第188話 天川春人(あとがきに世界地図を追加)
お城の尖塔最上階にある沙月の部屋で、セリアも交えて一緒に晩御飯を食べた翌日の午前中。
リオは国王フランソワから下賜された邸宅へと一人で(正確には霊体化したアイシアと二人で)赴いていた。どうやら昨日のうちに必要な家具が搬入されたらしく、今日からでも暮らすことが可能だと聞いてそれならばと足を運んでみることにしたのだ。
現状、リオには家臣が一人もいないし、屋敷に仕える使用人もいないので、広々とした屋敷の中はもぬけの殻である。
「ここなら実体化しても大丈夫だよ、アイシア。一緒に見て回ろうか」
と、リオが屋敷のリビングで声をかけると――、
「うん」
アイシアはスッと実体化して返事をした。
「最近はなかなか実体化できる時間を作ってあげられなくてごめんね、アイシア」
人目がありそうな場所では基本的に霊体化してもらったままなので、なかなかアイシアが実体化できる機会がなかったのだ。
「私なら大丈夫」
久しぶりに聞いたアイシアの生声はいつも通り静かで、心地よく響いた。
「今日はこの家にいようか。来客が来ない限りは二人でいられるから」
「うん」
「なら、とりあえず家の中を案内するよ。俺も改めてよく見ておきたいからね」
そうして、久々に二人だけで行動をすることになる。シャルロットに案内された際にも一通りの造りは確認したが、一つ一つの部屋を改めてじっくりと見て回ることにした。
「大きい家だね」
アイシアは通路を歩きながら、ぽつりと言う。
「だね。必要な家具もすべて設置済みだし」
至れり尽くせりだった。家具だけで金貨何枚するんだろうかと、つい考えてしまうほどに。
「ここには私と春人だけで住むの?」
「そうなるかな。現状、家臣を召し抱えるつもりはないし、使用人を雇うつもりもないから。まあ、ほとんど留守になるだろうけど」
とはいえ、ガルアーク王国に滞在している間は、ここが拠点になるのだろう。
「セリアはこの家に住まない?」
「先生……セリアは他国の貴族だからね。ロダニアで仕事があるだろうし」
「そう」
「滞在中に泊まってもらったり、遊びに来てもらう分には問題ないと思うよ。今日は王女殿下姉妹と一緒にガルアーク王国の学院に視察へ向かっているみたいだから。また誘ってみようか」
「うん」
アイシアはこくりと首を縦に振る。こうして穏やかに会話を交えながら、屋敷の中を巡る。部屋数が多すぎるから使う部屋をいくつか決めて、そこだけ手入れをすることになりそうだという話をしつつも、浴室には浴槽を設置しようと決めた。
「さて、お昼にはまだ少し早いし、次は庭でも見る?」
「うん」
家の中をあらかた見終えると、庭へ出てみようという話になる。王都の貴族街には国中の貴族達が居を構えている関係上手狭だが、それでもちょっとした散歩ができるくらいには広々としている。天気が良いから日なたぼっこするのもいいだろう。
そうして家の外に出て、庭をぐるっと歩き回る。リオはもともと口数が多い人間ではないし、アイシアは寡黙なので会話は少ないが、沈黙が続いても少しも気まずさはない。実に自然体だった。
一通り歩いて庭の池の側に置いてあったベンチに二人で腰を下ろすと、ぼんやりと庭の景色を眺める。すると、しばらくして――、
「誰か来た」
アイシアが不意に口を開き、屋敷の門へと通じる道を眺めた。
「ん、本当だ。来客かな? ごめん、一応、姿を消してくれるかな?」
リオは立ち上がり、アイシアへ指示を出す。
「わかった」
アイシアは頷き、そのまま霊体化してしまう。リオはそのまま門へと向かい、敷地の外にいる人物を確認する。
そこには一台の馬車があり、門の前には公爵令嬢のリーゼロッテと侍女のアリアの姿があった。門の前には兵士すらいないので、どうやって中にいるリオへ訪問を伝えようか悩んでいたのかもしれない。
「これは、リーゼロッテ様」
リオは門へと近づき、自分からリーゼロッテに声をかけてみた。
「ハルト様、もしかしてこれからお出かけ、ですか?」
リーゼロッテはリオの方から出てきたことに驚いたのか、目を丸くして尋ねる。
