第124話 レストラシオンへの旅路
リオとセリアがクレール伯爵領に到着する少し前。セントステラ王国・第一王女リリアーナの私室にて。
リリアーナは人払いを行ったうえで、美春を呼び寄せていた。
美春とリリアーナが椅子に腰を下ろして向き合う。その用件はというと、
「日本語を教えてほしい、ですか?」
頷きはしたものの、美春が不思議そうに首を
リリアーナが日本語を習いたがる理由がどうも見いだせないのだ。日本語なんてこの世界の言語ですらないのだから。
「今のところ、我が国にミハルさん達以外で勇者召喚に巻き込まれた方は確認されておりませんが、今後も現れないとは限りません。なので、国の中に一人くらいは異世界の言葉を使える人間がいた方がいいと判断したのです。お願いできないでしょうか?」
美春の心中を察したのか、リリアーナが丁寧な口調で理由を説明する。
「そういうことでしたら、私でお役に立てるのなら喜んで」
美春はすんなりと納得したのか、深く追及することはせず、承諾の意思を示した。
「ありがとうございます。それで、実はもう一つお願いがあるのですが、私がミハルさんから日本語を習っていることは、アキちゃんやマサト君も含め、他の方々には秘密にしてほしいのです」
と、リリアーナがそんなことを願い出る。すると、美春はまたしても不思議がった。
「短期間で覚えて、皆様を驚かせてあげたいですからね」
付け足すように言って、リリアーナが若干の
美春はリリアーナの微妙な表情の変化をそれとなく察したが、その裏に潜む機微まで汲み取ることはできなかった。
「なるほど……。わかりました」
「これでミハルさんは私の先生になりますね。よろしくお願いします」
おそるおそる頷く美春に、リリアーナが誤魔化すように微笑んで頭を下げる。
「せ、先生……ですか? 私がリリアーナ様の……」
美春の声が上ずった。あらためて先生などと言われてしまうと、責任重大に聞こえてしまう。教える相手が第一王女となればなおさらだ。
「あまり堅苦しく考えず、ご友人とお茶でも飲むようなつもりでお相手していただけませんか?」
「が、頑張ります」
美春が緊張した面持ちで首肯すると、リリアーナはくすりと笑みをたたえた。
「それでは、明日から今日と同じ時間に私の部屋にお越しください。訪問の理由として名目上、私の専属侍女であるフリルの下で仕事を学んでいただくということにいたしますが、よろしいでしょうか?」
「はい。食事時の前後以外は仕事もありませんので」
亜紀や雅人の世話を買って出ている美春だが、現状、食事時以外に大した仕事は与えられていない。
リリアーナもそこら辺を承知した上で頼んでいるのだろう。
「では、早速ですが明日からよろしくお願いいたします。使いとしてフリルを送りますので」
言って、リリアーナはフリルを見やった。
「よろしくお願いいたします。ミハル様」
フリルが恭しく頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそ!」
美春は慌てて椅子から立ち上がり、フリルに頭を下げ返した。
「とりあえず今日はこのままお茶にお付き合いいただけませんか? ミハルさんとはゆっくりお話をしてみたかったんです」
それから、美春はリリアーナとお茶を飲み、親交を深めることになる。
☆★☆★☆★
リオがセリア達と合流してから二日が経過した。
今はクレール伯爵領・領都クレイアから南に伸びる街道を南下しているところである。
もう少し進むと関所が見えてくるはずだ。その関所を越えて山々を抜けると、東へと続く街道の分岐点がある。
だが、リオ達はそのまま関所へは向かわず、おもむろに街道の脇に広がる山林の中へと入っていった。
隊列は先頭にヴァネッサ、その後ろに
「あの、街道から外れても大丈夫なんですか?」
