第164話 敵対者達
昼下がり。天気は晴れ。その日は絶好の旅日和だった。
リオは今日も今日とてフローラを抱え、ロダニアへ向かって街道外れの道なき道を駆けている。速度はだいたい馬を走らせている程度といったところだ。
全力を出せばさらに速度を出すことはできるが、フローラが怖がるといけないし、あまりに速度を出し過ぎると今度は魔力の消費量を心配されてしまうので、リオにしてはだいぶ緩やかに走っている。なので、リオの魔力が無尽蔵のようにあることを、フローラは知らない。
(アレはゴブリンか、無視だな)
リオは走りながら周囲に意識を向けて、油断なく索敵を行っていた。野生においては前後左右に上下、どこから脅威が襲ってきてもおかしくはない。狼の群れのように、足の速そうな害敵を目視すると、遭遇する前にさっさと迂回して無駄な戦闘を避けていく。
フローラはギュッとリオに抱き着きながら、興味深そうに変わりゆく光景を眺めていたが――、
「……あの、ハルト様」
ある時、リオに語りかけた。
「はい」
と、リオは短く応じる。
「もうルビア王国の中には入ったのでしょうか?」
フローラは小首を傾げて尋ねた。出発前におおよその現在地は聞いているが、移動ルートの選定は全てリオに一任している。いかんせん街道から外れた場所を走っているので、現在地がまったくわからないのだろう。
「ええ、もう入っていてもおかしくはないはずですよ。次に見える都市はルビア王国領に存在するものでしょうから、今日はそこで宿泊しましょう」
「わっ、そうだったんですね。わかりました」
フローラは元気よく首肯した。
それから、小一時間もしないうちに、リオ達は街道付近の荒れ地に躍り出る。道の脇から人が勢いよく飛び出てきては悪目立ちしてしまいかねないので、リオはいったん立ち止まって、ゆっくりと街道へ近づいた。すると――、
「街道を外れて移動しているのに、ハルト様はよく道に迷われませんね」
フローラが感心して言う。
「途中で高台を通った時に、日の位置からおおよその方向を確認していただけですよ」
リオはすぐに種を明かした。
「……確かにそうやって方向を確認することもできるとは習いましたが、地図もなしに迷わないのはすごいと思います。私なんか、運んでもらっているだけでしたから」
フローラは尊敬の眼差しで、リオの顔を見上げる。
「フローラ様も経験を積めば、身に付く技術ですよ。今日はもう直に目当ての都市につきますが、よろしければ明日以降、移動の際に確認の仕方をお教えしましょう」
「はい、お願いします」
リオが少しこそばゆそうに提案すると、フローラは嬉しそうに返事をした。そうして話をしている間に、街道へたどり着く。周囲に誰も人がいないことを確認すると――、
「では、向かいましょうか。遠目に目的の都市が見えているので、ゆっくり歩いてもすぐに着くはずです」
街道に合流して、リオが言った。
「あっ、では、ここからは私も歩きますね!」
フローラはパッと表情を明るくして、自分で歩くと張り切って告げる。
「畏まりました。では、今日のリハビリといきましょうか。歩くのが辛くなったら、いつでも仰ってください」
リオはそう言って、フローラを街道上に下ろしてやった。そして、フローラへとスッと手を差し出す。
「はい!」
フローラはどこか嬉しそうに首肯すると、そわそわとリオの手を掴む。まだ外で長距離を歩けるほどには体力も筋力も回復していないが、リハビリの名目で一日の間にこうして手を握ってもらいながら歩く時間を作ってもらったのだ。それがフローラの密かな楽しみだった。
「では、こちらへ。お供いたします」
と、リオは手を引っ張らず、言葉でフローラを
「はい」
