第192話 万能型の人型精霊
【久しぶりに登場するキャラの紹介】
ラティーファ:リオの義妹。狐獣人の女の子。かつてリオに奴隷から解放してもらった。リオのことが大好き。
サラ:銀狼獣人の少女。里の重役の娘。しっかり者の少女。だけど意外と負けず嫌い。
オーフィア:ハイエルフの少女。里の重役の娘。家庭的で温厚だが、からかい好きでお茶目な面も。
アルマ:エルダードワーフの少女。里の重役の娘。ちょっぴりツンとしたところもあるが、礼儀正しく、照れ屋な面もある。
シルドラ:里の最長老のまとめ役の老人(男)。ハイエルフ。温厚で理知的な人物。
アースラ:里の最長老を努める老人(女)。狐獣人。ラティーファの保護者。
ドミニク:里の最長老を努める老人(男)。エルダードワーフ。豪放磊落を地でいく。
サヨ:カラスキ王国の村娘だった少女。リオを追いかけて里までやってきた。気弱な少女だったが……。
コモモ:カラスキ王国の上級武士ゴウキの娘。父と共にリオを追いかけて里までやってきた。明るく可愛らしい容姿をしているが、脳筋な面も。
ゴウキ:カラスキ王国の上級武士だった男。国では超一流の手練れとして知られる武人。
カヨコ:ゴウキの妻。元は暗部の腕利き。昔はゴウキやリオの父と一緒にリオの母の警護を行っていた。
場所は精霊の民の庁舎。その最上階の一室で、ゴウキ達を交えつつ最長老達に帰還の挨拶を行ったリオ。話題は記憶が曖昧なままリオの契約精霊として覚醒したアイシアの素性に移るも、最長老達もその正体はわからず、同じ人型精霊のドリュアスならならば何かわかるかもしれないという話の流れになった。すると――、
「はいはい、私ならここにいるわよ」
霊体化したままこの部屋へやってきたのか、ドリュアスが不意に実体化して、リオ達の前にスッと姿を現した。
「おお、ドリュアス様。いらしたのですか」
最長老達はスッと頭を下げてドリュアスの来訪を歓迎する。
「お昼寝でもしようと思ったら、とんでもなく強い精霊の気配がいきなり現れたんだもの。びっくりして目が覚めちゃった。途中からだけど、話は聞かせてもらったわ。初めまして、私はドリュアスよ。同じ人型精霊と会えて嬉しいわ。よろしくね、アイシア」
ドリュアスはふふっと笑って、アイシアに語りかけた。
「よろしく。貴方が姿を現したら、急に強い気配を感じるようになった。不思議」
と、アイシアはこてりと小首を傾げて言う。
「そりゃそうよ。実体化してしまうと否応でも精霊の気配は強まっちゃうんだから。もしかしてその辺りのこともわからない? 精霊としてはわりと当たり前の知識なんだけど……」
「知らなかった」
アイシアはおもむろにかぶりを振った。
「そっか……、うーーん」
相槌を打ったドリュアスだが、悩ましそうに唸る。
「何か気になることでもあるんでしょうか?」
と、リオ。
「気になるというか、不思議なのよねえ。人型精霊っていうのはいきなり自然発生するものじゃないし、長い年月を経て何かしらのきっかけに恵まれてようやく昇格するものだから。普通なら昇格する前の記憶があってしかるべきなんだけど、その辺りの記憶がない上に、精霊として当たり前の知識も知らないとなると……。覚えていたのはアイシアって名前だけ? 精霊の民が用いる古い言葉だったと思うけど」
ドリュアスは思案顔で語り、アイシアに問いかける。
「ううん。覚えていたのは春人のことだけ。名前は春人に考えてもらった」
アイシアは静かにかぶりを振って答えた。
「……春人?」
ドリュアスは聞き慣れぬ名を耳にして、不思議そうに首を傾げる。同じくハルトという名を初めて耳にした最長老のアースラ達も似たような反応を見せた。
「ハルトというのは、シュトラール地方で活動するにあたって名乗っている私のもう一つの名前です。話が逸れるので、そこら辺の事情の説明はまた後で」
リオはすかさず説明を挟む。
「ふーん、そっか。なら、アイシアのことに話を戻すけど、アイシアって確か暖かな春とか、美しい春を指す単語よね?」
と、ドリュアスは話を振る。
「ええ、アイシアが目覚めたのが春だったので……、自然と頭に思い浮かんだといいますか、いいんじゃないかなと思いまして。アイシアも気に入ってくれたみたいなので」
リオは当時のことを振り返ったのか、ほんの少しだけ遠い目になった。
「ほほ、我々の言葉から名付けてくださったとは実に光栄なことじゃな」
と、狐獣人の老婆、アースラは朗らかに笑って言う。すぐ傍に並んで座る他の最長老、シルドラとドミニクは深く頷いて同意していた。すると――、
「私からも伺いたいのですが、精霊はどの程度の記憶を留めているのが一般的なのでしょうか? 先ほどドリュアス様は人型精霊になる前の記憶があって然るべきと仰っていましたが」
リオが質問を発する。
「難しい質問ね。私は私が見てきた精霊しか知らないから、正確な答えを与えることはできないんだけど……」
ドリュアスはそう前置きして、うーんと唸ると――、
