第187話 邸宅見学と、沙月とセリアとの話し合い
ガルアーク王国に到着し、沙月と再会した翌日。リオはガルアーク王国の役人に案内されて、フランソワから下賜される邸宅を訪れていた。そのすぐ傍にはシャルロット、クリスティーナ、フローラに、沙月とセリアにリーゼロッテの姿もある。
場所は王城の近く。ガルアーク王国の有力貴族達が邸宅を構え、クレティア公爵家の王都別邸も近所にある貴族街の中でも一等地中の超一等地である。
こうして邸宅を下賜されることになった表向きの名目はクリスティーナやフローラを救う過程で色々と入手した有益な情報に対する恩賞であるが、これほどの土地にある邸宅を用意した辺り、フランソワがどれだけリオのことを高く評価しているかが窺える。
「まあまあ、なかなか良いお庭ではありませんか。天気の良い日にお茶会を開いたら楽しそう。ねえ、ハルト様。まずは外をぐるっと回ってみましょうか」
邸宅の敷地に入ると、シャルロットは庭を見回しながらリオとの距離を詰める。密着したというほどではないが、肩が触れあいそうなくらいにはスペースが埋まっていた。
「ええ、そうですね」
リオは接近に気づきながらも、特に意識した様子もなくシャルロットに応じる。夜会の時はもっと密着されていたし、この程度の距離の詰められ方ならまだ気にするまでもない。王族のシャルロットが相手ではあまり強く言えないし、下手に諫言すると面白がって余計に距離を詰めてきそうなので沈黙が吉と思っているのだろう。
沙月やリーゼロッテも夜会の時に積極的にリオと腕を組んでいた光景を目の当たりにしたからか、特に注意をすることもなくやれやれと小さく溜息をついている。とはいえ――、
(距離が近い……)
こういった光景を初めて目にするセリアからすれば驚きの事実だ。昨日と今日のやりとりでリオがシャルロットとも上手く関係を構築していそうなことには気づいていたが、まさか王族の立場にある少女がこれほど特定の男性に接近を許すとは思ってもいなかった。目を点にして、隣り合わせに歩く二人の後ろ姿を眺めている。
また、クリスティーナも親しげにリオに近づきだしたシャルロットの行動には意表を突かれたのか、わずかに目を見開いている。一方、夜会には出席してはいたフローラだが、ほぼ弘明と行動を共にしていてリオとシャルロットが二人でいる姿はあまり見かけなかったからか、あからさまに「えっ?」という表情を浮かべていた。
「ハルト君のことをお兄さんのように思っているみたいなんです、シャルちゃん」
沙月は微苦笑してセリア達に教えてやる。
「そうなのですか? お兄様でしたらミシェル王子とも仲がよろしかったと記憶していますが……」
と、クリスティーナ。仲の良い実の兄が他にいるというのに、血の繋がっていない男性を兄のように慕うとはいったいどういうつもりなのか。
「もちろんミシェルお兄様のことも実の兄として慕っておりますわよ」
シャルロットはきちんと話を聞いていたのか、振り返って話に加わる。
「では、どうしてアマカワ卿のことを実の兄のように慕っていらっしゃるのですか?」
クリスティーナはその真意を見極めるように問いを投げかけた。
「ハルト様には夜会の時に賊の襲撃から救っていただいたご恩もありますから。その雄姿を間近で見て、とても頼もしいお方だなと思ったのです。これほどの若さで歴戦の戦士をも難なく下すであろう武を修めてらっしゃるなんて、尊敬に値するとは思いませんか?」
シャルロットは手放しでリオを褒め称える。
「確かに、アマカワ卿くらいのご年齢でこれほど突出した才を示す人物などそうはいませんね。普通ならばまだ半人前、一人前になっていればそれだけですごいことです」
この世界における成人年齢は十五歳だが、そのくらいの年齢で特定の分野で一人前になれる人間などそうはいない。
