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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第九章 穏やかな日常、そして……

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第176話 二人きり

 弘明はスッと目を細め、やや険のある顔つきでフローラを見据えた。弘明の隣で立ち上がったロアナは、すぐにそのことに気づくと――、


「……さあ、フローラ様。どうぞお外へ」


 率先して扉へと歩き出し、改めてフローラを部屋の外へと誘った。室内で待機していたヴァネッサもほぼ同時に歩き出し、部屋の扉を開ける。


「はい」


 フローラはリオに向けていた視線を外すと、弘明の視線には気づかないまま扉へと歩き出した。一方――、


「…………」


 弘明は立ち去るフローラの背中を見据えながら、仏頂面で立ち尽くしている。


「ヒロアキ様、いかがなさいましたか?」


 ロアナはフローラが扉までたどり着くと、さも不思議そうに弘明に声をかけた。


「……ああ」


 弘明は平時より低い声で返事をして、憤りを吐き出すように嘆息して歩きだす。


「それではクリスティーナ様、アマカワ卿。失礼いたしました。また後ほど」


 ロアナは弘明とフローラが部屋の外へ出ると、退室際に扉の前でクリスティーナとリオに頭を下げる。


「ええ、よろしくね」

「畏まりました」


 クリスティーナが目配せして言うと、ロアナは深くお辞儀をして立ち去った。室内にはリオ、クリスティーナ、ヴァネッサの三人だけが残されるが――、


「ヴァネッサ、貴方は部屋の外で見張りをお願い。話が終わるまで誰も部屋の中に入ってこさせないようにね」


 クリスティーナはヴァネッサにも退室命令を出した。仮にフローラの帰還を聞きつけた人間が現れても待たせておけ、と。


「はっ!」


 ヴァネッサは機敏に返事をすると、すぐに部屋から出て行く。そうして、執務室の中に残されたのはリオとクリスティーナの二人だけとなった。


 ◇ ◇ ◇


 一方、退室したロアナ達は館内の通路を歩いていた。


「ヒロアキ様、よろしければお先にお部屋へお戻りいただけますか? フローラ様のお着替えが済みましたら、お迎えに参りますので」


 ロアナは二人を先導して歩きながら、背後の弘明に語りかける。


「……あー、いや、いい。少し疲れたんでな。部屋で寝るわ」


 弘明は白けた面持ちで、そっけなく応じた。


「え……?」


 もともと退室して話をしようと提案したのは弘明だ。それが部屋を出た途端に百八十度、意見を変えたのだから、フローラは意味がわからず面食らってしまう。


「ですが……、いえ、畏まりました。ご気分が変わりましたら、フローラ様のお部屋へお越しください。他の者達はともかく、ヒロアキ様だけは通すように申しつけますので」


 ロアナは弘明がご機嫌斜めな理由を察していたが、深入りすることを止めた。今はフローラの世話をするよう、クリスティーナから直々に頼まれているから。


(後でフォローする必要がございますわね)


 ロアナはそう考え、悩ましそうに息を吐いた。


「じゃあな。先に行ってるわ」


 弘明はそう言い残すと、一人でさっさと立ち去ってしまう。すると――、


「あの、ヒロアキ様はご機嫌が悪いのでしょうか? 私、何かいけないことをしてしまいましたか?」


 流石のフローラも普段の弘明との違いに感づいたのか、不安そうにロアナに尋ねた。


「……いえ。フローラ様がお戻りになって、安堵されたのでしょう。精神的な疲れが晴れて、今度は肉体的な疲れが一気に押し寄せてきたのかもしれません」


 ロアナは笑みを取り繕って答えると、「さ、こちらへ」と言ってフローラに移動を促す。おそらくは真実と思われる本当の理由を、フローラに告げることはできなかった。


 ◇ ◇ ◇


 一方、フローラ達やヴァネッサが執務室を立ち去り、リオとクリスティーナが二人きりになると――、


「申し訳ございません。思ったことは口にする、というのが勇者様のご信条らしく、失礼な言動があったことと存じます」


 クリスティーナは立場上、先の弘明の言動をスルーして話を再開することもできたが、あえてまずはリオに謝罪した。


「いえ、そのようなことは。問題意識の強さは王侯貴族の皆様を始めとする指導者に必要な素養でございましょう。素晴らしいご信条ではありませんか」


 リオは畏まった口調で、愛想良く受け答える。

 ハルトが立場上そう答えるしかないということはわかっていたが、あたかも本音のようにそう言い切っているものだから――もちろん実際に本音なのかもしれないが――、そこらの生来の貴族よりハルトの方がよほど貴族らしい素養を持ち合わせていると、クリスティーナは思った。


