第195話 ラティーファとアイシア
リオとアイシアの帰還と来訪を祝う宴がお開きとなり、会場となった食堂から人がはけていくと――、
「お疲れ様、お兄ちゃん」
ラティーファがリオに迫り、ご機嫌な声色で右腕に抱きつく。
「おっと……。ああ、お疲れ様」
リオは左手でラティーファの頭を撫でる。
「えへへ」
すりすりと、ラティーファは幸せそうに自分の顔をリオの腕にこすりつけた。すると、サラ、オーフィア、アルマに最長老の三人、ゴウキやコモモを初めとするヤグモの面々も近づいてくる。
「ほほ、宴の最中は他の者達がリオ殿と話ができるようにと、我慢しておったからの」
アースラがラティーファを見て、微笑ましそうに語りかけてきた。
「そうなのか?」
「うん!」
リオが見下ろして訊くと、ラティーファは嬉しそうに頷く。
「じゃから今夜はラティーファにたっぷり甘えさせてやってくれ」
「ええ。もう遅いですから、あまり夜更かししない範囲で」
アースラに言われ、リオは照れくささを隠すように釘を刺して首肯した。
「えー! 駄目だよ、今日はサラお姉ちゃんやコモモちゃん達も一緒にみんなで夜更かしするんだから」
と、ラティーファは可愛らしく頬を膨らませて抗議する。
「いや、それは無理だろ。他のみんなはお家に帰らないといけないんだから」
リオが諭すように言うと――、
「それなら大丈夫だよ。今日はお婆ちゃんの家でみんなでお泊まりするんだから」
ラティーファはそう言って、ふふんと得意顔になった。
「…………え?」
初耳なんですが……。リオは面食らって硬直すると、そう言わんばかりにアースラの顔を見る。
「儂の家じゃが、今日からリオ殿とアイシア様に暮らしてもらうにしても、空き部屋が多いじゃろう?」
と、アースラは唐突に語り始めた。
「ええ、まあ……」
余りすぎているくらいに部屋の数はあったはずだと、記憶を振り返り頷くリオ。
「というわけで決まったんじゃよ」
「いや、必要な説明がだいぶ省かれている気がするんですが」
リオはすかさず突っ込む。いったい何がどういう経緯でそう決まったのか、まるで見えてこないのだ。すると――、
「あー、要するにアレだ。リオと久々に再会できて話をしたがっているのはラティーファだけじゃねえってことだろ」
エルダードワーフの最長老、ドミニクが会話に加わった。
「まあ、そういうことじゃな。何か問題があるかの?」
「ある、わけでは……」
ない、のだろうか? 最長老のアースラもいるわけだし、同じ部屋で眠るわけでもないのだろうし。まあ、同じ屋根の下に若い男女が一緒にいるのはどうなんだろうと思わないわけでもないが――、
「皆さんが構わないのなら、私からは別に……」
リオはサラやコモモ達の顔を見回しながら、そう言った。
「じゃあ、決まりだね! 今夜はみんなで同じ部屋に寝て、たくさんお話ししようよ!」
ラティーファはギュウッとリオの腕に抱きつく力を強める。
「って、こらこら。同じ部屋に寝るのは流石に駄目だ」
「えー、なんで?」
「未婚の若い男女が同じ部屋で眠るもんじゃない」
リオは嘆息し、きっぱりと告げた。
「むう……」
ラティーファはちょっぴり拗ねた感じで頬を膨らませる。と――、
「ふむ、ご兄妹の契りを交わされているとは伺っておりましたが、実に仲が良ろしいのですなあ」
ゴウキが興味深そうに口を開く。
「ええ」
リオはフッと笑ってラティーファの頭を撫でる。
「えへへ」
ラティーファは幸せそうにはにかんだ。そんなラティーファの姿を密かに羨ましそうに見つめるコモモ。
「コモモもリオ様とはたいそうお話したいと焦がれておりましたのでな。今宵はサヨと一緒にお預けしますゆえ、たっぷりとお話いただけると光栄です」
ゴウキはそう言って、ポンとコモモの背中を押した。
「はい! よろしくお願いします、リオ様!」
コモモはリオの前に立つと、ギュッと両の拳を握って訴える。コモモの歳はラティーファよりもさらに一つ下だったろうか。あどけない瞳をキラキラと輝かせている。
「こちらこそ」
リオはくすりと笑って頷いたのだった。
◇ ◇ ◇
それから、アースラと一緒に家へ移動したリオ、アイシア、ラティーファ。サラやコモモ達はいったん自宅へ戻り、宿泊の用意を調え次第すぐに駆けつけることとなった。その間にお風呂に入ることにすると、まずはラティーファがアイシアと二人で浴室へ向かう。
「それじゃあ、私がお背中を流しますね」
ラティーファは浴室に入ると、アイシアに提案した。なんだかんだでまだ二人だけで話をした時間はさほど多くないので、口調はぎこちない。
「うん。じゃあ、その次は私がラティーファの背中を流す」
対するアイシアは普段通りの落ち着いた声色である。
「では……」
ラティーファは少し緊張しているのかおずおずとタオルに石鹸をつけて泡立てると、アイシアの背中をゴシゴシと洗い始める。
「洗い足りないところとかあったら言ってくださいね」
「うん」
「かゆいところとかありますか?」
「ないよ」
などと、時折ラティーファから質問を投げかけるが、基本的に寡黙なアイシアなので会話が発展することはない。
(うーん、アイシアお姉さん? お姉ちゃん? って、どんな人なんだろう? すごく落ち着いている性格みたいだけど……)
ラティーファは手を動かしながら、そんなことを思う。アイシアについてわかっていることといえばリオの契約精霊であることと、大人しい性格をしているらしいこと、あとは……。
(とんでもない美人さんだよね……。お兄ちゃんのことはどう思っているのかな?)
