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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第九章 穏やかな日常、そして……

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第177話 授業見学

 場所はロダニアの領館。リオとクリスティーナはヴァネッサを引き連れて、敷地内の離れに存在する施設へ向かった。道中は面倒な貴族に呼び止められないよう、なるべく人目を忍んで歩き、目的の建物にたどり着く。


「確か、教室は二階の小会議室だったわよね? いくつかあるって聞いたけど」


 クリスティーナは建物の中に入ると、セリアが講義をしている教室の位置をヴァネッサに訊いた。


「いえ、参加希望者が増えたそうで、大会議室に場所を移ったとか」


 と、答えるヴァネッサ。


「そう、それなら一つしかないわね。行きましょうか」


 クリスティーナはすたすたと歩きだして、セリアがいる大会議室へと向かった。すぐに部屋の前へとたどり着く。


「……既に講義は始まっているようですね。後ろに回って入りますか?」


 ヴァネッサは部屋の前方脇に位置する扉をわずかに開けると、中の様子を窺ってクリスティーナに尋ねる。部屋の作りは長方形で、セリアは前方に設置された教壇に立って現在進行形で講義を行なっていた。


「いえ、前から入って、見学の許可を貰いましょう。最初は貴方が入って許可をもらってきてくれるかしら?」


 と、クリスティーナはヴァネッサに頼む。急にクリスティーナが入っては騒ぎになることは間違いなしだ。後から入っても多少は騒ぎになるだろうが、備えはできる。


「畏まりました。では、少々お待ちください」


 ヴァネッサは頷くと、すぐに扉を開けて、一人で中へ入っていく。


「……あら、ヴァネッサさん、どうかなさいましたか?」


 セリアはすぐにヴァネッサの入室に気づいた。講義を中断し、用向きを尋ねる。


「講義中にすまない。実は外にクリスティーナ様とアマカワ卿がいらしていてな。セリア君の講義をご見学になりたいとのことなんだ」


 と、ヴァネッサは端的に説明した。


「まあ」


 セリアはぱちりと目を瞬く。


「構わないだろうか? 手数をかけて申し訳ないが、大丈夫なら生徒達に説明を頼みたい」

「ええ、もちろん構いませんよ。少しお待ちください」


 セリアは快く了承すると、室内の生徒達を見回す。生徒達は何かあったのだろうかと、不思議そうにセリアとヴァネッサに注目していた。


「皆さん、今日はクリスティーナ様がこの講義の様子をご見学になりたいとのことです」


 セリアが声を張り上げて告げると、教室内はざわりとどよめく。だが――、


「静粛に。日頃の講義風景をお見せする必要がありますから、情けない姿を晒してはいけませんよ? 気を引き締めて、騒がないように。わかりましたか?」


 と、セリアはさらに声を張り上げて語る。生徒達は上手く矜恃を刺激されたのか、張り切って頷きだした。


「流石、見事な手腕だな」


 側からセリアを眺めていたヴァネッサは、感心してフッと口許をほころばせる。


「クリスティーナ様のおかげですよ。みんないいところを見せようと、張り切っているんでしょう」


 セリアは照れ臭そうに言うと、「では、お呼びくださいませ」とヴァネッサに伝えた。

 ヴァネッサは「ああ」と頷き、いったん室外へ出る。そして――、


「クリスティーナ様、アマカワ卿、セリア君の許可を得ました。どうぞお入りください」


 そう言って、クリスティーナとリオを室内へ誘った。


「行きましょう、アマカワ卿」

「ええ」


 まずはクリスティーナが歩きだし、リオがその後を追う。最後に入るのはヴァネッサだ。

 そうして、三人で室内に入ると、百人はいる生徒達の注目を一斉に集めることになり、ざわりと教室内がどよめいた。


「おお……」


 と、誰もがクリスティーナに敬意と憧れの眼差しを送る。だが――、


「……誰だ、あの男性は?」

「……アマカワ卿だな」


 リオの姿も発見すると、生徒達は瞠目する。護衛のヴァネッサはわかるが、クリスティーナが同年代の男性を連れて歩くことなどまずないからだ。

 リオが誰なのか、随所で囁かれる。しかし、中にはハルトの顔と名前を見知っている者もいるのか、その正体が特定されるに至った。


「ようこそいらっしゃいました、クリスティーナ様。それに、ハルトも」


 セリアは朗らかに二人を歓迎する。


「少しお邪魔させていただきます。アマカワ卿にセリア先生の講義を見ていただこうと思いまして。私も昔のことを思い出しながら、先生の講義を見学させていただきたいんです」