森の中へ入り、道なき道を進みだすと、浩太がきょろきょろと視線をさまよわせながら尋ねた。
今の季節は春で、まだ午前中だが、森の中は軽く木漏れ日が差し込む程度なので、薄暗くて涼しいくらいだ。
「あのまま歩くと山岳地帯に突入した辺りに関所があるのよ。私達が逃げたから、今はそこで検問が敷かれているかもしれないの。最悪、封鎖されている可能性もあるし、避けて通れるなら避けた方が安全でしょう?」
後ろからクリスティーナが説明してやる。
「な、なるほど。でも森の中は危険なんじゃ……」
薄暗い草木の空間に怯えているのか、浩太はどこか及び腰だ。
「無論、危険だ。道に迷いやすくなるし、魔物や獣なんかに遭遇する危険も格段に増す。だが安心しろ。関所を迂回すれば街道に戻る」
と、先頭で話を聞いていたヴァネッサが、後ろを振り返らずに説明を付け足す。
当たり前だが、街道を外れてしまえば、そこは完全に野生の土地となる。
そして、旅において街道を外れる行為がいかにリスキーかは、殊更に語るまでもないだろう。
道なき道を進むのはそれだけで大変な労力だし、移動に時間はかかるし、遠回りになりやすい。
また、ヴァネッサが語ったように魔物や獣に襲われるリスクもある。
それに、毒蛇やヒルのように、個体としての戦闘力はさほど高くはないが、厄介な生物が森の中にはいくらでもいるのだから。
「ま、魔物に獣……」
浩太はごくりと唾を呑んだ。
「今ならまだ街道へ引き返せるけど、お城に戻りたい?」
怖じけづいた浩太を見かねて、クリスティーナが問いかける。
「い、いえ、城には戻るつもりはありません。僕は自分から望んでお城を出てきたんですから」
浩太はわずかに顔をしかめ、思いつめた表情を浮かべた。クリスティーナがスッと目を細める。
「そう。なら、気を引き締めてちょうだい。貴方の腰に差した剣は飾りじゃないのよ。アマカワ卿とヴァネッサがいるとはいえ、万が一の時には貴方達にも戦ってもらうことになるのだから」
「……はい」
浩太が静かに頷く。その横顔は心なしか先ほどよりも怯えの色が抜けているように見えた。
☆★☆★☆★
「クリスティーナ様。ここらで少し休憩しましょう。近くに水場もありますので」
森の中でちょうど休憩に良さそうな泉を発見すると、ヴァネッサが提案した。時刻はちょうど昼時。だいぶお腹も減り始めている頃合いだ。
「そのまま食べるのも味気ないので、携行食を使って簡単に料理しますね。セリアお嬢様。魔法で水を出してもらってもいいですか?」
と、リオが携行食の調理を申し出る。
「うん。いいけど、……お嬢様っていうのは止めない? 何かすごく恥ずかしいんだけど。ぞわっとするっていうか」
答えて、セリアがこそばゆそうにはにかんだ。
「……しかし、何とお呼びすれば?」
ちらりとクリスティーナ達を見やり、リオが困り顔で尋ねる。
実は他の面々がいる手前、リオはいまいちセリアとの距離感を掴みかねていた。そんなわけで、ここに来るまでの間、少しばかり
「そ、そりゃあ、ほら、
と、セリアがややドギマギした口調で語った。すると、リオが微妙に戸惑いの色を見せる。
「今までみたいに、ですか? ですが……」
呼び捨てでというと、リオが『セシリア』と偽名で彼女に話しかけている時のことを指していることになるはずだ。
だが、リオが『セリア』と本名で彼女に話しかける時は、『先生』と敬称を付けるのが慣例となっている。
なので、『いつもみたいに』と言われても、そんな『いつも』は存在しないことになってしまう。
しかし――、
「い、いいから! ほら! 呼ばないと水を出してあげないわよ!」
微かに頬を紅潮させて、セリアがまくしたてた。
「……わかりました。じゃあ、セリア。水をお願いします」
苦笑し、リオが折れる。すると、セリアは嬉しそうに微笑んだ。
