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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第108話 君に

 開幕の儀を終えると、遂に最終日の夜会が開始された。


「おお、これは黒の騎士殿ではないか」

「ハルト卿、楽しんでおられますかな」

「是非、ハルト卿に娘を紹介したいのですが」


 リオがホールの下へと降りたところで、多くの者達から話しかけられることになる。

 英雄として仕立てあげられ、新たに誕生した名誉騎士と懇意こんいになっておこうという打算を孕んでいるのだろう。

 腹の底で何を考えているは知らないが、語りかけてくる者達はみな友好的だ。

 中には遠回しに縁談を申入れてくる貴族までいる。

 貴族達は親しげにリオのことを‘黒の騎士’か‘ハルト卿’と呼び、黒の騎士と呼ばれるたびにリオの中で精神的な何かがガリガリと音を立てて削られていく。

 名前に敬称が付けられるようになったのは、リオが国に仕えないとはいえ貴族となったからである。

 そんなわけで名誉騎士となったリオのもとには所属国を問わずに多くの貴族達が押し寄せていた。


(これじゃ自由に動き回ることもできやしない)


 顔に愛想笑いを貼りつけているものの、リオは身動きをとれないことを歯がゆく思っていた。

 さりげなくホール内に視線をさまよわせ、離れ離れで行動している目的の人物達を探す。

 今朝、美春達の登城許可を求めた際に、フランソワが可能なら美春達にも夜会に出席してもらいたいと告げたことはリオも記憶していた。

 だが、美春達が参加を決めたと知ったのは夜会が始まってからである。

 おそらくは自分が別行動している間に話し合いをして決めたのだろうと、リオは考えた。

 幸い沙月や貴久が一緒にいるおかげか、美春達はさほど緊張した様子はないようだ。


(本当は美春さん達に合流したいところだけど……)


