第182話 リオVS坂田 ラウンドⅡ
「そこまで! この手合わせ、アマカワ卿の勝利とします」
と、審判のアルフレッドは手合わせの終了を宣言する。
アルフレッドの声はギャラリーにまで届いたわけではない。だが、背中からリオに剣を突きつけられ、太刀を手にして硬直する弘明の姿を見れば、勝負がついたことは誰の目から見ても明らかだった。
ハイレベルかどうかはともかく、動きが速い見た目が派手な戦いは、日常に刺激がない文民の王侯貴族にとってはこの上ないストレス発散の娯楽となる。
勝者のリオを讃えるべく、練兵場には大きな歓声が響き渡った。とはいえ、ややあって興奮が冷めてくると、あのプライドの高い弘明が負けてしまって本当に大丈夫なのだろうかという不安や疑念もこみ上げてくる。
しかし、レストラシオンの最高責任者であるクリスティーナが上機嫌な笑みをたたえて拍手をしている姿を見ると、その懸念もとりあえずは霧散した。
「いやはや、見事な手合わせでしたな」
「ええ、アルフレッド卿を退けたというアマカワ卿の実力は本物だったということですか」
「とはいえ、勇者様も負けはしたものの、よく奮闘なさっていた」
「魔剣を所持して実戦慣れもしているアマカワ卿が相手では、いささか分が悪かったということなのでしょうが、実戦を視野に入れるのならば、やはり経験が不足していることが今後の課題になりそうですな」
などと、ギャラリーの貴族達は空気を読んでリオと弘明の両者を褒め称える。しかし――、
「ぐっ……」
弘明は全身を震わせながら、太刀を握る手にギュッと力を込めていた。遠くにいるギャラリーの歓声がリオだけを称えるように聞こえて、ひどく惨めな気分になる。こんな屈辱を感じたのは、この世界に来て初めてのことだった。一方、リオは静かに一礼をして、ギャラリーの歓声を受け止めている。
(野郎……)
弘明は恨みがましそうにリオを睨みつけた。観衆の面前で自分に恥をかかせたリオが許せない。リオは涼しい顔で手にした剣を鞘に収めようとした。すると――、
「っ、待てよ! お前、この俺が勇者の中で一番弱いと言ったな? 俺はまだ全力を出していないぜ?」
弘明はいてもたってもいられなかったのか、衝動でそんなことを言う。
「……リミッターを外してやる。本気でやろうか、と仰っていたはずですが」
リオは鞘に剣を収めると、目をみはって応じた。戦闘中に弘明自身が大見得を切って宣言した発言だ。
「あっ、あれは……、剣技での戦いに限っての話だ! 勇者の真価は神装の特殊能力を引き出してこそ発揮される。だから、俺は全力じゃなかったんだ!」
流石の弘明も自分の発言を覚えていたようだが、リオに指摘されるまでは完全に失念していたのか、ひどくバツが悪そうに弁明した。
とはいえ、それは負け犬の遠吠え、ただの子供の言い訳と何ら変わらない。弘明もそのことを薄々と自覚しているのか、身の置き所がなさそうにリオから顔を背けてしまう。
「つまり、剣技だけで戦うのであれば、あれが全力だったと?」
リオは弘明の駄々に呆れることはせず、真面目に問いかけた。まさしくリオの言う通りだったが――、
「っ……、俺はお前が勇者の中で俺が一番弱いと侮辱したことが許せないんだ!」
弘明は素直に頷くことができず、論点をずらして反論した。
「弘明様もご存じのお方でしょうから、あえて例に出しますと、仮に今の手合わせと同じルールで沙月様と弘明様が戦われた場合、勝利するのは十中八九、沙月様になるはずです」
「なん、だと? 俺が、あんな、女なんかに負けるって言うのか?」
リオが沙月を例に挙げて推測すると、弘明はわなわなと身体を震わせる。
「ええ、負けます。身体能力は同等でも、武器を扱う技量に大きく差がありますので。弘明様は身体能力に任せて闇雲にその剣を振り回すだけで、十全に使いこなせていないようにお見受けしました」
「神装の能力を使えば俺が勝つ!」
「結局はそこへ行き着くわけですか。神装の能力が同等だとすれば、武器を扱う技量で負けている以上、勝敗はそう簡単に変わらないと思うのですが……」
リオは流石に呆れを覗かせて語った。
「まあ、やってみなけりゃわからないわな」
と、弘明はムキになって言う。
(思った以上に強情だな。どこからこれだけの自信が沸いて出てくるんだ? いや、単に見栄を張りすぎて引き下がれないだけか?)
