第197話 転換
その日、リオはゴウキの家からアースラの家に帰ってみんなでお昼を食べると、ラティーファを自分の寝室に呼び出した。
「話って何、お兄ちゃん?」
ラティーファは不思議そうに小首を傾げる。
「大事な話、かな。あとで最長老様達にもお話しする前に、ラティーファには言っておこうと思って」
と、リオは少し遠い目で語った。
「……何のお話なの?」
ラティーファは恐る恐る質問する。またリオがどこかへ行ってしまうのではないだろうか? そんな不安を漠然と抱いたのだ。が――、
「大丈夫。またどこか遠くへ旅立ってしばらく帰らないってわけじゃないから」
リオは優しく笑ってラティーファの不安を払拭してやる。
「そう、なんだ」
ラティーファはパッと嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ああ。シュトラール地方にいた間に起きた出来事でまだ語っていないことを、伝えておこうと思ったんだ」
昨日、最長老やラティーファ達もいる前で語ったのは主にアイシアのことと、自分がルシウスに復讐を果たしてきたのだということだけ。勇者に関する話はまだ何もしていない。
「どんなことがあったの?」
「どこから話せばいいのかな……。今、シュトラール地方には勇者と呼ばれる人達が召喚されていて、少し騒ぎになっているんだ」
と、リオは話を始める。
「……勇者?」
ラティーファはぱちぱちと目を瞬いた。
「この里が精霊を神聖な存在として崇めているように、シュトラール地方の人達が六賢神と呼ばれる神様達を信仰しているのは知っているだろう?」
「うん」
「勇者っていうのは、その六賢神の使徒とされている存在なんだ。まあ、唯の人間なんだけど、神様の代理人とか、天使みたいに崇められる存在だって思っておけばいい。この里でいう人型精霊みたいなものかな」
「ふーん」
そういう人達がいるのかと、ラティーファはさほど興味は示さずに相槌を打った。しかし――、
「で、肝心なのはここからだ。その勇者達が召喚されたのは地球……それも日本からだったんだ」
「えっ!?」
リオが話を続けると、ラティーファはギョッと目を丸くした。
「シュトラール地方の伝承通りなら、現れた勇者の数はおそらく六人。少なくとも俺が知る五人は、みんな日本人だった。勇者の召喚に巻き込まれてやってきた人達もいたんだけど、その人達もみんな日本人だった」
ガルアーク王国に所属する皇沙月、レストラシオンに所属する坂田弘明、セントステラ王国に所属する千堂貴久、ルビア王国で遭遇した菊池蓮司、そしてベルトラム王国本国に所属しているとされるルイ=シゲクラと呼ばれる人物。リオが知る勇者はこの五人である。
「……………………」
いきなりすぎる話に、ラティーファは言葉を失っている。
「やっぱり驚くよな」
リオは困ったように笑みをこぼす。
「うん」
少しは落ち着いたのか、こくりと頷くラティーファ。
「けど、もっと驚くのはここからだ」
「……何なの?」
「勇者の召喚に巻き込まれてやってきた人達の中に、前世の俺が知っている人達がいた。ラティーファにも話したことがある人達だ」
「…………誰?」
ラティーファは息を呑んで尋ねた。
「俺が好きだった幼馴染の子と、俺の妹だった子。綾瀬美春さんと、千堂亜紀ちゃん。今はもう離れ離れになったけど、しばらく一緒に暮らしていたんだ」
リオは美春と亜紀のことをラティーファに打ち明ける。
「一緒に暮らしていたって……」
ラティーファは驚く一方だ。
「勇者召喚に巻き込まれて遭難しているところを、たまたま保護したんだ。この世界の言葉も知らない状態だったし、放ってはおけなかったから離れ離れになった勇者の友人達と再会できるまで面倒を見ていた」
「じゃあ、その人達は勇者のお友達と再会できたの? だからお兄ちゃんから離れていったの?」
「ああ」
リオはおもむろに頷く。
「その人達は知らないまま離れていったの? お兄ちゃんの前世のこと」
「……いや、別れる前に、最後には伝えたよ」
面と向かって告げる勇気はなくて、手紙だけど……。リオはそこまでは言わず、顔を曇らせながら首を縦に振った。
「知っていて、離れていったの? ……なんで?」
ラティーファはぱちぱちと眼を瞬いて、心底不思議そうに尋ねる。
「なんでって……」
リオは困り顔で言葉に詰まった。
「お兄ちゃんは……その幼馴染の人が好きだったんでしょ? その幼馴染の人も、お兄ちゃんのことが好きだったんでしょ? その亜紀ちゃんって子も、お兄ちゃんの妹だったんでしょ?」
