第173話 姉妹
「き、聞いてないわよ!」
セリアは泡を食って、リオに向けて叫んだ。
「そりゃあ、伝える方法がありませんでしたから」
リオは苦笑して応じる。アイシアの存在を知るのはリオとセリアだけだ。まさか内々に連絡を取り合っていたとは言えない。
「う……、そ、それは、そうだけど! って、失礼いたしました、フローラ様。私、すっかり動転してしまって」
セリアはむうっと唇を尖らせたが、すぐにフローラに向き直ると、慌ててこうべを垂れる。
「い、いえ、申し訳ございません、驚かせてしまって……」
フローラもあわあわとセリアを制止した。
「あの、それでどういうことなのでしょうか? この状況は……」
セリアはリオを見やり、説明を求める。
「先ほど申し上げた通り、偶然、遭難されていたフローラ様を保護したんです。パラディア王国で」
リオは改めて簡潔に状況を説明した。
「パ、パラディア王国!? だいぶ北東の国じゃない。どうしてそんな場所に?」
セリアはギョッと目を丸くする。
「それは魔道船に乗っていたフローラ様を襲った者達の仕業なんですが、とりあえずクリスティーナ王女殿下にも状況をご報告したいので、お取り次ぎいただけませんか? 最初からあまり大きな騒ぎにはしたくないそうなので、できれば内々に。部外者の私よりはセリア様から話を通していただいた方が、円滑に事が進むと思いますので」
と、リオはフローラを見やって言う。セリアを相手に普段よりもだいぶ畏まった口調なのは、当然、すぐ傍にフローラがいるからである。
「……わ、わかったわ。緊急の謁見を申し込んでみる」
セリアは状況を呑み込むと、真面目な顔で頷いた。
「助かります。ところで、謁見の前に着替えたいので、部屋をお借りしてもよろしいですか?」
「もちろんよ。というより、ここは貴方の家なんだから、自由に出入りして」
と、セリアは快く受け入れる。
「ありがとうございます。できればフローラ様にもお召し物をご用意したいのですが……」
リオは微笑して礼を言うと、フローラを見やった。当然、旅の間にずっと着ていた外套は脱ぐ必要があるとして、外套の下に着ている衣類も平民が着るにしては上等な服でしかないので、王族が普段着に使用する服としては論外である。
「そうね、私の服をお貸しできればいいのだけど……」
フローラとセリアでは色々とサイズが合わない。そう、色々とだ。どこが、とは考えてはいけない。ましてや、迂闊なことを言ってもいけない。口は災いの元なのだから。
「…………」
リオは沈黙を貫いた。すると――、
「あの、私は今のままで大丈夫なので。領館に行けば私の着替えもありますから」
と、フローラは笑みを浮かべてやんわりと言う。彼女の場合、領館に移動すればいずれにしろ着替えることになるだろうから、そのわずかな道のりを移動するためだけに着替える必要性は高くない。
「……そうするしかなさそうですね。申し訳ございません。ご不便をおかけしてしまい」
セリアは申しわけなさそうに頭を下げた。
「いえ、ハルト様だけでも、お着替えくださいませ」
フローラはそう言って、リオを見やる。
「申し訳ございません。すぐに済ませますので、少々お待ちを」
と、リオは恭しくこうべを垂れた。
「じゃあ、空いている部屋へ案内するわ。このままここで立ち話をするわけにもまいりませんので、フローラ様もどうぞこちらへ。応接室へご案内いたします」
セリアはそう言って、リオとフローラの二人を屋敷の中へと
「ハルトはここの部屋を使って頂戴」
セリアは途中で立ち止まり、リオに着替え用の部屋を貸し与えた。
「はい。ありがとうございます」
リオは礼を言って、空いている部屋に一人で入っていく。
「フローラ様はどうぞこちらへ。ハルトの着替えが済むまで、おくつろぎください」
セリアはフローラを引きつれ、そのまま応接室へと向かおうとした。すると――、
「セリア様、お客様でしょうか?」
給仕服を着た、三十歳前後の女性が現れる。そのすぐ傍には同じく給仕服を着た、十二、三歳程度の少女もいた。
「あら、アンジェラさん。ええ、この後すぐに出かけることになったんだけど、いったん応接室に向かうから、三人分のお茶の用意をしてくれるかしら? それと、ハルト……男の人がそこの部屋で着替えているから、出てきたら応接室に案内してもらってもいい?」
セリアは柔らかい声で三十代の女性――アンジェラに指示を出す。
「ハルト様……、こちらの屋敷を所有されているお方ですね。畏まりました。じゃあ、ソフィがご案内してさしあげなさい」
