第169話 思惑と疑惑
シルヴィ達が宿場町の宿屋を飛び出した頃。リオはフローラを引きつれて、南東へ続く街道を歩いていた。街道の両脇は
(質の悪い追剥ぎか。封鎖されていたのは南西の街道だったけど……)
リオは先ほど遭遇した女性騎士達のことを考えると、進行方向の右手に広がる西側の森をおもむろに見やった。
通常、宿場町のように数多く存在する小さな町においては、組織的な兵集団を満足に常置することはできない。そこで、一定の裁量を与えられた一人の兵士が領主から派遣されて、現地人や冒険者と協力して治安を維持するケースが一般的である。
それでも対応しきれないケースになると、領軍や場合によっては国軍が出張ってくるのだが、王城に仕える騎士団が担当するほどの案件となると、あまり穏やかではない。
(嫌な感じがするな)
リオは違和感にも似た名状しがたい胸騒ぎを覚えると、今度は隣を歩くフローラに視線を向ける。まだ街道の分岐点からあまり距離は置いていないが――、
「辺りに
リオは後方を振り返っても誰もいないことを確認すると、フローラにそう提案した。いつものように、とは、リオがフローラを抱きかかえて走るという意味である。
女性騎士達が何らかの面倒な案件を抱えているのは間違いない。今は護衛対象のフローラがいる以上、さっさと立ち去ってしまうのが吉だろう。街道で身体強化を施して走るのは悪目立ちするのであまり好ましくないが、今は直感に従うことにした。
「……? はい!」
これまで堂々と街道を走ってきたことがなかったため、フローラは少し不思議に思ったようだが、リオの発言を疑うことはなく笑顔で頷く。
「では、失礼いたしますね」
リオはそう言って、おもむろにフローラへ近づいた。
「はい。お、お願いします」
フローラおずおずと首肯すると、気恥ずかしそうに身体を強張らせる。リオに抱きかかえられるこの瞬間は、何度経験しても慣れないらしい。
一方、リオは慣れた手つきで軽やかにフローラを抱きかかえてしまう。フローラはリオの服をギュッと掴み、緊張してその身をリオに委ねた。
「お、重くないですよね?」
「ええ、大丈夫ですよ」
このやりとりも何度目になるかわからない。赤く頬を染めるフローラに、リオは苦笑して首肯する。だが――、
「た、助けて!」
突然、右手に広がる森の奥深くから、助けを求める女性の声が聞こえてきた。
◇ ◇ ◇
一方、シルヴィ達は宿を出て、アレイン達の追跡を開始していた。遥か前方を小走りで進むアレイン達の背中を追いかけながら、親衛隊の女性騎士二人から報告を受けると――、
「なるほど。ルッチという男は森の中へ入っていったか」
シルヴィは険しい顔を浮かべる。
「お前の部下が接触した追剥ぎとかいう男が、奴らの取引相手と見て間違いはなさそうだな」
と、シルヴィを見やって言う蓮司。
「……ああ」
シルヴィはわずかな間を置いて頷いた。返答に時間を要したその理由は――、
(少し状況が出来すぎてはいないだろうか?)