 自らの周囲を取り巻く貴族達を尻目に、ちらりと隣に立つ女性に視線を送る。

 今宵そこに立っているパートナーはリーゼロッテではなかった。

 国王フランソワ=ガルアーク直々の指名により、彼の愛娘であるシャルロット=ガルアークがリオのパートナーとなったのだ。

 シャルロットは昨晩リオが賊から守った王族の一人であった。

 流石に国王の命令を無視することもできず、リオは急遽シャルロットと一緒に夜会に出席することになったというわけである。


「ハルト様、ハルト様」


 と、何かある度に人懐っこい笑みを浮かべて、シャルロットがリオの名前を呼ぶ。

 その度にリオは腕を引かれていた。

 年齢がリオよりも年下であることも関係しているのかもしれないが、兄であるミシェルに懐いているように、元から甘えん坊なのだろう。

 その気質はリオに対してもいかんなく発揮されている。


「ハルト様」

「はい、何でしょう?」

「たくさんお話をして喉がかわきませんか?」


 先ほどから挨拶をしっぱなしのリオを気遣ったのか、一息ついたところで、シャルロットがそんなことを言った。


「これは失礼しました。給仕の方から飲み物を頂いてきましょう」

「ふふ、私が取ってまいりますわ」


 喉が渇いているのはシャルロットも同じだろう。

 そう考えて、リオが動き出そうとすると、シャルロットが先に給仕のもとへ歩き始めた。


「どうぞ」


 小動物のように可愛らしい歩みで戻ってくると、果実酒の入った銀製のグラスをリオに差し出す。


「ありがとうございます」


 リオがお礼を告げて、グラスを受け取った。


「ハルト様、乾杯しましょう」

「はい。乾杯」

「乾杯」


 グラスを軽く持ち上げ、微笑み、目と目を合わせる。

 そうしてから杯の中に入った果実酒を口に含んだ。


「ふふ、美味しいですけれど、何だか軽く酔ってしまったかもしれませんわ」


 上品に手を頬に添えて、悪戯っぽく微笑んで、シャルロットが言った。


「どうかご無理はなさいませんよう。お身体に障るようでしたらいつでも仰せつけください」

「ありがとうございます。ですがこれくらいなら大丈夫ですよ」


 そうやって二人で会話をしていると、リオは六人の男女が近寄ってくる光景を視界に収めた。

 互いの声が届く距離まで接近すると、白いドレスを着た、茶のかかった黒髪の女性が言ってくる。


「ハルト君」


 最初にリオに声をかけた人物は沙月だった。

 沙月のすぐ後ろには美春、亜紀、雅人、貴久、リリアーナの姿があり、それぞれが正装で身を包んでいる。

 貴久はリオと視線が合うとぎこちない笑みを浮かべ、リリアーナは普段通りの柔らかな笑みでリオに会釈してきた。

 一方で、美春、亜紀、雅人の三人は着慣れぬ晴れ姿に少し気恥ずかしそうにしている。


「これはみなさん。おそろいで……」


 微笑を浮かべてそう応じながらも、リオは息を呑みそうになってしまった。

 その原因は視線の先にいる一人の少女、綾瀬美春だ。

 美春のことは既に遠目から目にしていたが、間近で見ると思わず見とれてしまわざるをえない。

 身にまとえば妖精のように可憐に見える淡い桃色のロングドレス、長い黒髪はゆったりと右側の首筋におさげで束ねられ、清楚な雰囲気をかもし出している。

 この三日間で美しいともてはやされる数多くの令嬢達を目にしてきたが、美春は誰よりも華やかで、誰よりも可愛らしく、誰よりも美しかった。

 そうして僅かばかりに硬直していたリオであったが、シャルロットがその様子を機敏に察し、リオの横顔を隣からのぞきこんだ。

 だが、すぐに今度は美春達の方を向くと、


「皆様、ご機嫌麗きげんうるわしゅう。ガルアーク王国第二王女、シャルロット=ガルアークですわ」


 シャルロットがそう言って、ドレスの裾をつまみ、可憐にお辞儀した。

 視線を上げると、美春の顔をじっと見つめて微笑みかける。


「はい。美春=綾瀬と申します。よろしくお願いします」


 少し緊張した様子でぎこちなく微笑み返すと、美春が礼儀正しく自己紹介を行った。

 この世界の流儀に沿っているのか、名前を先に名乗っている。


「シャルちゃん。既に貴久君とリリアーナ様のことはご存知だと思うけど、この三人が私の友人達よ。美春ちゃんは自己紹介したけど、女の子が亜紀ちゃんで、男の子が雅人君。二人とも貴久君の妹弟きょうだいなの」


