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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第109話 近くて、遠い

 最終日の夜会も幕引きとなったわけであるが、王侯貴族が主催する夜会においては入場時だけでなく退場の際にもマナーがある。

 基本的にまずは重要な外賓から先に、続いて自国の王侯貴族で身分が上の者から順番に会場を後にしていくのだ。

 大国に所属する弘明やフローラ、貴久やリリアーナ、そして貴久と一緒に夜会に出席している美春達は真っ先に退場することになった。

 一通り他国の重要人物が退席すると、今度は国内の人間で身分が高い者が出ていく番となる。

 勇者である沙月や王族であるシャルロットは優先して退場することが認められており、シャルロットのパートナーとして出席していることから、リオも彼女達と一緒に会場を後にすることになった。

 会場の外に出ると世話役の少女達が控えており、リオ達がいる方へと足早に歩み寄ってくる。

 この後は解散して各々の部屋へと戻ることになるのだが、自然とすぐそこにある分岐地点までは帰路を共にすることとなった。

 次第に会場の入り口かられる喧騒けんそうが程遠くなり、解散地点へやって来たところで、三人が立ち止まる。


「お疲れ様でございました。ハルト様、サツキ様」


 シャルロットがリオと沙月を見やって持ち前の明るい声で言った。


「ええ、お疲れ様、シャルちゃん。やっぱり疲れるものね、人が大勢いると」


 応じて、沙月が疲れを吐き出すように小さく嘆息たんそくする。


「素晴らしいひと時をありがとうございました。シャルロット王女殿下」


 シャルロットに視線を向けて、リオが小さく会釈した。

 すぐ傍では沙月がちらりとリオに視線を向けている。


「ねぇ、ハルトく――」

「ハルト様、もしよろしければ、これから私と少しお話をしませんか?」


 意を決したように沙月が言いかけたところで、シャルロットが先んじて提案する。

 機先を制されたことで、沙月が軽く目を丸くした。


「……ええ、シャルロット様のお誘いとあれば、少しならば」


 リオが穏やかな声で応じる。

 相手が王女である以上、明確な先約があるなど例外的な場合を除いて、お誘いに対して拒否権はないものと思っていい。

 が、すぐ傍では沙月が二人の会話を聞いており、眉をぴくりと動かしていた。


「良かった。まだまだ話し足りないと思っていたんです。場所は私の部屋ということで」


 嬉しそうに語るシャルロットに、リオと沙月がぎょっと目を見開く。 

 常識的に今の時間帯は男性が女性の部屋を訪れるにしては少しばかり遅い。

 そもそも男が一人で王女の自室に行くこと自体がタブーなのではないか。

 リオと沙月がそんな共通認識を抱く。

 だが、そんな二人の心情を知ってかしらでか、


「では、ハルト様、行きましょう」


 言って、シャルロットが親しげにリオの腕を取る。


「サツキ様はお疲れとのことですから、どうぞごゆるりとお休みになってくださいませ。それでは、失礼いたしますね」


 可愛らしく微笑んで告げると、シャルロットがリオの腕を引いてきびすを返した。

 流れるような一連の展開を呆然と見つめていた沙月であったが、


「なっ! ちょ、ま、待って!」


 慌てて、二人を呼び止めた。

 すると、最初から声をかけられることを予想していたように、シャルロットがぴたりと足を止める。


「はい、何でしょうか?」


 にこりと笑みを浮かべて、シャルロットがいた。


「こ、こんな時間に女の子が自分の部屋に男の子を呼ぶのは、か、感心しないかな。うん」


 普段はキリッとした沙月にしては珍しく、少し動揺したふうに言う。


「ふふ、大丈夫です。ハルト様は実の兄のようなお方ですから」


 リオの腕を引き寄せ、シャルロットが告げる。

 すると、ぴくぴくと、沙月の眉が小刻みに動いた。


「だ、駄目よ。可愛い女の子と二人きりになってハルト君が理性を失うかもしれないでしょ。年長者として不純異性交遊は見逃せません」


 沙月がきっぱりと断言する。


「不純異性交遊……ですか? ですが私はハルト様とお話をしたいのですが……」


 困ったと言わんばかりに、シャルロットが首をかしげた。


「べ、別に話しちゃダメってわけじゃないのよ。ただこんな時間に二人きりで会うのはちょっといけないことかなと思っただけで。ねぇ、ハルト君。お兄さんならそう思うわよね?」