と、今度はリオの反応を窺うように、ラティーファは訝しそうに尋ねる。
「…………前世でのことさ」
リオはあたかも今は好きでないかのように言ってみせた。
「……嘘。じゃないけど、お兄ちゃん、またはぐらかしている」
ラティーファはむうっと唇を尖らせ、鋭く指摘する。自分が兄と慕う人は嘘を言わないが本当のことを言わない時が希にあると、ラティーファは理解しているのだ。
「………………」
リオは笑みを取り繕うものの、上手い弁明の言葉が出てこず沈黙してしまう。すると――、
「その幼馴染の人はお兄ちゃんのことが好きじゃなくなったの?」
ラティーファが質問を続けた。
「そうなる、のかな。他に大切な人がいるんだ」
リオは少しバツが悪そうに答える。
「……お兄ちゃんよりも?」
「ああ」
「お兄ちゃんは、その人のことを好きだったんじゃないの? ちゃんと想いは伝えなかったの? 諦めちゃうの?」
ラティーファは気になって仕方がないのか、リオを案じているのか、矢継ぎ早に質問した。
「好き……だったよ。正確には天川春人としてじゃなく、今の自分が好きになった。だから、自分の想いが天川春人とは関係ないんだって、その気持ちも伝えようと思ったよ」
「っ…………」
リオが美春を好きになったと明確に聞いて、一瞬、息を呑んだラティーファだったが――、
「伝えなかったの?」
と、質問を続けた。
「……伝えた、かな?」
リオは誤魔化すように苦笑し、曖昧に頷く。
「なんで疑問形なの?」
ラティーファは釈然としない面持ちで首を捻った。
「どうしてだろうな……」
好きにはなった。だが、好きになるべきではないとも思っていた。自分は復讐のためだけに生きてきた空っぽな人間だから。
「むう……」
はぐらかさないでと、ラティーファはリオをジト眼で見つめる。すると、ややあって――、
「どっちみち、美春さんにも亜紀ちゃんにも愛想を尽かされちゃって別れたから、わからないかな」
リオはなんでもないふうに笑って答えた。まるで諦観の極致に達しているかのような、いや、端から諦めていたとさえ思えるような口ぶりである。
「なんでお兄ちゃんが愛想を尽かされるの? その美春さんと亜紀ちゃんって人にとって、お兄ちゃんは恩人でしょう? そんなのひどいよ」
ラティーファは憤りを滲ませて問いかけた。
「恩人だから、だというのは関係ないさ。そんな理由で人の気持ちを縛っちゃいけない」
リオはあくまでも落ち着いた声色で答える。
「でもっ!」
語気を荒らげるラティーファ。
「俺がどっちつかずなのがいけなかったんだ。迷いがあったのに、焦っていた。肝心なところで勇気を出せなかった」
と、リオは当時の自分を振り返ると――、
「だから、これでよかったんだ」
そう、吐露した。それは嘘偽りのない本心だ。我ながら心底臆病な人間だと思うが、関係が切れてしまったことでホッとしてもいる。だから、このまま少しずつ他の人からも距離を置いて、やがては一人になろうとさえ思っていた。だが――、
――本気で人を好きになったことなんてないんじゃですかね。だから人から寄せられる好意を軽んじられるんだ。
と、シンにガツンと言われて、このままではいけないと思うようにもなった。人間、そう簡単に生き方を変えられるとは思わないが、それでも自分と懇意にしてくれている人達からは逃げるべきではない。そう思った。
「お兄ちゃん……」
ラティーファはなんとも言えぬ表情になってしまう。
「この出来事がきっかけ……というわけじゃないんだけど、変わろうと思った。もう遅いのかもしれないけど、頭の片隅でずっと復讐のことを考えて蔑ろにしてきたこととちゃんと向き合いたい。ラティーファともだ」
リオは勇気を出して言う。深いところでのとの向き合い方がわからない。だから、逃げてきたのだ。不器用であることを理由に、勇気を出してこなかったのだ。
「………………」
ラティーファは面食らったように瞬きをした。
「今までは自分のことばかりで、出歩いてばかりの駄目で勝手な兄だったけど、またラティーファと一緒に暮らしてもいいか? ちゃんとした兄らしく振る舞えるか、自信はない。というより、妹にこんなことを訊いている時点で兄として失格なんだろうけど」
リオは表情に不安を覗かせながらも、それを呑み込むように、おずおずと頼んだ。すると、ラティーファがハッと顔色を変えて椅子から立ち上がる。