「そうでしょう? それに、ハルト様は容姿端麗ですし、実に謙虚で紳士的でいらっしゃいますから」
シャルロットはふふっと悪戯っぽく笑って、自分の腕をリオの腕に絡める。
「……以前にも申し上げましたが、流石にこうして密着されるのは、周囲の方を勘違いさせてしまうのではないかと」
リオは流石に嘆息し、きまりが悪そうに苦言を呈した。
「勘違いさせておけばいい、とその時に申し上げましたわ」
と、シャルロットは可愛らしくうそぶく。
「ですが、お父上がご覧になったら良い顔をなさらないでしょう」
「それこそ問題ありませんわ。お父様は能力主義者なのです。もちろん権威も重視されますが、高い能力を持つ者のことを決して軽く扱うことはいたしません。この邸宅にだってサツキ様と遊びに行くよう仰っていたでしょう? 素敵なお家ですし、ハルト様がいらっしゃるのなら毎日、伺わせてもらおうかしら?」
国王であるフランソワの存在を持ち出すリオだったが、さらなる大義名分をシャルロットに与えるだけだった。すると、ここで沙月が言葉を挟む。
「こらこら、シャルちゃん、流石に毎日はハルト君に迷惑だと思うわよ」
「あら、その際はもちろん サツキ様も毎日ご一緒にと思ったのですが」
「ま、まあ、迷惑にならない範囲で付きあってはあげるけど……」
自分も一緒にと言われ、沙月は声を上ずらせる。節度を守れというのが彼女の主張で、リオの家が近所にあればやはり遊びに行きたいという気持ちはあるらしい。
「サツキ様にご一緒いただけないのでしたら、私が一人で毎晩、ハルト様のもとを伺うことになりますが……。いっそのこと、そのまま泊まらせていただくのも面白いかもしれませんわね」
シャルロットはそう語り、年齢にそぐわぬ蠱惑的な微笑みを浮かべる。
「だーかーらー、毎日はハルト君に迷惑になるから、加減はしなさいって言っているの。しかもなんで夜なのよ?」
「あら、男女同士が逢瀬を重ねる頃合いといえば、夜というのが古来より芝居や小説の習わしでしょう?」
「いや、それは恋愛のお芝居とか小説だから。それに、その前提だと私まで夜に会いに行くことになっちゃうじゃない」
沙月は気恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「ふふ、ですから冗談です。私は王女ですもの。流石に婚約者でもない異性の邸宅へ一人で足繁く伺うことはできませんわ。まあ、サツキ様がお望みとあらば、お付き合いするのもやぶさかではありませんけど」
「……もう」
シャルロットがうそぶくと、沙月は少しだけ唇を尖らせる。続けてリオと視線が合うと、つんとそっぽを向いた。
(シャ、シャルロット様は、クリスティーナ様やフローラ様とはまた違った雰囲気のお姫様なのね。まあ、まだ十四歳らしいし……)
リオを取り巻く勇者と第二王女のやりとりをじっと眺めていたセリアだったが、なかなかの天真爛漫ぶりを発揮するシャルロットの姿を見て引きつった笑みをたたえる。
流石のクリスティーナも苦笑交じりにやりとりを静観していた。ただ、フローラは蚊帳の外から少しだけ羨ましそうに沙月達のことを眺めている。すると――、
「シャルロット様はああいうお方なんです。王族であらせられながら型にはまらない柔軟な思考をお持ちですので、私も幼少のみぎりから今のサツキ様のように振り回されることがよくありました」
と、リーゼロッテが溜息交じりに、セリア達に語りかけた。
「あら、型にはまらない柔軟な思考というのなら、私よりもリーゼロッテの方がよっぽど型破りだと思うのだけど。王族である以上、所詮、私はお城というかごの中の鳥だもの。自分の意思ではこのお城の外にすら出られないわ。リーゼロッテみたいに各地を飛び回って、婚約相手を決める自由だってないし」
シャルロットはすぐに背後を振り返り、会話に加わる。
「あはは……」