そんな二人のやりとりを見て、クリスティーナ達が密かに好奇の視線を向ける。
「よし、じゃあ鍋を出してちょうだい!」
セリアが言うと、リオは「はい」と頷き、背負っていたバックパックを地面に降ろした。
続けて、バックパックの外側に縄で固定していた鍋を取り外し、セリアの前に置く。
「お願いします」
「うん。《
セリアが鍋の上に手をかざして呪文を唱える。すると、小さな魔法陣が浮かび上がった。そこから蛇口をひねったように水がジャバジャバと
リオは鍋を簡単に水洗いしてから、中に水を入れた。ほんの十秒ほどで十分な水が溜まる
「待っててね。調理台も作っちゃうから。……《
セリアは近くの地面に触れると、呪文を唱えた。
前方の地面に魔法陣が浮かび上がり、正方形状に土が
「相変わらず器用に魔法を使いこなしますね」
リオが感心した口調で言った。
《
そもそも戦闘用の魔法であるため、こういった用途で使われることは想定されていないのだ。
この点、こういった細かい芸は精霊術の方が向いている。魔法のように術式という制約に縛られないからだ。
「任せなさい。これでも魔法の講師だったし、功績が認められて魔導士爵の位も持っているんだからね」
と、セリアが少し誇らしげに語る。リオの役に立てていることが嬉しいのかもしれない。
「ありがとうございます。料理は俺が作りますから、セリアは皆さんと協力して食卓と椅子を作ってもらってもいいですか? 終わったら休憩して構いませんので」
「うん、任せて!」
セリアが嬉しそうに頷いて、とことこと小走りで駆け出す。
リオはバックパックから薄くて軽い金属板を二枚取り出した。それぞれ板の表面には同じ文様の術式が刻まれている。
続けて、セリアに作ってもらった調理台の上に金属板を敷くと、ひょいと鍋を掴み、片方の金属板の上に設置する。
板の周りに何個か魔石を置いていくと、術式が魔石の魔力を吸収して光を発し、熱を放出し始めた。ちなみに、この板は魔道具で、魔石の数を調整することで熱量を操作することができる。
バックパックからフライパンや食材も取り出せば、調理の準備は完了だ。
鍋のお湯が沸くまでの時間を利用し、リオが調理を開始する。
まずはフライパンの中に植物油と香辛料に、移動中に森で拾った食用のキノコをちぎって投入した。
それから鍋のお湯が沸騰し始めると、干し肉をナイフで切り取って投入する。また、フライパンのキノコをしんなりと炒めたところで、中身を皿に移し替えた。
そうして、リオが調理を開始してから短くない時間が経過すると――、
「手慣れているんですね」
ふと、背後からクリスティーナが近寄ってきて、感心した顔つきで語りかけてきた。
「ええ、長く旅をしている間に色々と。……もうすぐ出来ますから、どうぞ皆様と一緒にお座りになってお待ちください」
リオがちらりと後ろを見やり応じる。とはいえ、あまり会話をする気がないため、それとなく会話を切り上げようとした。
だが、クリスティーナは引き下がらずに、
「ありがとうございます。貴方がいるおかげで本当に助かっているわ」
と、突然、リオに感謝の言葉を伝えた。
「いえ、まぁ、成り行きですから。お気になさらず」
リオが居心地悪そうにかぶりを振る。リオとしてはあくまでもセリアのために色々と便宜を図っているわけで、結果的にクリスティーナを助けているにすぎないからだ。
「セリア先生のため、ですか?」
やや
「……はい。そうです」
リオがわずかな間を置いて、しっかりと頷く。すると――、
「なるほど……」
クリスティーナの表情が微かに
調理に集中して前を向いているリオに彼女の表情は
そうして、しばし無言の時間が流れる。
しかし、クリスティーナがその場を離れることはない。リオが調理を行う様を後ろから黙って見つめている。
(何か話でもあるのか?)