アンジェラは恭しく頷くと、ソフィと呼ばれた十二、三歳程度の少女に命じる。
「はい!」
ソフィは元気よく頷いた。そのままリオが着替えをしている部屋の前に立つ。三十歳前後の女性もお茶の用意をするべく、すたすたと歩きだした。
「では、こちらへ」
セリアもフローラを連れて、応接室へと向かった。
◇ ◇ ◇
一方、リオはセリアに借りた部屋で一人、着替えを行っていた。
着替える服は
「春人、お帰りなさい」
リオが手際よく着替えていると、アイシアの声が室内に響いた。ほぼ同時に、リオのすぐ傍に、光の粒子が密集して、アイシアの姿を象る。
「……アイシア、ただいま」
リオは口許をほころばせて、アイシアに帰還の挨拶を告げた。
「部屋の外に人がいるから、静かな声で」
と、アイシアは口許に指を立てて、静かに言う。
「……留守中、先生の傍にいてくれて、ありがとう。おかげで何の心配もなく、旅をすることができたよ」
リオは微笑して頷くと、アイシアに礼を言った。
「大したことはしていない。一緒にいただけ。心配していたような事は何も起こらなかった」
「そっか。なら、次からは一緒に外に出られそうだね」
「うん」
アイシアはこくりと頷く。リオは会話中も着替えを済ませており、最後のコートを羽織った。
「詳しい話はまた後でしようか。待たせるわけにもいかないしね」
「また後で」
アイシアはそう言うと、スッと姿を消してしまう。リオは衣類の乱れを最終確認すると、歩きだして丁寧な手つきで部屋の扉を開けた。すると――、
「……お待ち、しておりました、ハルト様」
部屋の前で待機していた少女、ソフィと遭遇する。ソフィはリオの姿を見て一瞬、瞠目すると、そそくさとお辞儀する。
「えっと、君は……?」
リオは小首を傾げて、ソフィの素性を確認した。
「こ、この屋敷で働かせていただいております。ソフィと申します。セリア様のもとへご案内しますので、どうぞこちらへ」
ソフィは緊張気味に挨拶をすると、すぐに歩きだしてリオの案内を開始した。
「では、お願いします」
リオはそう言って、ソフィに案内を任せる。
「こちらです」
ソフィは応接室の前で立ち止まると、丁寧に扉をノックした。部屋の中から「どうぞ」とセリアの声が響いてくると、ソフィは静かに扉を開く。
「失礼いたします。ハルト様をお連れしました」
ソフィはそう言って、リオを中に
「あ、やっぱりその服にしたのね?」
セリアはリオの姿を視界に収めると、パッと笑みを浮かべて言った。
「ええ、貴族服は持っていないので。戦闘服ですが、一番上等なものを選びました。大丈夫でしょうか?」
「ええ。作りがしっかりしているし、よほどフォーマルな場でもない限りは大丈夫だと思うわよ。でも、ハルトも一応は貴族になったんだから、何着か買い揃えておいた方がいいわよ?」
「はい。わかってはいるんですが、どうもその手の店には足を運びづらくて」
と、リオは苦笑交じりに答える。
「じゃあ、今度、買いに行きましょうよ。一緒に選んであげるから」
「では、お言葉に甘えて。お願いします」
「うん、任せて」
セリアは嬉しそうに頷いた。フローラはそんな二人のやりとりを窺うように、そしてどこか羨ましそうに眺めている。すると、そこへ――、
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
お茶を用意したアンジェラが現れた。
「領館へ向かう前に、よろしければお召し上がりください」
セリアはそう言って、フローラにお茶を勧める。長旅で喉も乾いているだろうと思ったから。
「はい。それでは、ありがたく」
フローラはこくりと首肯する。そうして、水分補給を行った後に、三人は領館へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
ロダニアの領館はお城というか、砦のような造りになっていて、部外者が出入りできないよう、入り口となる城門の前には複数の兵士と騎士が門番として立っている。
本来なら、レストラシオンに所属する人物であっても、用もなく出入りできる場所ではないが――、
「これはセリア様ではございませんか。お勤めの時間はもう少し先と記憶しておりますが……」
門番の騎士とは顔見知りのようで、セリアの顔を見かけると、慣れた様子で声をかけてきた。
「実は姫様に緊急の謁見を申し込みたいと思いまして。ハルト……、アマカワ卿が帰還されたものですから」
セリアはそう言って、リオを見やる。
「初めまして。ハルト=アマカワと申します」
リオは一礼して、自己紹介を行った。