だとしたら、リオの想像以上に弘明は面倒くさい男なのかもしれない。所詮は何度か会っただけの相手だ。リオが弘明の人柄を完全に把握していないのも無理はない。
とはいえ、このままだとクリスティーナの要望を十分に満たしたことにはならない懸念がある。リオはどうしたものかと考えながら――、
「然様でございますか。確かに、やってみなければわかりませんね。正しい戦い方を学ばれた方が強くなられるのではないかと愚考したのですが、弘明様に限ってはそうではないのかもしれません」
しれっとした口調で、そう言ってみせた。そして、鞘にかけていた手を離し、戦闘態勢を完全に解いてしまう。
「……待てよ。今度は俺の全力を見せてやる。第二ラウンドと行こうぜ?」
弘明はこのままで終わらせて堪るものかと、リオに再戦を申し込む。
「ははは、ご冗談を。それではルールの変更が必要不可欠となるではありませんか。クリスティーナ王女殿下がお許しになるはずがありません」
リオは審判役のアルフレッドを見やりながら、そう語る。
「俺は勇者だ。その俺が許す」
弘明はすかさず断言した。だが――、
「…………」
リオは静かにかぶりを振ると、そのまま踵を返そうとする。
「っ、おい、逃げるのか!?」
弘明は焦り顔でリオを呼び止めた。このままでは自分が恥を掻かされただけだ。なんとしても自分の力をギャラリーに見せつけて、リオを負かすことでプライドを守る必要があった。
「逃げるも何も、今の手合わせは私の勝ちで終わったはずですが」
リオはこれ見よがしに肩をすくめる。勝者が逃げる道理などない、と。
「っ……、本当の力を解放した俺には勝てないからだろ?」
弘明は必死だった。リオを挑発しようと、子供みたいないちゃもんをつける。リオに話を誘導されているとも気づかずに……。
「では、次の手合わせで私が勝利した場合に一つ、勇者様に条件をお呑みいただけるのであれば再戦いたしましょう」
「……何だと?」
「この手合わせをお望みになっているのは他ならぬ弘明様です。クリスティーナ王女殿下のお顔を立てるためにも一度は無条件で手合わせをお受けしましたが、連続での手合わせを望まれるのであれば、そのくらいの褒美は頂戴したく存じます」
リオは手合わせを望んでいるのが弘明であることを指摘した上で、ここぞとばかりに条件を提示した。
「……どんな条件を提示するつもりだ?」
弘明は訊いて、警戒した面持ちでリオを睨む。
「別に弘明様に実現不可能なことをお願いするつもりはございません。それが実現可能かどうかも第三者に判断してもらっても構いません。ごく簡単なお願いです」
リオは無理難題をふっかけるつもりがないことを強調して、にこやかな笑みを浮かべた。すると――、
「……まあ、いいだろ。万が一、俺に勝てるんなら、その程度の頼みは聞いてやらんでもない」
弘明は神装の能力を発揮して戦いさえすれば負けるはずがないと高を括っているのか、プライドの高さゆえに細かく確かめることを嫌ったのか、条件を呑み込んだ。そして――、
「そういうわけだ、審判。次は神装の能力使用もありで模擬戦をする。ああ、お前も魔剣の力を使用しても構わないぜ? ま、神装には遠く及ばない性能だろうが……」
ふふんと笑って、アルフレッドとリオに語りかけた。
「……本当によろしいのですか、アマカワ卿?」
アルフレッドは小さく嘆息すると、リオに最終確認をする。
「ええ。悪いようにはしません」
リオはしっかりと頷いた。
「承知しました。それでは、双方、距離をとって構え直してください。神装と魔剣の能力使用もありとのことですが、加減にはくれぐれもご注意を。相手を問答無用で即死させる威力の攻撃はお控えください」