付かず離れずの位置に立つクリスティーナの気配を背中でひしひしと感じ、リオは妙な居心地の悪さを覚えていた。
とはいえ、既に料理は終盤に差し掛かっている。今は、フライパンで炒めた押し麦をお湯で煮込んでいるところだ。
意識を取られてせっかくの料理を台無しにするわけにはいかない。
まぁ必要以上に意識する必要もないか――と、リオは淡々と料理を続けることを決意する。だが、
「あの、ところで、何を作っているんですか?」
クリスティーナが会話の糸口を探るように、質問を投げかけてきた。リオが微かに戸惑いながらも応じることにする。
「
「粥、ですか?」
クリスティーナがリオのすぐ隣に立って、フライパンの中を興味深そうに覗きこんだ。
肩越しにさらりと伸びる長い髪を上品に右手でまくし上げると、優しい
「あまり貴族の方が口にする料理ではないので、ご存じないのも無理はありません。押し麦を油で炒めてから、こうしてお湯を足しながら煮込んでいくんです」
「良い香りですね。食欲が湧いてきます」
すんすんと小さく鼻を動かし、クリスティーナは顔をほころばせた。
「野外料理なので凝ったものは作れませんし、お口に合うかもわかりませんが……。完成です」
言いながら、リオが最初に炒めておいたキノコを投入する。その上に細かく刻んだチーズをまぶせば、大麦のチーズリゾットが完成だ。
あとはリゾットを作る片手間に作っておいた干し肉と野草やキノコの入ったスープもある。旅の最中に野外で食べる料理としてはご馳走だろう。
「そんなことはありません。美味しそうですよ」
「ありがとうございます。あちらで食べましょうか」
リオが料理をしている間に、セリアの主導で他の面々が立派な食事スペースを用意してくれていた。土系統の魔法を上手く使ったのか、簡易の食卓と椅子が作られている。
「運ぶの、手伝いますね」
クリスティーナはそう言うと、リオが止めるよりも先にスープの入った鍋の取っ手を掴んでしまった。そのままセリア達がいるテーブルへと移動していく。
(手伝いたかった……のかな?)
ぼんやりとクリスティーナの背中を眺めながら、リオはそんなことを思った。
☆★☆★☆★
「この後の進行方向も確認しがてら、少し付近の様子を見てきます。遅くとも三十分くらいで戻りますので」
一足先に昼食を済ますと、そう言い残して、リオが一人でふらりと森の中に消えていった。
「アイシアは魔物とか危険な獣が現れないか、この辺りで見張ってもらってもいいかな? 襲ってきそうだったら水際で追い払ってほしい」
クリスティーナ達の視界に映らなくなったあたりで、リオが霊体化しているアイシアに語りかける。
すると、アイシアが実体化して姿を現した。
「うん、いいよ」
「いつもありがとう。アイシア」
リオが柔らかく微笑み、軽く頭を下げる。
すると、アイシアは不思議そうに首を
「……この旅が終わったら、一度、精霊の民が暮らす里に向かおうか」
リオは気がつけばそんな言葉を口にしていた。
精霊の民の里にならドリュアスもいる。もしかしたらアイシアのことも何かわかるかもしれない。
本当はもっと早くに確かめておくべきことだったのかもしれないが、今までは美春達を保護したり、こうしてセリアを送り届けたりと、身動きが取れずに後回しにしていた。
いつもアイシアにお世話になりっぱなしだが、こちらから何かしてあげられているわけでもないし、せめてのんびりとした時間くらいは作ってあげたい。
なので、アイシアへの恩返しを兼ねて、精霊の民の里へ戻ってみるのは良い案に思えた。
「精霊の民が暮らす里……春人の大切な人達が暮らしている場所?」
「うん。そうだよ」
「じゃあ、行ってみたい」
アイシアはこくりと頷いた。