リーゼロッテは下手なことを言ってつけいられる隙を晒したくないのか、笑みを取り繕って誤魔化した。
「リーゼロッテ様は婚約相手をご自分で決める自由があるのですか?」
と、小首を傾げるセリア。
「え、ええ。リッカ商会の商売繁盛やアマンド発展の功績を認められまして」
リーゼロッテは他の王女達からも注目を浴びると、少しバツが悪そうに首肯する。
「リーゼロッテったら、そのために我が国の王立学院を飛び級で卒業したんですよ」
「べ、別にそのためだけというわけでは……」
シャルロットに話を振られ、リーゼロッテはあははとたじろぐ。飛び級をするには単純に成績が良いだけでは認められず、特定の分野で突出した才能を示す必要があるので、誰にでもできることではない。というより、数年に一人いれば多い。
「そうそう、飛び級といえば、セリアさんもベルトラム王立学院を飛び級で卒業されたとか。それだけの功績があり、我が国にも伝え聞くほどに目覚ましい研究成果をお残しになっているのなら、婚姻の自由くらいは認めてもらえるのでは?」
ここでシャルロットはセリアに水を向ける。一般的に女性の貴族に婚姻の自由は認められていないが、優秀な成果を残している女性は例外的な取り扱いを受けることもある。
「一応、認められてはいました。ですが、国内情勢が大きく変化しましたし、今は国元を離れ、実家と連絡を取ることもできないので……」
「事情が事情ですものね。流石に今の状況でご両親のご許可を得ずに婚姻を結ぶわけにもまいりませんか。とはいえ、情勢が安定するのをいつまでも待つわけにもいきませんし、妙齢の女性がいつまでも結婚できないのも大変だわ。意中の相手もいるのでは?」
シャルロットはふむと唸って得心すると、セリアに問いかける。
「あ、いえ、それは、あはは……、ど、どうでしょう?」
セリアは一瞬だけリオに視線を向けて、すぐに視線をさまよわせ、しかる後、ぎこちなく首を傾げる。
「……なるほど。まあ、あまり詮索するのも無粋ですか。女性なら秘密の一つくらいあった方が魅力的に見えますからね。そうは思いませんか、ハルト様?」
シャルロットは実に面白そうにほくそ笑むと、再びリオの腕を掴み取って密着する。同意を求められたリオは、自然とその場にいる少女達から視線を向けられた。男一人という少しきまりの悪い状況で――、
「ええ、まあ」
リオはやや気まずそうに頷く。
「それはとても良いことが聞けました。今後の参考にさせていただきますね。っと、そろそろお庭をぐるっと一周するみたいですね。邸宅の中へ入りましょうか」
シャルロットはにこりと笑みを咲かせると、邸宅の中への移動を促す。それから、邸宅の中を確認して下賜される物件に問題点や不服がないことを確認すると、この屋敷は晴れてハルト=アマカワ所有の不動産となったのだった。
◇ ◇ ◇
そして、その日の晩。沙月はリオとセリアを私室に招き、三人だけで食事をとることになった。リオとセリアが隣に座り、沙月と向かい合う形で腰を下ろす。
「本当によろしかったんですか? 私までお邪魔してしまって」
セリアは料理の並んだ食卓に着くと、沙月に尋ねる。
「ええ、セリアさんはハルト君の恩人だって聞いたので、ぜひお話を伺ってみたかったんです」
沙月はにこりとセリアに応えた。すると――、
「実は沙月さんとセリアは一度、会ったことがあるんですけど気づきませんか?」
リオが会話に加わる。
「え? そうなの? なんか既視感はある気がしたんだけど、でも……」
沙月はセリアの顔を見つめて、訝しそうに首を捻った。
「夜会の最中に一度だけ、岩の家に来たことがあったでしょう? その時です」
岩の家で沙月が美春達以外で顔を合わせた人物は、セシリアと偽名を名乗っていたセリアと、アイシアしかいない。
「岩の家に行った時って……あっ! え、あ、えっと……、えっ、でも、髪の色が、それに名前もセシリアさんだったような……」
