第119話 地下室での話し合い
ダイニングルームに入ると、リオは率先して給仕役を申し出て、簡易キッチンへと向かった。あくまでも自分は第三者にすぎないという姿勢をアピールするための行動である。
といっても、ダイニングルームと簡易キッチンは繋がっているため、聞こうと思えば話の内容は筒抜けだ。
「先生はお父上にお会いになりたいとのことですが、クレール伯爵ならば明朝早くにこの地下室へ降りてくるはずです。今は屋敷内にも捜索隊の面々が宿泊しているらしく、身動きがとりづらいようなので」
と、まずはクリスティーナが開口し、セリアが知りたがっている情報を教えた。
「なるほど。王都にいたら無駄足になるとも思ったのですが、幸いでした。となると、父がこの場へ来るのを待った方がよさそうですね」
「はい。時間はたくさんありますので、その間に色々とお話をお聞かせいただけると嬉しいです」
そこまで話し合うと、二人はじっと視線を交えた。
「と、仰いましても、何からお話をすればよろしいでしょうか?」
クリスティーナの出方を探るように、セリアが開口する。
「そうですね。気になるのはどうしてお互い城を抜け出したのか、ということになるのでしょうか? 私が知る限り、城の中では先生が拉致されたのではないかという噂が広まっていましたが」
「拉致されたわけではありません。私は自分の意志で城を抜け出しました」
「その理由を伺っても?」
尋ねて、クリスティーナが真っ直ぐとセリアを見据えた。
視線が重なり、セリアが微妙にすまなそうに顔を曇らせる。
「……恥ずかしながら、私が城を抜け出したのは、貴族として課せられた使命から逃げたかったからです」
「それはシャルル=アルボーとの政略結婚からでしょうか?」
「はい。時には望まぬ相手と結婚しなければならない。それが貴族の女性に課せられた使命だと理解はしています。ですが、それでも、私は彼との政略結婚に納得することができませんでした」
頷き、セリアが重々しく語った。
「まぁ、当然でしょうね。私は正しい判断だと思いますよ」
クリスティーナがあっさりとセリアの選択した行動を支持してみせる。
セリアは意外そうに目をみはった。クリスティーナがくすりと微笑み、言葉を続ける。
「確かに、私達は立場上、自由に婚約相手を選ぶことはできません。ですが、それは家のため、ひいては国のためになるからです。そういった実利が認められない――いえ、むしろ害悪となる政略結婚に順守するだけの価値はありません」
「姫様は私と彼が政略結婚することが国にとって害悪になると?」
害悪とまで言い切ったクリスティーナに、セリアがその意味を尋ねた。
「というよりも、あの男の存在が今のベルトラム王国にとって害悪そのものです。先生もそう思っていたからこそ、城から抜け出したのでは?」
「……間違っている、とは考えていました。結果を残しているとはいえ、強引すぎるやり方すべてが」
「自信がなかったのですか?」
「間違っているかどうか、決めるのは私ではありませんから」
セリアが
「では、後悔していたんですか? お城を出たことを」
「いえ、後悔だけはしていません」
今度はきっぱりとかぶりを振るセリア。すると、クリスティーナはフッと笑みを浮かべ、
「なら、いいじゃないですか」
と、そう言った。
「無論、貴族の中にはセリア先生が決断した行動を否定する者もいることでしょう。けれど、アルボー公爵のやり方が間違っていると思った。城を出ることが正しいと思った。その意志を貫いた。後悔はしていない」
語って、クリスティーナが深紫の瞳を真っ直ぐとセリアに向ける。
セリアもじっとクリスティーナを見つめ返した。
「なら、本当にその決断が正しかったのか、判断されるのはこれから先のことです。そして、判断するのはこの国で生きる我々……、少なくとも、私個人は先生のご決断を支持しますよ」
「そう仰っていただけると、幸いではありますが……」
セリアがやや反応に困ったような笑みを浮かべる。
「大事なのは今後セリア先生が何をしたいのか、ということでは? こうしてこの屋敷に戻ってきたということは、我が国の貴族であることを放棄したというわけでもないのでしょう?」
「それは……その資格が今の私にあるのか……」