「そっか。みんなに紹介するよ、アイシアのこと」
最後に里を訪れてからまだ半年も経っていないが、もう半年近くも過ぎてしまったという感はある。
そもそもリオはルシウスの手掛かりを掴みにシュトラール地方へ戻って来たのだ。
なのに、今のところあまり進展は見られない。
もちろん美春達と一緒に暮らしていた頃から定期的に近場の都市を回って情報を追ってはみたが、どこに行っても似たような情報しか得られないのだ。どうも最近は表舞台には現れていないようである。
まぁシュトラール地方は広いし、暮らしている人間の数も多い。もともとすぐに見つけられるとは思ってもいなかった。
生きているのなら殺さなければという確かな目的意識はあるが、死んでいるのならそれでもいい。あんな男のために、周囲を見失い、気が狂うほど先を急ぐつもりはないのだから。
ゆえに、リオに焦燥感はなく、ひどく冷めた殺意の炎を胸の内に抱き続けていた。
「じゃあ、行ってくる。あまり時間もないしね」
「うん。行ってらっしゃい」
アイシアの見送りを受けて、リオが地面を強く蹴る。風のようにするすると木々を走り抜け、適当に背の高い木を見つけると、瞬く間に昇りつめた。
そこから、さらに精霊術で浮遊し、位置と方位を確認しながら、次に滞在する宿場町を探す。
(あそこなら、道にさえ迷わなければ夕方前に到着できそうだ。野宿はみんなの体力的にきついだろうし)
リオは関所を抜けた先の谷あいに伸びる街道上に、目的の宿場町があるのを発見した。
仮に森の中で迷ってしまえば野宿は避けられない。もちろん準備は整えているが、セリアのことを考えればできる限り宿に泊まらせてあげたかった。
となれば、あまり時間は無駄にできない。リオは木から降りることにした。
続けて、足場の良さそうなルートを探して、森の中を再び疾駆し始める。
道中、魔物や危険な獣を発見すれば、露払いのために間引くか追い払うことも忘れない。
二十分足らずでざっと森の中を走破すると、今度は空を飛んでセリア達がいる近くまで戻ることにした。所要時間は森の中を走った時の三分の一以下だ。
リオが森の中に着陸し、セリア達と合流するべく歩き出す。
(確かこの川沿いに……。近くにいる、アイシア?)
付近にアイシアがいるだろうと考え、リオは念話を飛ばした。念話が可能な範囲内にいるのならすぐに返事が戻ってくるはずだ。
(いるよ。食事を食べた近くにある泉。川沿いに下っていけば着くはず)
(そっか。じゃあ、そっちに行くよ)
アイシアから返事が戻ってきたため、リオは深く考えずに川の流れに沿って歩き出した。
川の流れの終着点付近に
そこには裸体の美少女が二人いて――、
「……へ?」
想定外の光景に、リオが思考停止に陥る。思わず呆けた声を出してしまった。
二人の美少女のうち、一人はふわりと伸びた白い髪、もう一人はスッと伸びた薄紫色の髪をしている。つまり、セリアとクリスティーナだった。
小柄で妖精のように愛らしいセリアに、すらりと彫刻のように線の美しいクリスティーナ。リオはしばし呆然と立ち尽くしてしまった。
すると――、
(春人)
突然、アイシアに念話で話しかけられ、リオの身体がびくりと震えた。慌てて背後を振り返る。そこには実体化したアイシアがぽつりと立っていた。
慌てて泉に視線を送る。幸いクリスティーナ達には気づかれていないようだ。
(ば、場所を変えよう。アイシア、こっちに)
リオはアイシアを連れて、そそくさとその場を後にした。
(こんな場所で水浴びなんかしないでくれよ……)
と、心の中でそんなことを思いながら。
☆★☆★☆★
アイシアと合流すると、リオは
「何をしているんですか?」
泉の回りに生えている茂みに潜り込もうとしていた浩太達を見つけ、リオが尋ねる。
