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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第六章 今日より明日、明日より昨日へ

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第121話 クレイアからの脱出

 場所は都市中央に位置するクレール伯爵邸の門付近。

 上空に打ちあがった閃光弾の光で、都市一帯が昼間のように明るくなった。

 すると、屋敷に滞在している兵達がざわざわと騒ぎだす。


「おい、なんだ。明るいが、もう日が昇ったのか?」

「わ、わかりません! あの光の玉がいきなり空に現れて」


 騒ぎを聞きつけ、仮眠をとっていた年配の兵が屋敷の門に設置された詰所から現れた。

 何が起きているのかを聞き出しているが、納得のいく答えなど返ってくるはずもない。

 と、そこで、門に向かって近づいてくる人影が一つ。


「誰だ?」


 兵士の一人が人影に気づき、大声で誰何すいかした。


「……女?」


 そこには全身をローブで覆った年若い少女が立っていた。フードを被っていないため、その顔が露わになっている。

 上空で輝く閃光弾に照らされて、薄紫色の髪がキラキラと光っていた。


「あの、髪の色は……」

「あ、ああ、通達があった王女様じゃないのか。薄紫色の髪をした少女を見つけたら保護しろって」


 幻想的な少女の美しさに見惚れて、兵達が呆然と立ち尽くしている。

 そうして兵達が動揺し右往左往しているうちに、少女がくるりときびすを返す。

 ほぼ同時に、上空に打ち上げられた閃光弾の光が、急速に弱まって消滅した。周囲に再び夜闇が降りる。


「ま、待て! あ、いや、お待ちください!」


 兵達が慌てて呼び止めるが、少女の歩みは止まらない。暗闇の中へと煙のように消え去ってしまった。


「や、屋敷の中にいる兵達を呼び出してこい! 追うぞ!」

「は、はい!」


 年配の兵士がハッとして指示を出すと、若い兵士達が駆け足で屋敷に向かって走り出す。

 そんな彼らのやりとりを、薄紫色の髪をしたくだんの少女が上空から眺めていた。


(アイシア。屋敷の中の兵士達をおびき寄せる。しばらく屋敷の周りをうろついて、それから北ブロックまで逃げてくれ)


 少女――アイシアの脳裏にリオの声が響く。薄紫色の髪は一時的に精霊術で色を変化させたのだ。


(わかった)


 無機質な声で応じると、アイシアは再び地上へと降り立った。


 ☆★☆★☆★


 城壁内部の北ブロックにて――、身体強化を施したリオが、城壁内部に立ち並ぶ建物の上を飛ぶように走っていた。


「急げ! まだそう遠くには行っていないはずだ。北門から逃げようとするかもしれん。付近を徹底的に探すんだ!」


 地上の通路には、深夜だというのに、無数の兵達が慌ただしく駆けずり回っている。

 アイシアの陽動に釣られて、城壁内部にいる兵士達が北ブロックまで誘導されているのだ。

 リオは二人一組で行動中の兵士を発見すると、そちらへ向けて勢いよく跳躍した。

 風の精霊術を巧みに操り着地音を消し去る。静かに着地すると、兵達に気づかれるよりも先に打撃を打ち込んだ。


「ぐぁっ」

「がっ」


 兵士二人が一瞬で昏倒し、通路に倒れてしまった。すぐ側には彼らが装備していた鉄製の警棒が転がっている。

 リオは転がっている警棒を発見し拾い上げると、右手に握って装備した。

 警棒の握り心地を確かめ、適当に振るって慣らす。そうして警棒を手に馴染ませると、再び跳躍して屋根の上へと姿をくらました。

 その後、少数で行動していた兵達を数カ所で気絶させて騒ぎを大きくすると、北門へと向かい――。


(春人)


 リオが北門の近くの物陰に隠れていると、アイシアが実体化して姿を現した。


「お疲れ様。今からそこの門を開けるから、適当に人目に付くように脱出してほしい。アイシアの仕事はそれで最後だ」


 そう言って、リオが物陰から篝火かがりびで照らされた北門に視線を移す。そこには北門からの脱出を警戒しているのか、案の定、通常よりも多くの兵士が警備に押し寄せていた。