フローラは地面の感触を確かめるように、おずおずと歩きだした。リオはフローラが転ばぬよう、それだけに気を配り、あとは自分のペースで歩かせてやる。
一歩、また一歩と、フローラは自分のペースで歩いていく。そんなリオとフローラの様子を――、
(こちらの予想通り、ルビア王国内に入りましたか。今日の宿はおそらくあの都市でしょう。宿へ入るのを確認したら、いったんアレイン達の所へ戻るとしますか。姫騎士と見習い勇者にも動いてもらわねば……)
遥かに離れた上空から、レイスが観察していた。
(しかし、彼の警戒範囲の広さには恐れ入りますね。上空にもきちんと気を配っていますし、実に尾行がしづらい。お付きの契約精霊がいないのと、陸路で移動してくれているのが幸いでした)
と、そんなことを考えながら。
◇ ◇ ◇
そして、その日の晩。リオ達がルビア王国内の都市に到着し、宿屋で夕食をとっている頃のことだ。場所は蓮司やシルヴィが滞在している廃村の邸宅。
邸宅内では基本的にシルヴィとエレナの二人が個室に引きこもっており、蓮司は拘束されたまま、シルヴィ達との接触は禁止されている。アレインかルッチのどちらかは常にリビングにいて、それぞれの動向を見張っていた。
現在、アレインは家の外に出ている。家の中にいるのは見張りのルッチと、後は蓮司にシルヴィ、そして従者のエレナだけだ。
ルッチは一人でリビングのソファに寝転がり、退屈そうに天井を仰いでいたが――、
「ん?」
外から同僚が迫ってくる気配を察知し、機敏に半身を起こした。すると、玄関の戸が、やや乱暴に開放される。そこには、案の定、ルッチの同僚であるアレインが立っていた。その表情はわずかに強張っている。
「おう、どうした? 随分とピリついてるじゃねえか」
ルッチはアレインの顔色を察し、訝しそうに尋ねた。
「……レイス様から連絡が来た」
アレインは剣呑な声で告げる。
「あー、で、何だって?」
あまり良くないニュースでもあったのかと予想し――、ルッチは頭を掻きながら、気乗りしない面持ちで訊いた。
「シルヴィ王女の出番が来た。俺らも動くし、予定通り、あの小僧にも動いてもらう。細かい指示は俺から伝えるが……、ああ、くそっ、いいか、落ち着いて聞け」
ルッチはひどく顔をしかめて語る。
「……何だよ?」
普段は冷静なアレインらしくない。ルッチはいよいよ不審に思った。すると――、
「…………団長が殺された」
アレイン自身もいまだに報告すべき内容を受け入れがたいのか、たっぷり間を置いてから、心底口惜しそうに告げた。
「………………あ?」
ルッチはアレイン以上に間を置いて、首を傾げる。
「団長が、殺された」
アレインは顔をしかめ、再び事実を告げた。二度目の間は、一度目よりは短い。
「…………おいおい、何の冗談だ。団長が殺された? 冗談でも笑えねえぞ」
ルッチは乾いた笑みをたたえて言う。だが、その目は笑っていなかった。
「冗談じゃない。消滅させられたらしい。文字通り、肉体全てがな。跡形もなく吹き飛ばされたそうだ」
アレインが深く嘆息して言うと――、
「おい!」
ルッチが声を張り上げた。二人しかいないリビングの中に声が響き渡る。
「……あまり大きな声は出すな」
アレインは辟易とした面持ちで言った。
「うるせえ! マジで言っているのか!? あの団長がそう簡単にくたばるわけがねえだろうが?」
ルッチは殺気立って問いただす。
「ああ、そうだな、俺だって信じたかねえよ。だがな、レイス様が仰ったんだ、何度も言わせるな!」
アレインも苛立った様子で言い返した。すると――、
「っ……、糞がっ、マジかよ!」