「え、あ! ハ、ハルト君! ち、違うんだ! 僕は先輩を止めようとして!」
浩太が慌てて弁明する。一方で、怜は「あはは」とバツが悪そうに笑っていた。どうやら
リオが思わず呆れてため息をつく。だが、過失とはいえ既にうら若き高貴な乙女達のやわ肌を覗いてしまった以上、自分に彼らを
「覗きに命まで
「いやあ、命を賭けるって、流石にそれはないでしょう」
真面目な顔つきで忠告するリオに、怜が茶化して告げる。
「残念ながら、時と場合によって、この世界で人の命はとても軽くなるんです」
リオの答えは無情だった。
☆★☆★☆★
時は少し
場所は変わってベルトラム王国。クレール伯爵領の南部に隣接する領のとある宿場町にて。
この宿場町の付近は山に囲まれ、谷あいに街道が通っているため、歩いて移動するならば必ず通る必要があるという地点に位置する。
人口はおよそ二百人だが、街道を行き来する人で最低でも倍以上の人間が常に町の中に滞在している。街道沿いには宿やら商店やらが並び立っており、中にはもちろん酒場もあるわけで――。
「かっー! 一仕事した後の麦酒はたまんねぇな! おう、お前ら! 今日は俺の奢りだ。ガンガン飲めや!」
「安い麦酒しかねえけどな!」
「何言ってやがる。この安酒が良いんじゃねえか!」
「違えねえ!」
この宿場町の近隣で一仕事を終えた冒険者達が集まる酒場があった。中ではガハハと下品な笑い声が飛び交っている。
冒険者という職業人は概して荒くれ者と見られることが多い。もちろん中には気の良い者も相当数いるのだが、モラル意識の低い者達の素行が悪目立ちしているからだ。
とはいえ、ある程度は仕方がない面もある。
冒険者はどこに行っても腐るほどいるが、その行動範囲は意外と狭い者が多い。そして、狭い社会で力を生業に生きているからこそ、「舐められた負け」「強い奴が偉い」という原始的な発想が共通認識として自然と形成されていく。虚勢を張ってでも力を誇示しなければ、信用を失い周りから格下として扱われてしまう。
だから、態度がでかいからとか、舐めた口をきいたからとか、目つきがきにくわないからとか、良い大人が些細な理由で簡単にケンカをおっぱじめる。
弱そうな新参の同業者が現れたら絡んで、自分の力を仲間や周囲にアピールするなんてことも平気で行う。
「ん?」
ある時、冒険者達の酔いが回ってきたあたりで、酒場の扉がおもむろに開いた。店内にいる冒険者達の視線が引き寄せられる。
入ってきたのはいわゆる冒険者然とした一人の男だった。マントを羽織り、革の鎧を身に着け、腰には剣を差している。年齢は二十代後半あたりか。
「あん? 見ねえ顔だな」
と、皆に酒を振る舞っていた男が呟いた。
別に余所の冒険者がこの宿場町をまったく通らないというわけではない。
だが、この酒場はこの宿場町をテリトリーとして活動している冒険者達がたむろする場所である。
なわばり意識の強い土着の冒険者達のホームにわざわざ足を踏み込むとなれば、新しくこの宿場町を拠点として働くにあたって挨拶に来たか、わざわざケンカを売りに来たか、何も知らずに酒場を訪れた愚か者なのか、三つに一つしかない。
しかし、酒場に入ってきた男は周囲の視線を気にした様子もなく、どこか覇気に満ちた表情でカウンターにドカッと腰を下ろした。
「肉料理と麦酒を頼む」
カウンターに大銅貨を三枚置いて、男が料理と酒を注文する。すると、店内の冒険者達が気にくわなさそうに男を
「あ、ああ」
店内の
そして、酒を振る舞っていた男が何人かの冒険者に目配せをして一斉に立ち上がる。冒険者達は男を囲うように両脇の空き椅子に座った。
「よう、兄ちゃん。度胸あるなあ。俺らに挨拶もなしに注文とは。この酒場がこの町を縄張りとする冒険者達の馴染みだって知ったうえで来たのか?」
