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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第九章 穏やかな日常、そして……

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第172話 ロダニア到着

 時刻はお昼前、天気は快晴。場所はベルトラム王国北東部、ロダン侯爵領、領都ロダニア。リオとフローラはいよいよその目前の街道にまでたどり着いていた。


「ようやく、ですね」


 と、リオはロダニアへ伸びる街道に躍り出ると、抱きかかえていたフローラを降ろし、進行方向にそびえる都市の外観を眺めながら言う。ロダニアは城塞都市として建築されているため、遠目から見てもその容相は重厚である。


「はい」


 フローラはリオの隣に立って、感慨深そうに頷いた。


「行きましょうか。きっと騒ぎになりますよ」


 リオはくすりと笑って、フローラに促す。


「できれば、あまり騒ぎにはしたくないのですが……」


 フローラは困り顔で苦笑した。


「それは難しいのではないかと。ただ、お気持ちはわかりますので、一応、内々にクリスティーナ様に取り次いでもらえるよう、動いてみましょうか」


 と、リオはロダニアを眺めながら告げる。

 皆がフローラ帰還の事実を知れば、騒ぎになることは間違いない。とはいえ、最初からあまり騒ぎになっては、落ち着いてクリスティーナとの再会を果たすこともできないだろう。

 家族水入らずの再会を果たしたいのならば、最初にフローラの帰還を知る者は可能な限り信用のおける人間に限定する必要がある。リオとしても色々と説明が面倒なので、最初に事情を報告する相手は最高責任者であるクリスティーナが望ましい。もちろん可能ならば、だが……。

 実際にどういう運びになるのかは、完全に出たとこ勝負だ。ただ、リオとしては信用のおけるセリアに取り次いでもらうのが一番だと思っていたりする。


「はい、よろしくお願いいたします」


 フローラはぺこりとお辞儀をして頷く。


「……ところで、フローラ様はともかく、私がこの格好でクリスティーナ様に会うのは流石に無礼でしょうか?」


 リオはふと気づいたように、フローラに水を向けた。今のリオは旅装束なので、お世辞にも立場が上の貴人に会う格好とは言えない。この状況で細かいことだと思うかもしれないが、細かいマナーを気にするのが貴族という生き物だ。

 例えるなら、ドレスコード付きのレストランでの待ち合わせに、ラフな格好で入店しようとするようなものであろうか。いくら中で待ち合わせをしていると告げたところで、店側に入店を断られるは自明だ。それが作法である。

 とはいえ、それはただの口実で、自然な流れで家に立ち寄り、セリアの協力を仰ぐのが話題を変えた目的だったりする。


「あ、いえ、そんなことはないです! 私がいれば、大丈夫です!」


 フローラはちょっと不味いかもといった顔を浮かべたが、すぐにかぶりを振った。


「ありがとうございます。ですが、いずれにしろこの格好は領館では悪目立ちすると思うので、いったん私の邸宅に寄らせていただいても構わないでしょうか? おそらくセリア様もいらっしゃると思うので、取り次ぎをお願いできるかもしれません。まあ、そこまですんなりたどり着けたらの話ですが……」


 リオはおかしそうに口許をほころばせると、素直に自分の意図を打ち明けた。場合によっては、貴族街の自宅にたどり着く前にフローラの存在が判明し、そのまま領館へ向かわなければならない可能性もあるが、そこら辺は臨機応変に、流れに任せるしかない。


「あ、そうですね。はい!」


 フローラはそれですんなり納得できたのか、元気に頷く。


「では、とりあえずはそういう流れを目指してみましょう」


 と、リオは話をまとめる。そんなわけで、領館に向かう前に、まずはリオの邸宅に向かうことが決まった。そして、それとは別に――、


(家に向かうまでの間にアイシアとセリア先生に、帰還したことを知らせないとな)


