第105話 謁見
高々な天井を誇る謁見の間にて、貸与された騎士用の儀礼服に身を包み、リオがフランソワ=ガルアーク王と対面していた。
室内には多数の王侯貴族が派閥や勢力ごとに参列し、
中には沙月やリリアーナだけではなく、リーゼロッテや彼女の父セドリック、さらにはフローラやユグノー公爵の姿もあった。
他にも夜会でリオが対面した貴族達がちらほらと散見される。
この場にいる全員がこの謁見を傍聴しに来た者達だった。
そんな中でリオが美春達を保護してから沙月と会うに至るまでの経緯を一通り語っている。
「――以上、私は勇者様方のご友人三名を保護し、今回の夜会に至るまで彼女達を保護し続けてきました」
堂々と論じると、リオがフランソワに向けて
「ハルトよ。離れ離れになった勇者殿方のご友人を保護し、再会を果たすために尽力したそなたの功績は極めて大きい。大義であったな」
壇上の玉座に座るフランソワが尊大な口調でリオを褒め称える。
「陛下、よろしいでしょうか?」
会話の流れが途切れたところを見計らって、ふくよかな一人の男性貴族が発言の許可を求めた。
ガルアーク王国で名を馳せる大貴族、クレマン=グレゴリー公爵である。
「よい、許す」
フランソワがクレマンの発言を許可する。
ちょうどクレティア公爵家の向かい側で謁見を傍聴していた彼であったが、発言の前にちらりとセドリックとリーゼロッテの二人に視線を移した。
「ハルト殿が勇者殿方のご友人を保護した功績、確かに素晴らしいものだと感銘いたしました。しかし、一つだけ疑問がございます。何故、彼は国に知らせず、独自でご友人方の情報を勇者殿へお知らせしようと考えたのでしょうか?」
と、クレマンが質問を提示した。
「だそうだが、その真意を聞かせてもらっても構わぬな?」
フランソワがリオへと呼びかける。
「はっ、私はただただ下賎な平民にすぎません。そんな私が闇雲に今回の件を国に上申したところで、信用されるとは思えませんでした」
「まぁもっともであるな」
フランソワがリオの言葉に同意した。
身分社会を是とするこの世界において、身分はそのまま信用と発言力に繋がる。
何の地位も持たぬリオが突然に「勇者の友人を保護しています」と訴えたところで、まともに取り合ってくれる王侯貴族は少ないだろう。
「何よりご家族と引き離され、ご友人と引き離され、彼女達は心に大きな不安を抱えておりました。加えて彼女達はシュトラール地方の言葉を理解することすらできなかった」
淡々とした口調でリオが語ると、謁見の間が僅かにどよめいた。
「待て、ハルトよ。言葉が通じないというのならば、どうしてそなたはご友人方と意志の疎通ができたのだ?」
それは最もな疑問であった。
勇者以外の人間は言葉が通じないということは、下手に伏せておいてもすぐに判明する不自然な情報である。
「私の両親が暮らしていたヤグモ地方には不思議な魔道具が存在します。それを使ったのです」
リオはあらかじめ質問を想定していたように、なめらかな口調で回答した。
「ほう。どのような魔道具なのだ?」
「私も詳しい原理や製造法は存じておりません。その効果はお互いの思考を限定的にではありますが、相手に伝達できるというものです」
「なんと……便利なものだな」
フランソワが思わず感心したように声を漏らす。
他の王侯貴族達も含めて半信半疑といったところだが、この場にヤグモ地方に行ったことがある人間が存在しない以上、リオの言葉を反証できる者はいない。
「それを用いてシュトラール地方の言葉を教えることにしました」
「ふむ、その魔道具は現物があるのよな?」
「残念ながら……。両親の形見の品だったのですが、魔道具自体に寿命がきていたようで、彼女達が言葉を覚え始めた頃には壊れてしまい……」
済まなさそうな表情を浮かべて、リオが言った。