クリスティーナの質問に、セリアが困り顔を浮かべて答えた。
「あら、私はその資格があると思いますよ。私も逃亡し潜伏中の身の上ですが、王族であることを放棄したつもりはありません。すべてはこれから先、王族として何をするのか、そしてどんな結果を残すのか――すべてはそこにかかっていると私は考えています」
「……なるほど」
決然と語ってみせたクリスティーナの言葉に、セリアが唸るように頷く。
セリアも同じようなことは考えていたが、自信を持てずにいた。
対するクリスティーナは強い自信と覚悟を感じさせる。
決して悩んでいないというわけではないのだろう。王女という立場を自覚したうえで逃げるように城から抜け出しておいて、何も悩まずにいられるはずがない。
悩まずにいられるとしたらよほど向う見ずなお気楽者か、ただの世間知らずくらいだ。
そして、クリスティーナがそのどちらでもないことを、セリアは知っている。
では、いったいクリスティーナはどうして城を出ようと思ったのか――、セリアはそれを知りたくなった。
「クリスティーナ様、私からも質問をよろしいでしょうか?」
「はい、構いませんよ」
セリアに声をかけられ、クリスティーナがよどみなく応じた。
「姫様はどうしてお城を発とうとお考えになったのでしょうか?」
「アルボー公爵にとって私が邪魔になった――、いえ、私に利用価値がなくなったからです。身の危険も感じたため、王城を発つことを決意しました」
あまり穏やかではない物言いに、セリアの顔がわずかに強張る。
「まさか、アルボー公爵が姫様の御身に危害を加えると?」
「ええ、今のあの男ならやりかねません。召喚された勇者を取りこみ、王族に対する遠慮もなくなりつつあります」
「しかし、アルボー公爵が姫様のお命を害するだけの理由が……」
「あの男は野心家です。現王族を除外し、アルボー公爵家から次代の王を輩出しようと目論んでいるのでしょう」
「だから、それで姫様を亡き者にするとでも? そんなことをしてもあまり意味はないのでは?」
ベルトラム王国の王位は世襲制だ。
王位継承権が高い者から順に次代の王となる資格があり、王位継承の絶対条件としては国王の直系子孫であることが要求されており、嫡出子孫と男系子孫が優先して高い承継順位を獲得していくことが国法で決められている。
死亡、放棄、剥奪といった事由で王位継承権が消滅するか、女系の嫡出子孫しかいない状態で新たに男子の嫡出子孫が産まれない限り、王位継承の順位が覆されることはありえない。
現在は国王フィリップ三世と正妻ベアトリスとの間に産まれたクリスティーナとフローラが第一王位継承権と第二王位継承権をそれぞれ保有しており、その下に側室との間にできた子供達が名を連ねている。
アルボー公爵の末娘も側室の一人としてフィリップ三世に嫁いでいるが、その間に生まれている子の継承順位はかなり低い。
しかも、高位の継承権を持つ者が新たに子をなしてしまえば、下位の王位継承者の順位は下がってしまうため、上の順位の者を一人二人を殺すことに大した意味はない。
それでも暗殺を試みた例が過去になかったわけではないが、暗殺により順位が上昇して利益を受ける者達は怪しまれて当然の立ち位置に置かれてしまうし、後に禍根を残しかねない
加えて、ベルトラム王室の権威は六賢神の神威に裏打ちされたものであるため、王族に危害を加えることは神に対する反逆に等しい。
いくら実権を握りつつあるとはいえ、正当性を確保するためにも、最低限順守すべき社会的な体裁を無視していいという話にはならないのだ。
だからこそ、アルボー公爵は――武力を背景にしてはいたものの――国王フィリップ三世から実権を平和的に譲り受けたという形式をとり、王位の
なのに、ここに来て、そのラインを踏み越え、アルボー公爵が王族に危害を加えることも
「ええ、確かにセリア先生のおっしゃる通りです。今までならば、あの男の野心を実現することは難しかった」
言って、クリスティーナは深く溜息をつく。
「しかし、何か事情の変化があったと?」
セリアがごくりと唾を呑むと、クリスティーナがこくりと頷いた。
「
クリスティーナがそう語ると、セリアの顔が盛大に引きつる。