「一般に精霊とは明確な自我を持ったマナだと言われていることは知っているわよね?」
と、リオに問いかけた。
「ええ」
「まず、低位の精霊は人間でいえば赤ん坊や幼児みたいなものなのよ。だから、自我があるといっても『ああしたい』『こうしたい』とか、その程度のもの。成長して格が上がったとしても記憶が残っていることは普通はない。記憶を残せるくらいに意思がハッキリしてくるのは、中位と呼ばれるくらいに力を持つようになってからっていうのが一般的なんじゃないかしら」
ドリュアスはそう語ると、「まあ、その中位の幅がこれまた広いんだけど」と笑って付け足す。そして――、
「だから、私もきちんと当時のことを覚えているのは中位の精霊になった頃から。まあ、当時の私は宿り樹から離れることが出来なくて、毎日日向ぼっこしていただけだし、よほど印象的な出来事でもない限りは細かな出来事は忘れちゃっているけどね」
と、少し懐かしそうな顔で語った。
「教えてくださりありがとうございます。そのお話を聞いた限りだと、確かにアイシアに過去の記憶が何もないのは特異に思えますね」
「ええ。単純な記憶喪失なのかとも思うんだけど……、気になるのはこの子が少し真っ白すぎるように思えるところなのよね」
「真っ白すぎる、ですか?」
リオはアイシアを見て、不思議そうに疑問符を浮かべた。アイシアもきょとんとした顔になる。
「無垢すぎるっていえばいいのかな? 精霊っていうのは長い年月を過ごすことによって我が強まり、個性も強くなっていくんだけど、アイシアってだいぶ感情が希薄な子に見えるなと思ったから。もちろん成長した結果としてそういう子になったっていう可能性もあるんだけど、こう、なんていうのかな。記憶がない状態と相まってより感情の希薄さが浮きだっちゃっているというか、人型精霊なのに人型精霊っぽくないというか……」
上手く説明することができないのか、口を結んで唸ってしまうドリュアス。確かにその表情を見ていると、アイシアよりもだいぶ感情が豊かに見える。
「なるほど……」
リオは得心し、アイシアを見やった。感情を表に出すドリュアスとは対照的に、確かにアイシアは滅多に自分の感情を表には出さない。
だが、だからといってそれが不気味だということはない。むしろ長年一緒に過ごしてきたんじゃないかと錯覚するほどに、リオにとっては傍にいるのが自然な存在だ。
だから、ついつい頼ってしまうし、気づかぬところで支えられてばかりだし、甘えてしまうこともあるし、アイシアにだけ素の表情をさらけ出してしまうこともある。
「………………」
アイシアは無言のまま、じっとリオの顔を見つめ返した。そのまましばし互いの視線がぶつかり合う。
リオからすればこうしていても目線のやり場に困ることはないというか、特に身構えることがなくて、なんとなくアイシアが何を考えているのかすらわかるような気さえする。そこにいるのが自然というのは、こういうところだった。
リオはそれを再確認したのか、くすりと口許をほころばせる。アイシアも心なしか表情が柔らかくなった気がした。すると――、
「じいいいいい」
リオは室内にいる者達――特に女性陣の視線を集めていることに気づく。特にラティーファは唇を尖らせており、コモモは私のことも見てくださいと主張するように目力を強くしており、サヨなどは羨ましそうな面持ちになっている。サラ、オーフィア、アルマの三人もそれぞれじっとリオとアイシアのことを見つめていた。
「ほほほ、契約者同士の関係は良好。どころか、熱々のようじゃのう」
アースラはからからと愉快そうに笑って言う。
「本当、私には契約者がいないから、少し羨ましいかも」
ドリュアスもそんなリオとアイシアを見て、微笑ましそうに語った。
「……もしかしたら里に来れば何かアイシアのことがわかるかもとも思ったのですが、ドリュアス様でもわからないとなるとお手上げですね」
リオは周囲から寄せられる視線から逃れるように、話題を逸らす。
「うーん、人魔戦争で失踪した高位精霊はもちろん、人型になれる準高位の精霊もおいそれといるもんじゃないし、過去にどこかしらで目撃されていたのなら何かしらの伝承が残っていてもおかしくはないと思うんだけどね。ちなみに、アイシアはどの系統を得意とする精霊なの?」
ドリュアスはアイシアの素性を特定できればと思ったのか、そんな質問を発する。
「全部」
アイシアはしれっと、そう答えた。すると――、
「ぜん……ぶ?」
質問したドリュアスを始め、最長老達も動揺したようにざわめく。だが、リオとアイシアはどうして皆が驚いているのか理解できず、疑問符を浮かべる。
「……えっと、私の聞き間違えじゃなければ、あらゆる系統の精霊術が得意ってこと?」
ドリュアスはおずおずと質問し直した。
「うん。そう」
アイシアはこくりと頷く。
「…………冗談よね?」
「本当ですけど。何か、おかしなことがあるんですか?」