「いえ。ちょうど屋敷の庭で日光浴をしていたら、門の方に人の気配がありましたので」
「な、なるほど……」
気配を頼りに来客を出迎えるとは、なんという門番いらずか。リオが姿を現す直前にアリアも「いらしたようですね」とリオの気配に気づいてはいたが、リーゼロッテからすれば雲の上の行いである。
「それで、何かご用でしたでしょうか?」
と、リオはリーゼロッテに用向きを尋ねる。
「突然、申し訳ございません。お城へ参上したところ、ハルト様がこちらのお屋敷にいると伺ったものでして。お時間がおありでしたら、少しお話をさせていただけないでしょうか? 無論、ご都合が悪ければ日を改めて伺います」
リーゼロッテは小さく深呼吸をすると、用件を切り出した。その眼差しはリオの顔色を窺うように向けられており、表情は微かに緊張しているようにも見える。
話と聞いてリオが真っ先に連想したのは、以前にリーゼロッテが自分から切り出した前世に関する話である。
――つかぬことを伺いますが、アマカワ卿は、ハルト様は、前世というものを信じますか?
国を飛び出したクリスティーナ達を連れてアマンドにある彼女の邸宅へ立ち寄った時のことだ。リーゼロッテはリオにそう尋ねた。結局、その時はリーゼロッテが自分の前世を打ち明けることも、リオが自分の前世を打ち明けることもなかったのだが――。
――また機会があれば。
前世に関する話をまたしたい。リーゼロッテはそう言っていた。だからだろうか、こうしてリーゼロッテが姿を現した話の内容が、十中八九、前世に関することだろうという予感があった。
「……承知しました。何もない屋敷ですが、それでもよろしければどうぞ中へ」
リオは柔らかく相好を崩し、快くリーゼロッテを歓迎する。
「恐れ入ります。アリア、じゃあ貴方は外で待機していてもらえるかしら? ハルト様と二人だけでお話をしたいから」
リーゼロッテはぺこりと頭を下げると、傍に立つアリアに語りかけた。側近の従者は主人が求める限り訪問先でも身近に付き従うのが一般的な取り扱いだが(ただし、その場合でもホスト側は従者を客人としてもてなす必要はない)、そうでない場合は居場所がなくなるので適当な場所で待機させておくのが無難な取り扱いである。
「畏まりました」
アリアは粛々とこうべを垂れるが――、
「話が長引くかもしれませんし、家の中に部屋が余っておりますので、アリアさんはそちらで待機していてください。御者の方は馬車の管理をする必要があるでしょうから、車庫に併設されている門番用の小屋をお使いください。門の横に車庫がございますので、そちらへ」
と、リオはすかさず申し入れて、門の脇にそびえる車庫を手で指し示した。
「お心遣い、痛み入ります。では、アリア、付いてきなさい」
「はっ」
そうして、アリアもリーゼロッテと一緒に屋敷の中までは付いてくることが決まる。まずはリーゼロッテを応接室へ案内し、続けてアリアのことは待合室へと案内した。そのままキッチンへ向かうと、ものの数分でお茶とお菓子を用意する。
「では、アリアさんはこちらでお待ちください。よろしければお茶とお菓子をどうぞ」
リオは先にアリアが控える待合室を訪れると、お茶とお菓子が乗ったトレイを机の上に置く。
「……私などに、このような歓待はもったいないことでございます」
まさかお茶とお菓子まで用意されるとは思っていなかったのか、アリアは二度、三度ぱちくりと目を瞬いて言った。
「リーゼロッテ様にお茶とお菓子をお出しするついでですので、お気になさらず。アリアさんはセリアのご友人ですから。無下に扱うわけにもまいりません。お菓子は作りすぎて余っているので、たくさん召し上がっていただけると嬉しいです」
「お心遣い、誠に痛み入ります」
アリアは深々とリオに頭を下げる。
「それでは、リーゼロッテ様をお待たせするわけにもまいりませんので、私はこれで。ポットの中のお茶はちょうど飲み頃のはずですので。スプーンで軽く混ぜてください」