「アルボー公爵の孫娘というと、ロリス様ですか? 確かに、それなら可能性は……。しかし、国が二分しますよ。国法を無視して既存の王位継承順位を覆そうなんて」
本来ならば第一王女のクリスティーナ、次点で第二王女のフローラが勇者と契りを交わし、王室の権威をより高めるのが正当な道筋だ。
勇者は六賢神の使徒であり、国王と同等以上の権威をその身に宿しているため、下手に王位継承権の低い者と婚約させてしまうと、その子孫にも次代の王と並ぶだけの権威が生まれてしまいかねないからである。
実権や地位を有していない相手と結ばれると言うのであれば、大した実害は生じないのだが、実権や地位を兼ね揃えた相手と婚約するとなると、相応の配慮をしなければややこしい事態になりかねない。
そして、クリスティーナが語る通りならば、今のアルボー公爵にはそんな配慮をする気はさらさらなく、孫娘と勇者を婚姻させ、その子孫を次代の王に推そうと考えているわけで――。
そうであるならば、確かに彼の存在は国にとって害悪と断言しても差支えはないのかもしれない――と、セリアは瞬時に考えた。
「もうベルトラム王国は二分されています。そして、だからこそ、アルボー公爵は私が勇者と近づくことを恐れているんです。勇者が召喚されて以降、私はほとんど自由な行動を認められていませんでしたから」
語って、クリスティーナが怒りと呆れの織り交ざった笑みを
「私が国を離れている間に、そのように深刻な事態に進展していたのですね。
「お話中のところ申し訳ございません。温かいお飲物の用意ができました。どうぞ」
すると、そこで、簡易キッチンからリオが戻ってきた。
トレイの上には陶器製のティーカップが四つ――、そこから柑橘系の甘い蜜の香りが漂ってくる。
セリアはそっと深呼吸し、暗くなった気分を落ち着けた。
「ありがとう、ハルト。これは……」
「ホットレモネードです。はちみつとすりおろしたリンゴも混ぜてあります」
「美味しそうね。ありがたく頂くわ」
セリアが柔らかな笑みを浮かべた。見る人を安心させるような癒し系の笑顔だ。
「はい、熱いので火傷しないように気をつけてください」
リオがにこりと微笑んで言葉を返し、それぞれの席に配膳していく。
「ありがとうございます。よければ貴方も座ってください。アマカワ卿」
と、クリスティーナがリオに声をかけた。
「失礼します」
頷き、一言断ってから、リオがセリアの隣に腰を下ろす。
「毒は入っていないはずですが、毒味はどうぞご自由に。何なら私がしてもかまいませんが」
続けて、リオが対面に座るクリスティーナとヴァネッサに毒味をするか尋ねた。
初対面のリオが作った飲み物であり、王族であるクリスティーナが口にする物である以上、毒味が行われる必然性は高い。
クリスティーナ達も毒が入っていると思ってはいないだろうが、こういうのはお約束というか、形式的に踏襲するべき儀式のようなものである。
そこで、自分から提案することで、リオは毒味をしやすい空気を作り出すことにしたのだ。
「心遣い、痛みいる。それならば私が――」
「いいわ。頂きましょう」
毒味を行おうとしたヴァネッサを捨て置き、クリスティーナが何の
「あら、美味しいわね」
目をみはり、クリスティーナが感想を口にする。
「ひ、姫様!」
呆気にとられていたヴァネッサだったが、慌てて抗議した。
「かまわないわよ。彼が私達を殺そうと思っているのなら、とっくに殺しているわ。最初に遭遇した時の戦闘でそれを行うことはできたもの」
「それは、そうですが……」
かぶりを振って整然と語るクリスティーナに押され、ヴァネッサが言葉に詰まる。
「私はセリア先生を信用しているわ。彼女が重用している人物ならば、信用するわよ」
器が大きいと言うべきか、思い切りがいいというべきか、クリスティーナがさらりと言ってのけた。
「……承知しました」
小さく嘆息し、ヴァネッサが折れる。そっとカップに口をつけると、予想外の甘みが舌に広がり、目を丸くした。
「ところで、アマカワ卿。いくつかお話を伺ってもよろしいかしら?」
クリスティーナがリオに視線を向け、話を切り出した。
「無論です。私に答えられる範囲でなら、ですが」
ひょいと小さく肩をすくめ、リオが首肯する。
