第131話 暗躍する黒い影
それは奇妙な感覚だった。どこか懐かしいような、それでいて絶対に相いれないとわかる。不気味な気配だった。
空を切り、突風のごとき速度で飛翔する。アイシアは霊体化を解き、実体化して妙な気配のもとへと向かっていた。
そして、瞬く間に目的の相手と遭遇する。全身を黒いローブで覆った男が、ぽつりと背の低い丘の上に立っていた。
「
男――レイスは底冷えするような声で自己紹介をすると、丁寧に頭を下げる。
「……貴方の部下を使って私達を追い回していたみたいだけど、何の用?」
尋ねて、アイシアはぼんやりとした瞳でレイスを見据えた。
「その様子だと、やはりアレイン達を通じて色々と情報が洩れていたようですね。やれやれ。私のミスでした。この場に貴方がいるとなると、契約者さんはアレイン達のところに?」
質問に答えると、レイスがわざとらしく溜息をついて尋ね返す。
「答える必要はない」
アイシアはにべもなくかぶりを振った。
「ははは、つれないですね。こちらは自己紹介までしたというのに」
「貴方はアマンドで魔物を操って私達を襲ってきた。信用して情報を教えるはずがない」
「ああ、そういえば貴方とは一度アマンドの近郊でニアミスしたことがありましたね。あの時は単なる興味本位だったのですが、実は貴方に興味がありまして、こうしてアプローチを仕掛けているというわけです」
と、レイスがにこりと空寒い笑みをたたえてうそぶく。どこまで本当のことを言っているのかまったく掴めない。食えないしゃべり口調だ。
「用件があるならさっさと言って」
アイシアが表情を変えずに告げた。
「……精霊は時を重ね、格が高くなるほどに我が強くなり、見た目も性格も人に近づくものですが、貴方は随分と我が希薄ですね。まるで生まれたての精霊のようだ」
語りながら、レイスは少し思案気な表情を浮かべる。
「だったら何? 人型の精霊はみんな貴方みたいになるのが普通なの? なら私は今のままでいい」
と、アイシアが極微かに不快な念を込めて言う。
「ははは、きちんと自己主張はするようですね。ちなみに、私は精霊ではありませんよ。似て非なる存在です。まあ、親類だとでも思っていただければよろしいかと」
「……そう。これ以上時間を無駄にする気はないから、最後に一つだけ訊いておく。ルシウスはどこにいるのか、話して」
アイシアが訊くと、瞬間、レイスの表情がわずかに変わって、
「……やはりクレイアでクリスティーナ王女の捜索部隊に被害を与えたのは貴方達でしたか。それこそ答える必要はないのですが、こうして質問をしているということは、アレイン達を通じて情報が漏れているのでしょうね、やれやれ」
そう言って、大仰に嘆息した。
「喋る気がないのなら、力づくでも訊きだす」
と、アイシアが驚くほど冷淡な声で言う。
「まあ、そう焦らないでください。あの方は神出鬼没ですからね。今どこにいるかは私にもわからない、とだけ言っておきましょう。これでご満足いただけますか?」
「……教える気がないということはわかった」
「本当にわからないのですが、まぁ、今頃は北方のどこかにいるんじゃないでしょうか。あの方も私に負けず劣らず暗躍がお好きですからねえ」
レイスはニタリと笑って、小さく肩をすくめる。
「……そう。ならいい」
そう言うと、アイシアはさっさと
「おや、もう行かれるのですか?」
そんな彼女の背中に、レイスが意外そうに声をかける。アイシアがぴたりと立ち止まった。
「貴方が私に用がないのなら、私がこの場にいる必要もない」
「ルシウス様のことをお尋ねにならないので?」
「これ以上訊いても、貴方が本当のことを話すとは限らない。時間の無駄」
アイシアはきっぱりと言った。
「力づくでも訊きだすのではなかったので?」
「今の私に与えられた役割は貴方を捕縛することではない。貴方が私達を邪魔をしないのなら、時間を消費してまで相手をする必要はない」
「なるほど。冷静ですね。とはいえ、これは困りました」