 遅れて、沙月が亜紀と雅人の紹介を行う。


「はい。よろしくお願いしますね」


 シャルロットは亜紀と雅人にも笑顔で挨拶を行った。


「よ、よろしくお願いします」


 亜紀と雅人が緊張しているのか、少し硬い表情でお辞儀をする。

 シャルロットの洗練された王族の雰囲気に圧倒されたのか、その可愛らしい容姿に見惚れているのか、もしかしたら歳が近いことも影響しているのかもしれない。


「亜紀ちゃんはシャルちゃんと同い年になるのかな。雅人君は一つ下ね。美春ちゃんは私の一つ下だから、ハルト君と同じ歳よ」


 と、沙月が美春達の年齢を説明していく。


「ミハル様、アキ様、マサト様ですね。確かに覚えましたわ。どうか仲良くしてくださいな」

「はい、もちろん」


 無垢な笑みを浮かべて語りかけるシャルロットに、亜紀と雅人が返事をした。

 そうして同年代の幼年組が触れ合う光景を、残りの面々が微笑ましく眺めていると、


「それにしても‘黒の騎士’様は随分と人気者だったみたいね。夜会が始まってからずっと人だかりができていたじゃない」


 何かを思い出したかのように、沙月が言った。

 その表情はニヤリと面白そうに笑っている。

 一瞬、思わず顔を引きつらせそうになったリオであったが、


「……それは私の人気などでなく、ひとえにシャルロット王女殿下の美しさに惹きつけられたのでしょう」


 見事に事務対応の笑みを貼りつけて、さらりと返す。

 リオが見せた予想外のスルースキルに、沙月は目を丸くし、しかるのちスッと目を細めた。


「まぁ、お上手ですのね」


 すぐ傍で話を聞いていたシャルロットが嬉しそうに破顔する。


「ハルト兄ちゃん、黒の騎士なんてかっこよすぎだろ! ずるいよ!」


 と、実に晴れ晴れとした曇りなき表情で、雅人が話に加わった。


「あ、ああ。ありがとう……」


 あまりにも無垢な賞賛の言葉に、リオは今度こそ顔を引きつらせてしまう。

 すると、沙月がこらえきれなさそうに、ぷっと小さく噴き出した。


「本当、素敵ですよ。ハルト様」


 シャルロットも雅人に便乗してリオを褒める。

 日本に暮らす思春期以上の年齢に達した男女ならばともかく、純然たるこの世界の人間である彼女が、痛々しい二つ名にむずがゆさなど感じているはずもなかった。

 ゆえにその言葉は雅人と同じく純粋な賞賛の意味しか持ち合わせていない。

 仮の話だが、すぐ傍でニヤニヤしている沙月さえいなければ、リオも素直にその言葉を嬉しく思えていたのかもしれない。


「……ありがとうございます」


 実にこそばゆそうに、リオが礼を告げる。

 シャルロットはリオに黒の騎士という二つ名を与えたフランソワの娘だ。

 恥ずかしくて嫌だとは口が裂けても言えなかった。


「それにしてもハルト君、シャルちゃんとすっかり仲が良くなったみたいね」


 きちんと引き際は心得ているのか、沙月が話題を変えるように話を振る。

 すると、シャルロットが満面の笑みを咲かせて、


「はい、それはもう。ハルト様は紳士的で優しくて、新しいお兄様ができたようです」


 と、そう言って、リオの腕にしなだれかかった。

 程度の差こそあれ、その場にいた者達が目を丸くし、興味深そうに沙月とシャルロットの会話に耳を傾け始める。


「……へぇ、良かったじゃない、ハルト君。可愛い妹ができて」


 数瞬の後、普段よりもわずかに冷ややかな声色で、沙月が告げた。

 その表情は穏やかな笑みを浮かべているのだが、気のせいなのか、リオが妙なプレッシャーを感じとる。


「おたわむれを。私ではミシェル様には遠く及びません」


 背筋に冷たい何かを感じながらも、見事な胆力で平静を装い、リオがかぶりを振った。


「ふふ、ハルト様はお兄様とはまた違った魅力をお持ちですから」


 ぴたりとリオの腕にくっ付きながら、シャルロットが楽しそうに語る。

 沙月がしらーっと目を細め、すぐ傍では美春もシャルロットに密着されるリオにじっと視線を注いでいた。


(何だ、この空気は?)


