第118話 地下室での攻防
ヴァネッサと呼ばれた女性が突如としてリオに向かって踏み込んだ。
殺害の意図はないのか、武器は抜いていない。
だが、その瞳には剣呑な光が宿っている。
リオが目を見開く。と、同時に、迎撃行動に移るべく、自らも前に足を踏み出した。
次の瞬間、二人の姿が重なり合う。ヴァネッサがリオに掴みかかり、取り押さえようとした。
しかし、パシン、という音をたて、その腕が軽くいなされてしまう。リオはいなした腕をそのまま絡め取り、関節を極めようとした。だが――、
「っ!」
ヴァネッサが慌てて腕を振り払い、逆の手をリオの腹部へと突きだす。
しかし、リオは突きだされたヴァネッサの拳を横から殴りつけ、軌道を逸らしてしまった。
「セシリア、後ろの通路まで下がってください!」
「ヴァネッサ、どきなさい!」
リオと薄紫髪の少女が同時に叫び、声がぶつかり合う。
いち早くヴァネッサが反応し、バックステップを踏んだところで、
「《
薄紫髪の少女が右手を構え、呪文を詠唱した。
少女の手の先に小さな術式が浮かび上がり、そこから光弾が三発続けて連射される。
魔力をエネルギー化した高速の光弾が、リオに向かって真っすぐと突き進んだ。
生身の人間に当たっても死に至る可能性は低いが、当たり所が悪ければ骨折か気絶するくらいには一撃一撃に威力がこめられている。
リオは咄嗟に精霊術を行使し、身体能力と肉体の強度を上げた。特に両手には多めに魔力を集中させて強化の度合いを強めている。
少女が放った魔力の弾丸――、それらすべてがリオの目には
腕、肩、胴体と、リオの動きを無力化することを目論んだ的確な狙いである。
しかも、リオが避ければ後ろに控えているセリアに直撃してしまう。
複数の弾丸すべてを視線で追いながら、無駄のない攻撃に内心で感心し、リオが両手を躍らせる。すると――、
「なっ……」
衝撃音をまき散らしながら、少女の放った魔力の弾丸すべてが霧散した。
あまりの離れ業に、セリアも含め室内にいた者達が驚愕する。その隙を見逃さず、リオが地面を強く蹴って前進した。
反応が出遅れたヴァネッサの背後に一瞬で回り込み、羽交い絞めにしてがっちりと関節を極めてしまう。
そのまま、リオは薄紫髪の少女とセリアの
「クリスティーナ様! 私にかまわず、この男を!」
ヴァネッサが目の前にいる薄紫髪の少女に向けて叫ぶ。
人質にされるくらいなら死を選ぶということなのだろう。見上げた騎士道精神である。
「……え?」
ヴァネッサの叫んだ名前に反応したのか、リオの背後からセリアが戸惑いの声を漏らした。
クリスティーナ――、その名前はリオも聞き覚えがある。ベルトラム王国の第一王女と同じ名前だ。
クリスティーナ=ベルトラムといえば、かつて彼女の講師であったセリアだけでなく、リオとも少なからず接点のある人物である。
もちろん同姓同名の人物なだけである可能性もあるが、この地下空間で隠れるように暮らしていることを考えれば、確信めいた何かを感じずにはいられない。
リオはクリスティーナと呼ばれた少女に観察するような視線を向けた。言われてみれば、目の前にいる少女は、リオの脳裏にある数年前のクリスティーナの姿とどこか重なる。
(これは……また面倒なことになりそうだな)
嫌な予感を抱き、リオが小さく息をつく。
目の前にいる少女がクリスティーナ=ベルトラムだとして、何故こんな場所にいるのかは欠片ほどの興味もない――と言えば嘘になるが、個人的には捨て置いても構わない程度にどうでもいいことである。
いや、むしろどう転んでも面倒事の予感しかしないため、できれば以降の接触を完全にお断りしたいというのが本心だ。
しかし、今の状況で何の接触も持たずにこの場をやり過ごすのは、少しばかり無理がある。