沙月はまじまじとセリアを凝視すると、すぐに思い当たったようだ。しかし、記憶の中のセシリアと目の前にいるセリアのビジュアルが異なるからか、戸惑っている。
「フランソワ国王陛下との会話でセリアが置かれている境遇にも簡単に触れられたでしょう? 覚えていますか?」
「ええ。ベルトラム王国で無理矢理政略結婚をさせられそうになったけど、クリスティーナ王女の指示で国を抜け出したって……」
「ここだけの話ですが、アレは対外的な説明で、保護していたのは俺なんです。沙月さんと会った時は説明をする時間もなかったので、一般に知られていない特殊な魔道具で変装していて、偽名を名乗ってもらっていました。ちなみに、俺の前世のこともセリアには簡単には伝えてあります」
と、リオはセリアにまつわる経緯や真相を説明した。
「そう、なんだ……」
セリアはよほどリオから信頼されているのだろうと、沙月は判断する。
「じゃあ、初めましてというわけでもないのか。なんだか不思議な気がしますけど……、改めてよろしくお願いしますね、セリアさん」
「はい、こちらこそ」
沙月とセリアは互いに少しだけはにかんで挨拶を交わす。その後はすぐに食事を開始して、しばらくは和やかに歓談が繰り広げられることになる。
そうして、一通りの料理を食べ終えると――、
「ハルト君の前世を知っているのなら、セリアさんも一緒に話をしたいことがあるんだけど……。もちろんハルト君がよければ、だけど」
沙月がセリアを見やりながら、話を切り出した。
「なんでしょう?」
と、リオ。
「美春ちゃん達のことよ」
沙月はきっぱりと告げる。
「……ですよね。セリアになら、構いませんよ」
薄々と予想はしていたのか、リオは苦笑して同意した。
「じゃあ、早速だけど……、セリアさんは美春ちゃん達がハルト君の前からいなくなったことについて、どう思っていますか?」
と、沙月はセリアに問いかける。
「……私はその時にお城にいたわけじゃないし、ハルトからも何があったのか詳しく話を聞いたわけじゃないんだけど……」
セリアはそう語りながら、思案顔になって――、
「アキとマサトにとって、セントステラ王国の勇者様はお兄さんなんだし、特にアキはお兄さんと一緒にいたがっていたから、付いていきたいと考える理由についてはなんとなくわかる……かな」
と、言葉を続けた。
「そう、なんですけど……」
沙月はそれだけでは納得がいかないらしい。
「それに、勇者のサツキ様はもちろん、貴族になった今のハルトの立場なら、また会えるんでしょう? 寂しくはあるけど、王侯貴族の世界に飛び込んだ以上は四六時中一緒にいられなくなるかもしれないことも当人達もわかっていただろうし、今生の別れというわけでもない。なら、本人達の選択を尊重してあげたいと思うわ。離ればなれになった家族と会いたいという気持ちは、私にもわかるし……」
と、セリアが唸りながら自分の考えをより詳細に述べていくと、沙月は次第に訝しそうな顔になり始めた。
「ハルト君ならまた会える、今生の別れ……? ねえ、ハルト君。もしかしてキミ、肝心なところは何も説明していないんじゃないの?」
沙月はジロリとリオを見やる。
「何をもって肝心とするかによるとは思うんですが……」
リオはバツが悪そうに視線を逸らした。
「どういうことなの?」
セリアは疑問符を浮かべて質問する。
「美春ちゃん達、私にもハルト君にも黙って、いなくなっちゃったんですよ。しかも、ハルト君にはもう会えないって伝言を残して」
沙月は簡潔に当時の出来事を教えてやった。
「えっ、そうなの!?」
セリアは唖然とし、どういうことなのかとリオを見やる。
「その、当時はセリアもご実家のことで悩んでいたので、あまり悩ませるようなことは教えたくなかったといいますか……」