 沙月がそう語りかけて、リオに視線を移す。

 言っていることには心底同意できるのだが、何故だかリオはものすごいプレッシャーを感じた。


「は、はい。そうですね。流石にシャルロット王女殿下の私室で二人きりというのは……。できれば場所を変えるか、他の方もご一緒にいらしてくれた方が……」


 背中に冷たい汗を流しながら、リオが答える。


「なるほど。でしたらサツキ様もいらしていただけませんか?」


 けろりとした様子でシャルロットが提案した。


「う、うん。まぁ、そういうことなら、仕方ないわね。私も行くわ」


 シャルロットからの誘いに、沙月がうんうんと頷き了承する。

 内心でホッと安堵しながらも、どうしてこんなに安心しているのだろうと不思議に思ったが、沙月は一先ずその疑問を頭の隅へと追いやった。

 それから、沙月が着替えるためにいったん自室へと戻り、ついでにリオも自室へと戻り、着替えてから改めてシャルロットの部屋へ向かうことになる。

 それなりに動きやすい儀礼用の騎士服を着ているリオはともかく、身動きがとりにくいドレスを着たままの沙月ではくつろぐことができないからだ。

 そうしてそれぞれ着替えを終えると、シャルロットの部屋で夜会の二次会が開催されることになったのだった。


 ☆★☆★☆★


 その頃、美春達は自室に戻って、既に着替えを済ませていた。

 リリアーナはこの後もフランソワとの対談があるようで、貴久が国王の執務室にまで送り届けている。

 一方で、生まれて初めて出席した夜会に疲れたのか、雅人と亜紀は緊張の糸が切れたように眠気に襲われているようだ。


「おやすみ、姉ちゃん達」


 眠気眼で大きなあくびを一つして、雅人が自らに割り当てられたベッドルームへと向かう。

 貴久達が宿泊している部屋にはリビングルームとは別に、寝室が何部屋か備え付けられている。


「おやすみなさい」


 美春と亜紀が雅人の背中に声をかけた。

 そうして雅人が寝室に入ったところで、


「私達も寝る?」


 と、亜紀が美春に尋ねた。


「ううん。私はまだ少しだけ起きてようかな。まだあまり眠くないし」

「お兄ちゃんが戻って来るのを待ってるの?」

「う、うん。亜紀ちゃんは眠いって言っていたでしょ。我慢しないで眠ってていいよ」


 美春がぎこちなく微笑んで答える。

 一瞬、亜紀は思案顔を浮かべると、何か良いことを思いついたように、


「そう? じゃあ先に寝てようかな……」


 表情をほころばせて、そう言った。


「うん。おやすみなさい」

「おやすみ。お兄ちゃんによろしくね」


 亜紀が嬉しそうに笑みを漏らして、なめらかな身のこなしでベッドルームに入っていく。

 そうして一人リビングに取り残されたところで、美春が小さく息を吐いた。

 部屋の中央に置かれた椅子に座って、誰かの来訪を待つようにじっと扉を見つめる。

 一秒、十秒、一分と時間が流れていく。

 すると、美春がおもむろに立ち上がり、そわそわとした様子で部屋の中を歩き始めた。

 部屋のあちこちをうろうろと回りながら、先の夜会での出来事を思い出す。

 場所は月が浮かぶ星空の下、静かなお城のバルコニーでのことだった。


(私、告白されたんだよね。ハルトさんに……)


 その時、リオは真剣な眼差しで美春を見つめていた。


 ――綾瀬美春さんが大好きです。


 何度も好きと言ってくれて、定番というかありきたりかも知れないけれど、余計な情報をすべて捨象した、シンプルでストレートな告白だった。

 中学に入って以降は美春も何度か告白されたことがある。

 恥ずかしそうに下を向いて告白する人がいたり、自信がないのか遠回しに告白する人がいたり、命令口調で告白する人がいたり、あれこれ好きな理由を告げたうえで告白する人もいたり――。