「わかった」


 アイシアがこくりと頷くと、リオがローブのフードを深く被り直す。

 直後、リオは何の躊躇ちゅうちょも感じさせずに、北門に向かい真っ直ぐと走りだした。

 亜竜の革で作られたブーツが地面を踏み鳴らし、弾丸のように門番達に向かい突き進んでいく。そうして一瞬で距離を詰め終えると、兵達に認識の余地すら与えず素早く警棒を振るった。


「ぐあっ」


 五人いた門番のうち三人が吹き飛び意識を失う。


「は、え、あ……?」


 残った兵士二人がようやくリオの存在に気づいたが、既に時遅し。眼前でその姿を見失ってしまったかと思うと、背後から衝撃を感じ、一瞬で意識が暗転してしまう。


(開門装置は詰所の中だな)


 我が家の扉を開けるように、リオが門の横に併設された詰所の中に入っていく。

 中には控えの兵士が一人だけいたが、速やかに気絶させて門を開放する装置をいじりだす。

 ややあって大きな音と共に北門が開門し始めた。

 門が開く音を聞きつけ、付近が一気に騒がしくなる。


「おい、門が開いているぞ!」

「門番が倒れている。下に女の子がいるぞ!」


 人間が一人通れるほどに北門が解放されたところで、リオが念話でアイシアに指示を出す。


(行くんだ、アイシア。頃合いを見計らって俺に合流してくれ)

(わかった)