アルフレッドはリオに対して一礼すると、再び審判としての役目を全うする。
「承知しました」
「ま、肉体は強化されているわけだしな。生半可な攻撃じゃ動きを捕捉することもできん。相応の威力の攻撃は勘弁してもらうぜ。無論、殺さない程度にはきちんとコントロールするがな」
手短に頷くリオとは対照的に、弘明は念入りにグレーゾーンの線引きをした。
(まあ、ある程度は好きにやらせておくか)
その方が今度こそ後で言い訳もできなくなる。リオはそう考え、細かく異議を唱えることはあえてしなかった。すると――、
「どうやら神装の力を発揮した俺に勝てるつもりらしいが、俺が勇者の中で一番弱いと言ったあの発言、すぐに撤回させてやるぜ?」
距離をとろうと歩き出したリオの背中に、弘明が声をかける。
「それは楽しみです」
リオはフッと微笑して応じた。そして、セリアがいるであろうギャラリーの群れに視線を向ける。ギャラリーは再戦の流れに移っているらしいことを察して、少なからず困惑しているようだ。とはいえ、楽しみでもあるのか、浮き足立っているようにも見える。そんな中、セリアはクリスティーナやフローラのすぐ側に立っていて、ハラハラとした顔つきでリオを見つめていた。
「準備はよろしいですか?」
と、リオと弘明に確認するアルフレッド。
「いつでも構いません」
リオはセリアを見やって笑みを浮かべると、アルフレッドに準備が完了した旨を告げる。
「俺も構わん」
弘明も準備は完了したようだ。既に体内で魔力を練り上げていて、試合開始と同時に大規模な攻撃を仕掛けようとしている節が窺える。魔力を可視化できるリオには、弘明の体内からあふれ出ている魔力は丸見えだった。
すると、ややあって――、
「始め!」
アルフレッドが再び試合開始を宣言した。と、同時に、弘明は太刀を上空に向けて突き立てる。
「俺がこの太刀をヤマタノオロチと名付けた理由、見せてやるぜ!」
と、弘明が叫ぶと、切っ先から膨大な量の水塊が射出された。水塊はそのまま上空へと舞い上がっていき、五本の水流へと分裂していく。
(事象の規模は上級魔法に匹敵する。加減には気をつけろとアルフレッドさんが念押しして注意していたのに、本当にギリギリのラインを攻めるな。八岐大蛇は八つの首を持つ竜の怪物、だったか? けど、水流は五つに分裂した。八つの水流を放つから八岐大蛇なんじゃないのか? それとも、能力を隠している?)
リオは前世で聞きかじったことがある八岐大蛇の伝承を思い出すと、弘明の能力を即座に分析した。一方――、
「ちっ……、やはりこの技は難易度が高いか」
弘明は上空へ舞い上がって分岐した水流の数を見て、不満そうに舌打ちをして呟く。本当はリオの推測通りに八つの水流へと分裂させるつもりだったが、弘明の技量が未熟で思った通りに事象を発動できなかったのだ。
とはいえ、五つの水流一つ一つの威力は、中級上位の攻撃魔法に勝るとも劣らない威力が込められている。水流が飛翔している速度を考えれば、肉体を強化していない生身の人間が当たれば即死は免れないだろう。五つの水流の先端は竜の顔を模倣しており、それぞれが意思を持っているかのように空でうねっている。
「っ……」
ギャラリーの王侯貴族達は誰もが竜を模した水流に圧倒されていた。
(対人戦闘の手合わせで使用する威力じゃないわ。何を考えているのよ、あの勇者は!? いくら魔剣で肉体の強度を高めているからって、当たっても大丈夫なんでしょうね?)