「感謝します。では、まず貴方とセリア先生の関係について。こうして護衛を務めているということは、セリア先生が王城を脱出したのは貴方が関与していると考えてもいいのかしら?」
「ええ、セリア様は私の恩人です。その恩を返すため、私が王城からの脱出を手引きしました」
「私がハルトに頼んだのです。クリスティーナ様」
セリアが城を抜け出した責任が自分にあるかのような話しぶりでリオが語ると、セリアが言葉を付け加えた。あくまでも自分の意志で王城を出たというスタンスを貫きたいのだろう。
「……なるほど。では、セリア先生を連れだした件に、ガルアーク王国は関与していないと?」
尋ねて、クリスティーナはリオの顔をじっと見据えた。
「はい。というよりも、私がガルアーク王国の名誉騎士に叙任されたのはつい先日の事ですので、関わりようがありません」
リオがあっさりと首肯してみせる。
「貴方が名誉騎士になったのは最近の事なのですか?」
クリスティーナは少し意外そうに目をみはった。だが、次に続くリオの言葉で、その表情は更なる驚愕の色に染まる。
「ええ、ほんの数日前の事です。それ以前は平民、浪々の身でございました」
「……平民? それにしては、随分と教養に
と、リオの立ち振る舞いを褒めるクリスティーナ。
「身に余るお言葉、光栄です」
リオは小さく頭を下げて、愛想笑いを浮かべた。
(平民だった。そして、セリア先生が恩人。……でも、先生は学院に
探るような視線をリオに向けながら、クリスティーナがどこか釈然としない思いを抱く。
「ねぇ、あまり関係のないことだけど、貴方とセリア先生はいつ知り合ったのかしら?」
「今から十年近く前のことでしょうか」
「十年近く前……」
その頃の自分はベルトラム王立学院に入るか入らないか程度だっただろうか、色々と未熟で、そのくせ周囲からもてはやされ、自分にできないことなどないと勘違いして傲慢になっていた頃でもあった――と、クリスティーナがそんなことを思う。
まさしく若気の至りで、あまり思い出したくない
なので、クリスティーナは微妙に顔をひそめながらも、そっと心の奥深くに眠る記憶の扉を閉めた。
「どうかなさいましたか?」
彼女のわずかな表情の変化を察し、リオが尋ねる。
「……いえ、何でもありません」
クリスティーナはゆっくりとかぶりを振った。
ハルトとセリアの関係について気にならないと言えば嘘になるが、今は話を脇に逸らして脱線している時間はない。
また、あまり根掘り葉掘り
「話を元に戻しましょうか。ガルアーク王国の関与がなかったとして、貴方は完全に個人でセリア先生の救出を行ったというの?」
「はい。その通りです」
リオが即答し頷く。
「お城の警備状況を考えると、ちょっと信じられないのだけれど……、こうしてこの場にも侵入を果たしている以上、信じざるをえないのかしら。その方法は気になるところだけれど」
語って、クリスティーナがスッと目を細める。
「そこは秘密とさせていただけると助かります。色々と危ない橋も渡りましたので」
クリスティーナの間接的な情報開示要求をしれっと拒否し、リオは正面から彼女と視線を交えた。
「……わかりました。まぁ、いいでしょう。そのおかげでセリア先生がこの場にいるのですから、不問とします」
数秒ほど見つめあうと、クリスティーナが深く息を吐いて折れる。
「ご厚情、痛み入ります」
礼を言って、リオは軽く頭を下げた。
「代わりと言ってはなんですが、ここ最近のガルアーク王国の情勢を聞かせてくれないかしら? 差支えのない範囲でかまわないから」
「承知しました。そうですね。では、つい先日、ガルアーク王国のお城にて、近隣諸国の来賓を招いて、勇者サツキ=スメラギ様のお披露目が行なわれたのですが、ご存じでしょうか?」
リオは先の夜会に関する情報を教えることにした。クリスティーナが興味を示す。
「いいえ、初耳ね。お城では外部の情報が統制されていたから。貴方はその夜会に出席したの?」
「ええ。アルボー公爵に反抗しているベルトラム王国の方々もいらしていましたよ。今は『レストラシオン』という組織を名乗っておりますが」
反アルボー派の存在と『レストラシオン』の存在に反応し、クリスティーナの眉がぴくりと動いた。
「『レストラシオン』、実質的な指導者はユグノー公爵といったところかしら。フローラは……」