と、レイスが余裕を感じさせる様子で息をつく。途端、彼の全身からとてつもなく強大な圧力が膨れ上がった。
アイシアが素早く振り返り、レイスを見やる。すると、レイスの足元にある影が、急速に周囲の地面に広がっていくのが視界に映った。
直後、影の中から巌の大剣を手にした漆黒の
「せっかくですから、私のコレクションと少し遊んでいきませんか?」
レイスがニタリと笑って言う。
次の瞬間、出現した魔物達がアイシアを囲むように動き出した。
◇ ◇ ◇
他方、アイシアから数キロほど離れた地点では、リオとアレイン達との戦闘も繰り広げられていた。
速度で圧倒するリオに翻弄されないよう、アレイン達が立ち止まらずに走りまわっている。接近しすぎず、慎重を期して戦う姿勢が見て取れた。
「おい、てめえら! 黙って突っ立ているだけじゃ後払いの報酬は払わねえぞ! 多少の怪我は問わねえ、そのローブ野郎を捕縛しろ!」
と、ルッチが野次馬と化した周囲の襲撃者達を怒鳴りつける。
半ば呆然とリオとアレイン達の戦闘を眺めていた彼らだったが、ルッチの言葉でハッとしたように武器を握り直した。
しかし、積極的にリオに襲いかかろうとする者はいない。
「野郎は化け物だが、一人でこの人数を食うのは無理だ。てめえらが介入すりゃ勝てる!」
叫びながら、ルッチがリオに向けてナイフを投げつける。ほぼ同時にアレインも緩急をつけるようにリオへ向けてナイフを投げる。
リオは複数方向から迫りくるナイフを剣で軽々と打ち払った。
「何のために頭数を揃えたと思っていやがる、かかれ! 奴を生け捕りにした奴には三倍の報酬を支払うぜ!」
三倍の報酬という言葉に、襲撃者達がピクリと反応を見せる。互いに顔を見合わせると、何人かが
それを見て、アレインとルッチはニヤリとほくそ笑んだ。二人は金で雇った襲撃者達が団結したところでリオを捕縛できるとは心にも思ってはいない。
ただ隙を作ってくれればそれでいいのだ。アレイン達にとって彼らは捨て駒に過ぎないのだから。
(やっぱりこうなったか)
リオは小さく嘆息した。
アレイン達から情報を訊きだすにしても、周囲の襲撃者達は邪魔でしかない。こちらの戦闘を見て臆するならさっさと逃げてほしかったが、襲ってくるのならばさっさと蹴散らした方が手っ取り早い。
そう考えて、リオは右手で剣を握ったまま、左手で腰の鞘からダガーを抜き放つ。手にした剣とダガーを構えると、襲撃者達を見据える。
他方、ひとたび戦意を奮い立たせた襲撃者達は、群集心理と相まって臆することなくリオに向かって襲いかかった。
リオは先手を打って、襲撃者達の中に潜り込んだ。敵の真っただ中に入るなり、身近にいた相手をダガーの柄頭で遠慮なく殴りつけて悶絶させる。
すると、襲撃者達は慌てて
だが、リオは軽やかに殺到する攻撃を躱しながら、すれ違いざまにカウンターを叩きこんでいく。
無数の相手を瞬く間に
そうして、十分に実力差を知らしめて、襲撃者達の戦意を削ぐことに成功すると――、
(あと一押しだな)
リオは大きく跳躍して、群衆からいったん距離を取った。そこでダガーを腰の鞘に収め、片手半剣を両手持ちで構えて、再び襲撃者達と向き合う。
続けて、リオは手にした剣に魔力を流し込んだ。
すると、刀身が淡い光を放ち始める。距離は十メートル近く離れているが、襲撃者達は警戒し、あからさまに浮き足立った。
リオが振り払うように剣を真横に薙ぐ。
直後、前方に向かって暴風が一直線に吹き荒れる。ハンマーで打ち付けられたような衝撃が全身に襲いかかり、襲撃者達は悲鳴を上げながら後方へ吹き飛ばされていった。
着地の衝撃と相まって、大半が気絶して意識を失う。運良く後方に控えていた数名は意識を保っているが、もはや完全に戦意は失っていた。怯えた様子で必死にリオから距離を取ろうとしている。
リオが死に体の襲撃者達を一瞥したその時、脇から忍び寄る影があった。ルッチだ。
ルッチは間隙を突くように斬りかかったが、リオは難なく対処する。
キィンと剣がぶつかり合う高い音が周囲に響いた。