「む、そうか……。形見となれば貴重な品だったのであろう?」
「いえ、もともとは両親がシュトラール地方に移り住んだ時に使用した魔道具のようです。道具本来の役目を果たして壊れたのならば本望でございましょう」
「なるほどな……。まぁ、この話はここまでにしておくとしよう。話が逸れてしまった。どこまで話したものだったか。ご友人方が不安を抱いていたというところまでであったな」
言って、フランソワがじっとリオを見つめた。
「左様にございます。彼女達が一時的にしろ精神的に不安定であったことは自明でした。そんな状態で私が彼女達の身柄を第三者に引渡してしまっては、不安を
と、リオが一切のよどみが感じられない口調で説明を行う。
「そこで私は直接に勇者様に彼女達の情報を知らせたいと愚考しました。幸いリーゼロッテ様とお近づきになる幸運に恵まれたものですから。詳しい時系列は先に申しあげた通りにございます。以上です」
そこまで理由を語ると、リオは再び
「余は話に矛盾点はないように思えたが、見上げたものではないか。のう、クレマン? 今の話に何か疑問点はあったのか?」
フランソワは含みのある笑みを浮かべると、クレマン=グレゴリー公爵に水を向けた。
「いえ、ございません」
感情を読み取りにくい曖昧な笑みを浮かべて、クレマンが否定した。
「ならば勇者殿方のご友人を保護した功績について正式に礼を述べねばならないな。見ず知らずの者達を保護するなど、ましてや言葉も通じぬ者を保護しようと思うなど、誰にでもできることではない」
フランソワがふむと大仰に頷き、告げた。
「ハルトよ。勇者殿二人のご友人達を保護したこと、大義であったな。褒めてつかわす」
「身に余るお言葉を
カーペットの上で
「リーゼロッテよ。そなたのことも褒めねばならぬな。ハルトのような
実に愉快そうな笑みを浮かべて、フランソワはリーゼロッテのことも褒めた。
彼女がいなければリオが沙月と接触を図ることが難しかったことは明らかである。
偶然が重なったとはいえ、リオの才覚を発掘したことで、大きく国益に繋がる結果をもたらした。
その功績を褒め称えたのである。
「恐悦至極にございます。陛下」
リーゼロッテはドレスの裾をつまみ、淑女然とお礼を告げたのだった。
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一方で、沙月はフランソワに褒められるリオとリーゼロッテの姿を傍から感心したように眺めていた。
今のところ、彼女の出番はリオの説明に相違点がないかを確認されたくらいだ。
(大したものね。国王を相手にああも見事に立ち回れるなんて)
リオが元日本人であるということは既に本人から聞いているし、リーゼロッテが元日本人であったであろうことも半ば確信している。
一国の王を相手にして、細かい作法は抜きにしても、敬意を払ったうえで臆することなく会話ができる日本人などそうはいないだろう。
二人ともすっかりこの世界の住人になっているのだなと、沙月は改めて実感せざるをえなかった。
(……って、リーゼロッテさんもそうだけど、ハルト君もひょっとしなくとも私より年上なんだよね?)
はて、と沙月が想像をめぐらす。
前世が何歳だったのかは知らないが、今の外見年齢を合算すると、どう見ても二人は沙月よりも年上ということになる。
(それにしては私、ハルト君にちょっと馴れ馴れしすぎじゃない?)
これまでの会話でリオと接していた時の言動を思い出す。
どう考えても年上の人間に対して語りかける口調ではないのではなかろうか。
うん、馴れ馴れしすぎる。
沙月はそう思った。
見た目が自分と同年代だからと、油断していたのだ。
初っ端の出会いから念話で驚かされたり、美春達との件でだいぶ心情を
(う……、どうしよう。次からは敬語で喋った方がいい……のかな?)
