第130話 戦闘開始
リオの合図に従い、クリスティーナ達が凄まじい速度で街道の小橋を駆け抜けていく。
「なっ!?」
付近に立ち並ぶ岩や木々の陰から、驚愕した襲撃者達の声が漏れ出る。
奇襲を仕掛けようとしていた相手に何故か動きを察知され、逆に先手を打たれたのだ。驚かないわけがない。
だが、そんな中で真っ先に我に返った人物がいた。
「追え!」
と、アレインが焦れた声で指示を飛ばす。
とはいえ、襲撃者達は顔を見合わせ走り出したが、動きはどこか鈍い。追おうにも普通に走って追いつける速度ではないからだ。
身体能力を強化できる者がいないため、瞬く間にクリスティーナ達と距離が開いていく。
「ちっ、ルッチ!」
「おう!」
アレインの掛け声にルッチが応じ、二人が走り出した。何か呪文を詠唱したわけではないが、二人の速度は異常なほどに速い。
すると、たったの数秒ほどで、クリスティーナ達との距離が目に見えて縮まっていった。
最後尾を走るリオがちらりと背後を確認し、微かに目を見開く。
(速いな。あれは《
リオが見た限り、アレインとルッチは人間の肉体が耐えうる限界を超えて身体能力を引き出していた。
おそらく何らかの魔術的な手段を用いて、肉体の強度も強化している可能性が高い。無論、精霊術で肉体の強度を強化している可能性もゼロではないが。
(他の襲撃者達ともう少し引き離しておきたかったけど、ここら辺が限界か)
そう判断し、リオは走る速度を緩めた。完全に停止すると、振り返り、腰に掛けた鞘から剣を抜き放つ。
(アイシア、先生の護衛を頼む)
(わかった)
リオが念話で呼びかけると、アイシアが即座に応答した。霊体化したまま、クリスティーナ達の後を追いかけていく。
そうして街道上を走り去っていくクリスティーナ達の背中が小さくなっていくと、すぐにアレインとルッチがリオのもとにたどり着いた。
アレイン達が街道上で立ち止まり、リオと向かい合って対面する。
「何か用か?」
リオが少し億劫そうに問いかけた。すると、ルッチが不敵な笑みを刻み、口を開く。
「お前、俺のことは覚えているか?」
「ああ、そこの峠にある都市で絡んできた品のない蛮族だろ?」
「てめえ……」
リオがひょいと肩をすくめ、挑発交じりに答えると、ルッチが不機嫌そうに顔をしかめた。
二人のやりとりを見て、アレインが「ははは」とおかしそうに笑う。
「笑うんじゃねえよ、アレイン」
「ふてくされるなよ。お似合いだぞ、ルッチ」
「ふん」
ルッチは鼻を鳴らすと、ジロリとリオを睨んだ。
「で、結局、何の用なんだ? ぞろぞろと傭兵崩れの野盗を率いて」
息を切らせながら追いついてきた襲撃者達を見据えながら、リオが改めて問いかける。
「まあ、そう急ぐなよ。お前と、お前と一緒にいたベルトラム王国の王女に用があるんだ」
スッと目を細め、アレインが語った。
「俺に用があるのはともかく……、ベルトラム王国の王女と一緒にいた覚えはないんだが」
リオは首を傾げ、そ知らぬふりを決め込んだ。見事なポーカーフェイスである。
「まあ、訊いて素直に教えてもらえるなんて端から思っちゃいない。お前はさしずめ王女の護衛役ってところか。流石はシュトラール地方有数の大国、腐りかけでも王族には優秀な配下が揃っているらしい」
アレインは感心した顔つきを浮かべ、フードを被ったリオを見つめた。
(別に俺は王女の護衛役じゃないけどな)
「王女の話は置いておくとして、丁度いい。俺もあんたらに用があったんだ――ルシウスのことでな」
リオがルシウスの名を口にすると、アレイン達はあからさまに警戒した顔つきを浮かべた。
「…………アレイン、ちっとばかし予定と状況は異なるが、分担に変更はない。こいつは俺にやらせてもらうぜ。お前は王女を追えよ」
ルッチが腰に差した剣を抜き、低く抑えた声でアレインに指示を出す。
「殺すなよ。そいつからは詳しく話を訊く必要がある」
アレインはそう言うと、予備動作を最小限にして、いきなり駆け出した。物凄い速度でリオを迂回するように走る。
リオは瞬時に反応し、アレインの進行方向に割り込もうとした。しかし、ルッチが二人の間隙に潜り込んで、リオの前に立ちふさがる。
リオは軽くため息をついて、足を止めた。
「わりいな。言っただろ。お前の相手は俺がさせてもらう。って、待てよ、こら! 話を聞きやがれ!」
ルッチが喋りだした瞬間に、リオが刹那の隙をついて再び走り出す。
