論を語ると――、


「なるほど。恐れながら、ヒロアキ様の人となりが少し理解できた気がしますわ」


 リゼットはにこにこと笑みをたたえて、ヒロアキに語りかけた。


「ほう。どういう人物に映ったのか、興味があるな」


 弘明はニヤリと不敵に笑みを刻み、リゼットを見つめ返す。


「ふふふ。でも、私の見当違いでしたらお恥ずかしいですから、もう少しヒロアキ様のことをよく知りたいですわ。お聞かせいただけないでしょうか?」


 リゼットは照れくさそうに微笑すると、上目遣いで弘明の顔色を窺う。すると、弘明は上機嫌に頷いた。


「まあ、やぶさかではないが、せっかくこういった趣向の席を用意してもらったんだ。俺もここにいる全員の話が聞きたい」

「それはもう、この場にいる子達は喜んで話したがりますわ。ねえ?」


 リゼットは満面の笑みをたたえて、その場にいた令嬢達を見やる。すると、令嬢達はそっとはにかみ、お淑やかに頷いてみせた。


「じゃあ、聞かせてもらうとするかな」


 と、悪い気はしない弘明である。

 その後、お茶会は大きく盛り上がり、夕暮れ間近まで話に花を咲かせることになった。だが、それでもまだまだ話し足らず、弘明の提案により、その場の流れで次のお茶会をすぐにでも開くことが決まり、結果、三日後に次のお茶会が開催されることになる。


 ◇ ◇ ◇


 そして、お茶会を終えて、弘明達が城内に借り受けている自室へと向かう帰り道。


「あ、あの、ヒロアキ様」


 フローラがおずおずと弘明に話しかけた。


「ん、何だ?」


 弘明はご機嫌な声色でフローラを見やるが――、


「その、明日はお姉様のところ、ロダニアに向かうのですよ? 三日後に次のお茶会に参加すると仰っていましたが……」


 フローラが弘明の顔色を窺うように言った。

 明日、ガルアーク王国の王都を出発して、ロダニアへ向かい、三日後には再びガルアーク王国の王都に戻るとなると、かなりの強行日程となる。用向きはまだわからないが、三日後に戻ってこられるとも限らないのだから、安易に予定を決められてしまうとフローラとしては少しばかり困ってしまう。まあ、性格的に強くは言い出せないのだが。


「ん、あ、ああ。そうか、そういやそうだったな」


 弘明はつい忘れていたかのように頷くと、バツが悪そうに頭を掻いた。


「そ、そういやそうだったって……」


 フローラは何か言いたげに口ごもってしまう。

 彼女のもとにクリスティーナからの知らせが届いたのはつい数日前のことだ。本当ならば知らせを聞いてすぐにでも飛んでいきたかったが、弘明が今日のお茶会に参加したがっていたため、水を差すわけにはいかないと、はやる気持ちを抑えて、このお茶会が終わるのを待っていた。

 もちろん簡単に事情は説明したが、弘明は予定を強いられることを嫌うところがあるから、強く言い含める真似はしなかった。だが、それゆえに弘明はさして気にも留めなかったのかもしれない。もう少し念を押すように言っておくべきだったのだろうか。フローラはそんなことを思ってしまう。すると――、


「んー、てか、それって俺も行くことになっていたのか? 確かに話は聞いていたけどよ。一緒に行くとは言ってなかったよな?」


 弘明が億劫そうに尋ねる。


「……はい。その、絶対に行かなきゃいけないということは……ないんですが」


 フローラはやはり強く言いだせず、言葉を濁してしまう。もちろん彼女としては一緒に来てもらうつもりでいたが、そんな趣旨の発言を一度もしなかったことも事実だから。


「急ぎの用事ってわけでもないんだろし、そのうちフローラの姉さんの方からこっちに来るんだろ? なら、俺が会うのはその時でもいいよ。まあ、早く姉さんと会いたいっていうフローラの気持ちはわかるから、ロダニアへ行ってくるといいさ。こっちはロアナがいれば大丈夫だしな」