リオは少し後ろ暗そうに、セリアに答えた。
「また貴方はそうやって……。言ってよ、ミハル達は私の友人でもあるんだから。貴方ともう会えないって、どういうことなの?」
セリアはもどかしそうな歯噛みし、リオにさらなる説明を求める。もっとも、セリアはセリアでリオのことを気遣って深く詮索する真似をしなかったり、大事なことをリオに訊かれるまではなかなか言いださなかったりするので、似た者同士ではある。
「キミの口からちゃんと説明してあげるべきだと思う」
沙月はじいっとリオに視線で訴えかけた。
「………………わかりました」
リオはたっぷり逡巡すると観念したのか深く息をつき、夜会の開催期間に何があったのかをセリアにも教えることにした。
前世で美春と幼馴染みだったこと、亜紀は幼少期に離ればなれになった妹だったこと、夜会で美春に告白したこと……。
そうして、一通りの説明を終えると――、
「な、なるほど……」
夜会の間にリオが美春に告白したと聞いて衝撃を受けたセリア。だが、他にも色々と衝撃的な事実の連続で、とりあえずは相槌を打つ。すると――、
「ここしばらく魔道船の運行が休止されていて、セントステラ王国へ行くことはできなかったけど、王様の話だと近いうちにガルアーク王国の魔道船の運行を再開するみたい」
沙月が不意に口を開いた。
「……それで?」
リオはじっと沙月を見据えて先を促す。
「ハルト君も私と一緒にセントステラ王国に行かない? 先に使者を送って了承を得る必要はあるみたいだし、早くても何週間か先にはなるだろうけど……」
沙月は自分と一緒にセントステラ王国へ向かわないかと、リオを誘う。
「残念ながら」
リオは静かにかぶりを振った。
「私、けっこう待ったのよ。美春ちゃん達がセントステラ王国へ向かって、魔道船の運行が休止されている間、ずっと待っていた。で、出鼻をくじかれたわけだけど、一人で色々と考えた。キミがあちこち移動している間にね」
沙月はそう語ってジト目でリオを見つめる。
リオはきまりが悪そうに笑みを取り繕った。
「私ね、やっぱり美春ちゃん達は何の理由もなく、お世話になった人の前から勝手にどこかへ消えるような子じゃないと思うの」
「私もそう思う」
と、沙月が語り、セリアがすかさず同意する。
「……そうですか」
リオは少しだけ寂しそうな顔で相槌を打つ。
「そうですかって……。あのさ、キミだって本当は私と同じように思っているんじゃないの? 美春ちゃんがそんな失礼な真似をするような子に思える? キミは美春ちゃん達のことを信じていないの?」
沙月は言い逃れを許さないと言わんばかりに、リオの顔を直視した。
「その訊き方は少し卑怯じゃありませんか?」
リオは微苦笑して訊き返す。
「だって、そう思うんだもの。特に美春ちゃんとは中学時代に同じ生徒会役員だったこともある。あの子がどんな子なのかを理解して、その上で私から役員になってくれないかってお願いした。だから、あの子がどんな子なのか、理解はしているつもりよ」
と、沙月は毅然と語り――、
「ハルト君のことだってそう。まだとても短い付き合いだけど、この世界でどんな生き方をしてきたのかもわからないけど、これまでに私達のためにしてきてくれたことを見れば、キミがどんな人間なのかはよくわかる」
立て続けに、そう語った。
「大した人間ではありませんよ」
リオは自嘲気味に答える。
「……美春ちゃん達がいなくなった直後に話した時にも思ったんだけど、ハルト君って謙遜しているわけじゃなくて、やけに自己評価が低いよね」
「特別に低く見ているつもりはありませんが……」
「だから質が悪いのね」
沙月は大きく溜息をつくと、リオの顔をじっと見つめる。
「あはは……」
セリアは沙月の発言に共感するところがあったのか、苦笑した。
「話が脱線している気がするんですが」