ふと、そんなことを思ったからだ。今までまったく居所を掴ませなかったエステルの所在がここにきて明らかになった。しかも、何らかの取引の交換材料にされようとしていると思えば、逃走してしまったという。加えて、レイス達にとっても不測の事態が発生して、シルヴィ達の監視が無くなった。
立て続けに入ってきた情報はどれも見過ごせないものばかりで、まさに千載一遇の機会が降ってきたとしかいいようがない。だが、少し都合が良すぎるようにも思えた。
(とはいえ、動かざるを得ない状況にあることは確かだ。これ以上はもう今の関係を引きずるわけにもいかない。仮にエステルのことを見捨てることになっても、レイス達との関係を清算せねばならない)
そう、もし本当に千載一遇の機会が訪れているのだとすれば、今を逃せばもう二度とチャンスはないだろう。現状では考えている時間も裏をとっている時間もないことも確かだった。すると――、
「シルヴィ、少し確認しておきたい」
蓮司が口を開く。
「何だ?」
と、シルヴィが訊き返すと――、
「最優先すべきはお前の妹の身柄の安全と考えていいのか? 連中よりも先に保護するのが理想だが、おそらく戦闘は避けられないだろう。その際の対応はどうすればいい?」
蓮司は淡々とした口調で問いかけた。
「…………」
シルヴィはすぐには答えず、思案顔を浮かべる。すると――、
「奴らの戦闘能力は未知数だ。正直、手加減するくらいなら殺した方がいいと俺は思う。特に奴らが団長と呼んでいた男は危険だ。俺達が全力で戦っても勝てるかどうかは怪しい」
蓮司は殺害を視野に入れて提言した。強硬策にも思えるが、ルシウスとの戦闘では相手の身柄を確保しようと手酷い目に遭ったことから、己を戒めているのだろう。確かにエステルを救うだけならば、他の目的は作らずに敵は全て殺すのが最も確実である。
「……取り調べをするために可能ならば生かしておきたいが、全員を生かしたまま捕らえろなどと無理は言わん。下手に加減をする必要はない。それでも、レイスだけは生かしておきたいところだがな」
シルヴィはひどく悩ましそうに答えた。
「わかった。なら、取引相手の追剥ぎはどうする? 連中の話によると、そいつもお前の妹を狙っているようだが」
蓮司は続けて、一番の不確定要素ともいえるリオの存在に言及した。
「……状況的にエステルを狙っている恐れがあるようなら、敵と仮定せざるをえん。そなたが言う通り、エステルの身柄確保を最優先とする」
シルヴィは悩ましそうにしつつも、毅然と答える。事情は聴取したいところだが、それは人質であるエステルを奪還できてからの話だ。レイス達と取引相手との関係性が不透明である以上は、容疑者を相手に悠長に状況を確認している暇はないし、後手に回るわけにもいかない。自分達がイニシアティブを握るためには、何かを犠牲にしなければならない状況だった。
「わかった。俺達以外は全員を敵と見なしていいわけだな。となれば話は簡単だ」
蓮司はそう言って、フッと好戦的な笑みを口許に刻む。だが――、
「ただし、他の連中が先にエステルの身柄を確保していた場合は、奇襲を前提に動く。その時は私の指示に従ってほしい」
と、シルヴィは注意事項を付け加える。
「なら、何としても俺達が先に身柄を確保する必要があるな」
蓮司は真剣な面持ちで、決然と告げた。すると、そこで――、
「連中の速度が上がった!」
と、シルヴィが顔色を変えて叫ぶ。遥か前方を進むアレインとヴェンが、ちょうど門を出た辺りで急加速したのだ。そのまま真っ直ぐ森の中へと入っていく。
「どうする、シルヴィ?」
蓮司は緊迫した面持ちで尋ねる。
「……後を追う。レンジは私と一緒に付いてきてくれ。そなた達は街道の騎士達に事情の説明を。しかる後、皆と一緒にエステルの捜索に加われ」
シルヴィはそう告げると、宿の部屋から持ち出した魔剣の柄を握ってその力を引き出し、身体強化を施して駆け出した。蓮司もその後を追いかけて駆け出す。
「≪