 弘明は言い訳するように語ると、黙って話を聞いていたロアナを見やる。


「……はい。ヒロアキ様の補佐は私にお任せくださいな、フローラ様」


 ロアナはごくわずかに逡巡したようだが、すぐに鷹揚に頷いてみせた。


「わかり……ました。では、ヒロアキ様のことをよろしくお願いします、ロアナ」


 フローラはやや気落ちした様子で頷く。こんなことなら最初からもっと早く会いに行っていればよかったかもしれないと、そう思って。すると――、


「あら……、こんにちは」


 ガルアーク王国の勇者、皇沙月とすれ違う。沙月は汗をぬぐいながら通路を歩いていたが、弘明達の姿を確認すると立ち止まって挨拶した。


「これは勇者様」


 フローラとロアナが沙月に気づき、恭しくお辞儀をする。

 一方で、弘明も沙月の存在に気づくと――、


「あー、お前か。なんだ、槍なんか握って。訓練でもしてたのか?」


 と、沙月の姿を見据えながら問いかけた。


「ええ、そうです」


 一応、年上の弘明に対し、沙月はやや硬い口調で頷いてみせる。


「ふーん。女だってのに、わざわざご苦労なことで」

「……あいにく行動の自由があまりないので。部屋の中に引きこもっていても身体がなまりますし」


 沙月は弘明の物言いに何か含むものを感じたが、受け流して通り一遍な言葉で応じた。この二人、同じ勇者として面識もあるし、同郷人というだけあって親しくなってもよさそうなものだが、実に微妙な距離感がある。


「おーおー、お転婆だねえ」

「そういう貴方は今日も女の子達と会っていたんですか? それらしい子達とさっきすれ違いましたけど」

「ああ。まあ周囲が俺に群がってくるもんだからな。これも勇者のお勤めってやつだ。お前が言う通り身動きはとりにくいし、勇者の辛いところだ」


 弘明はそう言って、やれやれと嘆息した。


「その割には随分と楽しんでいるように見えますけど……」


 沙月は怪訝な眼差しを弘明に向ける。すると――、


「おいおい、俺だって日本で育った普通の青年だぜ? ハーレムを築くのにも抵抗はあるし、人並みに悩みだってあるさ」


 弘明はニヤリと口許を緩めると、心外だと言わんばかりにかぶりを振った。


「へえ……」

「そういうお前もこの世界の令嬢達を見習って、少しは女っぽく振る舞った方がいいんじゃないか? せっかくモノは良いんだから、こう、お淑やかにな。地球でも、こっちの世界でも、我が強い女は煙たがられるぜ?」

「うるさい。セクハラ野郎」


 と、沙月はぼそりと呟く。


「あん?」


 弘明は訝しそうに目を細めた。


「いえ、ご忠告どうも。それじゃあ、私はこれで。フローラ姫、ロアナさん、二人ともご機嫌よう」


 沙月は可憐な笑みを浮かべて、フローラとロアナに会釈すると、そのまますたすたと立ち去ってしまう。

 フローラとロアナは見惚れたように目をみはっていたが――、


「やだねえ、何をピリピリしているんだか」


 弘明だけはどこか辟易と、遠い眼差しで沙月の後ろ姿を眺めていた。


 ◇ ◇ ◇


 そして、翌日。フローラは弘明とロアナをガルアーク王国に残し、ロダニアへ向かうことになる。ガルアーク国王のフランソワに挨拶すると、護送船と一緒に王都を出発した。

 乗船後、フローラは一人になりたいから、ロダニアに到着したら教えてくれと船長に言って、魔道船の貴賓室に籠ると――、


「お姉様と会えるのは嬉しいけど……。それほどにお父様の立場が悪くなっているということ、なのかな?」


 と、家族のことを考え、物憂げな表情を浮かべた。

 そもそもフローラをユグノー公爵と一緒に王都から出奔させたのは、他ならぬ彼女の父であるフィリップ三世である。

 フィリップ三世は急激に変化しつつあった当時の情勢を察し、聖石を持たせたフローラを密かにユグノー公爵に託したのだ。表向きはユグノー公爵がフローラを連れ出したということにして――、その狙いは万が一に備えて、正当かつ高位の王位継承権を持つ王族の所在を分散させることにある。

