第180話 殿下に、勝利を
「俺とお前で決闘しないか?」
弘明は気まぐれに現れたかと思えば、リオに決闘を申し入れる。直後、その場の空気は明らかに一変した。リオ、セリア、クリスティーナ、フローラと、その誰もが弘明の発言の真意を見極めようと押し黙る。だが、ややあって――、
「……お」
「お認めするわけにはまいりません」
リオが「お戯れを」と笑って答えようとすると、クリスティーナが機先を制するように断言した。
「……あー、クリスティーナには言ってないんだがな」
弘明はクリスティーナがリオを庇ったと思ったのか、面白くなさそうに言う。
「レストラシオンの代表としては決して
と、クリスティーナはきっぱりと告げる。
「いやいや、余興と言っただろ?」
弘明は肩をすくめて応じた。平静を装おうとしているものの、どことなくふてくされている様子が窺える。クリスティーナから見れば筒抜けと言ってもいい。
「余興、と仰いますか。……恐れながら諫言させていただきますが、勇者様はこのパーティがどういった席なのか、ご自分が何を仰っているのか、本当にご理解なさっておられますか?」
クリスティーナは弘明を真っ直ぐと見据えて問いかける。
「ほう、諫言ときたか……。当たり前だろ。フローラの帰還を祝う席だ。ついでに恩人のそいつを招いているんだろ」
弘明はフッと嘲笑を刻むと、得意げに答えた。だが――、
「どうやらご理解いただけていないようですね」
と、クリスティーナは嘆かわしそうに嘆息する。
「何?」
弘明はとたんに真顔になった。
すると、クリスティーナは間髪を入れずに口を開く。
「そもそもアマカワ卿はベルトラム王国の、いえ、レストラシオンの人間ではございません。恩人として、主賓として、この場にお越しいただいているのです。決して『ついでに』お招きしたわけではございません。この点、勇者様はレストラシオンを象徴する存在であらせられます。パーティを主催する側の貴方様が、主賓に対して決闘を申し込むことが傍から見てどれだけ失礼な行いなのか、本当におわかりですか?」
「…………あー、どうやらクリスティーナは俺の発言の趣旨をはき違えているようだな。まあ、そんなにムキになるなよ。ちょっと必死すぎるぜ?」
弘明は真っ向から反論するのは分が悪いと思ったのか、クリスティーナから視線を逸らし、頭を掻いてバツが悪そうに語る。
「……発言の趣旨、でございますか?」
クリスティーナは必死になるのも当然だと言いたかったが、にこやかに笑みを貼り付けて訊いてみせた。
「ああ、そうだ。余興だと言ったろ? 仮にも王の剣とやらを倒したほどの男だ。そいつの実力はみんな気になっていると思ってな。そこで決闘をと思ったわけだ」
と、弘明は弁明するように語る。
「……決闘とは断じてそのように軽はずみに行うものではございません。貴族の名誉を、譲れない誇りを、時には命をかけて行う儀式です。決闘を申し込むことはすなわち敵愾心の表明に他なりません。ただの手合わせなどとは訳が違います。勇者様は譲れない何かを賭して、アマカワ卿と戦いたいのですか?」
クリスティーナは深く溜息をつくと、弘明の軽率な言葉選びを咎めた。本当は弘明が語った動機が建前であることは薄々と見抜いていたが、内心を証明することなどできない。下衆の勘ぐりになるだけだし、指摘しても詮無きことだ。
「あー、それは言葉狩りってやつだ。別に敵愾心があるわけじゃない。手合わせ程度の生半可な戦いじゃあ、そいつの真価を見定めることなんかできないんじゃないかと思っただけだ。伝説の勇者である俺と、王国最強の騎士を倒した英雄の戦いだぜ? それこそ決闘という言葉が相応しいと思ってな」
弘明は自分の立場ならクリスティーナが強く咎めにくることがないと高を括っているのか、いい加減なことをもっともらしく語った。とはいえ、今回はクリスティーナも負けていない。
「……いずれにせよ、アマカワ卿に対して失礼であることに変わりはありません。勇者様はレストラシオンの象徴として組織に所属していただいているのですから、今はおもてなしをする側にいるのだということをご自覚いただき、レストラシオンの恩人に対して礼を失した行いは慎んでいただきたく存じます」
クリスティーナは正論をもって、弘明を咎めた。現状、レストラシオンの代表である彼女としては、勇者である弘明につまらないことで機嫌を害されるのは組織的に上手くないが、他国の名誉貴族であり組織の恩人でもあるリオに失礼な真似を働くのも同じくらいに組織にとって上手くない。
