第183話 述懐(あとがき追記)
クリスティーナが弘明を引き連れてその場を立ち去った後、リオは他の面々に別れを告げ、セリアと一緒に屋敷へ帰宅した。帰宅後は普段着に着替え、二人きりでリビングでくつろぐことにする。
「お疲れ様でした、先生」
リオはソファに腰を下ろして手ずから淹れたお茶を口に含むと、向かいのソファに座るセリアに語りかけた。
「もう、それはこっちの台詞でしょ」
セリアは呆れがちにリオに応じる。
「いえ、顔色から少し疲れているのかなと思ったので」
「……まあ、気疲れはしたわね。勇者様が神装の能力を引き出してからは特に。見ていて冷や冷やしたし」
と、セリアは呆れの色を覗かせて、弘明の行いに苦言を呈した。
「あはは、アレは俺から挑発したところもあるので。肉体を強化していましたし、ああ見えて加減もされていたようなので、直撃しても死にはしない程度の威力でしたよ」
もっとも、生身の人間が直撃すれば即死は免れない威力ではあったが……。リオはそのことには触れず、
「それにしたって……、まあ、貴方がそう言うならいいのかもしれないけど。クリスティーナ様からそれとなく話は伺ったわ。アレだけわかりやすく衆目に晒されて敗北すれば、流石の勇者様も言い訳はできないでしょうしね。神装のコントロールを誤って、最後はすっかり縮こまっていたし」
セリアは何か思うところがあるのか、ムッと唇を尖らせて語った。
「今頃はクリスティーナ王女殿下にこってり絞られていそうですね」
「当然よ。貴方に迷惑をかけただけで飽き足らず、危うく観客に被害が出かけたんだから。しっかりと叱ってもらわなくちゃ」
と、セリアはリオの代わりに憤る。
「まあ、あまりやりすぎるとクリスティーナ様と勇者様の関係が悪化しかねませんから、塩梅は難しいのかもしれませんが……」
「それは、そうだけど……。今回はクリスティーナ様もかなりお怒りのようだし、関係悪化のリスクも承知の上でしょうから、かなりきつくお叱りになると思うわ」
「では、勇者様のことは殿下にお任せしましょう。セリアも俺のためにそこまで怒らなくても大丈夫ですから、この話はこの辺りで」
リオはフッと優しく笑うと、弘明の話をあっさりと流してしまう。
「本当、ドライよね、貴方。……わかったわ」
セリアはジト目でじっとリオを見つめると、やれやれと嘆息して肩の力を抜いた。
「まあ、今は他に話したいこともあるので」
と、リオ。
「……話したいこと?」
セリアは微妙に身構えて、向かいに座るリオの顔をじっと見つめる。
「昔のこととか、ここしばらく何をしていたのかとか、少し俺のことを。あまり面白くない話になってしまうんですが、もしよかったら聞いてくれませんか?」
リオはじっとセリアを見つめ返して問いかけた。
「……う、うん。でも、いいの?」
セリアは恐る恐る頷いて訊き返す。学院時代で一緒にいた頃から、セリアはリオがスラム街で暮らしていた頃の話には触れないようにしていた。決してリオの過去が気にならないというわけではない。リオにとっては辛い過去だろうから、自分から訊きだす気にはどうしてもなれなかったのだ。
「ええ。昨日、フローラ王女殿下をお救いした経緯をクリスティーナ様にご報告した時に少しお話をしましたからね。こういった機会でもなければ、あまり話そうとは思わない気がするので。もちろん、セリアが聞きたくないのなら無理にとは言いませんが」
リオはそう語って、微かに
「聞きたい、聞きたいわ。リオのこと。聞かせて頂戴」
セリアはしっかりと自分の意思をアピールする。
「わかりました」
と、リオは頷くと――、
「俺がベルトラム王国の王立学院に入る前に、七歳までスラム街で暮らしていたことはご存じですよね?」
早速、話を始めた。
「……うん」
セリアはこくりと首を縦に振る。
「俺がスラム街で暮らすようになったのは、五歳の時です。その原因を作った男がルシウス。俺の両親を殺した男でした。ここまで言えば、おおよそのことはわかるでしょうか?」
と、リオはよどみなく口を動かす。あまり具体的に語りすぎると話が生々しくなるので、詳細な事実は捨象することにした。なので、話の流れはいたってシンプルだ。リオの中では既に完結した話だし、その声色にはまったく負の感情が込められていない。
「……リオはご両親を失って、スラム街で暮らすようになったのね」
セリアはキュッと唇を噛んだ。薄々と予想していたことだが、リオの口から実際に聞くとなんとも辛い気持ちがこみ上げてくる。
「はい。その後はなんとか七歳になるまでスラム街で生きて、ご存じの通り王立学院に入りました。そこから先はセリアもよく知る通りです。十二歳の時に両親の故郷へ向かって、色々と気持ちを整理しまして、シュトラール地方に戻ってきました。ルシウスのことを本格的に捜そうと思ったのは、その時からです」
リオはそう言って、ややバツが悪そうに肩をすくめた。
「そっか…………。リオはその男のことを恨んでいたの?」
セリアはスッと目を閉じて心を落ち着けると、リオに尋ねる。
「スラム街で暮らしていた頃は強く恨んでいました。でも、成長して両親の故郷に行ってからは、気持ちに変化が生まれました」
「……許したわけではない、のよね?」
現にリオはルシウスを捜しだして殺したのだから。
「ええ、許せないと思っていました。でも、憎悪とか嫌悪とか、そういった感情とは少し違ったのかもしれません。上手く言葉にはできませんが」
と、リオは答えながら天井を仰ぐ。
「…………どういうこと?」
セリアは訝しそうに首を傾げた。