ドリュアスにまじまじと見つめられて、リオは戸惑いがちに訊き返す。例えばリオ自身は万能型の精霊術士だし、この場にいるハイエルフのオーフィアだって万能型の精霊術士だし、この場にはいないがセリアだって万能型の魔道士だ。アイシアがあらゆる系統の精霊術を扱える精霊だとしても特に不思議はないと思ったのだが――、
「おかしすぎる。うーん、その辺りのことは知らなかったのか。そうね、じゃあ、オーフィア。説明を頼んだわ」
どうやらだいぶ特異な事例らしい。ドリュアスは細かな説明を面倒に思ったのか、室内に居合わせたオーフィアに説明を丸投げしてしまった。
突然に説明を求められたオーフィアだったが、即座に頭の中で説明事項をまとめあげたのか、動揺しつつもとりあえず開口してこう語る。
「え? あ、はい。えっとですね……。人に得意不得意な精霊術の系統適性が存在するように、精霊にも得手不得手な精霊術の系統適性が存在するんです。ただ、人の場合は私やリオさんのように万能型の精霊術士が希にいて、例外が存在しうるんですけど、精霊の場合はその例外が存在しえないとされています」
それは何故なのか。リオが疑問に思うと――、
「精霊というのはこの世に存在する様々な事象を司る存在なんです。低位の精霊のうちは得意不得意が存在しない真っ白な状態の精霊もいるんですけど、格が上がるにつれていずれかの系統に開花して、その系統に特化していくようになります」
オーフィアはすらすらと続きを語った。
「万能型の精霊が存在しえないという、その帰結を導き出す根拠は何なんでしょうか?」
と、リオが理由を求めると――、
「長い歴史を経た経験則です。この里の歴史で今までに万能型の精霊が存在したという例外が観測されたことはありませんから。だから、例えば、ドリュアス様なら大地を操ることが得意で、私が契約しているエアリアルは風を、サラちゃんが契約しているヘルは氷を、アルマちゃんが契約しているイフリータは炎を操ることに特化しています。得意な系統以外の精霊術がまったく使えないというわけじゃないんですけど、得意な系統に比べるとその効用は大きく見劣りします。相性が良い系統ならいくつかの系統を使えることもあるんですけど、今は置いておきましょうか」
オーフィアはきっぱりと言い切って、現に存在する精霊達もいずれかの系統に特化している事実に触れた。
「……なるほど」
リオは得心して唸る。
「かつて六体いらっしゃったといわれる高位精霊様達でさえ、各々が得意とする六つの系統を専門に司っていたとされておるからのう。精霊は各属性に特化して人以上に術の系統に縛られる代わりに、人の身では到達が困難な領域の複雑な精霊術を使うこともできるんじゃが、あらゆる属性に特化した人型精霊様が目の前にいらっしゃるというんじゃから、そりゃもう驚きが大きいのう」
アースラは説明をまとめるように、話に加わった。
「皆さんが驚かれる理由がよくわかりました。以前に私がこの里で教わったのは精霊術に関する知識が主でしたからね。勉強にもなりました。ありがとうございます」
リオは朗らかに礼を言う。
「あの頃のリオ殿は色々と学んでおったからの。実際にアイシア様がお目覚めになったら色々と教えようと思っておったんじゃが、せっかく里へ戻ってきたんじゃからこの機会に色々と精霊のことを知るといい。アイシア様と同じ人型精霊のドリュアス様という特別講師もいらっしゃるわけじゃからな」
アースラはそう言って、ドリュアスを見やる。すると――、
「うん、決めたわ! ねえ、リオ。二人だけで話をしてみたいし、ちょっとアイシアを借りてもいい? この子のこと、色々と興味が出てきちゃったの。精霊のことも私がこの子に教えてあげるから」
ドリュアスが突然、そんなことを言う。同じ人型精霊に会えたことが嬉しいのか、キラキラと目を輝かせている。
「ええ。アイシアが構わないのなら」
リオはくすりと笑って頷く。
「私はいいよ」
アイシアは落ち着いた声で首を縦に振る。
「決まりね。じゃあ、早速だけど行きましょうか」
ドリュアスはにこやかにアイシアの手を握ると、部屋の外へ向かって歩きだす。人並み外れた美しさを持つ精霊の二人が歩く姿はなんとも周囲の目を引いた。特に精霊を信仰している精霊の民達からすれば神々しい光景にも映ったことだろう。室内にいる誰もがついつい視線を吸い寄せられ、立ち去る姿を見守っていた。
「なあ、俺らなかなかすげえ光景を目の当たりにしているんじゃねえのか?」
「そう思うのなら黙っておれ」
ひそひそとドミニクが呟くと、アースラが一蹴する。そうこうしている間にアイシアとドリュアスは部屋の外へと出て行く。すると、ややあって――、
「では、話を進めるとしようか。リオ殿の報告が先か、ゴウキ殿達が里にいる経緯を説明するのが先か。そこから決めるとしよう」
最長老のまとめ役であるシルドラが口を開き、ゴウキ達のことを見やりながらそう話を切り出したのだった。