 それが今になって最高位の王位継承権を持つクリスティーナがレストラシオンのもとに姿を現したとなれば、それだけの事態が起きた、あるいは起きようとしているのではないかと、流石のフローラも薄々と勘ぐってしまわざるをえない。

 とはいえ、いや、だからか、そのどちらであるにせよ、今は――、


「早くお姉様に会いたい」


 フローラは早くクリスティーナに会いたかった。最後に彼女と会ったのはもう半年ほど前のことか。自分のことを誰よりも可愛がってくれる実姉じっしのことを、フローラは心の底から大切に思っている。


「でも、怒られるかな?」


 少しも成長できていない今の自分を見たら、姉はどう思うだろうか――、そんな思いがあって、フローラは不安そうに呟いた。

 正直、クリスティーナと会うのが少しだけ怖い。国のために何かしたいと思っても、何もすることができず、周囲に流され続けている自分を見たら、流石に失望されるかもしれないから。すると――、


「失礼しますよ」


 軽薄そうな声と一緒に、室内の扉がガチャリと開いた。


「えっ?」


 フローラがビクリと身体を震わせて扉を見やる。王族が滞在している部屋の扉をノックなしに開けるとは、いささか以上に不作法だ。

 そうして扉から入ってきたのは、黒いローブを纏った二人だったが、フードで顔を隠していて、顔は確認できない。


「あ、貴方達は誰ですか? 扉の外に護衛の騎士の方達がいるはずですが……」


 フローラは怖気づいたように問いかける。


「護衛の騎士ってのは、こいつらのことですかね? おい」


 男の一人が、もう一人の男に顎をしゃくって指示すると――、


「ええ。……よいしょ、と」


 もう一人の男が億劫そうに、ぐったりと気絶した護衛の騎士二人を室外から運び入れた。


「っ!?」


 フローラが怯えてソファから立ち上がる。


「ははは。怖がってやがる。で、こいつがベルトラムの姫さんなのか?」


 軽薄そうな声の男は愉快そうに笑うと、騎士を運び入れた男に尋ねた。


「ええ、その通りですよ。フローラ=ベルトラム。第二王女です」


 騎士を室内に運び入れた男が慇懃な口調で答える。


「美姫だと聞いていたが、まだ尻の青いガキだな」


 と、軽薄そうな声の男は、粗野な言葉遣いでフローラを評した。


「おやおや。人間の中にはこのくらいの年頃の少女を好む方も大勢いるのでは?」

「はっ、俺の好みじゃねえな」


 などと、二人の男はフローラを置いてけぼりにして会話を繰り広げる。


「あ、あの……」


 フローラはおずおずと、なんとも場違いな雰囲気を放つ二人に声をかけようとした。だが――、


「で、勇者は?」


 と、粗野な言葉遣いの男は、室内を見回しながら、慇懃な口調の男に問う。


「どうやらいないようですね。神装の反応も感じられませんし」

「ちっ、せっかく勇者と戦えると思ったのによ」


 慇懃な口調の男が答えると、粗野な言葉遣いの男は拍子抜けした様子で舌打ちした。二人ともフローラの存在など完全に無視している。


「こちらとしては騒ぎが大きくならないので、むしろ非常に助かるのですが……。どうも貴方がいると調子が狂いますね。いきなり現れたと思えばこちらの仕事に同行するなどと」


 慇懃な口調の男は呆れがちに嘆息した。


「あっちの仕事が存外早く終わったもんだからな。上司としてお前さんの仕事を視察しに来てやったというわけだ」

「貴方は神出鬼没すぎます。そもそも普段からご自分の管轄にいたのかすら怪しい。……ああ、そういえば、少し前に貴方のことを知る人物と会いましたよ。あまりよろしい感情を抱いていないように思えましたが」


