第198話 暴露
【前回までのあらすじ】
遂にハルトから美春達に宛てられた手紙を解読したリリアーナ。侍女のフリルに命じ、美春を自室へ呼び寄せると……。
場所はシュトラール地方の南東部に位置するセントステラ王国。第一王女であるリリアーナ=セントステラの自室で。
「お話とは何でしょうか、リリアーナ様?」
本人たっての願いで、普段は給仕服を着てリリアーナ付の侍女として簡単な仕事をしている美春。小首を傾げて、自らを呼び出したリリアーナに尋ねた。
「…………ミハルさん。いいえ、ミハル様」
リリアーナはあえて様付けで美春の名前を呼び直す。
「はい……」
美春は少し面食らったように目を瞬いて、しかる後、重たく頷いて返事をした。
「私は取り返しの付かないことに加担していたのだと、気づいてしまいました。いいえ、薄々と予感はしていたのです。到底許されることではありません。ですが、私はそれでも貴方に謝罪しなければなりません」
と、リリアーナは前置きしてから、深くこうべを垂れる。
「いったい何を……?」
「まずはこちらの辞書をお返しします」
リリアーナは美春から借りていた辞書をテーブルに置き、スッと差し出した。
「はい……」
美春は戸惑い気味に頷き、辞書を少しだけ自分の近くへ寄せる。と――、
「先の夜会でガルアーク王国を訪問した折、私はこれらの手紙をタカヒサ様から没収しました。その内容を確かめるために、日本語を勉強するという名目でミハル様から読み書きを習い、辞書をお借りしたのです」
リリアーナがそう付け加えて、三通の手紙をテーブルに置いた。
「……誰が書いた手紙、なんですか?」
嫌な予感がしたとでもいえばいいのだろうか。美春は恐る恐る尋ねた。
「ハルト様が、ミハル様達にです」
リリアーナは美春の予感を言い当てるように告げた。
「っ……」
瞬間、美春の表情が強張る。その眼差しは手紙に釘付けだ。
「碌な説明も受けずガルアーク王国から強引に連れ出されたことに、ずっと疑念を抱かれていたことでしょう。タカヒサ様の肩を持つ我々に対する行いに、不信感も抱かれたことでしょう。その答えに繋がる重大な手がかりが……、タカヒサ様が何を隠したかったのかが、その手紙に隠されています。どうぞ、ミハル様に宛てられた手紙をご覧ください」
「…………」
リリアーナに促され、美春は息を呑みつつ手紙を手に取った。もともと耐久度の低い木綿の用紙であることを踏まえても、だいぶボロボロになっているのが見て取れる。
ただ、手紙には後からリリアーナが補正の意図で書き足しであろう宛名がシュトラール地方の文字で書かれているので、どれが誰宛のものなのかはわかった。 美春は無言のまま、手紙の文面に目を通す。その中身は日本語で書かれていて――、
「…………っ」
美春は時に瞠目し、時に顔を曇らせ、次第に苦々しく唇を噛みしめ始めた。リリアーナはそれを直視し、罪悪感に
しばらくして、美春がすべての文面を読み終え、目の前に座るリリアーナに呆け顔で視線を向ける。
「……誠に申し訳ございませんでした。私は取り返しが付かないことを、人として最低な過ちを、決して許されるべきではないことを行ってしまいました。お詫びのしようもございません」
リリアーナは罪悪感に押し潰されるように、これでもかと深く頭を下げた。
「いったい、何が……。何が起きたんですか? どうして貴久君がこの手紙を? どうしてこの手紙をリリアーナ様が持っていらしたんですか?」
美春はひどく焦燥した面持ちで、矢継ぎ早に疑問を口にした。伏せられていた情報が一気に開示されたのだ。だからこそ、混乱するのは道理である。悩んで、悩んで、今日に至るまで押し殺してきた疑念ともいうべき疑問がようやく解消されたのだから。
色んな思いや考えが頭に浮かんできて、美春は頭の中も目の前も、真っ白になってしまいそうだった。
「順を追って説明いたしますので、私の話をお聞きいただけないでしょうか? 嘘偽りなく、すべてをお話しすることを誓います。そのためにミハル様をこの場へお呼びしました」
リリアーナは胸元に右手を添えて、毅然と宣誓する。