 と、リオはそんなことを考える。パスが通じているアイシアならばここまで近づけばほぼ確実にリオの接近に気づいているのだろうが、自分から帰還を知らせておきたかった。

 話すべき内容は事前に考えてあるが、もうすぐ遠隔の念話が可能な範囲に入ることになる。それまで、リオは何をどう伝えるべきか、改めて考えをまとめることにした。


 ◇ ◇ ◇


 リオとフローラはロダニアの市内に入ると、まずはまっすぐ邸宅のある貴族街を目指した。セリアが邸宅にいるのかはわからないが、霊体化したアイシアは常にすぐ傍にいるはずだ。

 一方、フローラは歩きながら、物珍しそうに市内を見回している。日頃、ロダニアにいても、貴族街の外に出ることなどなかったのだろう。自分が暮らす土地に住まう民の暮らしぶりは新鮮なようだ。


「ここは人も多いですから、迷子にならないよう、ご注意くださいね」


 リオは微笑してフローラに注意を促した。


「は、はい。大丈夫ですよ」


 フローラは注意散漫になっていたことを自覚したのか、頬を赤らめて首肯する。気持ちリオに歩み寄って、隣のポジションをしっかりと確保した。

 そうして、貴族街にある程度、接近したところで――、


(アイシア、聞こえるかな?)


 リオはアイシアとのパスの繋がりを意識して、遠隔の念話を試みた。現在地ならほぼ間違いなく貴族街の全域を念話圏内に収めているはずだ。


(お帰り、春人)


 アイシアからすぐに返事が戻ってくる。もしかしたらリオからの念話をずっと待っていたのかもしれない。


(ただいま、帰ってきたよ。……おかげで、目的も果たすこともできた)


 リオは帰還の挨拶をすると、わずかに間を置いて旅の目的を達成したことを告げた。事情を知っていて、セリアを守るために残ってくれたアイシアに伝えないわけにはいかない。アイシアはどんな返事をするのだろうかと、リオは流石に少し身構えたが――、


(なら、よかった)


 アイシアは出発前と相も変わらぬ、抑揚のない調子で返事をした。


(……ありがとう。そっちは特に変わりはなかったかな?)


 リオはそんなアイシアの声に癒され、微かに口許をほころばせて尋ねる。帰ってきたのだという実感が、なんだか急に湧いてきた気がした。


(うん。セリアの周りでは何も起きなかった)


 と、アイシアは短く答える。セリアの周りでは、ということは、セリア以外の人間の周囲では何か起きたのだろうかと思ったが、すぐにフローラが失踪したことかもしれないと考える。いずれにせよ、アイシアの口ぶりからは特に問題視されていないことが窺えた。


(なら、俺もよかった。セリア先生はそこにいるのかな?)

(いる。今は家だけど、後で領館で講義があるらしい)

(そっか。……これから一度、家に向かうんだけど、俺も領館に行きたいんだ。クリスティーナ王女と会いたいんだけど、可能なら先生に取り次ぎをお願いできないかなと思っている。一人、屋敷に同行者を連れていくよ。事情は会えばわかると思うから)


 リオはフローラの存在は伏せたまま、アイシアにセリアへの連絡をお願いした。事前にフローラがいることを伝えて身構えさせてしまうと、実際に会った時に不自然なアドリブになってしまうかもしれない。

 それならば、実際に会った時に驚いてもらって、素のままのリアクションをしてもらった方がいいだろう。おそらくは盛大に驚くであろうセリアのことを想像すると、少しばかり申し訳ない気持ちが芽生えないではないが、やむを得ない。


(わかった。セリアに伝えておく)

(ありがとう。もうすぐ貴族街に着くから、改めて連絡するよ)

(うん)


 と、アイシアは頷く。そこでいったん遠隔の念話は終了した。


 ◇ ◇ ◇


 そして、リオ達は貴族街の入り口にたどり着く。貴族街は頑丈な城壁によって覆われており、正攻法で中に入るには門を通る以外にルートはない。もちろん門の前には複数名の見張りがいるし、門も閉ざされているので、通行の許可がない者が立ち入ることはできない。

 とはいえ、今のリオは貴族街の内部に邸宅を持つ立派な住人である。加えて、通行証代わりに与えられたクリスティーナの私物ブローチもあるので、中に入る資格はあるはずだ。


(大丈夫だろう、……たぶん。なんとなく不安を覚えるのは、俺が小市民だからなんだろうか?)