「な、なに言ってるの! 当然だよ、そんなこと! いいに決まってるよ! 勝手なんかじゃない!」
「……ありがとう、ラティーファ」
泡を食って叫ぶラティーファに、リオは忸怩たる思いで礼を言う。
「違うよ、お礼を言うのは私の方なんだよ。お兄ちゃんがいるから、私は今ここにこうしていられるんだから」
ラティーファはもどかしそうに訴える。そんな表情はしないでほしい。だから、リオは無言で立ち上がると、ラティーファの頭をそっと撫でた。そして、潤んだ瞳で顔を上げたラティーファにこう告げる。
「明日はラティーファのしたいことをしようか。……何かしたいことはあるか? 行きたいところがあれば行ってもいいけど、どうだろう?」
里の中はもうどこも行き尽くしているかもしれないけれど――と、リオは内心で思いながらも言う。
「……いいの?」
ラティーファは小首を傾げて訊いた。
「ああ」
リオは力強く首肯する。
「じゃあ、あそこに行こうよ! 私とお兄ちゃんが前世のことを教えあった広場に。そこで日向ぼっこして、お兄ちゃんが作ったお弁当を食べてのんびりしたい!」
ラティーファはパッと明るい笑みを覗かせると、嬉しそうにリクエストしたのだった。
◇ ◇ ◇
一方、場所は変わり、シュトラール地方の南東部に位置するセントステラ王国で。第一王女であるリリアーナ=セントステラは自室で一人、
机の上には美春から借りた日本の辞書が開かれたまま置かれており、リリアーナの手には一通の手紙が握られている。
「………………………………」
言葉はもう、ずっと何も出てこない。外で待機してもらっているフリルに人の出入りを禁止させてから、いったいどれくらいの時間が経ったのだろうか。
気分は最悪だ。最悪の気分だ。頭の中は何が何だかわからなくなるほどの罪悪感と後悔で埋め尽くされ、気がつくと我に返っては手紙の文面を読み返す。
――読み間違いなんてない。
そう、わかっているのに、何かの間違いであってほしいという願いを捨て去ることができない。だが、これは現実なのだ。
何度も辞書を引き、わからない言葉や文法があれば美春にそれとなく尋ね、自力で何度も何度も手紙を読み返した。
そして、読み返せば読み返すほどに読解の精度は上がり、読み間違いはないのだという確信が強まっていく。現実に引き戻されていく。
現実である以上は、向き合わなければならない。このままでは、破滅だ。隠し通せるはずがない。もう時間の限界である。
伏せられた秘密はやがて明るみになり、最悪中の最悪の結末にたどり着く。それを回避したところで、待ち受けているのはやはり最悪の展開で――、
「…………やはり間違っていたのは貴方だったのですね」
リリアーナは様々な感情が混ざり合ったひどく複雑な面持ちで、不意に呟いた。自分はいったいどうするべきなのか。どうするのが王族として正しいことなのか。何をどうしたいと思っているのか。極限まで鈍った思考回路で長く長く思案する。
すると、しばらくしてリリアーナは立ち上がり、部屋の外へと通じる扉を開けた。外には侍女のフリルと護衛騎士のヒルダが控えている。
「フリル」
と、リリアーナは自らが信用できる数少ない少女の名を呼んだ。
「はい」
フリルはリリアーナを案じるような顔で、短く返事をする。いったい何を命じられるというのか、その用命を待つ。果たして――、
「ミハルさんをお呼びして」
と、リリアーナは美春をこの部屋に呼ぶようフリルに指示を出す。
「承知しました」
フリルはぺこりと頭を下げると、反転して歩きだす。
「ヒルダは引き続き、ミハルさん以外の人物をこの部屋に誰も立ち入らせないで頂戴」
「畏まりました」
ヒルダが恭しく頭を下げると、リリアーナは扉を閉めて再び部屋の中に戻る。が、椅子に戻って腰を下ろすことはせず、その場で立ち止まって遠い目になる。
「最後に、最後に一度だけ……」
リリアーナは何かに縋るように、ごくごく小さな声で呟いた。
11月27日(火)に漫画『精霊幻想記』3巻が発売されました。また、12月1日(土)には小説『精霊幻想記』12巻が発売されます(ドラマCD付き特装版とドラマCDなし通常版とでカバーイラストが異なります)。
漫画3巻と小説12巻をご購入くださった方を対象としたTwitterでキャンペーンも開催されますので、ぜひぜひご参加くださいませ(リーゼロッテが登場する番外編小説(7000字弱)が無料でプレゼントされます。詳しくは活動報告かTwitterで)。豪華声優の皆様の寄せ書きサイン色紙プレゼント企画などもあります。