リオはそう言って、すぐに退室してしまう。アリアは一人待合室に残されると、机の上に置かれたお茶とお菓子に目線を落とした。お皿の上には実に美味しそうなお菓子が並んでおり、ついつい口許がほころんでしまう。
「では、ありがたく」
アリアはそう呟いて、ポットの蓋を開けた。中では茶葉がまだジャンピングしており、実に心地よい香りが立ち上ってくる。
そんな香りをしばし堪能すると、カップを手に取った。お茶が冷めてしまわないようにカップもきちんと温められている。そうしてカップにお茶を淹れると、いよいよ口に含む。
「……素晴らしい」
お茶の淹れ方にはこだわりのあるアリアだが、リオが淹れたお茶は非の打ち所がない。使っている茶葉は実に質が良く、淹れ方も完璧である。これが執事か侍女の採用試験なら、文句なしに採用していたかもしれない。
そのまましばし多幸感の余韻に浸り、ほうっと感嘆の息をつくと、アリアは皿の上のお菓子に手を伸ばす。おそらくは自家製で、口に含んだ瞬間、押し寄せる幸福感。
「素晴らしい……」
重ね重ねしみじみと呟いたアリアの言葉が、静かな待合室の中に響いた。
◇ ◇ ◇
リオはアリアに給仕を終えると、今度はリーゼロッテが待つ応接室へと足を運ぶ。まずは給仕をしてお茶を差し出すと、下座に腰を下ろした。
リーゼロッテはやはり少し緊張しているのか、その表情は微妙に固く、口数も余り多くはない。
「お待たせしました。では、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
リオは自分から話を振った。すると――、
「……以前、ハルト様がクリスティーナ様を保護されてアマンドへお立ち寄りになった際に、私からお伝えしたお話は覚えていらっしゃいますか? 前世というものを信じますか、と」
リーゼロッテは一瞬だけまつげを伏せて、少しだけ語気を弱めに語りだす。
「ええ。覚えておりますよ」
リオは小気味よく返事をした。
「その時、私は前世を信じると申し上げました。それには理由があるんです。突然の世迷い言に困惑していることと存じますが、もしハルト様も前世の存在を信じられているのであれば、私の話をお聞きいただけないでしょうか?」
そう語るリーゼロッテの声からは緊張が読み取れるものの、確たる決意も感じられる。
「……承知しました。お聞かせください」
リオは胡散臭そうな顔をせず、真面目な面持ちで頷く。
「私には、前世の記憶があります」
リーゼロッテは硬い声で告げた。リオの顔をまっすぐと見つめ、その表情に変化がないかを窺っている。だが、リオもそう簡単には内心を見抜かせない。
「信じましょう」
リオはリーゼロッテを直視して応じる。すると、リオを見つめ返していたリーゼロッテの瞳に、微細な驚愕の光が灯った。
「どうして、ですか?」
どうして、こんなにあっさりと信じてくれるのか? リーゼロッテは期待を込めて問いかける。
「リーゼロッテ様のことはこの国の王侯貴族の中で一番に信用しておりますので」
「……ありがとうございます」
期待していた直接の答えとは違っているのか、リーゼロッテは少しもどかしそうに顔を曇らせるが、同時に少し照れくさそうに礼を言う。
「以前、夜会の開催期間に私が名誉騎士に叙任された直後に、リーゼロッテ様とリッカ商会が抱える秘密に関して少しだけお話をさせていただきましたよね」
「はい」
その時は美春達がリッカ商会の商品名が地球の言葉と同じであることに気づいていることを伝え、リーゼロッテとはこれから先も懇意にしたいと打ち明けて、その上で秘密に関して他言はしないと話をした。
リーゼロッテの側から秘密を知りたくはないのかと探りがあったが、リオからは踏み込まずに現状維持を選択したのだが――、
「リーゼロッテ様に前世の記憶があることが、リッカ商会の製品が抱える秘密そのものというわけですね」
今日のリオは自分から踏み込んだ。場合によっては、というより、もうほとんどリーゼロッテに自分の前世のことを伝えていいとすら思っている。