フランソワからの言葉に丁寧に応じるリオの姿を眺めながら、沙月がそんなことを思った。
相手が年上ならば相応の敬意を払って接しようというのが沙月の基本的なスタンスだ。
そうであるならば、今後は前世分の精神年齢を踏まえて人間関係を構築した方がいいのではないだろうか、と、沙月はそう考えた。
(妙に落ち着いた雰囲気を放っているし、色々とそつの無い子だなとは思っていたけど、そういうわけだったのね。なるほど……)
考えれば考えるほど、リオのことを大人の異性として意識してしまう。
何だか沙月はもやもやとしてしまって、
(もう! 何で私がこんなに悩まないといけないのよ! 黙ってたのはハルト君なのに)
半ば逆恨みに近い感情を抱き、思わずジトっと謁見中のリオを睨んでしまった。
そうして沙月があれこれ考えている間にも、
「さて、勇者殿方のご友人を保護したこと以外にも、我が国はハルトに大きな恩がある」
謁見が
「ハルトは昨晩の賊の撃退にも大きく貢献し、武功を挙げたのであるからな。功績に対しては恩賞をもって報いるのが古来よりのしきたりだ」
どうやら話題は昨晩の賊撃退の件に移ったようだ。
「どうだ、ハルトよ。この国に仕える気はないか? 我が国にはそなたを騎士として取り立てる用意があるが」
「え……?」
思わぬ話の流れに、沙月が小さく声を漏らした。
(ハルト君がこの国に仕える?)
その意味を
彼がガルアーク王国に仕えるとなれば、今後も何かとリオと会いやすくなるだろう。
勇者の権限を使えば傍に置いておくことも難しくはない。
ふと、そう思い至って、沙月がリオを見やった。
☆★☆★☆★
「格別のお引き立てを
角が立たないよう、リオがやんわりと断りの口上を述べた。
「ほう? 騎士になるつもりはないのか? 相当な実力者と聞き及んでいるが」
意外そうにフランソワが尋ねる。
沙月に恩を売って、ひいては国に恩を売って、あわよくば出世を狙っているのではないかとも考えていたのだが、その予想が外れた形になった。
「はっ、我が身は非才ゆえ」
リオがへりくだって答える。
「ふむ、そうか……。ならば何か望みはあるのか? 申してみよ」
「此度の件で私が恩賞を
リオがあっさりと恩賞を辞退したことで、謁見の間は大きくざわついた。
「ほう、恩賞はいらぬと申すか?」
フランソワの目に好奇の光が
「はっ、左様にございます」
と、何の未練も
当たり前だ。
国から与えられる地位や財産で、リオが欲しいと思う物は何もないのだから。
何より金や地位のために美春達を保護したと思われるのが嫌だった。
今回の恩賞は美春達の件と賊を撃退した件とで厳密に区別して与えられるものではないのだ。
あまりにも欲に対して淡白に見えるリオの回答に、フランソワが目を丸くする。
「……くっくっくっ、金も地位もいらぬと申すか。とても平民とは思えぬ立ち居振る舞いといい、実に面白い男だ」
フランソワが
普通は騎士道を掲げる騎士ですら恩賞は欲しがるものだ。
何の欲も出さずに恩賞を断った人間など、決して短くない彼の国王人生の中でも見たことがない。
フランソワにはリオという人間の本質が見えなかった。
「よし、決めたぞ。そなたに名誉騎士の称号を授けよう」
ひとしきり笑って落ち着きを取り戻すと、フランソワが言った。
室内が大きくざわめく。
「はっ? しかし、私は……」
話の流れが見えず、リオが戸惑いの言葉をもらす。
名誉騎士がどのようなものかは知らないが、騎士の称号を冠するからには貴族として扱われるのではないだろうか。
「なに、我が国に対して義務が生じるものではない。自国民に限らず国で武功を挙げた者を称えて贈呈する当代限りの称号のことだ。普通の騎士と異なり俸禄が出るわけではないし、国の臣下になるわけでもない。言うならば名誉職にすぎん。だが、国内では我が国の貴族と同列に扱われる。必要な手続を踏めば登城することも可能だ」
不審に思ったリオの考えを読んで、フランソワがつらつらと説明を行う。
彼の話を聞く限りでは、外国人に対しても贈呈することが可能な爵位のようである。