 リオは場にただよう妙な雰囲気を感じとったが、その原因がまったくわからない。

 本能的にわかったことは、このままシャルロットとくっ付いたままでいることが駄目だということだ。

 とはいえ、相手が王族である以上、無理に手を振りほどくわけにもいかない。


「ふーん、ハルト君の魅力かぁ。どんなところなのかしら?」

「そうですね。頼もしく傍にいるだけで安心感を与えてくれるところでしょうか」

「……なるほどね。確かにわかる気がするけど」


 ムッとはしたものの沙月が納得顔を浮かべ、傍に立っていた美春も同意するように小さく頷いている。

 ただ、美春を含めて、日本出身組は少し意外そうに沙月のことを見つめていた。

 何というか、今の沙月は歳相応に少女らしい豊かな感情を見せている。

 それが珍しかったのだ。

 日本にいた頃、貴久達を含む周囲の生徒達にとって、沙月はおよそ欠点らしい欠点のない少女だった。

 ゆえに、周囲からは優等生の烙印らくいんを押され、自然と生徒会長にまで祭り上げられ、結果的に少し声をかけづらい人物像が出来上がる。

 もちろん話しかければ親しく対応してくれるのだが、本心を見せないというか、線を引いて、あまり感情的にならない冷静な人物というイメージがあった。

 それは沙月が周囲からの期待に応えようと、己の素の部分を近しい者にすら見せないように装っていたからだったのだが、今の沙月はかなり自然に感情を表に出している。


「そうでしょう」


 言って、シャルロットがすり寄せるように自らの顔をリオの腕に預けた。

 すると、リオの腕を睨む沙月の目つきが一段と険しくなる。

 美春の視線もさりげなくではあるが、凝視するようにじじーっとリオの腕に注がれていた。

 リオは今すぐにでもこの場を離れたい衝動に駆られたが、シャルロットがきっちりとリオの腕をホールドしている。

 不味い。

 本能でそう感じたリオが何とか自由になれる口実を見つけるべく、視線をさまよわせた。

 すると、シャルロットの手に空のグラスが握られているのを見つける。


「シャルロット様、グラスを拝借してもよろしいでしょうか?」

「はい。どうぞ?」


 シャルロットが不思議そうにしながらもリオの言葉に従う。


「空になったとはいえ、中に残った水滴が飛び散ってはせっかくの綺麗なドレスが汚れてしまいます。返してきましょう」


 グラスを受け取ると、リオがさりげなくシャルロットから距離を取る。

 そうして二人の身体が密着状態から解放されたところで、


「あら、流石は紳士ね。気が利くわ、ハルト君」


 途端、口許くちもとを僅かに緩ませ、沙月が感心したように言った。

 その影響なのかはリオにはわからないが、先ほどまで場を支配していた妙な空気も嘘のように霧散むさんしている。

 代わりにシャルロットが少しだけつまらなさそうな表情を浮かべていたが、それに気づく者はいない。


「いえ、大したことでは……」


 苦笑して言い返すと、リオは近くを歩いていた給仕に近寄りグラスを返却した。

 よくわからないプレッシャーから解放されたことで、少し離れた場所でほっと安堵の息を吐く。


(よし、戻るか)