リオは居心地が悪そうに、話を逸らす。
「そうね。美春ちゃんが恩人であるキミに黙ってどこかへ消えるような子だと思うのか、キミは美春ちゃん達のことを信じていないのか、聞かせてほしい」
「……以前にも似たような質問を受けましたけど、信じていますよ。美春さんはとても義理堅くて、優しい人だと」
沙月にじっと見据えられると、リオは観念して答える。
「その上で納得しているって、キミは言った。時間が経った今でもそうなの?」
「ええ、そうです」
リオはこくりと頷く。
「じゃあ、美春ちゃんのことはもう好きじゃないの?」
「嫌いなわけがないじゃないですか。ただ……」
「ただ?」
沙月とセリアはじっとリオの発言を待つ。
「今の気持ちはもう、恋愛感情とは違います。彼女が幸せなら、別にそれでいい」
と、リオは割り切ったように言う。美春に振られたことで、自分は未練を捨てきることができた。だから、復讐の道を突き進むことができたのだ。もしもあそこで美春と結ばれていたら、リオは手がかりを掴んでもルシウスのもとへ向かっていたかどうかはわからない。
「…………」
沙月とセリアはもどかしそうに唇を噛んだ。
「二人とも、そんな顔はしないでください」
と、リオは沙月とセリアに呼びかける。
「……いつもこうなんですか、彼って?」
「うん。自分のことを多く語らない子だから……」
「苦労していそうですね、セリアさんも」
「あはは……、でも、リオにはたくさんお世話にもなっているから」
沙月が大きく嘆息すると、セリアは半ば諦観を帯びた笑みを覗かせた。
「……いいわ。私のすることに変わりはない。私は魔道船の運行が再開され次第、セントステラ王国へ向かうわよ。もちろん、不本意だけど、キミとの約束はちゃんと守るから、安心して」
と、沙月は不服そうに告げる。約束というのは、沙月の側からリオに関する話をしないというものである。美春達がガルアーク王国をたった後に、リオと沙月の間で交わした取り決めだ。ただ、納得はしかねているのか、唇を尖らせている。
「ありがとうございます」
と、リオは少し気まずそうに礼を言う。
「でも、キミは今後、どうするつもり?」
「どうするつもりとは?」
「今後の予定よ」
「……とりあえず明日はリーゼロッテさんとも個人的にお会いする予定で、ガルアーク王国での滞在を終えたらロダニアで所用を済ませて、その後は一度、
リオは今後の予定を沙月に教える。
「ハルト君、妹さんがいたんだ……」
沙月は少し意外そうに呟く。セリアは知っていたので、特に驚いてはいないが、あまり詳しい話を聞かせてもらったことはないので、かなり興味はあるらしい。
「義理のですけどね。俺なんかに兄が務まらないくらい、良い子です。あとは祖父母や従姉もいるので、そちらにも顔を出してみようかなと」
リオはラティーファ達のことを思い出したのか、ここでようやく柔らかい顔になった。
「わかっていたつもりだけど、ハルト君はこの世界で生まれ育った人間なんだよね。だから、この世界に家族がいる」
と、沙月は悩ましそうに唸りだす。
「ええ。でも、それがどうかしましたか?」
リオは不思議そうに沙月の顔を覗き込んだ。
「美春ちゃん達がいなくなった直後に、ハルト君、言っていたよね。今の自分は肉体的に全くの別人で、価値観もだいぶ変わってしまった。だから、今の自分が天川春人と同一の存在だったのか自信が持てないって」
と、沙月が語ると――、
(そんなことを思っていたんだ……)
セリアはリオの秘められた内面を知り、瞠目する。
「……ええ、よく覚えていますね」
リオはリオで沙月が事細かに会話の内容を覚えていたことを知り、感心しているようだ。
「それだけ私にとっては重要な出来事で、君の発言も印象的だったからよ。ハルト君が自分のことを変わってしまったと思っているのって、つまりはこの世界でキミが体験してきた出来事がそうさせているのよね?」