「なるほど。一応、確認しておきますが、そちらの少女は……」
騎士の男性はちらりと、たたずむフローラを見やった。今のフローラはまだ髪の色を変えたままだし、服装も着替えていないので、王女だと気づかれることはない。
「やんごとない身分のお方です。少々事情が複雑でして、詳しくはクリスティーナ様にお伝えする所存です」
「……畏まりました。では、どうぞお通りください」
騎士は自分の職務権限では対応しかねると判断したのか、そのままリオ達を通すことにした。クリスティーナの采配によりセリアはもちろん、リオも要人として扱うよう厳命を受けているから。
「失礼いたします」
セリアはぺこりとお辞儀をして、領館の門をくぐる。リオとフローラもその後に続いた。その後は通路に迷うはずもなく、誰かとすれ違っても呼び止められることもなく、難なくクリスティーナの執務室へとたどり着く。セリアのおかげだ。
クリスティーナの執務室の前には、ヴァネッサと他数名の女性騎士が護衛に立っていた。
「これは、セリア君ではないか。それにアマカワ卿まで……」
ヴァネッサはセリアとリオの姿を視界に収めると、目をみはる。
「お久しぶりです。旅より帰還しましたので、ご報告がてら、クリスティーナ様にご挨拶をと思いまして」
リオは微笑してヴァネッサに応じた。
「そうか。変わりがないようで何よりだ。姫様もお喜びになるだろう。そちらの少女は……」
ヴァネッサは満足そうに頷くと、フローラを見やる。
「えっと……」
フローラはどうしたものかと、困り顔でリオを見やった。
「ここならばもう大丈夫かと。貴方様のご判断にお任せします」
リオはクリスティーナの執務室へと道を開けると、恭しく胸元に手を当て、フローラにこうべを垂れる。
「……はい。お久しぶりです、ヴァネッサ」
フローラは小さく深呼吸をすると、意を決して髪の色を変える首飾りを外した。直後、一瞬でフローラの髪は薄紫色へと戻る。
「な、っ……」
ヴァネッサ達は揃えて声を失ってしまった。自分とまったく同じ反応をしていると、セリアはおかしそうに口許を緩める。すると、ややあって――、
「フ、フローラ、様……!?」
ヴァネッサがぱくぱくと口を動かして、フローラの名を呼んだ。
「はい。ハルト様にお力添えいただき、無事に帰還しました。お姉様はそちらにいらっしゃいますか?」
フローラは扉を見やり、ヴァネッサに尋ねた。いよいよ扉のすぐ向こうにクリスティーナがいるかもしれないからか、心なしかそわそわしているのが見てとれる。
「しょ、少々お待ちください! クリスティーナ様! フ、フローラ様が!」
ヴァネッサは慌てて背後を振り返ると、ノックもなしに扉を開け放った。
「ちょ、ちょっと、ヴァネッサ、何のつも……り」
クリスティーナはいきなり扉が開いたことに驚き、流石に咎めようとした。だが、扉の先に立つフローラの顔を発見すると、尻すぼみに言葉を失う。
フローラも扉の向こうで、執務椅子に腰を下ろすクリスティーナの顔を見つけると――、
「お姉様……」
瞬間、はらはらと涙を溢した。そのままおもむろに足を動かし、のろのろと部屋に入って、クリスティーナに近づいていく。
「フローラ、フローラ……、フローラ!」
クリスティーナは呆然とフローラの名前を連呼すると、急いで執務椅子から立ち上がり、フローラへと駆けよった。そのまま二人はぶつかりあうように、互いの身体を抱きしめ合う。
「お姉様、会いたかったです! ずっと会いたかったんです! もう駄目かと思って、怖くて、私……」
フローラはとめどなく涙を流し、クリスティーナに抱き着いたまま
「フ、フローラ、大丈夫よ。私はここにいるわ」
クリスティーナはあわあわと狼狽え、泣き崩れたフローラをあやそうと訴えた。リオはそんな姉妹の再会を目にすると、そっと扉を閉めようとする。そうして、完全に扉が閉まる直前――、
(ア、アマカワ卿?)
クリスティーナはリオの顔を目にして、ギョッと目を見開いていた。リオはにこりとクリスティーナに笑みを向ける。
クリスティーナは何が何だかわからなかったが、とりあえずぺこりと会釈すると、改めてフローラの身体をぎゅっと抱きしめてやった。
「しばらくはこのまま。ご姉妹水入らずの再会ということで」
リオは完全に扉を閉めると、ヴァネッサ達に提案する。
「ああ、そうだな」
ヴァネッサは頷き、フッと口許をほころばせた。
今回のお話に登場したアンジェラとソフィは書籍版「精霊幻想記」の2巻と5巻に登場した母子です。どういう経緯でセリアに仕えるようになったのかは別途、地の文か会話文で説明が入る……かもしれません。