 合図に従い、アイシアが駆けだす。彼女が北門を抜けてその背中が見えなくなるよりも先に、リオは小屋を後にして南ブロックへと向かった。


 ☆★☆★☆★


 リオとアイシアが陽動を開始してから十数分後。

 セリア達はクレール伯爵邸のへいを乗り越え、無事に屋敷の敷地内から脱出していた。


「どうやらだいぶ上手く陽動してくれているみたいですね。まさかこんな簡単に屋敷を抜けられるなんて……」


 クリスティーナがローブのフードを深く被りながら、感嘆した様子で周囲を見渡す。

 屋敷の庭も、その周辺も、ほんの数十分ほど前とは比べ物にならないほどにがら空きとなっている。

 おかげで隠密に関して素人のクリスティーナ達でも簡単に警備の隙間を縫って脱出することができた。

 こうして屋敷を抜け出すことができた以上、以降は万が一発見されたとしても、クレール伯爵家に及ぶ実害の程度はだいぶ減ったことになる。

 既に魔道具で髪の色も変えてあるので、仮に都市の中で職務質問を受けても即座に素性が判明するリスクも大幅に軽減した。

 リオが主導して立てた計画も所詮(しょせん)は青写真にすぎないと期待半分に考えていたクリスティーナだったが、予想以上の成果に少しずつ希望の念が沸き起こってくる。


「ハルトなら確実に仕事をこなしてくれます。我々は南門へと向かいましょう」

「……信頼なさっているんですね、彼を」


 リオを信じきって行動しようとするセリアに、クリスティーナが好奇心を込めた視線を向けた。


「できない理由がございませんので」


 気恥ずかしそうに、それでいて申し訳なさそうに、セリアが少しだけ微笑む。

 正確にはリオとアイシアと協力しているからこそ信頼がさらに強まっているのだが、アイシアの存在をクリスティーナ達は知らない。


「なるほど……。では、彼の作ってくれたこの好機を逃さないためにも、先を急ぎましょうか」


 色々と気になることはあるが、あいにく今は呑気に話をしている時間的な余裕はない。

 時間が経てば北ブロックに集中している兵士達が戻ってきて、都市全体で警戒体制が強化されることだろう。

 平時なら朝になれば門は開くが、このような事件が起きてしまった以上、明日から城門の出入りが厳しく制約されることは容易に想像がつく。

 無論、ほとぼりが冷めるまでクレイアの城壁内部で姿をくらますという選択肢もないわけではないが、今後は捜索要員の大幅な増員もされるはずだ。

 クリスティーナが北門から都市の外へ脱出してしまった可能性が浮上したからには、捜索範囲は都市の外にも及ぶことだろう。

 領都の中でのんびり潜伏している間に周辺の警戒態勢をがっちり固められてしまっては後手に回る一方である。

 ゆえに、都市を脱出して先へ進むのならば、相手の不意を突いた今をおいて他にない。

 クリスティーナ達は先を急ぐことにした。

 そうして進むこと数分。

 現在、城壁内部にいる兵士の大半は北ブロックに動員されているため、南ブロックに兵の姿はほとんど見当たらない。

 一方で、城壁内部の南ブロックは歓楽街となっているため、深夜でも出歩いている一般住民はそこそこいたりする。

 付け加えて言うのならば、先ほど打ちあがった閃光弾の影響で普段より騒がしくなっているのだが、普段の雰囲気を知らぬクリスティーナ達がそれを知ることはなかった。

 南門付近まで走らず、だが速やかにやってくると、クリスティーナ達の足が止まる。


「流石に門番は残っているようです。あとはどうやってあの門から出て行くかですが……」


 物陰に隠れ、ヴァネッサが渋い顔つきで封鎖された南門を睨んだ。

 都市の中心部を覆う城壁の高さは軽く十メートルはある――、身体強化魔法を使ってもそう簡単に飛び越えられる高さではない。

 城壁の外へ出るのならば門を開けて通っていくしかないだろう。

 幸い北ブロックの陽動が功を奏しているおかげで、今は南門の警備が手薄になっている。

 これなら門を正面突破することもできそうだと、ヴァネッサが考えていると、


「遅くなりました」

「っ……!」


 突然、背後から声をかけられた。

 クリスティーナ達の身体がびくりと震える。声が聞こえた先に視線を向けると、黒いローブに身を包んだリオが立っていた。


「まったく気づきませんでした。見事な足運びですね。ヴァネッサですら気づかないなんて」


 クリスティーナが感心した口調で語る。すると、ヴァネッサが少しだけ悔しそうに顔を歪めた。


「驚かせてしまったようですね。申し訳ございません」


 苦笑し、リオがバツが悪そうに謝罪する。


「いえ、心強い限りです。お越しいただいて早速ですが、あの門を通過する手立てはあるのでしょうか?」

「正面突破しましょう。北門を解放したので、今ならこちらは手薄なはずです」


 リオが簡潔に答えると、クリスティーナが目をぱちくりとさせた。


「本当に北門を解放してきたのですね」

「計画を立案する際に申し上げたでしょう? 追っ手の戦力を分散させるためにも、複数の城門を解放することは必須条件だと」

「確かに仰る通りですが、具体的な手段は教えて下さらなかったではないですか」


 苦笑しながら語るリオに、クリスティーナがやや呆れのこもった視線を向ける。

 今のクリスティーナが向かう先は『レストラシオン』の勢力圏以外にはありえない。それは追跡側も重々に承知しているはずだ。

 そして、この領都クレイアから『レストラシオン』の勢力圏へ向かうためには、北あるいは東へと伸びる街道を通っていくのが最短ルートとなる。

 北門から出て行ったという事実が残れば、追跡する側もクリスティーナが北に向かって逃走したのだろうと疑わずにはいられないことだろう。