「……まあ、そうなるんでしょうか」
と、リオはおもむろに頷く。沙月の考察は当たり前の発想だが、普通ならあえてそこに触れて、他人の内面に踏み込もうとはするまい。それだけ沙月がリオという少年と真摯に向き合おうとしていることが窺える。
「恨んでいる人がいるって、昨日、王様や私がいる前で言っていたよね? そのこともキミの価値観が変わってしまったことと関係しているの?」
沙月はリオの顔色を窺い、恐る恐る尋ねた。
「……そうです。あの場ではあえて表現を濁しましたが、復讐をしようとしていたんです、俺は。いや、復讐を果たしてきたといった方が正確ですね」
リオはそう言って、自らを卑下するように少しだけ嘲笑する。
「っ……」
ある程度は予想していたのか、沙月はギュッと口を閉じて感情を押し殺す。
「正当防衛でもなんでもない。ただの私怨で、俺は人を殺してきました。日本なら殺人犯です。日本人として常識的な感性を持ち合わせている人なら、社会的に後ろ指を指されて然るべき犯罪者だと考える行いでしょう?」
「……」
沙月は押し黙ってしまう。日本社会の常識や風潮を前提に議論するのなら、そんなことはない、とは言えなかった。
「復讐以外で人を殺したこともあります。襲ってくる相手がいれば、自分を守るために相手を殺すことも手段に入れます。そんな人間とは相容れないと、日本で生まれ育った沙月さんなら思うんじゃないでしょうか?」
自分を守るために人を殺す。職業軍人や冒険者など、この世界で荒事を生業とする人間なら当然の選択肢として検討対象に入るが、日本人にとってはそうでない。そう思ったからこその、今の自分と天川春人は異なる存在だというリオの発言だったが――、
「それは違う! 少なくとも私はキミを軽蔑していないから!」
と、沙月は叫んで訴えた。
「……」
リオは少し驚いたのか、目を見開く。
「……ここは日本じゃないから。治安がすごく悪い世界だろうから、日本の常識は通じない。そのくらいは私もわかっているのよ。もちろん、だからといって今の私に人を殺せるとは思えないけど……」
と、沙月は言って――、
「けど、だからといって、ハルト君のことを軽蔑なんかしない。ハルト君がいなきゃ、私は美春ちゃん達と再会することはできなかったから。強く感謝してる。それに、ハルト君がした行為はこの世界では別に犯罪になる行為じゃないんでしょ?」
そう、言葉を続けた。
「……ええ、正当防衛が成立する条件は日本よりもだいぶ緩いですし、都市の中はともかく、都市の外での出来事には基本的に為政者もノータッチですから」
加害者や被害者の身分によって例外が生じることはあるが、例えば街道で野盗に襲われたから反撃して殺したと衛兵に言えば「災難だったな」くらいで終わってしまうだろう。都市の中で殺人事件が起きた場合も、為政者の方針にもよるが、周囲の目撃証言から正当防衛が成立することが明らかな場合は、裁判をするまでもなく解放されるケースもある。
リオの場合はフローラを救うという大義名分があった時点で、ルシウスを殺した行為は完全に正当化された。というより、自国にとって厄介な国際問題に発展しかねない事件や自国で指名手配を受けている悪質な犯罪者でもない限り、わざわざ自国の領域外で起きた事件を立件しようとする国などない。
「だったら、胸を張りなさいよ。ハルト君はこの世界の常識で後ろ指を指される生き方をしているわけじゃないんでしょ。キミの話を訊く限り、王女様を救う大義名分があったとはいえ、復讐はいけないことなんだと思っているんだろうけど……、その感性はすごく大事だとは思うんだけど……。なんというか……、ああ、もう、とにかく胸を張りなさい。私は貴方のことを軽蔑なんかしないし、貴方の在り方は尊重できるって思うから!」