 リオはそんなことを考えながら、門へと歩いていく。ちなみに、リオはフードを外して顔を曝け出しているが、フローラはフードを被って、リオの背後にそっと立っている。

 門番の兵士達は接近するリオ達の存在に気づくと――、


「止まれ」


 当然、リオとフローラを呼び止めた。今のリオ達は貴族服とは異なる装いをしている――旅装束を着ていて、リオにいたってはバックパックを背負っている――ので、貴族街の住人とは思われなかったのだろう。

 客として貴族街を訪れる人物だとしても、普通は馬車に乗っているのが一般的だ。先入観から重要人物であることを除外したのは無理もない。


「私はこちらの貴族街に屋敷を所有するハルト=アマカワと申します。こちらは通行証代わりにと、クリスティーナ王女殿下から賜わったブローチなのですが……」


 リオはそう言って、クリスティーナのブローチを提示する。すると、門番達はハッと顔色を変えた。そして、まじまじとブローチを見つめだす。すると――、


「こ、これは大変失礼いたしました! ご尊顔を存じ上げなかったものでして、クリスティーナ様から通達を賜わっておりますので、どうぞお通りください! おい、門を開けろ!」


 門番の兵士達は急に畏まって敬礼をし、入門の許可を出した。


「どうも……、こちらの女性は私の連れなのですが、一緒に中へ入っても?」


 リオはブローチの効果に軽く面食らいながらも、背後のフローラを見やって尋ねる。


「無論です!」


 兵士達は即座に頷いた。そうこうしている間も兵士達はあたふたと開門作業を行っており、すぐに門が開け放たれる。


「では、こちらへ」


 リオは背後のフローラをいざない、開放された門の中へ入った。


「……お勤めご苦労様です」


 フローラは門を通りながら、門番の兵士達を労う。


「……どうも? 恐れ入ります」


 兵士達は不思議そうな顔で会釈するが、フローラの正体を知っていたら、さぞ度肝を抜かれていたことだろう。


「声をかけられた相手がフローラ様だと知ったら、皆さん喜ぶと思いますよ?」


 リオは兵士達をちらりと見やりながら、おかしそうに言う。


「そう、でしょうか?」


 フローラは不思議そうに小首を傾げた。


「ええ、きっと」


 リオは珍しく断言して微笑する。


「……ありがとうございます」


 フローラは照れくさそうに礼を言った。

 そうして、二人はロダニアの貴族街に足を踏み入れる。貴族街は実に閑静で、賑やかな城壁外部とは一風変わった雰囲気が漂っていた。

 とはいえ、人通りが少ないというわけではなく、住人の女性貴族やその使用人と思しき者達の姿がちらほらと見受けられる。男性の貴族達はお勤めで領館へ繰り出しているのだろうか。また、巡回の兵士達があちこち歩き回っているので、治安はだいぶ良さそうだ。


「やはりこの格好は目立つみたいですね。急ぎましょうか」


 時折、すれ違う者達から物珍しそうな視線を向けられると、リオは苦笑してフローラに呼びかけた。あまりうろちょろしていれば、不審者として呼び止められるかもしれない。


「はい」


 フローラも向けられる好奇の視線に気づいているのか、少々居心地が悪そうに頷いた。それから、数分もしないうちに、二人はリオの邸宅にたどり着く。


「こちらはアマカワ卿の屋敷になっておりますが……、何か御用でしょうか?」


 屋敷の門には見張りの女性兵士が二人いて、その一方がリオ達を呼び止めた。言葉遣いは慇懃だが、身なりが原因なのか、少しばかり警戒しているのが窺える。


(屋敷に警備の兵までいるのか……)