 クリスティーナはそう言って、フッと笑みを覗かせた。


「喜んで。私も張り切らないといけませんね」


 セリアは嬉しそうに応じる。


「こちらのことは気にせず、どうぞこのまま続けてください」

「恐れ入ります。生徒達が使用しているスツールと同じ物しかないのですが、よろしければそちらにおかけください」


 と、セリアは教壇の脇に置かれていた余分なスツールを指し示す。ちなみに、スツールとは背もたれのない簡素な椅子で、本来なら王侯貴族が好んで座るような代物ではないが、ここが臨時の教育施設である関係上、大量に必要とされて使用されていたりする。


「ありがとうございます。では、座りましょうか、アマカワ卿」


 クリスティーナはリオを見やり、着席を促した。その間にヴァネッサがすかさず動き出して、二人分のスツールを適当な場所――教壇と生徒達の席から距離を置いた位置に設置する。


「……恐れ入ります」


 リオは一瞬、クリスティーナの隣に座っていいものか悩んだが、大人しく並んで座ることにした。王族直々の誘いを断るのも問題であるし、状況が状況だ。あまり授業を中断させるのは不味い。ヴァネッサは身分的な問題から部屋の端に移動し、立ったままでいるようだ。


「じゃあ、講義を再開します」


 セリアは並んで座るリオとクリスティーナの姿を見やると、柔らかく頰を緩めて講義を再開する。それから、十数分……。


(まさかまた先生の講義を受けられるとは思わなかったな)


 リオはどこか嬉しそうに、生徒達に教鞭をとるセリアを眺めていた。セリアの容姿がほとんど成長していないものだから、本当に当時に戻った気になる。

 とはいえ、クリスティーナと一緒にセリアの講義を受けるというシチュエーションはかつての王立学院時代には想像すらできなかったから、なんだか妙に不思議な気持ちも抱いていた。

 クリスティーナはお行儀よく座って、セリアの話にじっと耳を傾けている。今、部屋の中にいる生徒達は十代前半から半ばくらいの子供達で、リオやクリスティーナと同年齢の者もいる。中にはクリスティーナに見惚れている男子生徒がいたりもした。それほどにクリスティーナのたたずまいは美しく、気品を感じさせる。


(そういえば初めて会った時は、ビンタされたっけ。その時は随分とヒステリックなお姫様だなと思ったけど……)


 成長したのだろう。今のクリスティーナからはそういった側面は見受けられない。というより、その時はフローラが誘拐されていたし、気が高ぶっていたのも無理はないのかもしれない。実際、ビンタされたリオとしてはたまったものではなかったが……。

 当時のことを今更になって掘り返すつもりはないが、リオはその時の出来事をふと思い出して、思わず苦笑してしまった。だが、すぐに気を取り直して、講義に集中する。

 それから、しばらくすると――、


「…………いかがですか、セリア先生の講義は?」


 クリスティーナが不意に、小声でリオに尋ねた。


「素晴らしいですね。つまずきやすいところもしっかりと明示して、その上で順序立てて説明をしているので、とてもわかりやすいです。生徒達の視点に立っているのが窺えます」


 と、リオも小声で答える。


「同感です。昔は私も生徒としてセリア先生の講義を受けていましたが、当時習ったことは今でもしっかりと覚えています」

「それはもとよりクリスティーナ様がご聡明であらせられる、というのも大きいと存じますよ」

「……そのようなことはありません。周囲よりも少しだけ要領が良いというだけで、勘違いをして、現実を素直に直視できなかった。そんなプライドだけは高い生意気な子供だったんです。成長するにつれて自分の未熟さと無力さを痛感するに至りました。今となっては反省と後悔の連続です」