「……わかりました。お聞かせください。お願いいたします」
多少は冷静さを取り戻したのか、美春は深呼吸をしてリリアーナに頭を下げた。
「すべては三日目の夜会を終えた翌朝に起きました」
リリアーナは感情を押し込めるように、淡々と語りだす。
「その日は……」
忘れるはずもない。記憶を振り返るまでもなく、美春はその日のことを瞬時に思い出した。
「ええ、ミハル様達を我が国へお連れするべく、ガルアーク王国を出立した日のことです。……あの日の朝、ミハル様とマサト様が客室を不在にしている間、タカヒサ様とアキ様が残っていたあの部屋へハルト様が来訪されました。用向きはその手紙をミハル様達に手渡すためです」
なのに、どうして今になって美春のもとに手紙が届いたというのか。あの夜会からもう何ヶ月も経過しているというのに……。
「その時、フランソワ国王陛下との謁見で私も客室を不在にしていたため伝え聞いた話になってしまうのですが、シャルロット王女殿下もハルト様とご一緒だったようです。そして、応対したのはタカヒサ様と、当時、私の護衛騎士として同行していたキアラとアリスでした。ミハル様とマサト様が不在だったため、代わりに手紙を渡して欲しいと託されたそうです」
ちなみに、先輩であるキアラは手紙の一件で重い懲戒処分を内密に食らうこととなり、今ではリリアーナの護衛騎士の地位を一時的に解任されている。後輩であるアリスは能力的に替えが効かないため、厳重注意と減給に留まった。
「そんなことが……」
あったなんて、と、美春は静かに息を呑んだ。その前日、夜会の最中に、ハルトから告白されたのだ。好きです、と。
あの時、ハルトはさらに何かを言おうとしていたが、結果的にそれは部外者の登場によって邪魔をされてしまった。もしかしたら……、いや、もしかしなくとも、ハルトはこの手紙に書かれていることを自分に伝えようとしていたのかもしれない。
美春は半ば確信するように、そう予想した。そして、こう思う。もし、ハルトが手紙を渡そうと持参した時、自分が部屋の中にいたら、こんなことにはなっていなかったのではないだろうか、と。
「手紙はミハル様、アキ様、マサト様のお三方に宛てられたものですが、ハルト様はまずミハル様に手紙をご覧いただきたかったようです。その上でアキ様とマサト様にミハル様から手紙を渡してほしいと言付かったとか……。この話を聞いた時、どうして順番を指定したのか少し不思議に思ったのですが、アキ様に宛てられた手紙を拝読したことでその理由に合点がいきました。アキ様は前世のハルト様の妹君だったのですね。そして、アキ様は前世のハルト様のことを毛嫌いしている」
だから、部屋の中に居る亜紀には手紙を託さずに、最初は美春に手紙を読んでほしいと順番を指定したのだろう。そうして、美春の判断と協力を仰ごうとしたのだ。亜紀に自分の前世のことを伝えても構わないだろうか、と。リリアーナはそう推察した。ハルトに前世があるという話は、にわかに信じられる話ではなかったが……。
口頭ではなく手紙という伝達手段を選択したのは、タカヒサやリリアーナと同じ客室に滞在することになった美春と個別に話をする時間を捻出しづらかったからだろうか? あるいは、話の内容が荒唐無稽すぎて上手く説明できる自信がなかったからなのか、もしくは、面と向き合って話をするのが怖かったからなのか、それとも……。
「……………………」
美春は何を思っているのか、歯がゆそうに顔を曇らせている。
「タカヒサ様はハルト様から手紙を預かりました。シャルロット王女殿下がその場で見届けられた以上、隠蔽のしようがない事実です。なのに、タカヒサ様は隠蔽を図ろうとされてしまった……」
瞬間、リリアーナは苦々しい顔になる。
「きっかけはくだらない……。そう、本当にくだらないことだったのです。アキ様に手紙の存在を感づかれそうになり、慌てて隠そうとしたタカヒサ様が
と、リリアーナは己自身の罪を吐露するように語った。
「っ…………」
美春は呼吸をするのも忘れてしまいそうなほどに、絶句する。