「お元気そうでしたよ。幸運に恵まれ私もフローラ様とお話しをする名誉を
おそるおそる投げかけられた質問に、リオが安らかな笑みを浮かべ回答する。すると、クリスティーナはホッと安堵の息を漏らした。
「そう、無事なのね。ならいいわ」
ややそっけなく言ってはいるが、
それだけ妹の事を大切に想っているのだろう。
クリスティーナはかつてリオのクラスメイトであった少女だが、こうしてまともに会話をした機会は一度もない。
今こうして話しているのがリオだと知れば、どんな反応をするのかはわからないが、当時は
「それにしても、やはりフローラ達の下にも勇者が召喚されていたのね。ルイ=シゲクラ、ヒロアキ=サカタ、サツキ=スメラギ。これで判明している勇者は三人。あとはセントステラ王国にも聖石があったはずだけど……」
「はい。セントステラ王国にも勇者様が召喚されています。名はタカヒサ=センドウ様ですね」
と、リオは貴久に関する情報をクリスティーナに伝える。
「……もしかしてセントステラ王国の勇者まで夜会に出席したのかしら?」
目をみはり、驚きを露わにするクリスティーナ。閉鎖的なセントステラ王国までもが動きを見せたことを意外に思ったのかもしれない。
「ええ。ガルアーク王国、ベルトラム王政府の反抗勢力『レストラシオン』、セントステラ王国。勇者を
「ちょっと軟禁されている間に、ずいぶんと国際情勢は変わりつつあるみたいね。今の事態……特にフローラの下に勇者が召喚されたことは、アルボー公爵にとって面白くないのでしょうけど……」
言いながら、クリスティーナが物憂げな表情を覗かせる。
「これから先、ベルトラム王国本国と『レストラシオン』、両者の対立関係はいっそう強まるでしょうね。『レストラシオン』の背後にはガルアーク王国も控えている。アルボー公爵が殿下の捜索に血眼になっている理由にも納得がいきます」
リオがそう言うと、黙して話を聞いていたセリアがふと口を開いた。
「しかし、そうなると一つ気になることがあるのですが……」
「何がでしょう?」
クリスティーナがちらりとセリアに視線を向ける。
「捜索隊の人員がこの付近にいるということは、姫様達の足取りはほぼ掴まれているということでしょうか?」
セリアの質問に、クリスティーナはこくりと頷いた。
「おそらくは。私達を秘密裏にお城から連れ出したことで、クレール伯爵に謀反の容疑がかかってしまったようです」
済まなそうに顔を曇らせ、クリスティーナが語る。
「姫様の逃亡は父が主導したのですか?」
「計画を立てたのは私の父です。今の親王派で頼れる存在がクレール伯爵しかおらず、私をフローラのもとへと送り届けるようにと。伯爵の協力を得て何とかこの地まで逃げてくることはできたのですが、身動きがとれなくなりこの地下室で隠れるようになったのがほんの数日前の事でした」
「……色々と今の状況に合点がいきました。そうなるとこの地下室も完全に安全とは言いきれなさそうですね」
そう言って、険しい顔つきになるセリア。
「今は捜索隊の人員が屋敷に滞在しているらしく、隠し部屋の存在には薄々気づいているみたいです。伯爵が上手く
そう語ると、クリスティーナは深く溜息をついた。
「……姫様はいかがなさるおつもりで? このままこの場所に潜伏し続けるのでしょうか?」
「それをどうするべきか、ちょうど悩んでいたところでした」
発見されないだろうという希望的観測に従いこの場に留まるか、リスクを承知でこの場を抜け出し先に進むか。
前者は希望通りに物事が進めば時間を喰う以外は万事上手くいくが、希望は希望でしかない。捜索がどれだけ長期化するかは不明だし、仮に捜索の手が及んできた際には逃げ場が塞がれてしまい、その時点でゲームオーバーになりかねないことが予想される。
他方で、後者は脱出時に発見されるおそれが強いが、抜け出してしまえばある程度は自由に動き回ることができる。人目を避けて上手く進めば目的地にたどり着けば、
いずれにせよ、出るか留まるか、メリットとデメリットを利益衡量し、決断するのはクリスティーナだ。
「なるほど……」
小難しい顔をして頷くセリア。その横顔を、リオは黙って眺めていた。