女性騎士二人も魔法で身体能力を強化すると、街道の分岐点にいる親衛隊のもとへと駆け出した。
魔剣と神装で身体強化を施したシルヴィと蓮司はぐんぐん加速していき、アレイン達が入った森へと接近していく。そうして、ちょうど宿場町の外へ出た辺りで――、
「奴らの向かう先が
シルヴィは駆けながら、隣を走る蓮司に語りかける。
「わかった」
蓮司は真剣な面持ちで頷いた。すると、南東の街道から激しい轟音が鳴り響く。
「っ!?」
シルヴィと蓮司はギョッと目を見開いて、音が聞こえた方角を見やった。すると、街道の分岐点からそう遠くない位置に、夜を貼りつけたような闇が膨れ上がっているのが見える。
「…………あそこだ。行くぞ!」
シルヴィは数瞬その光景に釘付けになっていたが、最悪の状況を想定したのか、一目散に現場へと駆け出した。
◇ ◇ ◇
そして、時はシルヴィ達が街道の異変に気づく少し前まで遡り、場所は再びリオ達がいる森の街道へと移る。
「あの、今、森の中から女性の声が……?」
森の奥から聞こえた女性の叫びは、フローラの耳にも届いたようだ。フローラは少し怯えた様子で右手の森を見やる。
「……ええ、聞こえましたね。私の後ろへ」
リオは頷き、素早くフローラを地面へ降ろした。右手の森に向き直り、フローラを庇うように一歩前へ出ると、警戒して視線を森の中に巡らせる。
「誰か、助けて! 助けてください!」
助けを求める女性の声は、どんどん大きくなっていた。がさがさと草木や落ち葉を踏みしめる音も聞こえる。リオ達がいる場所に近づいてきているようだ。
「あの、追剥ぎに襲われているのでは?」
フローラは恐る恐るリオに尋ねる。女性騎士達から追剥ぎの話を聞いていたことから、すぐに連想したのだろう。
「かもしれませんが……」
リオは含みを持たせ、部分的に肯定する。言葉では説明できないが、何か引っかかりを覚えているのだ。女性の気配が急に現れた気がしたのも気になった。だが、助けを求める女性はもうすぐそこにまで来ている。ややあって――、
「あっ!」
十代半ばの少女が、森の切れ目から街道へ飛び出てきた。年齢はリオやフローラと同じくらい。貴族の女性が着るような仕立てのいい服を着ている。
「……あ、た、助けて。助けてください!」
少女は森の外に出られたことに気づくと、呆けた顔を浮かべた。そして、近くに立つリオ達の姿を視認すると、藁にもすがる勢いで駆け寄る。ひどく怯えきっていて、焦燥しているのが見てとれた。
(貴族、か?)
と、リオは小さく目をみはる。何故この場に貴族らしき少女がいるのか、理由はわからない。だが、わざわざ女性騎士達が出張っていたのは、十中八九この少女絡みだろう。
(また面倒そうな事態に鉢合わせたな)
疫病神にでも憑りつかれているのではないだろうかと、リオは思った。今すぐにでもフローラを抱えて、この場から立ち去りたい衝動に駆られたが、流石に薄情だろうか。一方――、
「貴方は……」
フローラは少女の顔を見て、呆け顔を浮かべていた。
少女はひどく怯えた顔でフローラを見つめ返していて、おずおずと小首を傾げている。今のフローラはフードを被っていて顔がよく見えない上に、そこから覗ける髪も色が変わっているから、仮に見知っている相手だとしても判別はできないだろう。
(もしかして知り合い、なのか?)
リオはその可能性に思い至った。だとしたら、どう対応させるべきか、咄嗟に思案する。
「あ、あの、私!」
少女はフローラからすぐに視線を外すと、リオに抱き着きつこうとした。
「っ、お待ちください」
リオはすんでのところで少女の身体を両手で押さえ、踏み留まらせる。だが、少女は切羽詰まった様子で、その整った顔を歪めていて――、
「わ、私、殺されてしまうんです! 魔力結晶型のおかしな魔道具を飲まされて、このままだと死ぬって。でも、貴方なら助けてくれるかもしれないって」
と、泡を食って要領の得ない説明をした。
(俺なら、助ける? この子を?)