 戦場にでも戻るかのような意気込みで、リオが元の位置へと歩き出す。


「美春さん、楽しんでいますか?」


 戻ってくると、リオは真っ先に美春の背中に声をかけた。

 グループに交じりながらも会話を見守っていた彼女の身体がびくりと震えて振り返る。

 どうしたのだろう、とリオがその顔を覗きこんだ。

 美春はちょっとだけ照れたように微笑むと、


「えっと、緊張はしていますけど、何とか」


 と、おさげの毛先をイジりながら、首肯した。

 そのまま二人が少しだけグループの輪から抜け出す。

 貴久が少しだけ気にしたそぶりを見せたが、声をかけて即座に呼び戻す真似はしない。


「良かった。無理して参加したのではないかと心配したのですが、杞憂きゆうだったようですね」

「はい。ここで出席しておけば王様に感謝の意を表明できるし、その方が後々に楽になるからってリリアーナ様が言ってくれたので」

「なるほど……」


 少しだけ思案顔を浮かべたが、ふむ、とリオが納得したように頷く。


「ともあれ雅人と亜紀ちゃんも楽しんでいるみたいですね」


 言って、リオが亜紀と雅人を見やった。

 二人は楽しそうに笑いながら、その場にいる者達と話をしている。


「二人とも夜会に参加するって決まった時はちょっと興奮していたんですよ。直前になった途端に緊張し始めたようですけど」


 くすくすと可笑しそうに美春が言った。


「二人らしいですね」


 リオが小さく笑いながら相づちを打つ。

 久しぶりに美春と二人きりで会話をしたが、それだけで楽しく感じている自分がいることに、リオは気づいた。


「何だか美春さんとこうして話をするのは久しぶりな気がします」


 と、リオが思ったことを何となく口にする。

 実際、一緒に暮らしていても、二人きりになる機会はあまりない。

 最後に二人で話をしたのは、王都に来る前に最後の食事を作った時のことだろうか。


「ですね。……実は私、ハルトさんに声をかけられた時、少しだけ緊張しちゃいました」


 ちょっとだけ気恥ずかしそうにはにかんで、美春が言った。


「そうなんですか?」

「はい。少し会わなかったせいか、お城でのハルトさんは普段と少し違った気がして、何というかすごく洗練されているなと思ったんです。遠い存在になっちゃったというか……」


 自らの気持ちを探るように、美春が語る。

 王侯貴族を相手にして臆した様子もなく堂々と対応するリオの姿は、美春の見慣れたリオとは異なったように見えたのだ。

 何というかすごく大人っぽかった。


「そんなことないですよ」


 リオが困ったようにかぶりを振る。

 一瞬、その朽葉色くちばいろの瞳が、何だか美春にははかなげに見えたような気がした。

 それは錯覚さっかくだったのだろうか。

 美春にはわからない。


「はい。ハルトさんとこうして話して、それがわかりました」


 リオの瞳をうかがうように、美春がゆっくりと頷く。

 目の前にいるのだから当然と言うべきか、リオも美春の瞳を見つめていた。

 数秒ほど、二人が何となく黙って見つめあう。


「ぅ……」


 次の瞬間、頬に少しだけ赤みがかかり、美春がリオの瞳から目をそらした。

 うつむき、急にそわそわし始める。

 おさげの毛先をイジりながら、少しだけ視線を上げると、リオは美春のことをじっと見つめていて、


「……美春さん」


 と、深く静かな声で、美春の名を呼んだ。


「は、はい。何でしょう?」


 上ずった声で返事をすると、美春が恥ずかしそうにリオを見上げる。

 リオは真っ直ぐに、美春へと真摯な視線を向けていた。

 美春の心臓が大きく跳ね上がる。


(な、何、どうしたの、私……)


 美春が自らの内面で起きている変化に戸惑う。

 何なのだろう、この感情は――。

 よくわからないが、リオの顔を見ていると、何だかとても緊張する。

 それだけは確かだった。


「ちょっと二人だけで話しませんか? バルコニーあたりで」


 困ったような笑みを浮かべて、だが決然と強い意志を感じさせる声で、リオが言った。

 少しばかり予想していたタイミングと異なるが、今は美春と二人きりになる絶好のチャンスなのではなかろうか。

 そう思ったのだ。


(あれこれ理由をつけて逃げるのは止めだ)