「ところで、セリア先生、今更ですがその髪の色はいかがなさったのですか? 先生の髪は綺麗な白だったと記憶しているのですが」
ふと思い出したように、クリスティーナがそんな質問を投げかける。
「あ、えっと、これは……」
やや動じた様子で、セリアがリオに視線を向けた。リオがこくりと頷くと、小さくホッと息を吐いて口を開く。
「魔道具で髪の色を変えているのです」
「その魔道具の入手先を伺っても?」
今のやり取りでおよその察しはついているのかもしれないが、クリスティーナはあえて尋ねた。
「私が作ったのです。殿下」
セリアの代わりに、リオが答える。
「髪の色を変える術式は一般に流通しているものなのでしょうか? 私が知る限り、ベルトラム王国内では目にしたことはないのですが」
シュトラール地方には数多くの術式が流通しているが、そのすべてが一般に公開されているわけではない。
中には一部の集団に秘匿され、あるいは個人に秘匿され、秘密裏に管理されている術式も存在する。
そういった術式を用いた魔術は秘術として扱われ、安易に外部に漏らされることはない。
ゆえに、その価値は時に計り知れないほどに高くなる。千年以上にも及ぶシュトラール地方の歴史上、一つの秘術を巡って小国同士で戦争が生じたこともあったほどだ。
「でしょうね。少なくとも一般に流通している術式を用いて作ったものではありません。いわゆる秘術にあたるものです」
「……無礼を承知でお願いしますが、同じ魔道具を四つほど融通していただくことはできないでしょうか? 無論、しかるべきお礼はします」
クリスティーナが単刀直入に話を切り出した。
髪の色を変えることができる魔道具――、逃走中の彼女からすれば喉から手が出る程に欲しい代物だろう。
クリスティーナの薄紫色の髪はベルトラム王国でも珍しい色合いだし、ダイニングの外にいる日本人二人組の黒髪もシュトラール地方では珍しいため、外部を出歩けばこれ以上ないほどに目立ってしまうからである。
何も髪の色を変える手段は魔道具だけではない。
だが、一般に普及している塗料を使用した髪染めは不自然な色合いになりやすいし、カツラも見た目があからさまに不自然になってしまうため、変装手段として用いるには向いていない。
ところが、今目の前にいるセリアは天然の地毛と言われても気づかないほどに自然な色合いを醸し出している。追跡する側もまさかこれほど精密に髪の色を変えることができるとは思いもしないであろうほどだ。
「そうですね。魔術契約書を用いていくつか条件を呑んでいただけるのであれば、期間限定で貸し出すことも
リオが不確定な条件付きで申し出を受け入れる姿勢を見せた。
今後、万が一の事態が生じた時のことを考えれば、交渉用のカードとしてクリスティーナに貸しは作っておくことは悪くない選択に思えたからだ。
ちょうど美春達が使っていた魔道具と緊急時用の予備がいくつか残っているし、手間はかからない。
なお、魔術契約書にはいくつか種類があるが、今はその説明を割愛する。
「本当ですか?」
条件というのは気になるが、クリスティーナの表情がほころんだ。
「ええ、条件に関しては後程。他に話しておきたいことがあれば、先にそちらをお話しください」
条件を煮詰めるのは話がすべて出尽くしてから――そう考え、リオはいったん話題を切って先を促した。
「であれば、今、私から言いたいことはあと一つでしょうか。セリア先生――」
そう言って、クリスティーナが真っ直ぐとセリアを見据える。その先に続く台詞は――、
「私と一緒に『レストラシオン』へ同行していただけないでしょうか?」
案の定というべきか、セリアを自身の下に勧誘する言葉だった。
その申し出を予想していたのか、セリアに動じた様子はない。だが、ひどく悩ましげに顔を曇らせている。
「……少し考える時間を頂けませんか?」
逡巡し、セリアが即答を控えた。視線を向けてはいないが、隣に座っているリオをそれとなく気にしているようだ。
一方で、クリスティーナの表情は実に涼やかである。
「無論です。今日はこの辺りにしておきましょうか。明朝にはクレール伯爵が地下へ降りてくるはずです。答えを聞くのは伯爵と話をした後でも構いませんので」
「格別のご配慮、ありがとうございます」
セリアはクリスティーナにぺこりと頭を下げた。