「日本語で文字が書かれていたから、中身が気になってしまった。気が動転して正常な判断能力を欠いていたから、冷静さを欠いていても仕方がない。そんな言い訳は通用しません。決して許されることでもありません」
そう語るリリアーナの表情は実に苦々しくて――、
「タカヒサ様は私にも手紙の内容を伏せたまま、こう仰いました。ハルト様は危険だ。ハルト様の行いは間違っている。ハルト様と一緒にいることで、ミハル様達は不幸になるかもしれない。手紙の存在は伏せておいた方が、ミハル様達のためになる、と」
と、言葉を続けた。
「そんなっ、そんなこと……!」
いまだ事実を知ることに精一杯で、頭がほぼ真っ白な状態が続いている美春だったが、声を大きくして
「タカヒサ様は、ミハル様達に手紙の存在が知られることを極度に恐れました。ゆえに、私が手紙の存在と事実を明らかにするのなら、勇者を辞めてミハル様達をどこかへ連れて行くと仰い始めました」
「そんな……」
美春は唖然と言葉を失ってしまう。
「私は……、事実の存在を公にすることができませんでした。王族として、あの場でタカヒサ様との関係が致命的に拗れる不利益を恐れ、タカヒサ様をお止めすることができませんでした。その時点で私も同罪です。私は、卑劣な女です」
リリアーナは強い自戒の念を表情に滲ませて言った。
「でも、リリアーナ様はこうして私に手紙を……。どうして、ですか?」
「手紙は私が処分すると騙して、タカヒサ様から受け取ったものです。手紙を解読したのも、こうしてミハル様に手紙をお渡ししたのも、すべて私の独断によるものです」
「どうして、手紙を解読しようと思われたのですか?」
「……私は王族として、第一王女として、個を犠牲にしてでも国を保つことの重要性を教えられ育ってきました。今でもタカヒサ様が勇者として我が国にいらっしゃるのは、ミハル様の犠牲があるからに他なりません。ですが、個を犠牲にしてでも裏付けられる正当性が本当にそこにあるのか、見極めたかったのです。見極めて、タカヒサ様の真意を確かめたかった……」
宗教的に計り知れない価値を持つ勇者が所属することは国の繁栄に繋がる。だが、手紙を盗み見て、あまつさえその存在さえ隠そうとした貴久の行いに、果たしてどれだけの正当性があるのか。リリアーナは疑問を抱いてしまったのだ。だから、見て見ぬ振りをすることは、できなくなってしまった。
「それと、これはタカヒサ様にもお伝えしたことなのですが、いつまでも隠し通せることではないと思った、というのも解読に踏み切った理由です。無理に隠そうとすれば必ず
知ってはいけないことを知ってしまった。人の秘密を盗み見るということが、これほどまでに後味の悪いものだとは知らなかった。
「ガルアーク王国を出立する前に、タカヒサ様はハルト様とお会いになりました。ハルト様は、ミハル様達に拒絶されたとお考えのはずです」
「っ……」
美春は唇を噛み、ギュッと拳を握りしめる。
「事実を知った今、ミハル様は何を願いますか? 何を、どうされたいと思いましたか? 仰ってはいただけないでしょうか?」
リリアーナは単刀直入に問いかけた。
「私は、戻りたいです。ハルくんの……、ハルトさんのところへ」
美春は
「承知しました。では、そのように取り計らいます」
リリアーナは粛々と、おもむろに頷く。
「…………できるんですか?」
「難しくはあります。危ない橋を渡ることにもなります。ですが、なんとかします」
「……でも、貴久君や、国の人達に何を言われるか」
あまりにもあっさりと承諾され、美春は瞠目して尋ねる。国や貴久が賛成してくれるとは思えなかったからだ。リリアーナの一存で決められることとも思えない。しかし――、
「誰にも、何も、説明した上で出て行くつもりはございません。既にお伝えした通り、手紙を解読したのも、こうしてミハル様に手紙をお渡ししたのも、すべて私の独断によるもの。ミハル様をハルト様のもとへお連れするのも、すべて私の独断で行います。ミハル様をハルト様のもとへお連れする。今日この日より、私はそのために行動いたします。リリアーナ=セントステラの名にかけて、ミハル様の願いを実現してみせると誓いましょう」
リリアーナは決然と、そう宣言したのだった。