 クリスティーナは自嘲して静かに語ると、名状しがたいかげりを帯びた面持ちでリオを見やった。


「当時のクリスティーナ様がどのようなお方だったのか、私は存じ上げません。ですが、今の私が存じ上げるクリスティーナ様は険しい現実の壁と向き合い、それでも怯まずに壁を乗り越えようとしている、強いお方だとお見受けしておりますよ」


 リオはゆっくりと語って、クリスティーナを見返す。


「……光栄です。今の私には過ぎたる評価ですが、いつか自分でもそう思えるように精進してみます」


 クリスティーナはどこか忸怩たる面持ちを覗かせると、リオから視線を外した。


 ◇ ◇ ◇


 そして、講義終了後。


「相変わらず素晴らしい講義でした。久しぶりにセリア先生の講義を受けることができて、初心に帰れた気がします」


 クリスティーナはセリアのもとへ移動し、礼を言った。


「まあ、光栄です。ですが、少し大げさではないかなと」


 セリアはこそばゆそうに微笑する。


「いえ、今日、アマカワ卿と一緒に先生の講義を受けることができてよかったです」


 クリスティーナは柔らかく口許をほころばせ、かぶりを振った。


「……そういえば、講義中にハルトと少しお話をされていましたよね?」


 セリアはリオの顔色を窺いながら、クリスティーナに尋ねる。


「すみません。煩かったでしょうか?」

「いえ、声は聞こえませんでしたので。何をお話しになっていたのかなと、少し興味を持ったくらいです」


 クリスティーナが謝罪すると、セリアはそれとなく何を話していたのかを訊いた。


「……私が王立学院の生徒だった頃のことを少し。先生の講義を受けながら昔のことを思い出して、当時は未熟だったなと、アマカワ卿に話を聞いていただきました」

「まあ、そうだったのですか……。でも、クリスティーナ様は昔からご聡明でしたよ」


 セリアは意外そうに目をみはったが、すぐにクリスティーナを褒め称える。


「セリアはこう仰っていますよ、クリスティーナ様?」


 リオは悪戯めいた笑みを浮かべ、クリスティーナを見やった。


「……恐縮です」


 クリスティーナはこそばゆそうにはにかむ。


「今日はクリスティーナ様の貴重なお話を伺うことができました。セリアの講義を聞く機会もお与えくださり、ありがとうございます、クリスティーナ様」


 リオはきまりが悪そうなクリスティーナのことを気遣ったのか、話題を変えて礼を言う。


「いえ、こちらこそ私の気分転換にお付き合いくださり、ありがとうございました」


 クリスティーナは朗らかに礼を言い返すと――、


「……ところで、もう講義は終わったはずですよね? 生徒達は退室しないのですか?」


 生徒達を見やりながら、不思議そうにセリアに訊く。既に講義の終了は宣言されているのに、まだ誰も教室から出て行こうとしないからだ。その場に大人しく座って、クリスティーナ達の会話を見守っている。


「あはは、クリスティーナ様のお話に興味があるのかもしれませんね。……あ、そうだ。せっかくなので、ハルトに会わせたい子がいるんです。この場でお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 生徒達の心情を察して苦笑するセリアだったが、ふと思い出したように、そんなことを言う。