 と、慇懃な口調の男が思い出したように言うと――、


「ほう……」


 粗野な言葉遣いの男は、好戦的な声色で興味を示した。すると――、


「あ、あの!」


 流石に痺れを切らしたフローラが、彼女にしてはかなり大きな声を出して自分の存在を主張する。


「あん?」


 粗野な言葉遣いの男は、剣呑な声色でフローラに反応した。すると、フローラは怖じ気づいたように身を震わせたが――、


「い、今の私の声を聞いて、船に乗っている方達が異常を察してすぐにここへ来るはずです。フ、フードを外してください」


 と、震えた声で、二人の男に警告した。すると――、


「……ふっ、はははは」


 粗野な男がおかしそうに笑いだす。


「な、何がおかしいんですか? 状況をわかっているんですか?」


 フローラは正気を問うように尋ねた。


「もちろん、理解していますよ。フローラ=ベルトラム第二王女殿下」


 粗野な言葉遣いの男は、口調を改めて頷く。


「ひ、悲鳴を上げます」

「どうぞ、ご自由に。こういう時は確認をとる必要なんてありません」


 粗野な言葉遣いの男はにこやかに告げた。


「っ……あ、た……助けて!」


 フローラは身が竦むような恐怖を覚えたが、かろうじて声を張り上げる。その悲鳴は開きっぱなしの扉を抜けて、通路にも響いたことだろう。

 だが、待つこと十数秒。人が現れる気配はまったくない。フローラは今か今かと扉の先を見据えていたが、やがて不安そうに視線をさまよわせて、再び眼前にいる二人を見やった。


「いかがなさいましたか、王女殿下?」


 粗野な言葉遣いの男は慇懃に問いかけると、フローラに向かってゆっくりと歩きだす。


「ち、近寄らないでください」


 フローラは泣きそうな声で訴えた。


「近寄るな? どうして? 下々の人間はご自分の命令を聞くのが当然だとでも?」


 粗野な言葉遣いの男はフローラをからかうよう、大仰に不思議がってみせる。


「そ、そんなこと……。そもそも、貴方達の目的は何なのですか?」

「ははは、鈍いですね。死んでもらいにきたんですよ」

「死ん……でもらう?」


 先ほどからどくんどくんと心臓が強く高鳴り続けていたフローラだが、今度は心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。


「ええ。正確には事故死に見せかけて死んでもらう、ですがね。貴方が城の外に出てくれたので助かりました。出先ならいくらでも事故死を演出できますからね。……とはいえ、流石に大変だったんですよ。騒ぎを起こさず、警備の人間をすべて始末して、ここまで潜り込むのは」


 と、粗野な言葉遣いの男は自らの目的を告げる。


「そんな……。あ、貴方達。まさか船の人達を……?」


 フローラは嫌な予感を覚えたのか、顔面蒼白になった。


「ああ、いえいえ。もちろん生きている人間もまだいますよ。船を動かす人間は残っていないとね。それに、他の船にも手は出していませんから、そのうち異変に気づく者も現れるかもしれません。とはいえ、遅かれ早かれほとんどが死にますから、他の者達のことはどうぞご心配なく」


 と、粗野な言葉遣いの男は、晴れやかに語る。すると――、


「さっさと用事を済ませませんか?」


 もう一人の男が嘆息して促した。


「相変わらず遊びがあるようで、せっかちな野郎だな、お前さんは。せっかくの王女だ。普通に殺すのも味がない。それに、このまま生かしておけばいずれ役に立つんじゃないのか?」