流石のルッチも言葉に詰まる、しかし、目の前にいるアレインの真剣な表情を見て、信じざるを得ないと思ったのか、ひどく顔をしかめて、嘆かわしそうに叫んだ。
「…………」
アレインは押し黙り、ギリッと歯を噛みしめている。すると――、
「……誰だ、誰が団長を殺りやがった?」
ルッチが怒りを込めて、静かに尋ねる。
「…………あの野郎だ」
と、アレインは忸怩たる面持ちで答えた。
「あの野郎?」
ルッチが訝しそうに眉をひそめると――、
「団長を探っていた風の魔剣士。俺らを負かした野郎だ」
アレインはさらに情報を提示する。それで合点がいったのか――、
「なん、だと? あのいけ好かねえガキか?」
ルッチはカッと目を剥き出して尋ねる。
「そうだ。あの時のガキが、団長を殺ったそうだ」
アレインは神妙に、深く頷いてみせた。すると――、
「…………」
ルッチの身体がわなわなと震えだす。
「だが、喜べ。これから狙うのが、そのガキだそうだ。団長の弔い合戦になる」
「っ!?」
アレインが告げると、ルッチは思わず勢いよく立ち上がった。だが――、
「俺はこれからシルヴィ王女に話を伝えてくる。お前はその間に少し頭を冷やしておけ。詳しい話はその後でまた伝える」
アレインはそう言い残すと、すたすたと歩いて、シルヴィのもとへと向かってしまう。リビングにはルッチ一人が残された。
「団長、嘘だろ……」
ルッチは力なくソファに座り直すと、ぼそり呟く。怒りか、果たして悲しみか、その身体は今もなお小刻みに震えていた。
◇ ◇ ◇
それから、アレインはシルヴィとお付きのエレナが滞在している部屋へと向かった。
「入れ」
「失礼しますよ」
アレインがノックをして、入室すると――、
「先ほど随分と大きな声が聞こえたようだが、何かトラブルでもあったのか?」
シルヴィがスッと目を細めて問いかけた。
「……別に。ルッチの野郎が居眠りしそうになっていましてね。発破をかけてやっただけですよ。それより、殿下にご協力いただく時期になりました」
アレインは素知らぬ顔で白を切ると、用向きを明らかにする。
「レイスがやってきたか」
「ええ、ご明察の通りに。まあ、すぐにとんぼ返りしてしまいましたがね」
シルヴィが不機嫌そうに鼻を鳴らすと、アレインはひょいと肩をすくめた。
「それで、私に何をさせるつもりだ?」
と、シルヴィは単刀直入に尋ねる。
「近くの都市に殿下専属の騎士団が控えているのは把握しています。さしあたってはそこの連中を動かしていただきましょうか」
アレインは有無を言わせぬ口調で告げた。
「……何だと?」
従者のエレナが怒気を露わにして、眉をひそめると――、
「何が狙いだ?」
シルヴィが手を掲げてエレナを制し、落ち着いた声で尋ねる。
「別にどこかへ行って戦をしてもらうつもりはございませんよ。ただちょいとこの近くで検問を敷いてもらいたいと思いましてね」
アレインは飄々とした面持ちを取り繕って答えた。
「検問、だと? 人探しをしろということか?」
妙な話の流れに、シルヴィは怪訝そうに眉根を寄せる。
「ええ、その程度なら、殿下の権限で問題もなく人員を動かせるのでは?」
アレインは然りと頷き、シルヴィに水を向けた。
「誰を探している。何が狙いだ?」
「ははは、そいつはご協力を約束していただかないことには、ご説明できませんな」
「……何もわからぬ相手のことなど探しようがない。協力する以上は、どのような人物を捜しているのか教えてもらうぞ」
シルヴィはわずかに思案すると、きつい口調で告げる。
「仰せのままに。ちなみに、伝令役はそちらの従者さんに行っていただきますよ。殿下はお留守番ですので、あしからず」
アレインはギラギラと輝く瞳に憎悪の念を孕ませつつも、芝居がかった所作で畏まってみせた。