 その誰よりも、リオからの告白は、心に響いた。

 打てば響く、その言葉が相応しいくらいに。

 人によるかもしれないが、思わず嬉しいと感じてしまうくらいに。

 まるで世界で自分だけが特別な存在になってしまったと勘違いしてしまうくらいに。

 自分のことが本当に好きなんだという気持ちが、純粋に強く伝わってくるものだった。


(まだ心臓がドキドキしてる……)


 そっと自分の胸に両手を当て、美春が心臓の鼓動を確かめる。

 どくん、どくんと、心臓が飛びだしそうで、胸のあたりから全身に熱が伝わっていく感覚が治まらない。

 美春は胸が苦しくなって立ち止まり、顔を赤くして、ほうっと熱い吐息を漏らした。


(来ないのかな、ハルトさん)


 夜会が終わってからそこそこ時間は経ったけれど、いったいハルトさんは何をしているんだろう。

 そう考えて、美春がじっと部屋の扉を見つめる。

 だが、いくら待ってもリオは来ない。


 ――渡したい物があります。図々しい話ですが、さっきの続きはその後でもよろしいでしょうか?


 バルコニーにぞろぞろと亜紀達が来た直後、リオが美春だけに聞こえるようにそう言った。

 渡したい物とは何なのだろうか、いつそれを渡しに来てくれるのだろうか、話の続きとは何なのだろうか。

 美春は気になって仕方がなかった。


 ――寝ても、覚めても、生まれ変わっても、ずっと貴方のことが好きでした。


 その言葉が美春の脳裏に何度も響いている。


(生まれ変わってもって、言ったよね……)


 それは、つまり、リオが前世で美春と会ったことがあるということだろうか。

 この世界で初めて出会った時、リオはハルトと名乗っていた。

 その響きは美春にとってとても懐かしくて、心の中で恋焦がれている天川春人と同じ名前でもあった。

 それがきっかけで、リオと春人を重ねたこともある。

 だが、それは単なる偶然で、そんなはずはないと強く自戒していた。

 だって、今頃、天川春人は地球にいるはずなのだから、ありえないのだ。

 天川春人がこの世界で生まれ変わって、何年もかけて成長しているなんて、あるはずがない。

 リオを天川春人と同一視してはならないと、ずっと、ずっと、そう思っていた。

 そんな真似をしてしまえば、二人に失礼だから。

 でも、もしかしたら、リオは、ハルトは幼馴染の天川春人なのではないのか。

 いつか夢の中で死んだ春人が、今のハルトに生まれ変わって――。

 夢の中で起きた出来事がそのままあったと信じるなんて、非論理的なことこの上ないけれど、先の告白を契機に、美春はそのようにも思い始めていた。


(わからない。ハルトさんは……はるくんなの?)