 と、粗野な言葉遣いの男が、ちらりとフローラを見やりながら言う。

 すると、フローラの身体がビクリと震えた。粗野な言葉遣いの男は、そんなフローラの反応に嘲笑を刻むと――、


「ははは、王女殿下。今、もしかしたらすぐには殺されないかもしれないと思ったでしょう? 安心なさいましたか?」


 と、愉快そうにフローラに問いかけた。


「っ……」


 自分の心を見透かしたように語られ、フローラは押し黙ってしまう。八割の恐怖と二割の悔しさが複雑に絡み合って、身体を震わせながら男達から視線を逸らした。


「おやおや、少しからかいすぎましたかね」


 粗野な言葉遣いの男は小さく肩をすくめる。そして、今度こそフローラのすぐ目の前まで接近すると――、


「護身の魔法くらい使わないんですか?」


 腰の鞘から漆黒の剣を抜いて、フローラに問いかけた。


「う……」


 フローラはハッと手を動かしたが、すぐに手の動きを止める。

 人に向けて攻撃魔法を放つことに心の底で抵抗を抱いているというのもあるが、魔法を使ったところでどうにかなる相手だとは到底思えないのだ。男はあまりにも堂々としすぎているし、既に間合いに入られている。呪文を唱えようとした瞬間に斬り殺されるだろう。


「おやおや、お優しいですね。こんな最低な男にも情けをかけていただけると?」


 粗野な言葉遣いの男は、自分が圧倒的優位に立っていることを自覚したうえで、滑稽そうに尋ねる。


(殺すなら早く殺せばいいのに、楽しんでいるんだ。この人……)


 フローラは流石に自分が馬鹿にされているのだと察した。そして、もう自分の命が助からないであろうことも。だから――、


「……そうじゃありません。私を殺すなら、好きにしてください。でも、他の方々に手は出さないと誓ってください。そうでないなら、抵抗します」


 フローラは覚悟を決めて、せめて男に屈しないよう、自らの意志を示した。男に向けて手をかざしたまま、じりじりと後ずさりする。

 すると、粗野な言葉遣いの男はきょとんと目を丸くした。そして、すぐにはフローラとの間合いは詰めずに――、


「……く、ははは、まさかこの期に及んで乗組員の心配をするとは。いやはや、予想外と申しますか、お見それしました。泣いて命乞いするのを期待していたんですがね」


 感心したように語って、おかしそうに笑いだした。


「……な、何がおかしいんですか?」


 フローラは目の前にいる男が何を考えているのか理解できず、さらに後ずさりする。


「いえ、別に。少し……、いえ狂おしいほどに、貴方という人間に興味が湧いただけです。このまま殺すのが惜しく思えてきました」


 と、粗野な言葉遣いの男が言うと――、


「お待ちくださ――」


 慇懃な口調の男が、少し慌てたように何か言おうとする。だが、粗野な言葉遣いの男がそれを手で制すと、慇懃な口調の男は溜息をついて引き下がった。


「……だったら、このまま今すぐに帰ってください」


 フローラは二人の男を見据えながら、突き放すように要求する。だが――、


「あいにくそれはできない相談でしてね。ですが、貴方が抵抗しないというのなら、他の乗組員を助けるのも吝かではありませんよ」


 粗野な言葉遣いの男は残念そうにかぶりを振ったものの、フローラの要求を部分的に受け入れる姿勢を示した。そして、懐に手を入れて、拳ほどの赤いクリスタルを取りだす。


「…………本当ですか?」


 フローラは訝しそうに、粗野な言葉遣いの男を見つめる。


「ええ、本当です」


 粗野な言葉遣いの男は、少しも逡巡せずに頷いてみせた。だが――、


「……正直、信用できません」


 フローラは目の前にいる男を少しも信用することができない。いや、そもそも本当に他の乗組員達を殺すつもりなのだろうか。いったいどうやって? こうして話しているうちに、頭の中をぐるぐると回るように色んな考えが浮かんでくる。


「ははは。では、どうします? ご自分が条件を提示できる立場だとでも? 信じるかどうかはご自由ですが、他の船も含め乗組員達の命は私の思うままです。貴方がここで納得しないのなら、本当に皆殺しにしますよ。あまり渋られても困るので三秒以内に決めてもらいましょうか。決められない場合は殺すということで。三、二――」