しかし、ルッチも油断したようで気は抜いていなかったのか、わずかに出遅れはしたものの、何とかリオに追いすがった。懐から手投げナイフを取り出し、リオの背中に投げつける。
リオは背中に目でも付いているかのように、横に跳躍して躱した。
「はっ、てめえ、
再び足を止めたリオに、ルッチが言う。
彼が言う通り、
とはいえ、リオは精霊術で身体強化を行っているので、ルッチの推測は厳密には間違っているのだが、引き起こしている現象自体に差異はない。
「あいにくだが、俺の剣にも同等の魔術が込められている。条件は同じ。逃がさねえぜ」
ルッチは好戦的な笑みを浮かべ、得意顔で語った。こうしている間にも、リオとアレインの距離はどんどん開いていく。
(よく喋る奴だ)
リオは小さく息をついた。そして、次の瞬間、予備動作なしにリオの姿がルッチの視界から消える。直後、その場には一陣の風だけが残った。
「なにっ!?」
ルッチが慌てて視線をさまよわせる。すると、彼を置き去りにして、アレインの前にまで回り込もうとしているリオの姿を見つけた。
「アレイン!」
「っ!?」
ルッチの叫び声に反応し、アレインがギリギリのタイミングで咄嗟に回避行動をとる。
「まだ話は終わってないからな」
言いながら、リオがアレインに斬りかかった。
「ちっ!」
アレインが舌打ちをして、剣を抜き放つ。後退しつつ、迫りくるリオに応戦する。瞬時に無数の剣閃が飛び交うが、アレインは防戦一方だ。明らかにリオに押されている。
「ぐっ」
隙を突かれて放たれたリオの回し蹴りを咄嗟に腕でガードすると、アレインの身体が軽々と吹き飛んだ。着地先でバランスを整えようとするが、リオからさらに追い打ちをかけられる。
「させねえよ!」
そこにルッチが割り込んで、リオに襲いかかった。リオが足を止め、バックステップを踏んで距離をとる。
「ルッチ、二人でやるぞ! こいつ、団長並みだ! 俺らどっちかだけじゃ手に余る」
「ちっ、わーったよ!」
アレインが指示を出すと、ルッチが不承不承頷いた。すると、二人は途端に連携して動き始める。
「気をつけろよ、アレイン。ネタはわからねえが、そいつ予備動作なしにすげえ加速するぞ」
「なら絶対に動きを止めるなよ、囲め!」
「たりめえだ!」
情報交換をしつつ、リオを囲うように走り、ひたすら動き回るアレイン達。
(個々の実力は高いし、連携も取れている。殺さずに捕獲するとなると、少し面倒だな)
一方、リオは冷静にアレイン達の実力を分析していた。
流石に上位の身体強化魔術が込められた
通常戦闘速度で見るならば、リオと比べてもそん色はないだろう。あくまでも通常戦闘速度で比較するならば、だが。
そうして、リオを翻弄するように、周囲を駆け回っているアレイン達をよそに――、
(人前であまり精霊術を多用したくはないんだが、この状況でそうも言ってられないか)
リオは半ば野次馬と化した襲撃者達を見やると、小さく嘆息した。
◇ ◇ ◇
リオがアレイン達と戦闘を繰り広げている一方で。
クリスティーナ達は街道上を疾駆していた。全力疾走ではないものの、息を切らせ、足を止めずひたすら走り続けている。
「はぁ、はぁ……」
このまま進めばあと少しで国境を越えて、ガルアーク王国に突入できるのだ。それはベルトラム王国軍の活動範囲から抜け出したことと同義である。気が急くのは無理がなかった。
とはいえ、セリアの顔色はあまり優れない。遥か後方ではリオが一人で野盗と戦っている――そう思うと、とてつもない罪悪感と不安が込みあがってくるのだ。
リオの実力に疑いの余地はないが、心配なものは心配だし、何もかも頼りきりで、ただただ申し訳なかった。
すると――、
(セリア)
「ひゃん!?」
突然、脳内にアイシアによく似た声が鮮明に響き、セリアは素っ頓狂な声を出した。走りながら、びくりと体を震わせる。
(落ち着いて。私、アイシア)
再び脳内にアイシアの声が響く。セリアはきょろきょろと周囲を見渡したが、どこにもアイシアの姿はない。
「だ、大丈夫ですか? セリアさん?」
すぐ傍を走っていた浩太が、息も絶え絶えに、何事かとセリアに尋ねる。
「え、ええ。大丈夫よ。ごめんなさい。何でもないの、走りましょう」
セリアは精一杯の笑みを浮かべ、かぶりを振った。
(落ち着いた? 今、貴方の頭の中に直接話しかけている。セリアから私にメッセージを伝えることができるから、念じてみて)
アイシアの声がまたしても脳内に響く。
(お、驚かせないでよ! っていうか、なに、これ、なんなの?)