「……アマカワ卿も貴族ではありませんか」

「そういえば、そうでございましたね。私はそもそも貴族としての自覚が薄いものでして、恥ずかしい限りです」


 クリスティーナがフッと笑って言うと、リオは朗らかに応じる。


「それこそ、そのようなことは決してないと思いますよ。私個人の見解ですが、アマカワ卿は貴族として持ち合わせるべき素養を十分にお持ちだとお見受けしております」


 と、リオを褒め称えるクリスティーナ。


「……恐れ入ります」


 リオは粛々とこうべを垂れた。ここまではおよそ予定調和の流れであるが――、


「それにしても、こうして二人きりでお話しするのは、随分と久しい気がしますね。覚えている限りで旅の間に何度か、それもごく短い時間だけ。実質的には初めてと言ってもいいかもしれません」


 クリスティーナは不意に、そんなことを言う。


「ええ、然様でございますね」


 リオはいささか本題が読めず、頷きながらクリスティーナの顔色を窺った。すると――、


「実は勇者様をこの場にお呼びすれば、ああいう流れになって、アマカワ卿と二人で話せる時間を作れるかもしれないと、薄々予想しておりました。無論、勇者様には他の者達より先に状況を報告するつもりでしたが……」


 と、クリスティーナは打ち明ける。


「……そうまでなさって、私とお話になりたいことが?」

「もちろん話したいこともあります。ですが、二人だけで落ち着いて話す機会が欲しかったと言った方が正確かもしれません。勇者様は気まぐれにこの部屋を訪れますから、下手に途中で来られるよりは自分でタイミングをコントロールしたかったという思惑もあり、今回はこの席を設けるために利用させていただきました。どうかこの話はご内密に」


 リオが不思議そうに尋ねると、クリスティーナは悪戯っぽく笑って答えた。


「承知しました」


 リオは得心し、くすりと笑って頷く。


「話というのは他でもありません。まずは何よりもフローラを救ってくださったことへ、心よりお礼を申し上げます。私のみならず、妹の窮地をお救いくださり、誠にありがとうございました」


 クリスティーナは改まった面持ちを浮かべると、リオに対し深々と頭を下げた。


「クリスティーナ様、どうか頭をお上げください」


 リオは目をみはって、クリスティーナに呼びかける。


「いえ、業腹ながら人前では軽率に頭を下げられない立場でして、実際にそうあるべく幼少期から教育を受けてきました。ですが、なればこそ貴方と二人きりのこの機会にきちんと頭を下げておきたいと考えました」


 クリスティーナはリオに頭を下げたまま、粛々と語った。


「……お気持ちもお考えも承知いたしました。ですので、どうか、頭をお上げください」


 リオは今一度、クリスティーナに呼びかける。


「はい」


 クリスティーナはあまりリオを困らせたくはないのか、リオに自分の意思も表明できたことから、素直に頭を上げた。


「心臓に悪いので、以降はお控えいただけると幸いです」


 と、リオは困り顔で言う。


「わかりました。……ところで、今回の件に対しては改めて謝礼を贈らせていただきますが、何かご要望はございませんか?」


 クリスティーナはくすりと笑みを浮かべると、話題を変えてリオに問いかける。


「では、可能ならば辞退させていただければと」

「……そういうわけにも参りません。周囲からの突き上げもあるでしょうから」


 リオが苦笑まじりに言うと、今度はクリスティーナが困り顔を浮かべた。


「突き上げ、ですか?」


 と、リオ。


「実はレストラシオンの貴族の間で、アマカワ卿に自分の娘を預けたいという話がございまして……」


 クリスティーナは悩ましそうに語った。


「それは、なんとも、光栄なお話ですが……」


 リオは言葉を選んで、拒否しようとする。


「現状、そういった話は水面下のものですが、今回の功績が知れ渡れば状況が変わることが予想されます。無論、アマカワ卿は名誉騎士とはいえフランソワ国王陛下の影響下にありますから、他国の貴族と婚姻関係を結ぶとなると、一定の配慮が必要となります。ですが、話だけでもと主張する声は上がることでしょう。それがアマカワ卿に対する謝礼となるのかどうかは別として、ですが……」


 クリスティーナはそう語ると、最後に自嘲を覗かせた。


「……つまり、何か謝礼を受け取っておかないと縁談のお誘いを頂くことになる、ということでしょうか?」


 リオは少しバツが悪そうに確認する。


「いえ、仮に謝礼を受け取ったとしても、縁談は舞い込んでくることでしょう。ですが、謝礼は受け取ったのだから、縁談までは受けられないという口実にはなりえます。そうであるのならば、私としてもフォローはしやすくあります。おためごかしで恐縮ですが」