 確かに勝手に抜け出すのはあまりよろしくない。

 だが、リオに与えられた時間と機会が有限である以上、今を逃すと今夜また二人きりになれるタイミングを作れるかどうかはわからない。

 今夜中に告白すると決めた以上、チャンスがあればそれを逃すつもりはなかった。

 今が駄目なら再度チャンスを見つけてチャレンジすればいい。


「どうでしょうか? 大事な話があるんです」


 返事を促すように、リオがいた。


「その……実は私からもハルトさんにお話があって。大丈夫ですよ」


 こくりと、美春が頷く。


「じゃあ決まりですね。行きましょうか。……雅人」


 背後から小さな声でその名を呼んで、リオが雅人を呼び寄せる。


「ん? どうした、ハルト兄ちゃん?」


 振り返って、雅人がリオと美春に歩み寄る。


「美春さんとちょっとこの場を離れるけど、すぐに戻って来るから、誰かが気づいたら心配しないように伝えてくれるか? 話を中断させるのも悪いからさ」


 と、もっともらしい理由をつけて、リオが言った。

 幸い他の面々は一時的に会話にふけっているようで、リオが察知できる範囲で強く意識を向けている者はいない。

 上手く抜け出せば気づく者はいないはずだ。

 行き先を告げていない以上、誰かが追ってくるおそれも小さい。


「ああ、いいよ」


 雅人が二つ返事で了承した。


「ありがとう。それじゃあ、ちょっと行ってくる」


 そうして、リオと美春がこっそりとその場を抜け出した。

 だが、上手く意識を向けずにリオと美春の動向を密かに観察していた少女が二人いて――。

 一人は愉悦ゆえつに染まった笑みを口許にのぞかかせ、もう一人は感情をうかがわせない眼差しでその後ろ姿を視界に収めていた。


 ☆★☆★☆★


 リオと美春が休憩用に開放されているバルコニーへとやって来た。

 入り口には見張りの兵士が配置されている。

 だが、人脈を形成する絶好の場である夜会で、わざわざ人のいない場所に移動する物好きはいないようだ。

 ホール内の喧騒が寂しく響いており、中で行われている絢爛けんらんな夜会もどこか遠くでの出来事のようのようだった。

 バルコニーに吹く爽やかな夜風が、会場内で溜めこんだ二人の身体の熱を涼しく冷ましていく。

 奥へと進み、リオと美春が手すりの近くで並んで立った。

 実に静かで、落ち着いたムードのある場所だ。

 そうして二人きりになったところで、


「うわぁ、空、綺麗。吸い込まれそう……」


 と、感嘆かんたんしたように、美春が思わずつぶやいた。

 ふと上を仰げば、満天の星空が見える。


「まるで星降る夜ですね」


 一緒に星空を見上げて、リオがぽつりと言った。

 すると、美春がきょとんとした表情を浮かべて、


「ふふ、詩的な台詞ですね」


 小さく笑い、さりげなくリオを見やる。

 すると、目が、合った。

 リオも美春を見ていたのだ。

 月明かりに照らされているため、相手がどんな表情をしているのかはお互いにわかる。

 リオは優しげに微笑をたたえ、美春は気恥ずかしそうにはにかんでいた。


「美春さん、ドレス、すごく似合っていますよ。綺麗です」


 と、リオがストレートに美春の晴れ姿を褒める。

 とてもシンプルで、その言葉は美春の心に深く響いたのだが、


「……へっ?」


 美春の顔が一気に紅潮した。

 途端に心臓がバクバクと音を立て始めたのがわかる。

 誰に向けて言われた台詞なのか、本当にその相手に向けて言われた台詞なのか、その発言の意図が何なのか。