 もちろん、北門を出て城壁の外部をぐるっと回っていけば、東西南北どの街道に向かうこともできるが、それすらも陽動なのではと疑心暗鬼に追い込むことができる。


「その辺りを詳しく説明している時間がございませんでしたので。まぁ、今もあまり時間がございませんので、早速ですが開門しましょう」


 まるで買い物を決断するようなノリでそう言い残すと、リオは南門へ向かって歩き出した。


「え……、あ……」

「ハルトなら大丈夫です」


 あまりにも堂々としすぎていて、クリスティーナが声をかけそびれる。すぐにセリアから太鼓判を押され、固唾を呑んでその様子を見守ることにした。


「おい、止まれ! 夜間は門の出入りは禁止だ。フードを取って顔を見せろ」


 二人いる門番の一人がリオに気づき、不審がって呼び止める。


「どうしても急いで門の外に出なければならないのです。駄目でしょうか?」

「駄目だ。夜間の出入りは領令で禁止っ!」


 ダメもとで交渉するていで話しかけていたリオであったが、ある程度接近すると、一気に距離を詰めて門番の腹部に膝蹴りをお見舞いした。

 蹴られた門番が宙に浮かび上がり、力を失ってドサリと地面に倒れる。

 残った片割れの門番は唖然とその光景を眺めていた。


「なっ……。き、きさっ……がっ!」


 何か喚こうとした門番の懐に一瞬で潜り込むリオ。そのまま胴にめがけて頂肘ちょうちゅうをぶちかますと、相手の身体が勢いよく吹き飛んだ。

 それから詰所にも休憩中の兵士がいないか確認しに入ったが、中に兵は一人もいなかった。控えの兵士も北ブロックに回しているのだろう。

 そう判断し、リオは詰所から出て、手振りでクリスティーナ達を呼び寄せた。


「今から門を開けます。今のうちに魔法か魔道具で身体能力を強化しておいてください」

「わかりました」


 リオからこの後の作戦行動を簡単に再説明され、クリスティーナ達が緊張した面持ちで首肯する。


「貴方達はこの剣を。いざという時は、自分の身は自分で守ってください」


 リオが門番達が装備していた剣を剣帯ごと拾い、黒髪の少年二人に手渡した。


「は、はい……」


 ここまで緊張した面持ちでひたすら黙りこくっていた少年達だったが、いっそう顔を強張らせて剣を受け取る。


「では、門を開けます」

「お願いします」


 リオは再び詰所の中に入り、必要な操作を行って門を解放した。すると、周囲に開門の音が大きく響き渡る。


「門が開いているぞ!」

「下にいる門番はどうした?」


 城壁の上で見張りをしていた兵達が開門の事実に気づき騒ぎだす。


「行ってください!」


 リオが指示を飛ばすと、クリスティーナ達が走り出した。リオも後を追いかけ、六人分の足音が城壁外部に広がる夜の街中に響き渡る。

 いくら身体能力を強化して走っているとはいえ、稼げる距離はたかが知れているため、速度を緩めるわけにはいかない。

 そうしてひたすら走り続け、ようやく街並みが途切れる場所までやってくる。

 タイミングが悪いというべきか、日の出の時間が近いようだ。東の空が薄っすらと明るくなり始めていた。

 最大の難所は都市の周囲に広がる麦畑である。今の季節はちょうど種まきが始まる前で、見晴らしの良い平野状態になっているのだ。

 ここら辺に来ると、普段から身体を鍛えているリオとヴァネッサ以外はだいぶ疲れてきたようで、息切れが激しくなっていた。

 可能ならばもう少し時間を稼いだ方がいいかもしれない――、リオはそう判断した。


「俺は追っ手の出足を止めます。夜が明けたら、昼過ぎに、南の街道を進んだ最初の宿場町の手前で落ち合いましょう。街道を外れた小道の先に泉があるはずです」


 麦畑の中ほどに来ると、リオがおもむろに叫んだ。


「ならば、私も!」


 ヴァネッサがすかさず殿しんがりの協力を申し出る。他の四人は走るのに精一杯で、喋る余裕はなさそうだ。それでもまだ余裕があるのはクリスティーナだろうか。


「貴女はクリスティーナ様達の護衛と、逃走の指揮を。先発の追っ手は足の速い少数が突出して出てくるはずです。攪乱(かくらん)したら俺も即座に立ち去りますので」

「……くっ、承知した」


 思い悩んだ表情を見せたヴァネッサだったが、素直に頷いた。


「それでは、ご無事で!」


 そう言って、リオが立ち止まり振り返る。ローブの中からダガーと使い捨ての手投げナイフを取り出すと、両手に装備した。


「ハ、ハルト……。ぜ、絶対、絶対、待ち合わせ場所、来るのよ! はぁ、はぁ……。お願いだから! じゃないと、はぁ、私……」


 背後からセリアの声が聞こえてきた。息も切れ切れに、必死に叫んでいる。まだ薄暗くてよく見えないが、その顔は今にも泣きそうに歪んでいた。

 リオが右手を大きく振って応じ、それ以上の返事は待たずに、改めて都市に向き直る。

 それから、クリスティーナ達が街道の伸びる森の中に隠れて後ろを振り向いた時、ちょうどリオが追っ手達と向き合っているところだった。


 ☆★☆★☆★


 クリスティーナ達を追ってきた者達の人数は十人程度だった。

 リオの予想通り彼らは南方面に差し向けられた追っ手の先発隊であり、全員が騎士服を着用している。

 いずれも魔法か魔道具で身体能力を強化しているのか、鍛え上げた肉体のスペックを限界ギリギリまで引き出して走ってきたようだ。


(流石に予備兵力は残しておいたか。しかし騎士分隊とは……)


 当たり前だが職業軍人のように身体を鍛えている人間とそうでない人間とでは引きだせる身体能力の限界に差が出てくるため、あのままセリア達が走っていても追いつかれていたかもしれない。