「てめえの魔剣は風を操るってわけか。はっ、急加速する原理がわかったぜ」
つばぜり合いをしながら、ルッチが苦々しい笑みを刻んで言う。
実際のところ、あらゆる事象を引き起こしているのは剣ではなく、術者であるリオ自身なのだが、ルッチは上手い具合に勘違いしたようだ。
狙い通りの展開に、リオが小さくほくそ笑む。
「舐めやがって」
ルッチは不快気に言うと、果敢にリオに斬りかかった。
飛ぶように突進し、間合いを詰めて剣を振るい、何とかリオを釘付けにしようと試みる。
しかし、リオは後退しつつ綺麗に攻撃を受け流していく。やがて余裕が生まれると、カウンターで攻撃に転じようとした。
と、そこで、アレインが死角を突いて、ルッチと挟撃するように背後からリオに襲いかかる。
しかし、リオは忽然と二人の目の前から姿を消してしまい、一陣の風だけが残った。
「アレイン、後ろだ!」
いち早くリオがアレインの後ろに回り込んでいるのを察し、ルッチが叫ぶ。
アレインがとっさに反応して身を転じる。しかし、同時にリオの飛び蹴りを脇にくらって、勢いよく吹き飛んだ。
「ぐっ……」
アレインは軽く十メートルは跳躍したものの、受身を取ってダメージを最小限に抑えた。
一方、リオは着地してバランスを整え、油断なくルッチに向けて剣を構え直していた。
「ちっ」
ルッチが顔をしかめて舌打ちする。リオとの戦闘継続が可能なのはもはや彼一人だけしか残っていない。
「邪魔者は消えた。大人しく投降して、ルシウスについてお前が知っている情報を教えるなら、命までは奪わない。どうする?」
周囲を見回しながら、リオが言った。
「はっ、そうしたいのは山々だが、あいにく上司の情報は売らねえ主義でな」
アレインと二人がかりでようやく時間稼ぎができる程度だったのだ。自分一人になった以上、もはや勝機がないことは十分に承知している。
しかし、ルッチは虚勢を張って強がった。
「なら、後でお前の相方にも訊いてみるさ」
「無駄だぜ。アレインだって情報は売らねえ。そんな真似するくらいなら死を選ぶ」
「そうか。意外と人望があるんだな」
リオが微かに不快そうに言う。
「怖えだけだよ。何だ、てめえ、団長に恨みでもあんのか?」
「……さあな」
「はん、たまにいるんだよ。お前みてえな奴がな。実際に団長の前に復讐に現れた奴が何度かいた。けど、そいつらは例外なく後悔して死んでいったぜ。大人しく生きていた方が良かったってな。てめえもせいぜい後悔して死ぬことだな」
と、ルッチは嘲笑うように語る。
「しないさ」
リオがかぶりを振って、ルッチに向かって間合いを詰めだした。
「くそが……」
強がりは言っても、状況は絶望的だ。このまま戦闘を続行したところで、自分に勝ち目はない。ルッチがそう思った。その時のことだった。
ルッチの視界の端で、人影が急速にリオに向かって迫るのが見えた。
ギィンと、金属同士がぶつかり合うような甲高い音が響く。
いつの間にか一人の男が、リオへと斬りかかっていた。リオが乱入者の剣をつばぜり合いで受け止めている。
リオは剣を力強く振り払って、乱入者を弾き返した。
「ヴェン! てめえ、どうしてここにいる!?」
ヴェンと呼ばれた乱入者が地面に着地すると、ルッチが目をみはって尋ねる。
「レイス様からのお達しだ。お前らの援軍に行けとな。探すのに手間取った。それにしても随分とボロボロじゃないか」
「……うるせえ。って、野郎!」
ヴェンとルッチが武器を構えながら情報を共有していると、リオがアレインに向かって猛スピードで駆け出した。
ルッチ達も反射的に走り出したが、リオに追いつくことは敵わない。
「がっはっ」
リオは一瞬で距離を詰め終え、アレインの
ルッチとヴェンがリオと数メートルの距離を置いたところで停止する。
「ヴェン、野郎の狙いは団長の情報だが、強すぎる。アレインはもう駄目だ。口封じに始末して、とんずらこくぞ」
と、ルッチが顔をしかめて言った。
しかし、ヴェンはきっぱりとかぶりを振る。
「駄目だ、レイス様がぎりぎりまで時間を稼げだとよ」