背後にはベルトラム王国の貴族であるセリアがいるし、実家の隠し部屋に自国の王女が隠れていたとなれば、立場上、捨て置くことはできないだろう。
とくれば、自分は下手に出しゃばらず、判断と対応をセリアに任せるのが吉――、リオは瞬時にそう考えた。
幸いというべきか、クリスティーナはいつでも魔法を発射できるように手を構えているものの、人質にとられたヴァネッサを見て
すると、ヴァネッサは自分が足を引っ張っていることを察したのか、
「くっ……殺せ!」
と、悔しそうに口ずさんだ。
リオが呆れ顔を浮かべ、「そんなつもりはない」と口にしようとした、その瞬間。
ガタン。
今まで閉まりっぱなしだった扉の一つがおもむろに解放され、そこから十代半ばの少年二人が出てきた。
驚くべきことに、その人種的な特徴はリオも良く知る日本人と酷似している。
「……な、何ですか? いったい何が……」
寝ぼけ眼だった少年達だが、場の状況を把握しきれず、すぐに戸惑い顔を浮かべる。
リオは彼らの顔を見てわずかに目を見開いたが、
「全員動かないでください」
油断せず、すぐに牽制の言葉を口にした。
場に一触即発の張りつめた空気が流れる。
新たに現れた少年二人がごくりと唾を呑んだ。何だかよくわからないが不味い状態にあることは間違いない――、と、そう思って。
「セシリア、こちらへ」
「う、うん」
リオが後ろに下がっていたセリアを近くに呼ぶ。
「この場の判断は任せます」
「わかったわ。ありがとう」
真剣な顔つきで頷き、セリアがリオの背中からひょっこり顔を出した。そして、クリスティーナの顔をまじまじと見つめる。
すると、相手が第一王女本人だと確信したのか、ハッと表情を改めた。
「クリスティーナ様」
セリアが
「……誰?」
クリスティーナが頭上に疑問符を浮かべた。
「クレール伯爵家長女のセリアでございます。殿下、ご無沙汰しております」
セリアの発言により、目の前にいる薄紫髪の少女が、クリスティーナ=ベルトラム本人であることが判明した。
成長期を迎えたことでその美しさにはますます磨きがかかり、身体から
まさかの人物との対面に、リオが思わず渇いた笑みを浮かべてしまう。
他方で、セリアが素性を明かして敬意を示したことで、クリスティーナの表情から敵意が抜け落ちる。
「セリア先生ですか? その髪の色? それに、貴女は行方不明になっているはずじゃ? どうしてこちらに?」
クリスティーナが目を丸くして尋ねた。
「この数か月間、世を忍んで潜伏しておりました。騒ぎが落ち着いた頃合いを見計らい、父と密会すべくこの地下通路から屋敷に忍び込もうとしたのですが……」
と、セリアが真相を
その一方で、一触即発の状態が解消されたことを確認し、リオがヴァネッサの拘束を解いた。
「失礼いたしました。無礼をご容赦ください」
「いや、先に襲いかかったのはこちらだ。その、今は誰かに見つかるわけにはいかなくてな。すまない」
リオとヴァネッサが謝罪の言葉を送り合う。
その間にクリスティーナとセリアも情報のやり取りを行っていた。
「しかし、よく警備をかいくぐれましたね。捜索部隊が周辺をうろついているはずですが」
と、クリスティーナが驚きの念を込めて質問を送る。
「それはまぁ、大変でしたが何とか。それよりも捜索部隊ですか? まさか姫様の?」
「……ええ、城から抜け出してきたのですが、あいにく追っ手に追いつかれて身動きが取れなくなっている状態です。クレール伯爵家に多大なご迷惑をおかけしていますが、お許しください」
大変だったけど何とか侵入できたら苦労はしないのだが、クリスティーナはとりあえず話を先に進めることにした。
「いえ、姫様の一大事とあれば、是非もありません」