 混乱した頭で、美春が考えた。

 この場にはリオと自分以外に誰もいない。

 となると、今の台詞は美春に向けて言ったと考えるのが普通なわけで――。

 実際、リオは「美春さん」と言ったわけで――。


「あ、ありがとうございまひ……ぅ」


 動揺して舌が回らず、美春が恥ずかしさから顔をうつむける。

 その顔は限界まで赤くなっていた。

 リオはそっと微笑を浮かべると、


「美春さん」


 うつむく美春の名を呼び、その手をそっと取った。


「は、はい」


 真っ赤な顔を下げたまま、もじもじと美春が返事をする。

 美春がおそるおそる顔を上げると、リオの顔が至近距離まで接近していた。

 リオが一歩、美春との距離を詰めていたのだ。

 たったの一歩だけ――。

 だが、その一歩で、二人の距離は限りなく近くづくことになった。

 リオが真っ直ぐと美春の瞳を覗き込む。

 すると、小さな美春の身体がふるふると震えた。


「…………」


 しばし無言の時が流れ、やがてリオの口がゆっくりと動くのが、美春の視界に映った。

 そうして放たれたリオの言葉は――。


「美春さん、好きです」


 不意を打つ、美春への愛の告白だった。


「貴方のことが大好きです」


 続けてリオが告げると、美春の身体が驚いたようにびくりと震えた。

 頭の中が真っ白になる。

 どくん、どくんと、心臓が破けてしまいそうなくらい早く鼓動していた。

 ぽかぽかと温かい。

 リオの手は少し硬くて、とても大きくて、そこから全身に熱が伝わっていき、身体の奥まで暖かくなっていくのがわかった。

 まるで自分の体内に火が灯ったようだ。

 熱い吐息が感じられるくらいにリオの顔が近い。

 美春は思わず身じろいでしまった。

 すごく恥ずかしいけど、視線を逸らすことができない。

 美春の瞳に映るリオの瞳は不安げに揺らいでいた。

 だが、そんな不安を断ち切るように、


「綾瀬美春さんが大好きです」


 何度も重ねて口にする、リオから美春へのシンプルな愛の言葉。

 もはや誤解の余地もない。

 それだけにリオの気持ちが強く、真っ直ぐと美春の心に伝わってきた。


「あ、あう……」


 何度も「好き」と連呼されたことで、美春が顔を真っ赤にして、口をパクパクと動かす。

 これまでの人生で告白された経験は何度かあったけれど、こんなにも深く心に響いて、こんなにも動揺したことは初めてのことかもしれない。

 いや、一度だけあった。

 そう、あれは七歳の頃、春人から約束の言葉をもらった時のことだ。


「美春さんとずっと一緒にいたい」


 リオは美春の手を掴んだまま、決して離そうとはしなかった。

 美春は異性との接触が苦手だ。

 幼少期からまぎれもなく美少女だった美春は、春人と別れて以来、周囲の少年達からからかわれるようになった。

 理由は単純。

 それまで防波堤の役割を果たしていた春人が転校してしまったから。

 少年達は美春に恋心を抱いていたのだ。

 だから好きな子に意地悪をしようという幼少期の男子特有の行動をとってしまった。

 悪質ないじめに発展するようなことはなかったが、美春は引っ込み思案な性格をしていたため、表だって文句をいうことはせず、我慢して静かに毎日を過ごしていた。

 春人との思い出や約束を思い返せば大して辛くはなかったから。

 中学生になった頃からはそれまでと異なったアプローチをしてくる男子生徒が増えたが、いきなり手のひらを返されたようで美春の中で男子生徒に対する苦手意識が消えることはなかった。