リオは訝しそうに疑問符を浮かべるが、少女は何故か必死に手を動かして、自分の衣類をはだけさせて胸元を露わにしている。
「ちょ……」
リオは少女の意味不明かつ大胆な行動に困惑し、慌てて胸元から視線を背けた。
「ハ、ハルト様」
フローラは顔を真っ赤にして、反射的にリオの背後から背中の服をギュッと握る。そのまま「見てはいけない」とでも主張するように、くいくいとリオの身体を後ろへ引っ張った。
とはいえ、その程度の力でリオが姿勢を崩すことはない。それどころか、リオは何かに気づいたように顔色を変えて、突然、目の前にいた少女の身体を大胆に抱き寄せた。
「きゃ!?」
少女は小さく悲鳴を上げて、上半身をさらけ出したままリオの胸元に顔をうずめる。
「あう」
と、もどかしそうに唸るフローラ。しかし、リオは真剣な面持ちで西側の森を見据えていて、腰の鞘に収めた剣へと手を伸ばしていた。直後――、
「え!?」
フローラは愕然と目を見開き硬直する。西側の森の奥から、黒い闇の奔流が溢れ出てきたからだ。かと思えば、闇の奔流は森の草木を全て呑み込んでいき、雪崩のようにリオ達のもとへ押し寄せてくる。少し遅れて、轟音ともいうべき衝撃音が響きわたった。
「きゃあ!」
と、フローラと少女は堪らず目を瞑って悲鳴を上げるが、その声は轟音にかき消されてしまう。しかし、しばらくしても自分達の身に何も起こっていないことに気づくと、フローラ達は恐る恐る目を開けた。そこには、剣を構えて風の防壁を展開し、押し寄せる闇の奔流を防いでいるリオがいる。
(この攻撃は、あの男の……)
リオは風の防壁で攻撃を押し返しながら、迫りくる闇の奔流を見据えていた。眼前の闇に見覚えがあったから。そう、リオはごく最近、よく似た斬撃を放つ魔剣の持ち主と戦ったことがあるのだ。その魔剣の持ち主の名はルシウス、リオが殺した男である。
(まさか……、生きていたのか?)
と、そんな疑問がリオの頭をもたげる。果たして、今攻撃を加えてきている者の正体は――、
「は、ははは! こりゃすげえ! これが団長の力か!」
ルシウスの部下、ルッチだった。ルッチは森の奥で高らかな笑い声を上げながら、かつてルシウスが装備した剣を手に振るい、とめどなく溢れる闇の斬撃をリオ達にめがけて放ち続けている。
(くっ、流石に見えないか……)
リオは目を凝らして前方を見据える。だが、闇の奔流と轟音に遮られて、ルッチの姿と声を認識することはできない。
それから数秒もすると、闇の奔流は急速に勢いを潜めていき、ぴたりとルッチの攻撃は止んでしまった。つい先ほどまでリオとルッチの間に生い茂っていた森の草木は完全に消失しており、闇の奔流によって抉られた地面が一本の道を形成し、砂埃が舞い上がっている。
(邪魔だ)
リオは手にした剣を媒介に風の精霊術を発動させると、渦巻き状に風を全方向に放出し、砂埃を吹き飛ばした。すると、視界が綺麗に晴れていく。ここでようやく、リオはルッチの姿を視認した。とはいえ、今のルッチは黒いローブを着用して、顔もフードで隠しているため、その正体が誰なのかまでは判別できない。
「ちっ、化物め……」
ルッチはフード越しにリオの姿を視認すると、大きく舌打ちをして呟いた。リオは傷一つ負っていない。事前にレイスから言われていた通りの結果だが、ルッチは殺すつもりで攻撃したのだ。ルシウスのためにもせめて一矢は報いたかったが――、
(仕方がねえ。撤退だ)
ルッチはフードを深く被り直すと、速やかに森へと引き返し始めた。
だが、リオは即応して剣に魔力を込める。そして、一閃。ルッチ目がけて魔力で研ぎ澄ませた風の斬撃を放った。しかし――、
「はっ、この距離で来ると分かっている攻撃に当たるかよ!」