「マジかよ……」
レイスの命令は絶対だが、リオの実力を知っているため、ルッチがあからさまに気が引けた様子を見せた。
「お前がそこまで嫌がるってことは、やっこさん、どうやら相当ヤバそうだな」
リオとにらみ合ったまま、ヴェンが苦笑する。
「まあな」
ルッチが不機嫌そうに頷く。すると――、
「襲ってくるというのなら、もう手加減はしないぞ? 一人いれば事足りる」
気絶したアレインを担いだまま、リオが冷淡な声で告げた。
下手に戦闘を継続すると、二人そろって気絶したアレインを殺しにきかねないので、威嚇を狙っての発言だ。
「こちらとしても残念だが、そういうわけにはいかねえみてえでな。これやると身体が痛くなるから嫌なんだが……、《
ルッチは億劫そうな表情を浮かべると、身体能力強化の呪文を詠唱した。ほぼ同時に、彼の全身を覆うように魔法陣が展開される。
魔道具による身体強化と魔法による身体能力強化の二重がけ――ルッチの切り札なのだろう。
隣にいるヴェンも同じ魔法を詠唱すると、二人そろって左右に走り出した。
◇ ◇ ◇
その頃、クリスティーナ達は国境に向かって先を急いでいた。
街道を少し外れ、周囲に人目がないことを幸いに、ヴァネッサが指揮をとって前へ前へと進む。
しかし――、
(何だ、この胸騒ぎは……)
ヴァネッサは妙な緊張感を味わっていた。
国境を越えるまで後少し。クレール伯爵領の領都クレイアからここに来るまで、捜索部隊に見つからず、旅路は順調そのものである。
先ほどは妙な手合いに待ち伏せされていたが、おそらくは野盗の類だろう。街道上で仕事のない傭兵等が野盗と化すのは別に珍しくない。
とはいえ、念のために情報は欲しい。本当にただの野盗だったのか。
だから、リオが足止めを兼ねて残ってくれたのはありがたかった。今のところ後方から追ってが迫ってくる気配はないし、リオの実力ならば十分に信頼できる。
後は自分達が国境を越えてガルアーク王国に入ってしまえば、ベルトラム王国の捜索部隊に怯える必要はなくなる。
そう、後はもう国境を越えるだけなのだ。
追撃の危険を減らすために街道を走っていない関係上、国境を越えたかどうかの判断はしづらいが、今いる丘陵地帯を抜ければ完全にガルアーク王国の国境内にいることになる。
安全圏まであと少し、もう少し。
ヴァネッサはそう信じて、今は一秒でも早く国境を越えようと、急ぎ足で前進することだけを考えていた。
しかし、妙な胸騒ぎはいっこうに収まらない。
(何か見落としているのだろうか)
と、ヴァネッサがそう思った矢先のことだ。
遥か上空から鳥が鳴くような甲高い声が聞こえてきた。少し遅れて、風を切るような羽ばたく音も聞こえてきて、六匹のグリフォンがクリスティーナ達の周囲を囲むように舞い降りる。
すると――、
「止まれ。フードを取って顔を見せろ」
とあるグリフォンに跨った男が、低い声で命令した。
クリスティーナ達がやむを得ずぴたりと足を止める。だが――、
「なっ……」
グリフォンに乗って声をかけてきた男の顔を見て、硬直した。
「ははは、レイス殿の情報通りだな。どうした? 早くフードを取れ。こんな街道を外れた場所で何をしている? ん?」
と、嫌味ったらしい声で、別の男が言う。
すると、セリアの身体がびくりと震えた。
「シャルル、まだ確認はとれていないが、相手は――」
「黙れ、アルフレッド。そんなことはわかっている。だからさっさと確認を済ませてしまおうというのだ。おい、貴様ら、早くフードを取れ」
アルフレッドと呼ばれた男に注意されると、シャルルと呼ばれた男がうっとおしそうに顔をしかめた。
続けて、ニヤリとほくそ笑んで、クリスティーナ達にフードを取るように命じる。
「馬鹿な……どうして、ここにいる?」
ヴァネッサが焦れた様子で呟く。目の前にいるアルフレッド=エマールは彼女の実兄なのだ。
他方で、フードの下にあるセリアの顔も青ざめていた。アルフレッドと一緒にいるシャルル=アルボーは、かつてセリアの婚約者だった男なのだから。