幼子みたいにきめ細やかなアイシアの肌を眺めながら、ラティーファはリオとアイシアの関係性に思いを巡らせた。すると――、
「ラティーファ」
アイシアがラティーファの名を呼んだ。
「は、はい。何でしょう?」
ラティーファはびくりと身体を震わせて返事をする。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
アイシアは首を少しだけ動かして、背後のラティーファに言った。
「は、はい……」
「口調も普段通りで構わないから」
「え、えっと……、は、はい。いや、う、うん?」
「うん、それでいい」
アイシアは淡々と頷き、視線を前に戻す。
「……あ、あの」
ラティーファはぱちぱちと目を瞬くと、やがて何かを決意したような顔で口を開く。
「何?」
「アイシアお姉ちゃんって呼んでも、いいですか?」
恐る恐る尋ねるラティーファ。
「うん、いいよ」
アイシアはほんの少しだけ口許をほころばせて頷いた。
「やった! えへへ」
ラティーファは満面の笑みをたたえて喜ぶと――、
「あっ、そうだ! アイシアお姉ちゃんに訊きたいことがあったんだ」
ハッと思い出したように語った。
「何?」
アイシアはわずかに背後を振り返って小首を傾げる。
「えっと、お兄ちゃんのことをハルトって名前で呼んでいましたよね?」
「うん」
「普段からずっとそっちの名前で呼んでいるんですか?」
「うん」
「それは…………どうして?」
ラティーファは上手い訊き方が即座には思い浮かばず、シンプルに尋ねた。
「……春人は春人だから」
そう答えるアイシアの表情は普段以上に柔らかくて、だが背後にいるラティーファからでは覗くことはできなかった。ただ、その声色に何かしらの感情が込められているようには思えたのか、興味深そうに目を見はっている。
「…………アイシアお姉ちゃんは、お兄ちゃんのことをどこまで知っているんですか?」
ラティーファはこみ上げてきた疑問をそのままに、唐突かつ衝動的に問いかけた。訊かずにはいられなかった。
「春人のことなら何でも。前世の貴方がバスの中で春人のことをいつも見ていたことも知っている」
と、アイシアは普段通りの抑揚のない声で答える。
「…………そう、なんですね」
ラティーファは大きく目を見はり、かろうじて呟いた。
「うん。だから、春人が今のラティーファのことを大切に思っていることも知っている」
「っ……」
瞬間、ラティーファの口許はたまらず綻んでしまいそうになる。
「ラティーファにとって春人は大切?」
「もちろんっ!」
ラティーファは思わず身を乗り出して勢いよく肯定した。
「なら、その気持ちをこれまで以上に春人に伝えてあげて」
と、アイシアは優しい声色で言う。この言葉を真に受けすぎたラティーファが後ほど就寝時に頑なにリオと同じベッドで寝ようとして、一悶着が起きるのはともかく――、
「うんっ! それももちろんっ!」
今この瞬間、ラティーファは元気いっぱいに頷いた。すると――、
「じゃあ、次は私がラティーファの背中を洗う番」
アイシアはスッと立ち上がり、ラティーファの背後に回る。
「えへへ、よろしくお願いします」
ラティーファ背後のアイシアを見上げ、ぺこりとお辞儀した。
「うん」
頷き、腰を下ろすアイシア。先ほどまで自分の背中を洗ってもらっていたタオルを受け取ると、いったんお湯で洗い流して再び石鹸で泡立て、ラティーファの背中を洗い始める。
その後もゆっくりと、断続的に会話は続いていき、ラティーファはすっかりアイシアと仲良しになってしまう。そうしてすっかり長風呂することになってしまうのだが、お風呂から出る頃にはさらに口調は砕けたものとなり、サラ達と接する時と同じようなものになっていた。
それから、二人がお風呂から出た頃にはサラやコモモ達が訪れ、リオも遅れてお風呂に入ると、その日の晩は少女達と一緒に遅くまで様々なことを語り合った。