クリスティーナは焦燥し、審判役のアルフレッドを見据える。アルフレッドもクリスティーナを見つめ返しており、無言でこくりと頷いていた。
「はっ、いくぜ! 今度こそ瞬殺されなきゃいいがな!」
弘明はどう猛な笑みを刻むと、剣を振り下ろす。その動きに応じるように、上空の水流も急降下を始め、リオをめがけて一斉に襲いかかった。
リオは五つの方位から迫る水流に視線を巡らせると、チラリと弘明を見やった。
(本人は隙だらけだな。この隙に直接攻撃するか? いや……)
ここまで隙だらけだと、罠の線も疑うべきだろう。完全にリオの思い過ごしだが、八岐大蛇の伝承と一致しない水流の数がリオを警戒させた。それに、あまりにもあっさりとした幕切れだと、弘明がまたしても駄々をこねかねない。なので、少し様子を見てみることにした。
直後、竜頭を模した水流がリオを飲み込もうとする。リオはギリギリまで引きつけると、超反応でその場を離れた。すると、一瞬遅れて、五つの水流がつい今し方までリオが立っていた位置で衝突して、盛大な衝撃音と共に水柱を上げる。そのまま水はコントロールを失って崩壊するかと思われたが――、
「はっ、躱したか。だが、こんなもんじゃないぜ!? 勇者が身を置く戦いのステージはお前ら凡人のそれとは違う」
弘明が剣を振るうと、衝突して爆散した水塊は再び五つの水流に分岐した。竜頭を模した五つの水流はそのまま上空へと舞い上がる。自分の力を思う存分に見せつけることができて先の戦いでの屈辱は忘れたのか、弘明はすっかり調子を取り戻していた。一方、リオは冷静に弘明が操る事象を分析していて、上空を飛翔する水流を見上げている。
(術者が事象を遠隔操作するタイプの攻撃か。精霊術と同じだ)
遠隔操作型の精霊術の弱点は術者が身動きを取りづらくなるということだ。技量が未熟だと操作するので精一杯で、歩くことすらできなくなってしまう。
「乗ってみろよ、このビッグウェーブに! だが、迂闊に触れると溺死するぜ?」
弘明はリオを飲み込んでやろうと、安全地帯から巧みに水流を操作する。今度は五つ同時にリオを攻撃するのではなく、それぞれの水流が衝突しないようばらばらになって断続的な攻撃を加えようと試みた。
しかし、リオは軽やかに動き回り、水流を危なげなく躱していく。その様はさながら超スリリングな曲芸のようで、ギャラリーは見た目の派手さに次第に歓声を上げ始める。一方――、
(事象の規模が大きすぎて、人型の相手を攻撃するには不向きな技だな。馬鹿正直に突っ込んでくるだけで、動きも捻りがないから、簡単に対応できる。これなら津波を生み出して真正面から攻撃した方がまだいい)
と、弘明の攻撃を評価するリオ。見た目の派手さと一撃一撃の威力は確かに脅威だが、それ以外の部分があまりにもお粗末だった。一本一本の速度をもっと上げるか、自由自在にコントロールできなければ何の脅威でもない。
「ちっ! 羽虫みたいにすばしっこい野郎だ。矮小すぎるってのも問題だなあ、おい! だが、避けるので精一杯ってところか? さっきの発言を謝って負けを認めるなら、勘弁してやるぜ?」
弘明は
「…………」
リオは顔色一つ変えずに、黙々と弘明の攻撃を躱し続けていた。一応、弘明にまだ何か隠し球があるのではないか探るべく、あえて好きなように攻撃をさせる。そうして、しばし弘明の一方的な攻撃が続いた。
しかし、時間が経てば経つほどに、リオは無駄のない動きで弘明の攻撃を躱すようになっていく。弘明の攻撃パターンを完全に暗記してしまったのだ。次はどのように攻撃してくるのか、手に取るようにわかる。
(別の手を打ってくるわけでもない。これ以上は何もない、か。警戒する必要もなかったな)
これが弘明の全力なのだろう。リオはそう判断すると、そろそろ勝負を決めるべく行動を開始することを決めた。
(くそっ! 何で当たらねえ!? やっぱり五本じゃ数が足りないのか?)