セリアは心の中で盛大に叫んだ。
(一時的にセリアとパスを繋げた。今はセリアが意識的に伝えようと思ったことがそのまま私に伝わるようになっている)
と、アイシアが淡々とした口調で説明する。
セリアはなんだか突っ込む気勢をそがれてしまった。
(ま、また随分と便利な能力ね。貴方、今どこにいるの?)
(セリアのすぐ傍。春人からセリアの護衛を頼まれたから)
(ああ、なるほど。貴方がいたから、リオは野盗の襲撃を事前に察知できたわけね)
(……そういうこと)
襲ってきたのはただの野盗ではないのだが、詳細を説明するわけにはいかないので、アイシアは首肯した。
(……リオは大丈夫なのかな? 結局、残っちゃったけど)
(うん。大丈夫)
(そっか、良かった)
アイシアの返答に、セリアがホッと胸を撫で下ろす。
(それより、こっちの方が厄介かも)
(……どういうこと?)
(進行方向の近くに嫌な気配が急に現れた)
(嫌な気配?)
突然の不穏な話に、セリアが訝しそうに尋ねる。
(魔物と似ているけど、もっとどす黒いし、何か違う。前にアマンドの近くで現れた気配と同じかも)
(それって……)
(春人の留守中に魔物を操って私達を襲わせた男のこと)
(そんなこともあったわね。でも、どうしてこんな時に、こんな場所で……。私たちを狙っているの?)
当時の出来事を思い出しつつ、セリアが険しい顔つきになる。
(……わからない。でも、このまま行くとそいつと出くわす危険が高い。だから、私が先行して露払いをしてこようと思う)
アイシアはセリアの疑問に対し思い当たる所があったが、さりげなく話を逸らすことにした。
(……そう、わかったわ。一つ訊いておきたいんだけど、近くに魔物はいないわよね?)
こないだのように魔物をけしかけて襲われたら厄介だ――セリアは真っ先にその危険を予見し、尋ねることにした。
(たぶんいない。この辺りは地形に起伏があるから、探知の精霊術でも探しにくいけど、半径一キロくらいに不特定多数の魔力反応が固まって集まっている場所はなかった)
アイシアもそこら辺の危険性は予見していたようで、あらかじめ探知の精霊術を使っていたようである。
(は、半径一キロ……。それだけわかれば十分よ。ありがとう。貴方にも危険な目に遭わせちゃうけど……)
(セリアが気にする必要はない。貴方を守るのは、春人のためでもあるから……。そんなことより、いくつか魔力反応が点在はしているから、油断はしないで。私がこの場を離れると、もうセリアと念話はできなくなる)
(……わかったわ。気をつける)
セリアが表情を引き締めて首肯する。
リオもアイシアもいなくなれば、クリスティーナを守れる存在がヴァネッサと自分だけになるのだ。
浩太と怜もいるが、彼らはいたって普通の少年にすぎない。当てにするべきではない――そう思って。
(じゃあ、ちょっと行ってくる)
アイシアは抑揚のない声でそう言い残すと、霊体化したままセリア達の進行方向に先行した。
セリアには見えていないが、軽々と空を飛んであっという間に立ち去ってしまう。
(今、何が起きているの? リオ、アイシア……、貴方達は何か知っているの?)
と、取り残されたセリアが疑問に思う。
しかし、その思考内容がアイシアに伝わることはなかった。