いまだ事情は呑み込めていないが、セリアがかぶりを振って応じる。
セリアの父であるクレール伯爵は、王族への忠誠心が高い親王派に所属している。アルボー公爵派ともユグノー公爵派とも異なるいわば第三の派閥だ。
今ではアルボー公爵の派閥に好き勝手されているはずだが、第一王女であるクリスティーナの危機に頼られたとあっては、父も
「貴女に心からの感謝を。どうか立ち上がってください」
「はっ、失礼します」
クリスティーナが語りかけると、セリアが立ち上がる。
それを確認し、クリスティーナが言葉を続けた。
「お互い色々と
言って、素性の知れぬリオに鋭い視線を向けるクリスティーナ。
「えっと、彼は……」
何と説明したらいいものか
「殿下、よろしければ手ずから自己紹介をする無礼をお許しいただけないでしょうか?」
リオが
「……構わないわ」
クリスティーナがこくりと首肯する。
「ガルアーク王国名誉騎士、ハルト=アマカワでございます。故あってセリア様の護衛を務めさせていただいております。以後、お見知りおきを」
リオが自己紹介をすると、クリスティーナとヴァネッサが目をみはった。
「ガルアーク王国の名誉騎士がどうしてこんな場所に……」
ヴァネッサがぼそりと呟き、
「その身分を信じるに足る証拠はあるのかしら?」
と、クリスティーナが問うた。
「こちらが陛下より
リオは
「ヴァネッサ、確認して頂戴」
クリスティーナに命じられ、ヴァネッサがリオの襟を確かめる。
「失礼する。……確かに。名誉騎士の徽章かはわかりませんが、ガルアーク王家の紋章が刻まれています」
「そう。いいわ。信じましょう」
そう言って、クリスティーナはリオを凝視した。
そして、何かしっくりこない感じで首を傾げると、
「貴方……、どこかで会ったことある?」
と、そう尋ねた。
「……いえ、そのような記憶はございませんが」
リオがしれっとかぶりを振る。見事なポーカーフェイスだ。
(姉妹そろって勘が良いな……)
リオは以前フローラにも同じ内容の質問を投げかけられたことを思い出した。
すぐ傍ではセリアがわずかに顔を強張らせ、
「殿下、立ち話もなんですし、席を改めて本題に移りませんか? 確かそちらがダイニングになっているはずですので」
と、即座に話題を変えようと動きを見せた。
クリスティーナがその提案に乗っかる。
「ええ、そうですね」
こうして、いったん場所を移すことが決まったタイミングで、
「ならば、私は席を外しましょう」
と、リオがすかさず申し出た。下手な機密でも知って身動きがとりづらくなる真似は避けたい――そう考えての行動だ。
だが、クリスティーナはリオに視線を向けると、
「いいえ、できれば貴方も席に加わってほしいのだけれど」
かぶりを振って、そう告げた。
「ですが、私は部外者なのでは?」
リオがささやかな抵抗を試みる。
さわらぬ神にたたりなし――、リオとしては迂闊に第三国の機密情報に触れて、半強制的に引きずり込まれることだけは避けたいところだ。
クリスティーナに他国の貴族であるリオに命令する権限はないが、この場はベルトラム王国の領土内である。国際関係を考慮すると、下手に波風を立てるのも上手くはない。
もっとも、今のクリスティーナが置かれている状況を踏まえれば、リオをどうこうできるだけの権力も影響力もあるとは考えにくいのだが。
「貴方がガルアーク王国の貴族で、その年齢で名誉騎士に叙任されるほどの人物であるなら問題はないわ。セリア先生が頼るほどの人でもあるみたいだしね」
そう言って、クリスティーナがセリアを見やる。
リオとセリアの関係についてそれとなく探りを入れているのだろう。
さて、どうしたものか――と、リオが
すると、リオの顔を