 美春は混乱し、部屋の中でぽつんと立ち尽くしていた。

 まるで迷子になった、子供のように。

 けど、もし、リオが天川春人なら――。

 もしそうなら、伝えたかったことがたくさんあるのだ。

 言葉では語りきれないくらいに。

 だから、明確な答えが欲しい。

 早くリオに会って、話の続きがしたい。


 ――もしかしたら覚えていないかもしれないけれど、あの日、貴方にとっては九年前。


 肝心なところで亜紀がやって来て言葉を被せたため、言葉がほとんど聞こえなかったけれど、ハルトはその答えを言おうとしていたのではないか。

 美春の脳裏にどこか怯えた瞳をしていたリオの顔が思い浮かんだ。

 そうして悩んでいると、がちゃりと部屋の扉が開いた。

 ぶるりと身体を震わせて、美春が視線を向ける。


「……ただいま。起きていたんだ」


 入ってきたのは貴久だった。

 目を丸くし、美春に語りかける。


「うん……。お帰りなさい」


 告げて、美春が力が抜けたように息を吐いた。

 安堵したような、落胆したような、そんなふうに。


「亜紀達は?」

「寝ちゃったよ。慣れない場所でずっと立っていたせいか、すごく疲れたみたい」

「そっか……」


 しばし、沈黙が降りる。

 会話が続かず、何となく気まずい空気が流れた。


「お茶、れようか?」


 美春がぽつりと尋ねる。


「あ、うん。頂きます……」


 貴久が頼むと、美春は室内の簡易キッチンに足を運んだ。

 数分で作業を終わらせると、リビングにお茶を運ぶ。


「どうぞ」

「ありがとう……」


 コトリとテーブルの上にお茶が置かれると、貴久がカップを取って口に含んだ。


「……美味しい。フリルが淹れたみたいだ」


 目を丸くして、貴久が感想を告げた。

 フリルとはリリアーナの侍女のことだ。

 以前、貴久はフリル以外の者が淹れたお茶を飲んだことがある。

 だが、その者が作ったお茶は普段フリルが淹れているお茶よりも味が劣るとはっきりわかるくらいに違いがあった。

 使っている茶葉に違いはなかったのに。


「美味しい淹れ方を教えてもらったから……」


 美春が照れくさそうにはにかんで告げた。


「……ハルトさんに?」


 貴久が硬い声でく。


「うん」


 頷いて、美春がやわらかく微笑んだ。


「そっか……」


 貴久が痛々しい笑みを浮かべた。

 そうしてぽつりぽつりと会話をしながら、十分ほど時間が経って。

 そのうち会話もなくなって、さらに十分くらいの時間が流れた。


「ねぇ、そろそろ寝たら?」


 ある時、気まずさに耐えかねて、貴久がおもむろに提案した。


「……うん。でもあまり眠くなくて。貴久君は?」

「俺はリリィが帰ってくるまで起きていようかなって……」

「そうなんだ。仲が良いんだね、リリアーナ様と」


 美春がそっと微笑んで告げる。


「いや! ……まぁ、うん」


 咄嗟とっさに否定しかけたが、脳裏にリリアーナの笑顔がチラついて、貴久はおずおずと首肯した。

 そんな貴久の反応に、美春が目を丸くする。


「どうしたの?」


 美春が可笑しそうにくすくすと笑った。


「なんでもないよ……。もう寝た方がいい。眠れなくても横になっているだけでもいいみたいだから」


 貴久が言うと、美春は逡巡するような表情を見せたが、


「うん。そう、だね……。一応、ベッドで横になってみようかな。おやすみなさい」


 躊躇いがちに頷いて、亜紀が眠っているベッドルームへと歩き出したのだった。


 ☆★☆★☆★


 シャルロットの部屋で夜会終了後に開催された二次会は小一時間以上に渡って続いた。

 歓談は終始和やかな空気で繰り広げられ、お開きの時間になっても名残惜しそうにするシャルロットの提案により、明日の午前中も歓談の予定を入れられることになる。

 そうしてリオと沙月がお疲れの様子でシャルロットの部屋を後にし、二人きりになったところで、


「ねぇ、今から美春ちゃん達の部屋に行ってみない? 話したいこととかあるでしょ?」


 と、おもむろに沙月がいた。


「ええ、できれば今晩中に行きたいなと思っていましたので。ただ、今の時間だともう寝ているかもしれませんが」


 困ったような表情を浮かべて、リオが答える。


「ハルト君が随分とシャルちゃんに懐かれたからね」


 少しだけ唇を尖らせて、沙月が言う。


「そう、なんですかね? やっぱり」

「何言っているのよ。どこからどう見ても懐かれているじゃない」


 少し自信なさ気に尋ねるリオに、沙月が呆れた視線を向けた。