 どうやら足止めを試みて正解だったと、リオは考えた。


「止まれ!」


 堂々と街道を封じるように立っていたリオに呼び止められ、騎士達が一斉に足を止める。


「……貴様、何者だ? ここで何をしている? フードを取れ」


 先頭に立つ隊長格の騎士が、剣呑な声でリオに誰何すいかした。


「あんたらを待っていた。少しきたいことがあってな」


 リオは質問には答えず、何か意図があるかのように、あえて思わせぶりな台詞を口にした。


「何?」


 目的は足止めか?――隊長格の騎士がいぶかしげにリオの背後を見やったが、そこには広大な麦畑と森が広がっているだけで人影は見当たらない。


「……まぁいい。この場でのんびり会話をしている時間はないんでな。死なない程度に痛めつけてやる。口を割るなら早い方がいいぞ」

「こちらとしても質問をするのにそんなに人数はいらない。あんただけで十分だ」


 嗜虐しぎゃく的な笑みを口許くちもとに刻んで語る隊長格の男に、リオが右手に持ったダガーを向けて挑発的な言葉を返す。

 すると、隊長格の騎士が眉間にしわを刻み、


「……やれ」


 冷たい声で、開戦の指示を下した。背後の騎士達が一斉に動きだす。

 リオも姿勢を低くし、地面を強く蹴った。突風の如き速度で騎士達に突っ込みながら、左手に握った手投げナイフを放り投げる。

 すると、薄暗闇で反応が遅れたのか、手投げナイフは先頭にいた騎士の首筋に綺麗に突き刺さった。


「ぐっ……」


 ナイフが刺さった騎士がバランスを崩して倒れる。だが、他の騎士達に動揺した様子はない。

 流石に戦闘慣れしている――冷静にそう分析し、リオは腰に忍ばせたもう一本のダガーを左手で抜き放ち、逆手に握って装備した。

 両手にダガーを一本ずつ。いわゆる二刀流だ。あえて剣を用いて戦わないのは、こちらが剣士だという認識を与えないためである。


「囲め!」


 騎士達は多対一の必勝戦法に従い、リオを取り囲もうと散開しようとした。だが、リオが変速的に加速し、騎士達が散らばるより先に接敵する。


「なっ……」


 想定外の速度に不意を突かれ、流石の騎士達にも動揺が走った。

 疾風迅雷。リオが流れるような、舞うような、曲芸染みた動きで、跳ねながら騎士達の間を疾駆する。

 囲ませる隙など与えない。すれ違いざまに両手両足を躍らせ、確実にダメージを与えていく。

 騎士達も剣を振るって攻撃を加えようとするが、彼らの描く剣の軌跡がリオを捉えることは適わない。


「くそっ、なんだこいつは!」

「つ、強い!」


 薄暗い闇の中でアクロバットに動きまわるリオに翻弄されて、騎士達が浮き足立っているのが伝わってくる。

 ただ一度リオとすれ違っただけで、ある者はダガーで斬り伏され、ある者は勢いよく蹴り飛ばされ、騎士達はおよそ半分にまでその数を減らしていた。

 それから、互いに向き直り、睨みあったかと思うと、リオが予備動作もなく横に飛ぶ。


「な、なに?」


 一瞬、リオが消えたように見えて、騎士達の反応が出遅れる。

 次の瞬間、消えたはずのリオが側面から突っ込んできた。並んで立っていた騎士二人の隙間を跳躍しながら通り過ぎ、空中で逆さの姿勢でそれぞれに喉元に一撃を加え戦闘不能に追い込む。


「舐めるな!」


 着地際を狙って、騎士の一人が背後からリオに向けて剣を振るった。

 だが、リオが跳躍して身を捻り、それをかわす。回転の勢いを利用して空中でダガーを振るい、振り向きざまに相手を斬り伏せてしまった。

 これで残った騎士は三人だけ。距離をとって戦闘を眺めていた隊長格の騎士一名と、平隊員の騎士二名である。


「お、おい! さっさとそいつを始末しろ!」


 隊長格の騎士が泡を食ったように叫んだ。

 命令の内容が「痛めつけろ」から「始末しろ」に変化しているが、一個分隊で歩兵中隊を軽く圧倒できるだけの戦力を誇る騎士達があっという間に壊滅状態に陥ったことを考えれば、妥当な判断といえる。