弘明はじれったそうな顔つきで、水流を操る。もっと必死に逃げ回る姿を想像していたのに、リオは難なく攻撃を躱し続けていた。当初こそ避けるので精一杯なのだと思っていたが、そんな様子は微塵もないので、流石に違和感を覚え始める。
しかし、時既に遅し。ある時、リオは攻撃を躱しながら、弘明をじろりと見据えた。
「っ!?」
弘明はリオと視線が合い、びくりと身体を震わせる。と、同時に、リオは弘明をめがけて走り出していた。弘明は慌てて水流を操作し、リオの接近を妨害しようとする。
すると、五本ある水流の内、三本が上空で旋回して、左右と正面からリオに襲いかかった。水流はリオを飲み込むように衝突し、大量の水がぶつかり合って爆散する。
「やったか!?」
と、歓喜の声を上げる弘明。普段ならばそんなフラグを立てるようなことは言うなと説教をしているであろう台詞だが、この時ばかりは言わずにはいられなかった。
ギャラリーの王侯貴族はとんでもない水の衝撃波を目の当たりにして、ざわりとどよめく。しかし、その次の瞬間――
「っ……」
弘明は愕然と息を呑む。背後から腕が伸びてきて、自分の喉元に刃を押し当てられていることに気づいたのだ。もちろんその相手はリオである。
「大規模な事象の攻撃は死角が生まれやすい。使用する場面はよく考えた方がよろしいですよ。何か罠でもあるのかと思えば、本人もこうして隙だらけです」
と、リオは弘明の耳元で淡々と忠告した。すると――、
「っ、ぐっ……」
弘明は完全に言葉を失ってしまう。どう考えても決定的な敗北の瞬間だ。しかし、心がそう認識することを拒絶する。すると、怒りと悔しさが途端にこみ上げてきて、訳がわからなくなってしまいそうだった。暴れたくて仕方がないが、首元に押し当てられた刃がそれを許さない。
完全に弘明の負けだった。審判のアルフレッドもそのことを宣言しようと、手を振り上げて勝者であるリオを指し示そうとしたが――、
「きゃあああ!?」
「こっちに来るぞ!?」
突然、ギャラリーが悲鳴を上げる。弘明が操っていた五本の水流の内、残っていた二本がコントロールを失い、ちょうどギャラリーが集まる地点へ向かって自由落下し始めたのだ。
「勇者様、今すぐにあれのコントロールをしてください」
リオはすぐにそのことに気づくと、操作者の弘明にコントロールを促したが――、
「…………あ?」
弘明はリオの声に耳を傾けるのが嫌なのか、鈍く反応する。拳を強く握りしめて俯き、わなわなと身体を震わせていた。その瞬間、リオは弘明を頼ることを諦める。今は一秒ですら惜しい。
「っ!」
リオは弘明の喉元から腰元に剣を戻すと、力強く地面を蹴った。向かう先はもちろんセリアがいるギャラリーのもとである。風の精霊術を即座に発動させて、最高速度まで一気に加速していく。
すると、リオは落下する水流を上回る速度でギャラリーの手前まで移動し、二つの水流に向き直った。リオが手にした剣はいつの間にか膨大な魔力を纏っていて、凝縮された暴風を帯びている。
ギャラリーはリオが一瞬で近づいてきたことに気づくと、揃いも揃って目をみはった。リオは剣を構えて水流の一つに切っ先を向ける。そして、刀身に纏わせた暴風を切っ先へと圧縮させていき――、
「っ!?」
風の精霊術でコーティングした魔力の流弾を、切っ先から射出した。魔力の流弾は目にも止まらぬ速度で飛翔し、迫りくる水流の竜頭と胴体を真正面から粉々に吹き飛ばす。そして――、
(もう一つ)
リオは残った最後の水流を見上げると、再び剣に暴風を纏わせた。そのまま地面を蹴って高く跳躍すると、暴風を剣の切っ先から射出して推進力とし、落下してくる水流へと接近する。