「そうされる心当たりがないものでして……」

「賊に襲われそうになったところをハルト君に助けられたわけだからね。自分を守ってくれる異性のことはカッコよく見えるものなんじゃない?」


 少し突き放すように言って、沙月が反応をうかがうようにリオを見やる。


「いや、助けたというなら、他に騎士の方々もいたじゃないですか。だから心当たりがないなって……」

「あー、うん。なるほど……ね」


 天然にも思えるリオの返答に、沙月が苦笑いを浮かべた。 

 そのまま沙月がまじまじとリオの顔を見つめたが、リオの気のせいか、少しばかり目つきがジトッとしているように思える。


「まあ、いいけどさ。どうする? 行くの、行かないの?」


 ややあって小さく嘆息し、沙月が改めて尋ねた。


「行ってみましょうか。渡しておきたい物もありますので。一度、俺の部屋に寄ってもいいでしょうか?」


 リオが即答する。


「もちろん」


 沙月が頷き、二人は美春達のもとへと赴くことになった。


 ☆★☆★☆★


「これはサツキ様にハルト様。何かご用でしょうか?」


 美春達が宿泊している部屋の前まで来ると、貴久とリリアーナの護衛を務める女性騎士達がリオと沙月に話しかけてきた。


「貴久君達に会いたいんですけど、取り次いでいただけますか?」

「畏まりました。少々お待ちくださいませ」


 沙月が用向きを告げると、女性騎士の一人であるキアラが「失礼します」と言って室内に入っていった。

 その場に残されたのはリオと沙月、そしてもう一人の護衛騎士であるアリスである。

 周囲にはガルアーク王国の衛兵も見張りをしていた。

 扉が閉まり、数十秒ほど経ったところで、再び扉が開く。


「お待たせしました、先輩」


 そう言って、姿を現したのは貴久だ。

 一瞬、貴久が何かを勘ぐるようにリオと沙月の間で視線を交互させる。

 だが、すぐに少し疲れた様子で微笑みかけてきた。


「夜遅くにごめんなさい。本当は夜会が終わってすぐ来たかったんだけど、ちょっと野暮用があってね。まだ美春ちゃん達は起きている?」


 沙月が申し訳なさそうに尋ねる。


「……すみません。慣れない夜会で疲れたのか、もう眠っちゃって」


 貴久が顔を曇らせて答えた。

 亜紀と雅人は夜会から帰ってくるとすぐに眠りに就き、今頃はすやすやと深い眠りに入っていることだろう。

 だが、美春に関しては、少しそわそわした様子で、つい先ほどまで起きていた。

 何となく二人でいるのが気まずくて、貴久がもう眠ったらどうかと声をかけると寝室に入ったが、まださほど時間は経っていない。

 だから、もしかしたらまだ眠りに入っていないかもしれないし、声をかけたらすぐに目覚めるかもしれないのだが、貴久はそのことを口にしなかった。

 口にするのが怖かった。


「ありゃりゃ、来るのが少しだけ遅かったか。残念」


 と、沙月が残念そうに苦笑する。

 もしかしたらもう眠っているんじゃないかと予想していたため、さして落胆した様子もないようだ。


「ええ、すみません……」


 気まずい顔で貴久が頭を下げた。


「別に貴方が謝ることじゃないでしょ。貴久君は一人で起きていたの?」


 沙月が苦笑して尋ねる。


「はい。少しリリィが王様と面談していまして。彼女が帰ってくるまでは起きていようかと……」


 こくりと頷く貴久。


「なら明日の午後にまた出直すしかありませんね」


 言って、リオが小さく肩をすくめた。


「そうしましょうか」


 嘆息しながら沙月が頷き、


「明日の午前中に何かあるんですか?」


 と、貴久が尋ねた。


「うん、ちょっとシャルちゃん……シャルロット王女とお茶する予定が入っちゃってね。午後にはこっちに顔を出せると思うわ」

「実は俺達も雅人達のために明日の午前中は魔道船の見学をするつもりなんです。先輩達も一緒にと思ったんですが、無理そうですね」

「そうなっちゃうかな。ごめんなさいね」

「いえ、雅人が興味を持って、急に決まった話でしたから」


 貴久が苦笑してかぶりを振る。


「サツキさんはそっちに参加しても大丈夫ですよ?」


 少し残念そうに語っていた沙月に、リオが言った。

 すると、沙月はジトッとした目をリオに向けて、


「キミはシャルちゃんと二人きりがいいの?」


 と、そう尋ねた。


「いや、そういうわけじゃないですけど……。明日は今日みたいに夜に会うわけじゃないですし、サツキさんもずっとみなさんと一緒にいられるわけじゃないんだから、無理して俺に付き合う必要はないかなと」