 だが、残った騎士二人でリオを始末できるかどうかは別問題である。


「っ……はあああ!」


 命令を受けた騎士の一人が大声を張り上げながら、リオに斬りかかった。

 リオが逆手で握った左手のダガーを振るい、精霊術で強化した腕力で騎士の剣を弾き飛ばす。

 まるで鉄の壁でも斬りつけたような反動を感じ、騎士は手のしびれと鈍い痛みで顔を歪めた。

 リオが硬直した騎士へと歩み寄る。無造作に左手で下から上に向けてダガー振るうと、柄頭つかがしらで相手のあごを打ち砕いてしまった。


「ぁっ……」


 声にならない悲鳴が聞こえたかと思うと、最後に残った平隊員の騎士がリオにめがけて水平に剣を振るった。

 リオが低くしゃがんでそれをかわす。カウンターで横薙ぎにダガーを振るうと、太ももを切断した感触が手に伝わってきた。

 そのまま地面に膝を着いて倒れる騎士の顔面に膝蹴りをお見舞いして気絶させる。

 隊長格の騎士は唖然とその光景を眺めていたが、


「……ふ、ふざ、ふざ、ふざけるな! 貴様ら、立て! 何をしている!?」


 部下達が文字通り全滅させられた事実を受け入れられないのか、ヒステリックに喚き散らした。


「う、うう……」


 既に死んだ者もいるが、何人か虫の息で生きている者もいるようだ。

 負傷した箇所を抑え、苦しそうにうめいている。

 あまり気分のいい光景ではない。リオは僅かに顔をしかめ、ぎりっと歯を噛みしめた。だが、すぐに表情消し去り、隊長格の騎士を見据える。


「くっ……」


 隊長格の騎士は突然、来た道を逆走して都市に向かって逃げだした。瞬く間に味方が全員やられたことで物怖じしたのだろう。

 リオが右手を振るいダガーを投げつける。


「ぐあっ」


 男の右足にダガーが深く突き刺さった。そのままバランスを崩し、無様に転んでしまう。

 リオはローブのフードを深く被り直すと、ゆっくりと男へ歩み寄った。


「ま、待て! こ、殺さないでくれ! 身代金ならいくらでも払うぞ! 私はアルボー公爵家の者だ!」


 隊長格の男が必死に助けを乞い始める。騎士の誇りをかなぐり捨てた非常に情けない行動だ。


「……アルボー公爵家だと?」


 相手が予想外に大物な家名を名乗ったことで、リオが半信半疑でいた。


「そ、そうだ! 次男のシャルル=アルボーだ!」


 キザったらしい顔で誇らしげに語る自称シャルル=アルボー。

 シャルル=アルボーといえば、セリアを七人目の妻としてめとろうとしていた男ではないか。


(こいつがセリア先生の婚約者だった男? ……まぁいい)


 今は証明する手段が何もないし、本人確認をしている時間もない。リオは手早く用事を済ませることにした。

 一定の役職にいると思われるこの男に、こちらがクリスティーナとは無関係だと匂わせるための情報を持ち帰ってもらうのだ。


「ならば質問に答えろ。国の兵士まで動員して、貴様らは何を警戒していた?」


 見下ろしながらダガーを突きつけ、リオが尋ねる。すると、男が不思議そうな顔をした。


「な、何を言っている? わ、我々は拉致された王女殿下を捜索していたんだ。貴様はその協力者なのだろう?」

「王女殿下の拉致だと? そんなことは知らないが、……そういうことか」


 初耳だとでも言わんばかりにいぶかしんでみせると、リオが思わせぶりに納得した様子を見せつける。


「ど、どういうことだ? お前は何者だ? クリスティーナ王女とヴァネッサ=エマールはどこにいる?」


 この状況で好奇心を抑えきれず質問ができるとは、大物というか、小物というか、なかなかに良い性格をしていると、リオは感心した。


「さてな。とりあえず俺とは無関係だ。そんなことより俺の質問に答えてもらおうか。あんた、ルシウスって男を知っているか?」


 撹乱かくらんがてら、リオがかねてより調べておきたかった情報を尋ねてみる。

 以前セリアにもそれとなくルシウスという男を知っているかいてみたことはあったが、彼女はルシウスについて何も知らなかったのだ。


「ル、ルシウスだと? ……も、もしや没落したオルグィーユ家の嫡男だった男のことか?」


 シャルルがギョッと目をみはり、おそるおそる訊いた。


「オルグィーユ家。昔の家名は知らないが、かつてはベルトラム王国で『王の剣』に名が上がるほどの使い手だと聞いたことがある。そいつか?」

「な、ならその男で間違いないはずだ!」


 こくこくと頷くシャルル。


「その男が今何をしているか、あんたは知っているか?」

「な、何故そんなことを訊く?」

「いいから質問に答えろ。訊いているのはこっちだ」

「し、知らん! 傭兵になったとは聞いたが、最後にあの男を見たのは十年以上も前だ。どうして今更になって奴の名前を……。ま、まさか貴様、あの男の依頼で動いているのか? よもや没落の件で我が家を恨んでいるのではあるまいな?」