「はい、無論です」


 クリスティーナは二つ返事で頷いた。すると――、


「サイキ君、いるかしら?」


 セリアは教室の生徒達を見渡し、とある生徒の苗字を呼んだ。


「サイキ……、怜さんですか?」


 リオはその苗字から、セリアが呼ぼうとしている人物を特定した。


「ええ。ロダニアに残ることになって、魔道士になるべく今は私の講義を受けているのよ」


 セリアはにこやかに頷いて語る。


「私も忙しくてなかなか会っていませんでしたが、彼は元気にやっているでしょうか?」


 と、クリスティーナ。


「はい。いつもダンディ男爵家のお嬢さんと一緒に講義を受けているんですけど……、あれ、サイキ君? 今日はお休みかしら?」


 セリアは今一度、教室の中を見渡して、怜を呼んだ。すると、生徒達の注目がとある一角に集まる。果たして、そこには――、


「レ、レイ様、流石にお呼ばれした以上は参上しないと」


 ダンディ男爵家の令嬢、ローザがいて、焦りを帯びた声で怜に語りかけていた。怜は頭を低くして、身を潜めている。


「い、いや、こんな状況で出ていったら目立つじゃないか」


 と、怜。


「こうしている方が目立ちますわ。ほら、周りの方々から見られておりますから、すぐに参上しませんと。クリスティーナ様をお待たせしては不敬ですわ」


 ローザは変わらず焦燥した面持ちで怜に呼びかける。


「くっ、仕方がないのか。じゃ、じゃあ、ローザも一緒に来てくれ」


 怜は覚悟を決めたのか、ローザの手を掴んで立ち上がった。


「ちょ、レイ様?」


 ローザは腕を持ち上げられ、気恥ずかしそうにうろたえる。


「あ、いたのね。ちょっと来てくれるかしら」


 セリアは怜の顔を見つけると、笑顔で呼び寄せた。


「行こう、ローザ」


 怜はそう言って、ローザを立たせようとする。


「い、いえ。わ、私は畏れ多いので」

「ほら、いいから」

「レ、レイ様!?」


 などと、慌ただしくしながら、結局、怜に連れていかれるローザ。二人で会議室内を歩き、生徒達の注目を浴びながらクリスティーナ達のもとへ向かう。


「お久しぶりですね、レイさん。お元気そうで何よりです」


 リオは怜が近づいてくると、自分から声をかけた。


「ええ、おかげさまで。お久しぶりです、アマカワ卿」


 怜は胸元に手を当て、恭しくこの世界の貴族流の挨拶をする。


「……以前と同じ口調で構いませんよ。どうしたんですか、急に?」


 リオは少しおかしそうに、怜に言った。


「あー、いや、ここは周囲の目もありますし、そういうわけには。アマカワ卿は他国の貴族ですし、伯爵相当の名誉騎士ですから」


 怜は困り顔で応じる。 


「今の彼はダンディ男爵家の令嬢と結婚を前提に交際しておりますから、色々と教え込まれているのでしょう。確かに以前のままでは、貴族として振る舞うには少しばかり問題がありましたから」


 クリスティーナはフッと笑って、ローザを見やりながらリオに事情を説明してやった。ローザは恐縮しきって、所在なさげに立ち尽くしている。


「ということは、怜さんは貴族に?」


 リオは目をみはって訊いた。


「一応、そうなります。準男爵の爵位をクリスティーナ様から頂戴しました」

「なるほど……。ということは、もしかしてそちらの女性が?」

「ええ、婚約者のローザです」


 怜は頷き、隣に立つローザをリオに紹介する。


「は、初めまして。ローザ=ダンディと申します。アマカワ卿のお話は、レイ様からかねがねお聞きしておりまして、その、お会いできて光栄です」


 ローザはひどく緊張した様子で、自己紹介を行なった。


「そうでしたか。初めまして、ハルト=アマカワと申します。レイさんにはロダニアまでの旅の間にお世話になりました」


 リオは行儀よく挨拶を返す。


「いや、ほとんどアマカワ卿に頼りっぱなしだった気が……」


 怜は苦笑して頭を掻いた。すると――、


「クリスティーナ様、いらっしゃいますか? ……おお、捜しましたぞ!」


 会議室の前方の扉が開いて、ロダン侯爵が現れる。視線の先にすぐクリスティーナを発見して、歩きだした。


「あら、見つかってしまったみたいね」


 クリスティーナは苦笑して、小さく肩をすくめる。


「そういえば、ハルトとのお話はもう終わったのですか?」


 セリアはロダン侯爵が近づいてくる前に、クリスティーナに訊く。


「はい。一通りのことは。今夜はパーティを開きますので、ぜひセリア先生もアマカワ卿と一緒にいらしてください」


 クリスティーナは頷き、にこやかにセリアをパーティに誘う。


「はい、喜んで」


 セリアは微笑して首肯した。


「アマカワ卿はよろしければこの後はセリア先生と一緒におくつろぎください。私はパーティの間まで、また忙しくなりますので」


 クリスティーナは続けて、リオにそう告げる。


「承知しました」


 リオは恭しく頷き、夜のパーティまでセリアと一緒に行動することになった。

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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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