 わずかにたじろいだ様子で、リオが弁明する。

 沙月は想定外なことを言われたとばかりに目を丸くしたが、


「べ、別に無理して付き合っているわけじゃないから、いいのよ」


 と、気恥ずかしそうに視線を逸らし、告げた。


「そ、そんなことより! 本当はこれから美春ちゃん達がどうしたいのか、それをきたかったのよ。どうなの? 貴久君、もう話はしたの?」


 頬を赤くして、沙月が話題を変える。

 本来なら日中に尋ねておくべき件だったのかもしれないが、沙月はこの話題をあえて避けていた。

 何となく一人だと意志を確認するのが怖かったというのもあるし、話を聞くのならば関係者であるリオと一緒がいいと思っていたというのもある。

 美春達もその話を遠ざけるように話題を選んでいたのは幸いだったのだが、なかなかリオが忙しく、結局こんな時間になってしまったというわけだ。


「えっと、一応は。色々とみんな不安に思うところはあるみたいですけど、前向きに考えてくれているみたいで……」


 突然の話題に一瞬だけ顔を強張らせると、貴久が少し硬い声で答えた。

 一見すると普通の調子を取り繕っているが、貴久の心臓はすごくドキドキしている。

 全身の血が沸騰ふっとうしているように、体が熱い。

 それは咄嗟に事実に反することを言ってしまったからだ。

 確かに美春達とは既に話をしてある。

 だが、一緒に付いてきてくれると言ってくれたのは亜紀だけで――。

 雅人とは兄弟喧嘩をして――。

 美春は明確にリオに付いていきたいと自分の意志を表明して――。

 話し合いの結果は決して貴久にとって前向きなものとはいえなかった。


「雅人とはちょっとだけ喧嘩しちゃいましたけど、亜紀はこれからずっと一緒にいたいって言ってくれて……」


 美春に関する話は伏せて、貴久が言い訳がましく説明を付け足す。

 後ろめたそうに、視線をリオから外して。

 確かに、貴久はリオに強い感謝の念を抱いている。

 だが、リオと美春を引き合わせたくないとも心の中で思っていた。

 だから、この場ではまだ美春の意志を教えたくない。

 要は嫉妬しているのだ。

 美春が選んだリオに対して、夜会で美春と上手く二人きりになったリオに対して、自分の知らぬ間に美春と親密な関係を築き上げたリオに対して――。

 夜会でリオと美春が二人きりでバルコニーにいる姿を目撃して、貴久は己の心の闇に潜んでいた嫉妬心にようやく気づいた。

 そんな自分がみっともなくて仕方がない。

 とはいえ、美春は渡したくないけれど、恩人であるリオに対しても悪いと思う気持ちもある。

 それに、大好きな美春のためにも、一緒にみんなでいられる方法を考えようと言ってくれた亜紀のためにも、貴久は何とかしなければという義務感に駆られていた。

 それはもはや強迫観念と言ってもいい。

 そのためにはどうすればいいのか、やれることは少ないけれど、貴久なりに考えてみたことがある。


「そっか……」


 沙月が溜息を吐くようにつぶやく。

 しばし、沈黙が落ちた。

 すると、そこで、


「……あの、ハルトさん」


 声を絞り出すように、貴久がリオに呼びかける。


「はい?」

「ハルトさんは……、この夜会が終わった後の予定とか決まっていたりしますか?」

「ええ、王都を離れて西へ向かうつもりですが」


 貴久の質問にリオがあっさりと答えた。


「じゃあ……、その後にでもセントステラ王国に来ませんか? その、みんなもハルトさんとも一緒にいたいみたいなので……」


 リオが自分の場所に来るなら美春も一緒に来てくれるのではないか。

 それが貴久の出した答えだった。

 それはリオを利用しているだけだ。

 みっともない真似だと、自分でもわかっている。

 だが、みじめでも、みっともなくてもいい。

 好きな人と一緒にいられるのならば。

 泥臭くあがいてでも、美春を振り向かせてみせる。

 そう思ったのだ。