そもそも弘明が気分を害している理由は、リオに対する嫉妬に端を発している。フローラの気持ちが自分ではなくリオに傾きつつあるから、自分ではなくリオが主役のような扱いを受けているから、弘明はそれらが気にくわないだけなのだ。それは不当な感情に他ならない。
無論、弘明の場合は勇者であるというだけで不当な感情すら正当化されかねないが、今回は話が別だ。組織に大きく貢献してくれた外部の人物を蔑ろにするなど、組織の対外的な信用問題に関わりかねない。レストラシオンの代表としては捨て置くことなどできるはずがないし、クリスティーナ個人の気持ちとも合致していた。
「ふーん……」
弘明はやはり面白くなさそうに口を尖らせる。どんな理由があろうが、自分よりもリオを優先した事実は面白くはないのだろう。あるいは、自分の面子を潰されたと思っているのかもしれない。
「アマカワ卿、大変失礼いたしました。我々はもちろん、勇者様にも敵愾の念はないとのことです。どうかお許しいただけないでしょうか?」
クリスティーナは弘明のことを捨て置くと、組織を代表して粛々とリオに頭を下げる。公衆の面前で王族が頭を下げるなど、滅多にある出来事ではない。会場は大きくざわついていた。すぐ側にいるセリア、フローラ、ロアナも冷や冷やとした面持ちでその様子を見守っている。
「いえ、気にしておりませんので、どうか頭をお上げください」
リオは周囲の目を気にし、クリスティーナに頭を上げるよう促す。
「……恐れ入ります」
クリスティーナは緊張を吐き出すように息をついて、顔を上げた。そうして、事は丸く収まり、一応は最悪の事態を免れることができたように思えたのだが――、
「…………じゃあ、改めて手合わせを申し込ませてくれないか? これは個人的な頼みだ」
弘明は今度は決闘ではなく、手合わせをリオに申し入れる。
「っ、勇者様!」
クリスティーナは流石に顔をしかめて、声を荒らげた。今までの話の流れを完全に無視する発言に、セリア達もギョッとして弘明の顔を見やる。
「おいおい、落ち着けよ。これは決闘じゃない。勇者の俺が、手合わせをしたいと頼んでいるんだ。余興のつもりで決闘を申し込んだのは軽率だったみたいだからな。いいじゃないか。な、ムキになるなって」
弘明は不機嫌を隠すように引きつった笑みを浮かべていて、軽い調子を取り繕う。
(ムキになっているのは、どこの誰よ。どうしても公衆の面前でアマカワ卿を負かして辱めるつもり? なんて幼稚な……)
クリスティーナは弘明のゴリ押しに絶句し、歯がゆそうに言葉に詰まる。いくら論理的に訴えたところで、結論ありきで話を進めようとする今の弘明を納得させることなどできないと思ったから。
まさかここまで愚か者だとは思いもしなかった。こうなったら、後は弘明がなんと言おうと認めないと言い張る以外に道はない。もっとも、そうすれば確実に弘明とは険悪な雰囲気になってしまうのだろうが……。しかし――、
「承知しました。手合わせでいいのならば、お受けしましょう」
リオは険悪になりつつある空気を読み、弘明との手合わせを受け入れてやった。こんなつまらないことでセリアがいるレストラシオンという組織の体制を揺るがすのは事だし、ここまで粘着するような相手だ。適当に相手をして、満足させてやった方が後々の禍根もないと考えての判断である。
「っ、アマカワ卿……」
クリスティーナは名状しがたい表情を覗かせる。本来ならリオにとってこの手合わせを受け入れるメリットは何もない。受け入れなかったら受け入れなかったでデメリットはあるだろうが、クリスティーナはリオが自分の顔を立ててくれたのだろうと考え、もどかしそうに唇を噛んだ。
「ここまで強く私との手合わせを望んでくださるのです。お断りするわけにもまいりません」
と、リオは手合わせの誘いを受け入れる理由を告げる。仮にここで断れば、弘明との関係が悪化することは必至だし、今後も折に触れて粘着してきかねない。
(アマカワ卿が辞退すれば、逃げたとか、言い出しかねないわね。この勇者は……)
クリスティーナはそう考え、悩ましそうに額を押さえる。
「決まりだな。まあ、今日は酒も入っているし暗い。手合わせは明日でいいだろ」
弘明は満足そうに話をまとめた。自分の思惑通りに話が進んで、ご満悦なのだろう。自分が負ける結果など、みじんも想像していないようだ。