「その通りです。この世界の言葉を学ばれた美春様達がリッカ商会の商品を知って驚かれたのは当然ですね。私は美春様達と同じ世界で生まれ育った記憶がある。その記憶を頼りにリッカ商会で様々な商品を開発していたというわけです。ですが、美春様達からこの話を聞いていたのなら、可能性としてハルト様は私に前世の記憶があることを踏まえておられたのでは?」
「……ええ。あるいは、美春さん達のような方々をリーゼロッテ様が保護されていて知識を提供させているか、美春さん達の世界のことが記された書物でもお持ちなのではないかといった線も考えておりました」
「では、あの時、あえて真相に迫ろうとしなかった理由をお聞かせいただくことはできないでしょうか?」
リーゼロッテはじっとリオを見つめて尋ねた。
「リーゼロッテ様からすれば美春さん達は商売敵にもなりかねい存在ですからね。無理に秘密を知ろうとすれば、脅しをかけているようにも捉えかねられない。だから、他言する気はないことを伝え、リーゼロッテ様と懇意にしたいという気持ちを強調するだけに留めておきました。実際、美春さん達は商売をする気はなかったので」
「……ご配慮、痛み入ります。ですがそれは、少なからず警戒の念もあった、ということでしょうか?」
「直截的に申し上げるのならば、そういった懸念もありました」
と、リオは包み隠さずに告げる。
「然様でございますか……」
リーゼロッテは苦いものを飲み下すように唸る。出会ってからさほど時間は経っておらず、お互いの信頼関係の形成が不十分であった以上は、どちらかが歩み寄ろうとしない限り、警戒して然るべき状況ではあった。ただ、リーゼロッテとしてはその時に勇気を出して歩み寄っておけばよかったのかもしれないという思いがあり、胸が詰まりかける。
「ですが、先ほど申し上げた通り、リーゼロッテ様のことはこのガルアーク王国の王侯貴族の中で一番に信用しております。だからこそ、お尋ねしたい。どうしてリーゼロッテ様は、私にご自身の秘密を打ち明けてくださろうと思ったのですか?」
リオはストレートに自分の心情を表明し、その上で核心となる問いを発した。
「……ハルト様にも、前世の記憶があるのではないかと思ったからです」
リーゼロッテは緊張で微かに表情を強張らせながらも、意を決したように答える。
「なぜ、そうお思いに?」
リオの声はあくまで悠然と響いた。
「心当たりがあったからです。私がこうして生まれ変わったのなら、私が死んだ交通事故で一緒に亡くなった方々が生まれ変わっていたとしても不思議ではない。その一人が貴方だと、ハルト様の名を知り、アマカワという家名を聞いて、確信に近い思いを抱きました。ただ、いざ目の前にすると踏ん切りはつかなかったのですが……」
そう語るリーゼロッテの声からは複雑な思いが読み取れる。一方――、
「私の家名と名前を聞いて、ですか……」
リオはわずかに目を見開き、驚きを示す。唯一、予想の範疇にない事実がリーゼロッテの口から語られたからである。それは、すなわち――、
「私が想定する人物と前世の貴方が同一人物であるのなら、私は前世の貴方のことを知っているんです、ハルト様。いえ、天川春人さん」
リーゼロッテは磁力に吸い寄せられるように、真正面に座るリオを凝視した。
ご要望に合った作中舞台の大陸地図です。ペイントを使用して手書きで作成した関係上、従前に作成したシュトラール地方一部の地図と細部の形が異なっているかもしれませんし、大陸全体を描写した関係上、細かな情報は記載されていません。また、書籍版を含めて今後、地理設定に変更が生じる可能性もあるので、その旨もご了承ください。Web版の作中描写と矛盾した際は修正のために取り下げる場合がございます(未開地はもう少し横に広くなるかもです)。
追記:説明線と文字なし版も載せてほしいとリクエストがあったので、掲載します。ただ、パソコンを使ってイラストを描いたことがなく、描くのに全神経を使っていて途中で画像を保存しておりませんでした。説明線と文字あり版の画像をペイントの消しゴムで消した関係上、細部の線も消えて書き直したので、形が微妙に変わったかもしれませんので、ご了承ください(線が微妙に消えてしまったところは気が向けば修正します……)。