「恨んでばかりでは疲れますからね。矛盾していたのかもしれませんが、俺の気持ちはもっと淡々としていたんです。復讐という目標はありましたが、それはただ自分の醜い側面から逃げたくなかったからというか、気持ちに区切りをつけるために定めた目標だったからというか、理屈ではちゃんと説明できないんですが……」
リオは説明に困りながらも、吹っ切れたような笑みを浮かべる。すると――、
「醜くないわ」
セリアはすかさず、そう言った。
「……セリア?」
リオは驚き、はたと目を丸くする。
「貴方は醜くなんかないわ。私は貴方という人間を知っているもの。貴方が醜い人間だなんて、私は絶対に思わない。それだけは言わせて」
「…………はい。ありがとう、ございます」
「……あっ、う、うん」
リオが呆け顔で礼を言うと、セリアはハッと頬を赤らめて恥ずかしそうに頷く。咄嗟に口から飛び出た言葉だったのだろう。ゆえに、それはセリアの本心だ。すると、二人の間になんともこそばゆい沈黙が下りる。
「……ご、ごめんなさいね。話の腰を折っちゃって。あっ、じゃあ、ロダニアに到着してリオがすぐに出発したのは、ご両親の仇がどこにいるかわかったから?」
セリアは沈黙に耐えかねたのか、話を先に進めるべく次の質問を口にした。
「……ええ。ずっと所在は掴めなかったんですが、セリアをロダニアに送り届ける過程でその手がかりを掴みました。道中で襲ってきた傭兵の男達がいたでしょう? 彼らがルシウスが組織している傭兵団の団員だったんです」
リオは優しく微笑すると、経緯を口にする。
「そう、だったのね……」
セリアは再びもどかしそうな顔つきになった。
(私、ずっとリオと一緒にいたのに、自分のことで精一杯で、全然そんなことに気づかなかった)
リオはすぐ傍にいたのに、そんな様子は少しも見せていなかった。一人でずっと抱え込んできたのだと思うと、セリアは無性にやるせない気持ちになる。
「そんな顔はしないでください。というより、黙っていてすみませんでした。積極的に人に教えることではないと思っていたといいますか、言ってはいけないことだと思っていたというか……」
リオは困り顔で頭を掻く。すべてが終わった今となっては不思議と心が落ち着いているが、当時は人を殺そうとしているのだと、親しい相手に自分の復讐心を打ち明けることはなかなかできなかった。
「う、ううん。いいの、謝らないで。わかっているから。あっ、でも、アイシアはこのことを知っていた、のよね?」
セリアはあたふたとリオを制止すると、ふと思い出したように訊く。
「はい、知っていました。アイシアに隠し事はできませんからね」
リオは苦笑して頷いた。
「そう、よね。リオが出かけていた間、ずっと私の中で霊体化していたから、よくわかるわ」
セリアも苦笑して得心する。ここしばらくずっと一緒に暮らしていたからか、セリアも以前よりアイシアのことをよく理解できるようになった。だから、隠し事はできないのだということは強く同意できる。
「先生も何かアイシアに秘密を握られましたか?」
リオはくすりと笑い、興味深そうに尋ねた。
「へ……? あ、いや、別に、そういうわけじゃないけど」
セリアは瞠目すると、上ずった声で否定する。すぐに思いついたのは以前、クリスティーナやロアナとお茶を飲んでいた時に、クリスティーナからリオの婚約相手はセリアが相応しいのではないかと言われた時の話だ。退室後、アイシアがセリアにリオと結婚したいのかと尋ねてきて、セリアは思い切り慌ててしまった過去がある。
(ま、まあ、あのときはきちんとアイシアに口止めをしたし。って、何でこんな時にそんな話を思い出しているのよ、私は、もう!)
セリアはその時のことを芋づる式に思い出して、顔を真っ赤にしてしまった。
「……セリア?」
リオは不思議そうにセリアの顔を覗き込む。
「な、何でもない! 何でもないから! というより、今は私達しかいないんだから、アイシアも出てきなさいよ。誰か来たら霊体化すればいいんだから」
セリアは慌てて誤魔化すと、霊体化しているアイシアを呼び出した。すると、リオのすぐ隣に光の粒子が密集し、アイシアが顕現する。
「先生と何か秘密の話をしたの、アイシア?」
リオは悪戯っぽく笑って、隣に座るアイシアに尋ねた。
「い、いいから! そんな話をするために出てきてもらったんじゃないから。ダメよ、アイシア、リオに言っちゃ!」
セリアは恥ずかしそうにアイシアに釘を刺す。
「……うん」
アイシアはじっとリオの顔を見つめると、こくりと頷いた。
「そんなことより、話が随分と逸れちゃったじゃない。何を話していたんだっけ、もう!」
セリアはホッと息をつくと、わざとらしく話を戻そうとする。すると――、
「じゃあ、俺からも訊いてみたいことが一つ。いいですか?」
リオはとたんに真面目な顔をして、セリアに水を向けた。
「うん……。何?」
セリアは姿勢を正して、リオに訊き返す。
「セリアは、復讐がいけないことだと思いますか?」
リオは少し緊張した声色でセリアに尋ねた。すると、セリアは真剣な顔で考え始める。そして、しかる後――、
「…………わからない。でも、私が知るリオはリオのままよ。だから、貴方の在り方は自然と尊重しようと思える。これじゃ、答えになっていない、かな?」
柔らかくはにかんで、小首を傾げてみせた。
「いえ、ありがとうございます、
リオはそれがとても嬉しくて、ギュッと拳を握りしめる。でも、その気持ちを素直に表現することはなんだかいけないことのようにも思えて、感情に蓋をするように笑みを浮かべて礼を言った。