 リオはやや面食らって、一瞬、立ち尽くした。これではまるで貴族の邸宅ではないか。すると――、


「お、おい!」


 もう一方の女性兵士が、慌てて片割れの兵士を肘で小突く。


「ん、何だよ?」


 小突かれた女性の兵士は小声で、不思議そうに首を傾げたが――、


「あ、貴方様がアマカワ卿なのではないでしょうか? 事前に伺っていた容姿と一致すると言いますか、その……」


 女性の兵士はもう一方の兵士を無視して、リオの顔色を窺って尋ねる。


「はい、そうですが……、貴方達は?」


 リオは頷き、一応、相手の素性を確認することにした。


「失礼いたしました。我々はクリスティーナ様の命により派遣され、屋敷の警護をさせていただいている者です」


 女性の兵士はキリッと姿勢を正し、胸元に右手を当てて素性を明かした。門番の兵士が二人とも女性なのは、家の主が女性のセリアであるから配慮してくれたのだろうか。


「し、失礼いたしました!」


 もう一方の女性兵士も慌てて姿勢を正す。


「そうでしたか。お勤め、ありがとうございます。旅より帰還したのですが、セリア様にご挨拶をと思いまして、中に入ってもよろしいですか? こちらは私の連れです」


 リオは背後のフローラを見やって、許可を求める。


「無論です! どうぞ、お入りください!」


 二人は声を揃えて即答した。一応、来客があれば主のセリアに報告と確認をすべきなのだろうが、ほとんど顔パス状態だ。


「……どうも。ところで、セリア様は中に?」


 いることはわかっているが、一応、リオは確認しておく。


「はい。午後から領館で講義があると伺っておりますが」

「わかりました。それでは。どうぞ、ローラ様」


 リオはそう言うと、屋敷の中へ入るべく、背後のフローラをエスコートする。そのまま二人で門をくぐり、屋敷へと延びる通路を歩いていく。


「ありがとうございます。……ここが、ハルト様のお屋敷なのですね」


 フローラはリオの邸宅の敷地内に入ると、興味深そうに屋敷と庭を見回した。


「私自身、実際に住んだことはないんですけどね。屋敷を賜わった二日後にはロダニアを出発してしまいましたし、屋敷はセリア様にお貸ししているので、その間の滞在はロダニアの迎賓館でさせていただいたんです」


 と、リオも物珍しそうに屋敷を見回しながら言う。


「……そう、なのですか?」


 フローラは不思議そうに小首を傾げた。


「やむにやまれぬ理由があるのならばともかくとして、未婚の女性貴族の家に男が寝泊まりしているのは流石に外聞が悪いと思いまして」


 と、リオは微苦笑して、この家で暮らしていなかった理由を説明する。別々に暮らすことができるのならば、距離を開けておいた方が無難だろう、と。


「はい、それはまあ、確かに……」


 フローラは納得こそしたものの、どこか釈然としていない面持ちを浮かべる。もっとも、本人にも理由はわからないのだが……。

 そうこうしている間に、屋敷へだいぶ近づいていく。すると――、


「ハルト!」


 屋敷の中からセリアが出てきた。事前にリオが帰ってきたことはアイシアから聞いているはずなので、再会のタイミングを窺っていたのだろう。


「お久しぶりです。ただいま、帰りました」


 小走りで駆けよるセリアに、リオは朗らかに帰還の挨拶を告げる。


「うん、お帰りなさい! それで、その、そちらは?」


 セリアはわずかに息を乱していたが、嬉しそうにリオを歓迎した。思わず抱き着こうとしたが、すぐ傍にフローラがいる手前、自重して窺うような視線を向ける。


「……あまり驚かないでほしいんですが、フローラ様です。実は偶然、保護しまして。……フローラ様、フードを外していただけますか? 髪の魔道具はそのままで結構ですので」


 リオはややバツが悪そうにフローラの素性を明かすと、フローラにフードを外すようお願いした。


「あの、お久しぶりです、セリア先生……」


 フローラは恐る恐るフードを外して、セリアに挨拶をする。


「………………」


 案の定、セリアは硬直して、フローラの顔を見つめていた。

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