そうして、リオと水流の竜頭が空中で交差する直前、リオは下段から思いきり剣を振り上げた。と、同時に刀身にさらなる魔力を流し込み、暴風の威力を高める。その次の瞬間――、
「っはあああ!」
暴風を帯びて間合いを延長させたリオの剣と、水流の竜頭が真正面から衝突した。リオは圧倒的な質量の水流に押しつぶされないよう、精霊術で暴風を硬質化させる。そして、圧倒的な瞬間出力で水塊を吹き飛ばした。
すると、水塊は無数の水滴となって、周囲に吹き飛び落下し始める。
「《
地上にいたセリアはクリスティーナやフローラの前に躍り出ると、上空の水滴めがけて風系統の攻撃魔法を使用した。直後、セリアの手元に巨大な魔法陣が浮かび上がり、そこから強力な風が広範囲に向けて射出される。無数の水滴は明後日の方向へと吹き飛ばされていった。少し遅れて、リオが地面に着地すると――、
「おおおお!」
ギャラリーから本日二度目の歓声が響き渡る。一方、弘明はいまだに練兵場の中央付近で所在なさげに立ち尽くしていた。
(疲れたな。本当に)
リオは弘明を見やると、苦笑して安堵の息をつく。すると、クリスティーナとセリアが小走りでリオに近づいてきた。フローラとヴァネッサもその後を追いかけて、リオのもとへ迫る。
「アマカワ卿、大変お手数をおかけしました」
クリスティーナは声が届く範囲まで近づくと、すかさずリオに声をかける。
「こちらこそ、お騒がせをしました」
と、頭を下げるリオ。
「いえ、見ていただけでもおよそ事のあらましは把握しておりましたので」
クリスティーナはそう言って、ひどく嘆かわしそうに顔を曇らせた。
「詳細は後ほどお話ししますが、神装や魔剣の能力使用もアリでの手合わせを行うことになりました。その結果がこれです」
「ごねたのは勇者様なのでしょう? 加減や制御を誤ったのも勇者様です」
「それは、アルフレッド卿からもお話をお聞きくださいませ」
リオはそう言って、審判役のアルフレッドといまだに立ち尽くしている弘明を見やる。
弘明はリオ達に視線を向けられたことに気づくと、びくりと身体を震わせた。自分のしでかした不始末によってあわや大惨事になりかけたことを理解しているのか、ひどくバツが悪そうに目を泳がせている。
「悪いことをした、という自覚はあるようですね」
クリスティーナはそう言って、大きく溜息をつく。
「最初の手合わせの最中に少しキツめの言葉を申し上げて、二度目の手合わせで私が勝利すれば一つ条件を呑んでもらうという約束を取り付けたのですが、今の手合わせが有効であるのなら、クリスティーナ様がその条件をお考えください」
と、リオ。弘明が今の出来事を受けて本当に反省しているのならば、少しは人の話に耳を傾けることもできるだろう。
「……そこまでご配慮くださり、誠にありがとうございます」
クリスティーナは深々と頭を下げた。
「いえ、どうぞ勇者様のもとへ」
リオはスッと手で示し、クリスティーナに弘明のもとへ向かうよう促す。
「恐れ入ります。後のことは私にお任せくださいませ。ヴァネッサ、貴方は親衛隊の子達と一緒にこの場の解散を促して。アマカワ卿とフローラ、それとセリア先生はこの場でお待ちください」
クリスティーナはリオに一礼すると、必要な指示を出して弘明のもとへ向かう。
「はっ!」
ヴァネッサも機敏に返事をすると、すぐに部下と一緒にギャラリーの誘導を始める。その場にはリオとセリアとフローラの三人だけが残されることになった。すると――、
「ハルト、怪我はない? 大丈夫?」
セリアがすかさず、リオの身を案じる。
「治癒しますので、痛いところがあれば仰ってください」
フローラもリオに歩み寄り、治癒を申し出た。
「ありがとうございます。ご覧の通り、無傷ですので」