「みんなが、俺と……。そうですか」


 驚いたように小さく目を丸くすると、しかるのちリオが口許を少しだけほころばせた。

 だが、その瞳は後ろめたそうに少しだけ揺れている。

 すると、そこへ、


「あら、私だってみんなと一緒にいたいのは同じなんだけど?」


 くすっと笑みを浮かべて、沙月が言葉を挟んだ。


「ええ、セントステラ王国とガルアーク王国は防衛同盟を結ぶみたいですから、お互いに会いやすくなるはずです」

「敵国同士にならなくて本当に良かったわね。これからはお互いに勇者の地位をふんだんに利用して、状況を打開していきましょう」

「はい」


 貴久が力強く頷く。


「じゃあ今日はそろそろお開きかな。あまり遅くまで立ち話しちゃ悪いし、この世界は朝も早いしね」


 軽く両手で伸びをして、沙月が提案した。

 続けて、ふと、何かを思い出したようにリオを見やると、


「あ、そうだ。ハルト君、美春ちゃん達に渡しておきたいものがあったんでしょ? 貴久君に渡しておいてもらえば? せっかく部屋に寄って取ってきたんだし」


 沙月がそう言った。

 すると、リオが思案顔を浮かべて、


「そう、ですね……」


 と、肯定とも否定とも言い難い返事をした。


「何を渡すんですか?」


 首をかしげて、貴久がく。


「……手紙です。伝えておきたいことはたくさんあるんですけど、あいにく口下手でして」


 苦笑いを浮かべて、リオがおずおずと答えた。


「へぇ、手紙か……。古風だけど、何か良いわね。この世界だと一般的なんでしょうし」


 沙月が意外そうに目を丸くすると、感心したように告げた。


「なるほど……。じゃあ俺が渡しておきましょうか?」


 と、貴久がおずおずと提案する。

 リオに対する罪悪感からくるせめてもの罪滅ぼしのつもりだった。


「えっと……」

「自分の手で直接渡したい?」


 逡巡した様子を見せるリオに、沙月が隣から尋ねてきた。


「……ええ。ですが、できれば早いうちに読んでもらいたいなとも思っていまして」


 リオが苦笑して語る。

 きちんと決めてはいないが、美春達が今後どうしたいのかについて、明日の午後になれば全員で話を聞くことになるのだろう。

 既に貴久とは暫定的に話をしたそうだし、もしかしたら美春達はもう決断しているかもしれない。

 でも、リオが書いた手紙を渡せば、その決断が変わる可能性もある。

 手紙に書いた内容を考えると、読んでから心を整理する時間は必要だ。

 だから、美春達と話し合うまでの間に、リオは余裕を持たせて手紙を渡しておきたかった。

 本当は今晩中に自分の手で美春達に手紙を渡しておきたいところだったが、シャルロットの相手をしているうちに美春達は眠ってしまったらしい。

 となると、明日の朝のうちに渡すのが理想的だ。

 シャルロットとの歓談は朝食を終えた後だから、彼女の部屋に移動する途中にもう一度だけ立ち寄ってみるのがいいかもしれない。


「ご迷惑かもしれませんが明日の朝、もう一度伺ってもよろしいでしょうか?」


 その時に美春達が起きて部屋にいれば手渡しすることも可能だろう。

 それでもタイミングが合わなければもはや貴久に頼むしかない。


「……はい、大丈夫ですよ。九時過ぎから外に出ちゃいますが」


 少し気が引けたものの、貴久が素直に了承した。


「わかりました。シャルロット様とのお茶会が同じくらいに始まるので、その前に伺います」


 そうして話がまとまり、明日の朝にもう一度、リオがこの部屋へ訪れることが決まったのだった。

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2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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