リオとルッチの距離はかなり開いている。魔剣で身体強化を施した人間であれば、十分に回避可能な間合いがあった。リオならば数秒もあればこの距離でも威力も速度も兼ねそろえた必殺の一撃を放つことができるが、あいにくとその余裕はない。加えて――、
(どうする、追うか? いや……)
背後にフローラがいることが、リオの判断をわずかに鈍らせた。しかも、そこで――、
「きゃ……、だ、大丈夫ですか!?」
と、背後からフローラの悲鳴が上がる。先ほど助けを求めてきた少女が急に倒れてしまったのだ。フローラがその身体を慌てて抱きかかえようとしている。
「…………見せてください」
リオは強く逡巡したものの、やむを得ず追跡を断念して、背後を振り返った。状況が読めない以上、下手にフローラをこの場に置いていくわけにはいかない。
「お、お願いします。あっ!」
フローラはこくこくと頷いた。だが、少女の胸元がいまだにはだけていることに気づくと、あたふたと衣類の乱れを整えようとする。しかし――、
「お待ちください」
リオは素早く身を屈めてフローラの腕を掴み、その動きを制止した。
「ひゃん!」
フローラはびくりと身体を震わせる。リオはそんなフローラを余所に、まじまじと少女の胸元を見つめだした。しかし、やましい気持ちがあってのことではない。そこには――、
「これは……」
子供の手のひらサイズほどの、小さな文様の術式が刻まれていた。
「……あっ!」
フローラも冷静になったのか、何らかの術式の存在に気づいたようだ。
(禁呪か? 死んで……は、いないな。脈はある。息もしている)
リオは淡々と少女の容態を確認していく。とりあえず生きていることを確認すると、ほっと息をつくが――、
(さっきの男の仕業か? あの剣は、ルシウスが使っていた剣と同じだった……)
リオは先ほど攻撃を仕掛けてきた男のことを考え、顔を曇らせる。そして――、
(あの男は確かに殺したはずだ。なのにどうしてあの剣がある? あの男が生きているとでもいうのか? なら、狙いは俺……なのか?)
と、リオが状況を分析していると――、
「あ、あの、ハルト様。この方は……?」
フローラが恐る恐るリオに声をかける。
「……ご安心を。死んではいません」
リオは小さく息をつくと、静かにかぶりを振った。
「よ、よかった……。あ、でも、その……」
フローラはホッと安堵の息をつく。しかし、いつまでも少女の胸元をはだけさせたままでいるのは具合が悪いと思ったのか、気恥ずかしそうに頬を赤らめて、リオに上手く伝えようと試みる。
「……フローラ様はこの方、っ!?」
リオはフローラに何かを言いかけたが、突然、身体を捻転させた。そして、西側の森へと再び向き直る。直後、無数の魔力弾がリオに襲いかかった。
(何だ?)
リオは手にした剣に風を纏わせ魔力弾を薙ぎ払うと、攻撃が飛んできた方向を見やる。すると、地面を抉られて出来た森の通路から、女性騎士のエレナが素早く駆け寄ってきていて――、
「エステル様から離れろ、この下郎が!」
エレナは横殴りの要領で剣を振るい、リオに襲いかかった。その瞳はしっかりと胸元がはだけたエステルの身体を捉えている。リオのことを暴漢とでも勘違いしたのだろうか。
(本当に面倒くさい)
リオは嘆息し、的確に自分の剣で攻撃を受け止めると、激昂して接近することに夢中になっていたエレナにカウンターで足払いを仕掛ける。
「っ!?」
エレナはあっさりとバランスを崩してしまった。反射的に剣を地面に突き立てて姿勢を整えるが、致命的な隙を生んだことに変わりはない。
「少し落ち着いてください」
リオはそう言って、エレナの首筋に剣をあてがった。
「くっ……」
エレナは悔しそうに顔をしかめる。怒りで冷静さを欠いていたとはいえ、不意の奇襲にここまで見事に対応されるとは思ってもいなかった。今の短いやりとりだけでも、リオが戦い慣れていることがよく窺える。
(くそっ、エステル様、なんとおいたわしい……!)