 と、クリスティーナは自分からおためごかしであることを認めて言う。フォローはリオのためを思っての行動でもあるが、実際はクリスティーナとしても煩くなりそうな貴族達に対する言い訳が欲しいのだ。


「とはいえ、そう簡単にいきますか?」


 どっちみち面倒臭くなりそうな気がして、リオは尋ねる。


「謝礼として相応の何かを受け取っていただけるのであれば……。あるいは、いっそのこと心に決めた相手がいるとでも公言されますか? 実際にいらっしゃるのであればもちろん、そうでなくても一定の効果はあると思いますよ」


 貴族は一夫多妻制だが、少なくとも正妻狙いの者達はなりを潜めるだろう。クリスティーナはそっとリオの反応を窺った。


「……あいにくと、そういったお相手はおりません。ですが、それならば確かにある程度は効果がありそうですね」


 リオはわずかに間を置いて、そう答える。


「はい。よろしければ問題が表面化する前に、ご一考ください。アマカワ卿であれば既にそういった誘いをお受けになったこともあるかもしれませんが、今夜のパーティでもそういった話を振る手合いが現れるでしょうから」

「承知しました」

「王侯貴族の婚約婚姻関係は色々と面倒でして、ご迷惑をおかけします」


 クリスティーナはそう言って、疲れ顔を覗かせた。


「月並みな言葉で恐縮ですが、ご心労のほどお察し申し上げます」


 と、リオは柔らかに口許をほころばせて告げる。


「ありがとうございます。実は失踪中にフローラと勇者様の婚約を破棄しておりまして、そちらも少なからず問題になるであろうことを考えると、気が重いんです」


 クリスティーナは少しだけ弱音を吐いた。


「そう、だったのですか……」


 リオは初耳の情報に目をみはる。単純に婚約関係を再構築すればいいのではないかと思ったが、そう簡単な話でもないのかもしれない。あるいは、当事者同士の機微が問題となるのか。いずれにしてもリオには関知できない問題だ。


「申し訳ございません。愚痴をお聞かせしてしまい」


 クリスティーナは小さく息をつくと、気持ちを入れ替えて笑みを取り繕った。


「いえ。私でよろしければ、ご存分に」


 と、リオは快く言ってみせる。


「……とても魅力的なお誘いですが、キリがなくなりそうなので、また後日、お話しさせてください。今は時間も限られておりますので」


 クリスティーナは小さく目をみはると、少し嬉しそうに笑みを刻んだ。


「畏まりました。その際は仰せつけください」


 リオはそう言って、恭しく胸元に手を添える。


「ええ。……それはそうと、今回の件はガルアーク王国へも知らせる必要があります」


 今回の件とは、言うまでもなくフローラの帰還と、ルビア王国の背信疑惑についてだ。


「私は近日中にガルアーク王国へ向かう所存ですが……」

「でしたら、ご同行いただけませんか? 亜竜らしき生命体が魔道船を襲撃してから、魔道船の航行が著しく制限されているのですが、今回は頃合いです。私も一度、ガルアーク王国へ向かう必要はありますから、試験飛行をした後、向かってみようと思いますので」

「承知しました」

「ありがとうございます。アマカワ卿に同行していただけるのであれば、道中の旅路は安心できます」


 クリスティーナは微笑して礼を言う。


「光栄です」


 リオも笑みを浮かべて応じた。すると――、


「……ところで、思ったよりも早く話もまとまりましたし、まだ外に誰も来ていないようなら、セリア先生の講義を覗いてみませんか? 私がご案内しますので」


 クリスティーナは突然、そんな提案をした。


「もちろん、お断りする理由はございませんが、よろしいのですか? 幹部の皆様へのご説明は……」


 リオは意外そうに訊く。


「ええ、今日くらいは少し、羽目を外したい気分なので。ぜひ、お付き合いください」


 クリスティーナは悪戯っぽく笑う。

 本当は幹部貴族への説明以外にも、ご機嫌斜めになっているであろう弘明へのアフターケアをするのが望ましいのかもしれない。

 だが、せっかくめでたい出来事が起きた日なのに億劫な気持ちにはなりたくはない。もしも今の言葉を弘明が耳にしていたら、王族の自覚が薄いと苦言を呈していたことだろう。

 その後、外のヴァネッサに確認をとると、幸いまだ誰も姿を現していないとのことだったので、リオはクリスティーナと一緒に、セリアの講義を見学することになった。

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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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