「…………承知しました。では、お二人の手合わせは私が仕切らせていただきます。勇者様は以降、これ以上の勝手な真似はお控えください」
クリスティーナは腹をくくって気持ちを切り替えたのか、弘明を見据えていやに淡々とした声色で告げた。
「あー、わかった、わかった。ちょっとした余興なんだ。そう、熱くなるなよ。まあ、クリスティーナはお怒りみたいだしな。この辺りで去るとしようか。明日を楽しみにしているぜ」
弘明はおざなりに応じると、さっさとその場から立ち去ろうとする。
「あ、その……」
ロアナはこの場に残るべきかどうか、咄嗟には決めかねて逡巡した。
「貴方はお供して差し上げなさい、ロアナ」
クリスティーナはそんなロアナの背中を押してやる。
「は、はい。失礼いたしました」
ロアナはクリスティーナとリオに向けて頭を下げると、小走りで弘明の背中を追いかけた。すると、クリスティーナは再びリオに向き直る。
「本当に失礼いたしました、アマカワ卿。できれば内密にお話がしたいので、パーティが終わった後に少しだけお時間を頂戴できないでしょうか?」
クリスティーナは一気に気疲れしたのか、申し訳なさそうに謝罪し直し、リオとのパーティ後の個人的な面会を求める。話題はもちろん弘明の件についてだろう。リオとしてもクリスティーナと話はしておきたい。
「ええ、もちろん」
リオは二つ返事で頷いた。
◇ ◇ ◇
そして、
「お疲れのところお呼び立てしてしまい、誠に申し訳ございません」
と、まずはクリスティーナが開口した。ちなみに、パーティで着用していたドレスではなく、普段着に着替えている。
「いえ」
リオは愛想良く笑って、首を横に振った。
「早速ですが、話というのは、勇者様との明日の手合わせについてです。私の力が及ばず、アマカワ卿にはご迷惑をおかけすることになってしまい、謝罪のしようもありません」
クリスティーナは単刀直入に用向きを切り出すと、何度目になるかわからない謝罪をリオにする。
「本当にお気になさらず。私との手合わせを強く望んでくださったようでしたし、私のせいで殿下と勇者様の関係を悪くさせてしまうわけにもまいりません」
と、苦笑してクリスティーナを立ててやるリオ。現状は身分差を踏まえても苦言の一つくらい呈することを許される場面だが、貴族としては実に好ましい回答だった。
理由はもちろん、セリアのためというのが大きい。クリスティーナはレストラシオンにおけるセリアの一番の後ろ盾なのだから、リオとしてはクリスティーナとの関係に禍根を残すよりは、積極的に恩を売っておくのが得策だ。
何よりここでクリスティーナを責めたところで、何かが建設的に変わるわけではない。クリスティーナが謝罪の念を示しているのならば、殊更に何かを主張する気にはなれなかった。とはいえ、そういった隙のなさが、時にはこの上ない糾弾となることもある。
「……ご配慮、痛み入ります」
クリスティーナは自らの力不足を恥じているのか、忸怩たる面持ちを浮かべた。リオが苦言を呈さないのは、あくまでも合理的な理由があるからだと気づいているからである。そこを勘違いして胡座をかけばどうなるか、わからぬクリスティーナではないし、今のリオ――、ハルト=アマカワという他国の貴族は王族のクリスティーナでも安易に見下せるような相手でもない。
「そうお悩みにならないでください。勇者様のお望み通り、ただ単に手合わせをすればよろしいのでしょう?」
と、リオは特に気負うことなく言ってみせる。
「……その手合わせですが、アマカワ卿はわざと勇者様に負けるおつもりですか?」
クリスティーナはじっとリオの顔を見据えると、そんなことを訊いた。
「……恐れながら、わざと、とはどういう意味でしょうか?」
リオは笑みを取り繕って訊き返す。
「ここだけの話ですが、まともに手合わせをした場合、私はアマカワ卿が勇者様に負けるとは思っておりません」
「それは、大変光栄なご評価ですが……、勝負に絶対はございません」
断言しきったクリスティーナに、リオは困り顔を浮かべた。
「現にガルアーク王国の勇者様との手合わせでは、アマカワ卿が勝利されたのでしょう? そして、フローラを連れてロダニアへたどり着くまでの間に交戦した勇者らしき少年も退けた」
「……ええ」
リオは躊躇いがちに頷く。隠しようもないし、隠しても仕方がない事実だ。
「私は勇者様……、サカタ様が気まぐれに行う模擬戦の様子を見たことがありますが、正直、アルフレッドと戦っていた時の貴方に及ぶとは到底思えません。無論、神装の力が強力なので、並みの騎士よりは強いのでしょうが、近接戦闘に限れば魔剣を所持する一部の実力者達には及ばないと私は分析しています。いかがでしょうか?」