沙月は上手く自分の意見を言語化できなかったのか、語っているうちに熱くなって結論だけ提示した。奇しくもその発言の趣旨は以前にリオがセリアに復讐のことを打ち明けた時に言ってくれた言葉と同じである。
「私もつい最近に同じようなことを言った気がするけど、サツキ様と同意見よ、リオ。貴方のことを軽蔑なんかしないし、貴方の在り方は尊重しようって思っている。生まれ変わる前の貴方のことを知っているわけじゃないけど、今の貴方だって立派よ。少なくとも私にとってはかけがえのない恩人で、大切な人」
セリアは胸元に手を当て、リオに呼びかけた。
「…………ありがとうございます、二人とも」
リオはきゅっと唇を噛みしめていたが、やがて力を抜き、フッと口許を緩めて礼を言う。
「な、何を笑っているのよ、真面目な話をしているのに……」
沙月は気恥ずかしそうに頬を紅潮させ、そっぽを向いた。
「すみません」
と、リオは素直に謝罪する。
「ふふ」
セリアはくすくすと微笑した。一方、沙月は依然として気恥ずかしそうに頬を紅潮させているが、ちらりとリオに視線を向けると――、
(ハルト君は日本人だった頃の感性を持ち合わせながら、日本人の感性とかけ離れた価値観も併せ持ってしまった。だから苦しんできたんだね。だから自分の評価がすごく低いんだね。美春ちゃんのことに関して諦めがよすぎる理由もわかった気がする)
と、考えた。美春のことを好きと告白しておきながら、どうせ自分なんかとはいない方が美春のためだと心のどこかで思っていたのだろう。だから、普通なら納得がいかない顛末でも簡単に納得してしまっている、と。それは日本人でありながらこの世界に転移してしまった沙月だからこそ推察できた視点だ。
「不器用な人だとは思っていたけど、私が思っていた以上に不器用な人なのかもしれない、ハルト君って」
沙月は大仰に溜息をつく。
「あはは、そう……ですかね」
「そうよ。だって、まだ美春ちゃん達と会うつもりはないんでしょ?」
「……ええ、まあ」
リオは気まずそうに首肯する。
「ほらね」
不器用な証拠じゃない、と言わんばかりに沙月は再び嘆息した。そして――、
「セリアさんから何かハルト君に言っておくことありますか?」
と、セリアに水を向ける。
「……ハルトのこと、もっと聞かせてほしいかな。前世のことも、この世界で体験してきた私が知らないハルトのことも。その、普段はなかなか話してくれないし……」
普段は遠慮して訊くことができないから――と、そこまでは口にはしなかったが、セリアはこの機会に勇気を振り絞ってリクエストした。もしかしたら、つい先ほど、リオが美春に告白をしたという話を聞いたことも影響しているのかもしれない。
「あっ、それは私も聞きたいです。こういう機会でもないとハルト君からは何も教えてくれなさそうだし」
沙月も乗り気で便乗する。
「俺の話……」
「なんかしても面白くないっていうのは禁止よ? それを決めるのは私達なんだから。面白いかどうかはともかく、ハルトの話を聞きたいの」
リオは辞退しようとしたが、セリアが言葉を被せてそれを封じた。
「ははは……」
と、具合が悪そうに笑うリオ。それを見て、沙月はくすりと笑う。
「流石、ハルト君のことをよくわかっているんですね。セリアさんとはまた改めて二人きりでハルト君のことを話してみたいです。どうですか?」
「はい、私でよろしければ喜んで」
セリアは沙月の誘いを嬉しそうに承諾した。それから、リオはセリアと沙月に自分の前世と今世にまつわる話を色々とせがまれることになる。それを断りきれず、リオは二人から寄せられる質問に受け答えることになったのだった。
今年は「精霊幻想記」が『このライトノベルがすごい!2018』で読者票(HP票)4位にランクインさせていただくなど、貴重な経験を積ませていただいた一年でした。誠にありがとうございます。