「わ、わかりました。待って、待ってください! 信じます、信じますから! だから、誓って……、誓ってください」


 粗野な言葉遣いの男が急かすようにカウントダウンすると、フローラは慌てて頷いた。遊ばれているとわかっていても、頷かざるをえない。すると――、


「ええ、誓いましょう。乗組員の命を助けると」


 粗野な言葉遣いの男は、実に晴れやかな声で頷いてみせる。


「……ありがとうございます」


 フローラは泣きそうな声で礼を言うと、ゆっくりと手を降ろした。そのまま項垂れ、自らの死を待つ。約束を守るつもりなんかないのかもしれないが、抵抗すれば確実に破られることだけは確かだから。


「ははは、実に高貴なお方ですね。そんな貴方に敬意を表して、特別におまけを付けてあげましょう。運が良ければ助かるかもしれませんよ?」

「……おまけ?」


 上機嫌に笑う粗野な言葉遣いの男に、フローラは疑問符を浮かべる。次の瞬間――、


「こういうことです。《転移魔術テレポート》」


 粗野な言葉遣いの男は、フローラに向けて赤いクリスタルを投げた。そして、空間魔術の呪文を詠唱する。直後、クリスタルを起点に空間が歪み――、


「……え?」


 不思議そうに首を傾げたフローラが、その場から姿を消した。


「……可哀想に。貴方に気に入られなければ楽に死ねたものを。どこへ飛ばしたのですか?」


 慇懃な口調の男が、強い呆れを帯びた声で尋ねる。


「俺がいた北東のパラディア王国の、そこら辺の森にいるんじゃないか?」


 と、粗野な言葉遣いの男はしれっと答えた。


「……パラディア王国、うちの国が支援している紛争地帯の中心にいる国じゃないですか。ただでさえ身一つだというのに、敵国の背後にいるベルトラム王国の王女と知られたらどうなることやら」

「冥土の土産代わりに、良い社会勉強になるだろう? 次に会った時にどんな視線を向けてくるか、見ものだな」


 慇懃な口調の男は嘆かわしそうに肩をすくめると、粗野な言葉遣いの男はくつくつと笑いを抑えて言った。


「そういう悪趣味なことばかりしているから、貴方に恨みを持つ人間が増えていくんです」

「人からの恨みは人生のスパイスだからな。まあ、そんなことより、もうここに用はないだろ。さっさと始末しようや。早くアレを呼びだせよ」

「もちろんそのつもりですが、一応、貴方は乗組員達の命を助けると約束したのでは?」

「おいおい、全員に手を出さないと誓った覚えはないぜ。もとより一隻は残す予定だろ?」

「なるほど。では、呼び出しがてら帰るとしましょうか」


 そう言って、慇懃な口調の男は踵を返す。


「ああ、そういや面白そうなことを言っていたな。俺を知っている奴がどうとか」


 粗野な言葉遣いの男も歩きだすと、ふと思い出したように尋ねる。


「ええ、とても強い方ですよ。アレイン達が三人がかりで手も足も出なかったらしいですから。私も一度だけ交戦したことがありますが、やはり手も足も出ませんでした。おまけに人型の精霊と契約もしています」

「……ほう、ずいぶんと面白そうな奴だな。どこにいるんだ?」

「ベルトラム王国の第一王女と行動を共にしていましたが、今も一緒にいるかどうかはわかりません。私の表向きの所属も知られているでしょうし、貴方が北にいるかもしれないと情報を匂わせたので、案外、そっちに移動しているかもしれませんね」

「そうか……。まあ飛ばした姫さんの様子も見ておきたいしな。先にパラディアに向かうとするか。ま、俺を捜しているのなら、そのうち会えるだろ」

「では、私もルビア王国に用があるので、途中までご一緒しましょう」


 などと、二人の男は散歩にでも行くような雰囲気で言葉を交わしあう。

 そして、数分後、一体の竜らしき怪物が艦隊を襲撃する。フローラを護送していた魔道船と護送船の艦隊は、たった一隻を残して、すべてが轟沈した。

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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
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