「……さてな」


 少々錯乱気味なシャルルからの質問に、リオは底冷えするような声で答えをはぐらかした。

 どうやらシャルルの実家は過去にひどくルシウスの恨みを買うような真似をしたようだ。

 ルシウスの過去を知るシャルルに質問したいことは色々と思い浮かぶが、あいにくゆっくりと話をしている時間はない。


(……頃合いか)


 そう判断し、リオはダガーを握る手に力を込めた。


「悪いが、あんたはもう用済みだ」

「ま、待て! ふざけるな、話が違う! 質問には答えたぞ」

「ああ、そういう話だったかな」


 泡を食って異議を唱えるシャルルに、リオが人の悪い笑みを向ける。

 別に質問に答えれば助けてやると明確に約束したわけではないし、そんな期待を守ってやる義理もない。

 とはいえ、せっかくひと芝居打ったのだから、仕事はしてもらわなければならないだろう。

 リオが左手で握ったダガーを無造作に振り上げると、


「ひっ!」


 シャルルが情けない声を出して目をつむった。

 すると、リオがするりと足を動かし、シャルルの背後に回り込む。右手で頭部を掴むと、魔力を流しこみながら脳を揺らしにかかった。


「くあっ」


 シャルルが一瞬で意識を刈り取られて気絶する。

 リオはシャルルの太ももからダガーを抜き放った。失血死してしまわないよう、応急処置で軽く血止めをしてやる。

 意識を保っている者はもういないが、他にも助かる見込みのある騎士には精霊術で簡単に傷口を塞いでやった。

 とはいえ、下手な手加減をせずに攻撃したし、所詮は血止めの応急処置にすぎない。

 比較的軽症なシャルル以外の騎士達が助かるかどうかは、どれだけ早く救助が来るか次第だろう。


「どうして助けるの?」


 いつの間にかリオの背後に立っていたアイシアが尋ねた。


「どうしてだろうね」


 リオが振り返らずに、自嘲じちょうをたたえ答える。

 アイシアはそれ以上何かを尋ねることはせず、黙って治療を手伝い始めた。

 そうして二人が黙々と作業を行い、治療を施し終えると、リオが小さく息をついて開口する。


「行こうか。少し場所を変えよう」

「わかった」


 直後、二人が地面を蹴ってその場を後にする。


「アイシア、ここら辺にしよう」


 しばらく走り続けて森の中に姿を隠すと、リオが言った。


「うん」


 頷き、立ち止まると、アイシアがリオの手をぎゅっと掴む。


「どうかした?」


 リオが目を丸くしていた。

 アイシアが小さく首を左右に振る。質問に言葉で答えることはしない。リオの手は握ったままだ。


「そっか……」


 リオがアイシアの手をおずおずと握り返す。

 ぽかぽか。手から伝わる熱で、なんだか冷えきった心が温かくなった気がした。


「今ならセリア達にすぐ追いつけるよ?」


 どうする?――と、アイシアがリオの顔を覗き込む。


「……いや、人数分の旅の道具を揃えておくよ。歩いて旅をしないといけなくなったしね。アイシアは距離をとって先生の護衛を頼んでもいいかな?」

「わかった」


 リオが今後の方針を示し、アイシアがこくりと頷く。


「それじゃあ――」


 リオは名残惜しそうにアイシアの手を放し、


「――ここからは別行動だ」


 と、そう告げた。


「うん」


 アイシアが頷いたのを確認し、リオが地面を軽く蹴る。その身が風に包まれて、瞬く間に空高くへと舞い上がった。アイシアもリオとは別方向に向かって飛翔する。

 別々に飛び立った二人の姿が、夜明け前に広がるラピスラズリの空に、ほどなくして溶けこんだ。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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精霊幻想記のドラマCD第2弾が14巻の特装版に収録されます
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2019年7月26日にコミック『精霊幻想記』4巻が発売します
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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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