挑発的な笑みを浮かべながら、酒を振る舞っていた冒険者が男の肩に手を回す。
「ああ、そうだ。貴様らに依頼があってな」
と、男は意に介した様子もなく応じた。
「あん、依頼だあ? ギルドを通さねえってことか?」
少し意外な話の流れに、冒険者達が
「ギルドの支部がないこんな田舎じゃよくあることだろう?」
「まぁ、そうだが……。つまり、滞在員に話を通さない類の仕事か?」
一応、冒険者ギルドの支部がない地でも、ある程度の人口がいる宿場町のような場所には仕事を管理・
「その分、報酬は弾む。仕事を受けるなら、これは前払い分だ。こちらの望んだ結果を出せばその三倍の額を払おう」
言って、男は大銀貨の詰まった袋をカウンターに置いた。
「こ、この三倍だと?」
近くにいて大銀貨の袋が見えた冒険者達がざわつく。「大銀貨が山ほど入っているぞ」と店内に一気に情報が
「……あんたの素性を聞きたい」
皆に酒を振る舞っていた冒険者が、酔いも醒めた顔つきで尋ねる。
「それは仕事を受けたらの話だな」
「なら、仕事の内容を教えてくれ。金払いがいいのはわかったが、何の仕事かわからない依頼を受けたくはねえや」
ここら辺のリスク管理ができるのは、ある程度ベテランの冒険者である
「なに、ちょっとした人探しだ――」
答えて、男は口許に怪しげな笑みを刻んだ。
「――相手が誰かはわからない、な」
【6章の重要登場人物】
・リオ(天川春人)
本作の主人公。
前世の幼馴染である綾瀬美春に長らく惚れていたが、この世界で再会した後も死んだ自分にアイデンティティの揺らぎを感じて想いを伝えることはしなかった。
だが、美春達と親しい沙月と出会い、美春の恋人候補であった貴久までもが登場し、状況に押される形で告白を決意する。
しかし、身動きが取りづらい状況や、貴久の暴走によりすれ違いが生じたまま美春達と決別することになった。
結局、復讐の道を歩む自分に強い引け目があったのか、想いを伝えただけで満足し、貴久経由で偽りの美春達の意思を伝えられただけで、あっさりと引き下がってしまう。
・アイシア
リオの契約精霊。
リオの過去や、リオの前世である天川春人のことまで知っている節がある。
精霊としての格が高いうえに、すごく強い。
・セリア
学院時代のリオの恩師。シャルル=アルボーの元婚約者。
ベルトラム王国が誇る天才魔道士だが、
脅迫によりシャルルとの婚約を迫られ、王城に軟禁されていた。
リオに連れられ王城を脱出して以降は平穏な暮らしをしていたが、貴族としての義務感を捨てきれず密かに悩んでもいた。
・クリスティーナ
ベルトラム王国の第一王女で、学院時代のリオのクラスメイト。
幼少期に誘拐されたところをリオに助けられたが、当時はヒステリックな性格で助けてくれたリオにビンタをぶちかました。
とはいえ、もともと聡明な子供だったらしく、成長とともに少しずつ思慮深い性格になっていった。
学院時代はリオと関わらないように徹底して距離を置いていたが、知らぬ間に再会した今は……。
・ヴァネッサ=エマール
クリスティーナの護衛騎士であり、ベルトラム王国最強の騎士であるアルフレッドの妹。
・村雲浩太
勇者召喚に巻き込まれた日本人。ちょっと内気そうなごく普通の高校生。
・斉木怜
勇者召喚に巻き込まれた日本人。浩太の先輩で、ひょうきん者な普通の高校生。
・シャルル=アルボー
典型的な貴族気質の男。セリアの元婚約者。
見下した相手には驕ったような態度をとるが、女性に対しては気障な一面を見せることも。
・アルフレッド=エマール
ベルトラム王国最強の騎士。
冷静で武人気質な性格をしており、『王の剣』の称号を国王直々に与えられている。