 ゆえに美春は異性に対してパーソナルスペースが広い。

 距離を詰められれば露骨に距離を取る真似はしないが、さりげなく離れようとはする。

 ごく最近、貴久にいきなり抱きつかれた時に混乱して突き飛ばしてしまったが、春人以外の異性と触れ合いたくないという忌避感もあるのかもしれない。

 だから、今こうしてリオに手を握られていることもいけないはずなのだ。

 なのに、不思議と嫌な感じがしなくて、むしろ素直にそれを受け入れている自分がいて、美春は自身の感情を掴みかねて困惑していた。


「寝ても、覚めても、生まれ変わっても、ずっと貴方のことが好きでした」


 と、一言一言を、リオがしっかりと丁寧に語る。


「俺は美春さんに伝えたいことが――。伝えなければならないことがあります」


 決然とした顔つきのリオだが、何故か怯えているようにも見えて、美春は胸が締めつけられるような感覚を抱いた。

 美春がリオに握られていた手をぎゅっと握り返す。

 一歩前に踏み出せばキスができそうなくらいにリオの顔が近い。

 すると、リオがやわらかく微笑む。

 安堵したようで、優しくて、照れたようで、困ったようで、美春にとっては何故か懐かしい面影を強く感じる笑みだった。

 数秒ほど黙り、お互いの瞳を見つめあう。


「もしかしたら覚えていないかもしれないけれど、あの日、貴方にとっては九年前――」

「美春お姉ちゃん? いるの?」


 リオが何かを言いかけたところで、バルコニーにとある少女の声が響き渡った。

 声の主は亜紀だ。

 少し焦燥した声で美春の名を呼んでいる。

 その後ろには不安げな顔で手を引かれた貴久がいて、二人で手すりの近くまで駆け寄ってきた。

 やがてリオと美春の姿を視認して、


「美春……お姉ちゃん?」


 亜紀が目を丸くして美春の名を呼んだ。

 そこではリオと美春が至近距離まで接近していて、美春がぎゅっとリオの手を握りしめている。

 まるで恋人同士が互いをいつくしんでいるように見えた。


「えっと……」


 二人の手と顔を見て言いよどんでから、亜紀が何かに気づいたように慌てて背後を振り返った。

 そこには貴久が立ちすくんでいて、色んな感情をこらえるような顔で、じっとリオと美春を見つめていた。


「あ、その……。これは……」


 自分からリオの手を握りしめていたことに気づき、美春が我に返ったように慌てて手を離す。

 流れに身体をゆだねてしまうことが自然な気がして、先ほどは無意識のうちにリオの手を掴んでしまった。

 だが、こうして雰囲気がリセットされると、とてつもなく照れ臭くなってしまったのだ。


「どうしたんですか? 慌てたご様子ですが……」


 と、リオが落ち着いた声で亜紀と貴久に尋ねた。


「えっと、二人がどこかに行くって雅人が言ってたから、探しに……」


 亜紀が気まずそうに答える。


「すぐに戻ると言ったんだけど、マサトが伝え忘れたのかな?」


 しょうがないなと、リオが事も無げに苦笑しながら言う。


「あ、いや、雅人もそう言っていたんですけど……。心配で……」

「昨日あんな事件があったばかりですから。ちょっと動揺しちゃいまして」


 貴久が少しだけ硬い声で、しかし顔には笑みを貼りつけて、亜紀の説明を補足した。


「そ、そうだよ。心配したんだから」


 貴久の反応を意外そうに見ながら、亜紀が美春を見て頷く。


「ごめん。俺が連れ出したんだ。ミハルさんと少し話がしたかったから」

「……話、ですか?」


 素直に謝罪を申し入れたリオに、亜紀がおずおずといた。


「うん。今後のことについて少し。ミハルさんには先にどうしても伝えておきたいことがあったから。本当はみんなにも話さないといけないことがあるんだけどね」


 困ったように笑みをたたえて、リオが答える。


「そう、なんですか……」


 そう言われてしまうとそれ以上は詮索もしにくい。


「美春さん。渡したい物があります。図々しい話ですが、さっきの続きはその後でもよろしいでしょうか?」


 リオが小さな声で美春にだけ聞こえるように、そう言葉を付け足す。

 美春はハッと目を見開いて、リオを見やると、小さく「はい」と応じた。

 すると、そこで、貴久と亜紀の背後から、遅れて他の面々がやって来る。


「ハルト様、心配したのですよ?」


 小走りでリオの横まで駆け寄り腕をとると、底抜けに明るい声で、シャルロットが言った。


「申し訳ございませんでした。少しミハルさんにお伝えしたい話があったもので。すぐに戻るつもりだったのですが……」

「いいですよ。代わりに私とダンスを踊ってくださいな」


 嬉しそうにリオの顔を見上げて、シャルロットがお願いした。

 リオがちらりと美春を見やり、視線が重なる。

 すると、美春が困ったようにリオに微笑みかけてきた。

 リオは思わず吐きそうになった溜息をぐっとこらえて、


「……はい」


 と、諦めの色を帯びた微笑を浮かべ、頷いたのだった。

 それから、リオはシャルロットに拘束されることになる。

 リオはほとんど自由に行動することもできないまま、三日目の夜会は平穏に進行し、幕引きの時間を迎えることになった。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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精霊幻想記のドラマCD第2弾が14巻の特装版に収録されます
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2019年7月26日にコミック『精霊幻想記』4巻が発売します
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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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