「……殿下。確かにハルトは信頼できる人物ですが、私の大切な恩人であり、面倒事に巻き込みたくはありません。聞いて引き返すことのできない情報をお話になるのであれば、彼が席を外すことをご容赦願いたいのですが……」
と、王族に物申す無礼を承知で、セリアが願い出る。
クリスティーナはわずかに目を丸くすると、
「すみません。私が軽率だったようですね。知られて困ることを話すつもりはありませんし、彼を無理やり面倒事に巻き込むつもりもありません。ただ、ガルアーク王国の情勢を知りたいんです。無論、教えていただける範囲で構いませんが」
苦笑を浮かべ、そう語ってみせた。
王族のクリスティーナにそう言われてしまうと、身分上、セリアがこれ以上強く出ることは難しい。
セリアは申し訳なさそうにリオを見やった。その視線に気づき、リオが極わずかに微笑む。
リオとしては今のやり取りで確認したかった事項を把握することはできたため、できれば遠慮したいという心情から、同席しても構わないという程度には心境が変化している。
「承知しました。であれば、私も同席いたしましょう」
心の中でセリアの援護に感謝しながら、リオがそう答えた。
「感謝します。では、移動しましょうか。ヴァネッサ、貴女も来なさい。と、その前に、ヴァネッサの紹介を忘れていましたね。先生はヴァネッサの事を……」
と、クリスティーナがセリアに水を向ける。
「はい。存じております。家の付き合いがございましたので」
「なるほど、先生のご実家とヴァネッサの家は同じ派閥に所属していますものね。じゃあ、ヴァネッサ。アマカワ卿に自己紹介をして差し上げなさい」
クリスティーナが命じると、ヴァネッサが「承知しました」と頷き、口を開いた。
「ヴァネッサ=エマールと申します。先ほどは失礼しました。改めて謝罪させていただきたい」
「エマールといえば、あの『王の剣』アルフレッド卿のご家族ですか?」
リオがわずかに目をみはった。現『王の剣』といえば、母の
「ええ、アルフレッド=エマールは私の兄です。兄のことをご存じで?」
「いえ、直接の面識はございません。ですが、この近隣で剣を
そう答えながらも、実はアルフレッドと会ったことがあるリオ。誘拐されたクリスティーナ達を助け、牢獄で尋問を受けていた時のことだ。もっとも、当時のリオは自分の会った相手がアルフレッドだと知りはしなかったが。
「そうか……」
ヴァネッサが少し誇らしげに、それでいて
「話が逸れてしまいましたね。申し訳ございません。私はハルト=アマカワと申します。先ほどは失礼しました。どうぞよろしく」
リオは胸元に右手を添えて、軽く会釈した。
そうして二人が自己紹介を終えたところで、クリスティーナが口を開く。
「それじゃ、行きましょうか」
一同が頷き、食堂がある扉に向かって歩き始める。
「あのぉ、俺達は……」
完全に放置されていた少年二人のうち、一人がおずおずと声をかけた。
クリスティーナは彼らを
「貴方達は部屋に戻っていいわよ」
あっさりとした口調で、そう告げた。
「あ、はい。わかりました」
質問をした少年が所在無さげにこくりと頷く。
「クリスティーナ様、彼らは?」
尋ねて、セリアがちらりと少年二人に視線を向ける。
「彼らは……。何というか、勇者召喚に巻き込まれてこの世界にやって来た者達です。詳しい事情を説明すると長くなるのですが……」
クリスティーナが
「なるほど。では、そちらも含めて、続きはダイニングの方で」
「ええ、そうしていただけると助かります」
今度こそ一同はダイニングルームへと向かい、リオも三人の背中を追った。
(妙なことになったな)
予想だにせぬ展開に移行しつつある現状に、リオは違和感にも似た奇妙な感覚を覚えていた。