と、クリスティーナは推察した上で問いかける。
「……勇者様が戦闘訓練を受けたことがないのであれば、ご明察の通りかと。神装に秘められた特殊能力を除けば、他に目立った効果は身体能力と肉体強度の劇的な向上だけのようですので」
効果の程度はまちまちだが、身体能力と肉体強度を強化する魔術は数多くの魔剣に込められている。強化魔術の条件を神装と対等に近づけられるのであれば、戦闘技術で覆すことは可能だ。
「こちらでも同じように勇者様と神装の力を分析しております。レストラシオンの騎士と何度も模擬戦を行っておりますが、どれも接待試合です。戦績は負けなしですが、おそらくは取りこぼしえた勝負もあったはずです。本人は自分の力量をきちんと自覚していないのでしょうが……」
「……然様でございますか」
リオは返事に困り、無難に相づちを打つ。すると――、
「急にこのような話をして、申し訳ございません。ですが、この話こそが私がこうしてアマカワ卿をお招きした理由なのです。ご迷惑をおかけしている上でお願いをするのは大変心苦しいのですが、どうか明日の手合わせでは勇者様を負かしていただけないでしょうか?」
クリスティーナは不意に本題を切り出した。
「……理由をお聞かせいただけないでしょうか?」
リオは即答せずに、先に理由を尋ねる。
「恥ずかしながら、今の勇者様はいささか以上に増長しておられます。私がロダニアへ来るまでのユグノー公爵の方針でもあったのですが、少し甘やかしすぎてしまったようです。無論、組織のためを思うのならば、その方針が完全に悪かったと一概に断言することもできないのですが……」
と、クリスティーナは悩ましそうに語った。
「いかに王侯貴族の皆様といえど、神威の体現者とも言える勇者様に強く出ることができないのは、ある意味で仕方がないこととも存じますが……」
リオはレストラシオンの王侯貴族達をフォローしてやる。
「はい。ですが、程度の問題です。勇者様との関係が悪化するリスクを考えると踏ん切りがつきませんでしたが、今日の行いを見て、ようやく決心しました。勇者様のプライドを一度、へし折るべきだと」
クリスティーナはきっぱりと告げた。
「…………」
リオはそれ以上、何も言うことができない。このまま弘明を放置していれば、遅かれ早かれより厄介な問題を引き起こすであろうことは予想できたから。
「今後もこれまでのように甘やかすことはもはや弊害にしかなりません。だから、アマカワ卿に勇者様を負かしてほしいのです。自分が絶対的に一番の存在ではないのだと、知らしめてほしいのです。下手な誰かに任せられる役目ではありません。我が国最強のアルフレッドを破り、武功によって立身出世を遂げているアマカワ卿にだからこそ、お願いしたいと考えました」
クリスティーナはそう言うと、粛々とリオに頭を下げる。自分が絶対的に一番の存在ではない。そんなことは現代社会に生きる人間ならば、成長の過程で誰もが悟ることだ。
だが、幸か不幸か、弘明は身分社会に紛れ込み、神の使徒にも等しい存在として祭り上げられてしまった。十九歳という年齢を考えれば、増長するのも無理はないだろう。
「そもそも勇者様が強引に申し込まれた手合わせです。アマカワ卿が勝利することで文句など言わせませんし、今後、アマカワ卿への愚かなちょっかいを出させないこともお約束します。お詫びとお礼も別途させていただく所存です。ですので何卒、ご一考いただけないでしょうか?」
クリスティーナはさらにそう付け足した。
「…………具体的には、どのような勝利をお望みですか?」
リオはしばし押し黙ると、クリスティーナに尋ねる。
「勇者様に本気を出させ、その上で実力差を知らしめる勝ち方が望ましいと考えております」
瞬殺はせず、されども苦戦もしない。要は、真っ向から戦った上で、ねじ伏せろということだ。
「なかなかに無理難題を仰いますね」
リオは思わず苦笑してしまった。
「……流石に厳しいでしょうか?」
クリスティーナも学院時代に護身の戦闘訓練を受けたことはあるが、専門職ではない。自分が考えている以上に難しいことを頼んでいるのだろうかと、不安を覗かせる。だが、リオは「いえ」と、かぶりを振ると――、
「承知しました。献上することをお約束しましょう。殿下に、勝利を」
クリスティーナの頼みを聞き入れた。