リオは微笑して礼を言うと、身体を動かして無事であることを示す。すると、周囲にいた貴族や令嬢達がそそくさと近づいてきて、リオに声をかけてきた。だが――、
「皆さん、アマカワ卿はお疲れです。さあ、城内へお戻りを。クリスティーナ王女殿下のご命令です」
ヴァネッサはリオに人が群がろうとしていることに気づくと、そそくさと解散を促す。いずれもこの機会にリオとお近づきになろうと考えた者ばかりだが、クリスティーナ直々の命令という大義名分がある以上は、あからさまに不満を表明するわけにもいかない。そうして、人波はすぐにはけていった。
とはいえ、レストラシオンを代表する高位貴族であるユグノー公爵とロダン侯爵の二人はその場に残り、人波が完全にはけたタイミングでリオに近づいてくる。
「いやはや、見事な戦いだったよ、アマカワ卿。勇者様の実戦経験が不足していることを踏まえても、君ほどの使い手はそうはいないと確信できた」
「ええ、アルフレッド卿を退けたというその実力、
今回の手合わせについては様子見を決め込んでいたのか、終始傍観していた二人だったが、それぞれリオを賞賛し始めた。ある程度、状況が進行したこのタイミングで声をかけてくる辺り、実に抜け目がない。
「過分な評価を賜り、恐れ入ります」
リオは愛想笑いを貼り付けて、謙虚に受け答える。すると、クリスティーナが弘明と審判役のアルフレッドを引き連れて近づいてきた。
「アマカワ卿、お待たせいたしました。勇者様が今回の手合わせでお騒がせした件で、まずはアマカワ卿に謝罪したいとのことです。お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
クリスティーナは開口一番に、そんなことを言う。
「……ええ、それは、もちろん構いませんが」
リオは頷きながらも、少しだけ意外そうに目を見開く。この短時間で弘明に謝罪を強いることができたとは、いったいどんな話を繰り広げてきたとのかと思ったからだ。あるいは、リオが思っている以上に弘明も反省しているのかもしれないが……。すると――、
「…………悪かったな」
弘明は小声で、ぼそりとリオに謝罪して頭を下げる。だが――、
「勇者様、もう少し大きな声で。何が悪かったのか、ご自分で仰ってください」
と、クリスティーナは嘆息して弘明を注意する。
「……俺の不始末で、手間をかけさせた。一歩間違えれば大惨事になっていたと、クリスティーナに叱られた。調子に乗って、加減を間違えた」
弘明はそう言って、ギュッと唇をかみしめた。それが敗北の悔しさによるものなのか、自らの行いに対する後悔によるものかは、リオにはわからない。
「いえ、大事には至らなかったのが幸いでした」
とりあえず、リオは無難に応じることにした。
「本当に申し訳ございませんでした。大変勝手で恐縮ですが、今の勇者様は少なからずショックを受けているようですので、ひとまずこの場も解散させていただいてよろしいでしょうか? もう少し、勇者様とお話もしたいので」
クリスティーナは弘明の代わりに話を進め、いったんこの場をまとめようとする。
「ええ、無論です」
リオは二つ返事で了承した。すると――、
「では、明日にでも使者を出しますので、今日のところはご自宅でごゆるりとおくつろぎください。屋敷まで送迎させますので。ヴァネッサ、すぐに馬車の手配を」
クリスティーナはさっさと話を進行させてしまう。今の状況で、ユグノー公爵達に介入する隙を与えたくないのだろう。
「はっ! では、アマカワ卿、セリア君、どうぞこちらへ」
ヴァネッサもクリスティーナの意を汲んで、リオとセリアの案内をすぐに開始する。そうして、リオとセリアはいったん屋敷へと戻ることになった。