エレナは強く憤りながらも、リオに対して強い警戒心を滲ませた。リオはそんなエレナに一先ず説得を試みようと、剣を首筋に添えたままため息混じりに口を開こうとするが――、
「少し状況を、っ!」
今度は脇から鋭い一筋の閃光が飛んできた。リオは必要最小限に剣を動かし、的確にそれを剣で薙ぎ払う。だが、かと思えば――、
「はぁっ!」
蓮司が猛然と現れ、手にした
(次から次へと)
咄嗟にステップを踏んで、蓮司の攻撃の威力を消し殺す。大きく吹き飛ばされたものの、ふわりと地面に着地した。
「……何?」
蓮司は今の一撃で問答無用に決めるつもりだったのか、見事に対応したリオに意表を突かれたようだ。同時に、強い警戒の念を抱く。ちらりとエステルに視線を向けると、胸元が露出した姿が視界に入り、盛大に顔をしかめた。それから――、
「レンジ!」
少し遅れて、シルヴィも姿を現す。気絶して寝転がるエステルの姿を目撃すると、リオに対し強い敵意を滲ませた。だが――、
(……れんじ? 日本人?)
と、リオはリオで蓮司の容貌を見て不意を打たれている。
一方、フローラは目まぐるしく変わっていく状況についていけないのか、視線を右往左往させていた。とはいえ、自分が足手まといになりかねないことは理解しているのか、下手に注目を集めずに大人しくしている。
「はっ!」
蓮司はリオめがけて、間合いの遥か外からコキュートスを豪快に横へ薙いだ。すると、おびただしい魔力が込められた冷気がリオの足元を目がけて広範囲に射出される。リオを拘束するのが狙いなのだろう。
(随分と荒っぽい捕縛だな。下手すると重度の凍傷を負うぞ?)
リオはまるで容赦が感じられない蓮司の攻撃に面食らった。とはいえ、大人しく捕縛されてやる理由はない。リオは横へ跳躍すると、攻撃の有効範囲外へ素早く避難してしまった。蓮司が放った冷気は瞬く間に地面を凍らせていく。
(仕方がない)
リオは蓮司やエレナの背後にいるフローラの姿を見やると、穏便に事態を解決することを諦めた。
もしルシウスがこの襲撃に関係しているとしたら、この者達がルシウスと繋がっている恐れがあるし、フローラが狙われる恐れもある。いずれにせよ、何らかの罠を仕掛けられていると考えた方が良いだろう。
状況が完全に読めない以上、今は最優先でフローラの安全を確保する必要がある。そのためには、蓮司にフローラと分断されている今の立ち位置は上手くない。
話し合いによる解決を試みるのは、せめてフローラの身柄を確保してからだ。リオはそう決めると、体内で膨大な魔力を練り上げ、強力な身体強化を施して剣を構えた。
「不味い。エレナ、そなたはその場でエステルを!」
シルヴィはリオに交戦の意思があることを確認すると、エレナに命じて、自身は蓮司を助勢するべく行動を開始する。刹那、シルヴィはリオの容貌を改めて目にして妙な既視感を抱いたが、切迫した状況にそれはすぐに霧散してしまう。かくして、二対一の状況が形成され、戦いの火蓋が切られた。
そして、一方、森の奥では――、
(思いのほか、スムーズに事態が推移しましたねえ。ここまでは私の出番もありませんでしたし、今回ばかりは彼の強さにも全幅の信頼が置けそうです)
レイスが思惑通りに進んでいく展開を観察していて、ほくそ笑んでいた。その周囲には、ルッチ、アレイン、ヴェンの三人が控えていて――、
「さて、我々の出番はここからですよ、三人とも」
と、レイスは上機嫌に呼びかけた。