「私は得体のしれぬ人間です。そのような者に単独で登城が可能な肩書を与えるのは……」
「よい。もう決めたことだ。武功を挙げた者に恩賞を与えないなど、我が国の沽券にも関わることだからな。王族の命を救う働きをしたのだ。
ミシェルやシャルロット、クレティア公爵家からだけでなく、セントステラ王国を代表するリリアーナ王女やレストラシオンを代表するフローラ王女からも、そなたに十分な恩賞を与えるようにと強い要望が上がってきておる。素直に受け取るがよい」
辞退しようとしたリオであったが、フランソワがにべもなく恩賞を押しつける。
フランソワの態度は強硬だ。
国王が既に決定してしまった以上、リオがその決定を覆すことは叶わないだろう。
(沙月さんに会いやすくなることを考えれば登城できるのはありがたいが……)
リオが悩ましげな表情を
正直、気が進まなかった。
だが、
「ありがたき幸せ……」
リオは内心で嘆息しながら、謝辞を述べることにしたのだった。
ちなみに、名誉騎士の重みはリオが考えている以上に大きい。
名誉騎士とはフランソワが言った通り武功を挙げた人間に与えられる称号であるが、騎士の称号が付くといっても一般の騎士爵とはまったく異なる。
序列として国に縛られない以上、軍属になるわけではなく、その行動が国に縛られることもない。
だが、有事の際には通常の騎士と同じように現場の兵をその場で指揮監督する権限も認められており、最大で小隊規模の人員を率いることもできる。
つまりは、特権を与えられた信任の名誉職ということだ。
義務は課さないが特権は与えるという性質上、通常の騎士とは比べ物にならないくらいに叙任のハードルが高い。
武功及び人格に問題なしと国王直々に認められなければ決して与えられることのない称号であり、贈呈の対象が外国人となる場合には審査のハードルはさらに上がる。
それゆえ、名誉騎士の称号を冠する者には畏怖と羨望が寄せられるため、室内にいる貴族達が驚くのも無理はない。
中には反射的にリオが名誉騎士に叙任されたことに不満を抱いた貴族もいた。
だが、勇者の友人を保護し、三カ国にも及ぶ大国の王族達を狙った賊の半数近くを撃退し、フローラに至ってはリオが直接に助けたと言っても差支えのないという事実の数々。
これらを
何よりも助けられた当の王族達から恩賞を与えるようにと連名で要望が上がってきているのだから。
結局、不満を抱いた貴族達も静観することしかできなかった。
「名誉騎士には通称を与えるのが習わしになっておる。そうだな……」
ふむと唸って、フランソワはリオを見据えた。
思案顔を浮かべ、やがて何かを思いついたようにニヤリと笑うと、
「よし、これからそなたは《黒の騎士》と名乗るがよい。黒は何色にも染まらない。風来の身であるそなたに相応しいだろう」
尊大な口調で、そう言った。
国王から通称を与えられることも名誉騎士が羨まれる理由の一つなのだが、
(黒……の騎士?)
意表を突かれて、リオの顔は思わず呆けてしまいそうになった。
数瞬程、リオの思考が完全に停止する。
それから僅かに冷静さを取り戻したところで、その名を改めて頭の中で復唱した。
黒の騎士――。
何なのだろうか。
その小恥ずかしく、不名誉な称号は。
黒の騎士だなんて、恥ずかしくて誰にも名乗りたくないし、呼ばれたくもない。
だが、そんな感情はおくびにも出さず、
「はっ、謹んで拝命いたします」
と、リオは
(……厄日なんだろうか)
どうしてこうなったのだろうか。
どこかで疫病神にでも憑りつかれたとしか、リオには思えない。
沙月はくすくすと笑いをこらえるように、
(笑っているし。楽しんでいるな)
何となく沙月が愉快そうに思っていることを察し、リオが深くうな垂れた。
「それと今後は家名を名乗ることを許す。期限は定めぬゆえ、好きなものを考えるとよい」
「……御意に」
「正式な叙勲は今宵の夜会にて行う。そのつもりでな。以上だ」
それで謁見はお開きとなる。
この後の夜会でまたしても