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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第103話 巡り会う者達

 リオは王城へ戻ると、貴久とリリアーナに美春達が登城する気があることを伝えた。

 歓喜した貴久に祝福の言葉を贈ると、リリアーナが迅速に行動を開始する。

 流石は大国の第一王女というべきか、瞬く間に手回しを行い、美春達の登城を認めさせるべく、フランソワとの会談の機会を設けてしまった。

 会談は原則として傍聴が自由に認められている謁見の間ではなく、内々に話を進めるためにもフランソワの執務室で行われことになる。

 リオ、沙月、貴久、リリアーナの四人が足を運び、その場でフランソワに説明を行うことになった。

 美春達と貴久や沙月との関係、リオが美春達を保護してきたこと、貴久と沙月が美春達に会いたがっていること、そのために美春達をお城へと呼びたいこと、今後どうするべきかを話し合って決めたいこと――。


「用向きは理解した。彼女達を王城へ招き、タカヒサ殿とリリアーナ王女の客室に滞在することを許可しよう」


 話を聞き終えると、フランソワが張りのある深い声で言った。

 流石に勇者二人と他国の王族から直訴されれば、すんなりと要望は通るようだ。

 望み通りの展開に、貴久が安堵の笑みを浮かべる。


「ただし、条件がある」


 と、フランソワが言葉を付け足す。

 真面目な顔つきで話を聞いていた沙月であったが、その眉がピクリと動いた。


「条件でございますか?」


 リリアーナが動じた様子もなく尋ねる。


「うむ。そうだな……、まず、その方、ハルトと言ったな」


 深く頷くと、フランソワがリオを見やった。


「はっ。左様にございます」


 いきなり名指しで呼ばれたリオであったが、腰が据わった様子で返事をする。


「サツキ殿の友人を保護したこと、大義であったな。サツキ殿をようする我が国にとっても、タカヒサ殿を擁するセントステラ王国にとっても大きな実益をもたらした。これで勇者殿方の心のつかえも取れたというものだろう」


 と、フランソワがおもむろにリオのことを褒めだした。


「そうであるよな? リリアーナ王女よ」

「はい、仰せの通りかと」


 無垢な笑みを浮かべて、リリアーナが同意する。


「改めて言おう。ハルトよ、大義であった」

「身に余るお言葉にございます」


 いまいち読みにくい話の流れではあったが、リオは平静を保ったまま、うやうやしく謝辞を述べた。


「ふむ、そこでだ」


 フランソワが不敵な語調で告げる。


「午後からの謁見にて、賊討伐の件に加え、此度の一件の功績についても公式に礼を告げることにした」


 それはつまり、美春達の存在を城内で公にするということである。

 貴久は抵抗感を表すように、ムッと表情をしかめた。

 長きにわたって滞在するならばともかく、お城に呼んですぐに知らせるべきとは思えなかったのだ。


「王様、それは――」


 咄嗟とっさに反論の言葉を発しようとした貴久であったが、フランソワが手を挙げてそれを制止した。


「無論、彼女達をあまり人目に触れさせたくないと考える勇者殿方の懸念は余も理解しておる。だがな、かと言って、全くその存在を秘匿しようとすることも悪手なのだぞ?」


 滑らかに、そしてよく通る声で、フランソワが語る。


「多数の人間が歩き回る城内で……それも国賓こくひんの宿泊する部屋に客を呼び寄せるとなれば人目を避けることは困難だ。それは理解しているであろう?」

「それは……、フードで顔を隠すとかすれば……」


 もっともなフランソワの指摘に、貴久がたどたどしく意見した。


「無論、余が衛兵に命令すれば、顔を隠した者でも城内の素通りは可能だが、それではかえって悪目立ちするのではないか? 貴族達の目と耳の良さをあまり侮らぬ方がいい。不審な点に誰かが気づけば、その後は噂が流れるのは早いぞ」

「でも……、気づかれるのは仕方がないとしても、存在を明らかにすることとは話が別なのでは? わざわざ教えてあげる必要なんてない。黙っておけばいいはずです」

「だからこそ、そこが問題なのだ」


 ここぞとばかりに言って、フランソワが含みのある微笑を浮かべる。


「完全に隠し通せているのならばともかく、暗に知られている秘密は不信と不満を生む。無暗な干渉をなくしたいのなら、適度に情報を開示しておくことも必要だろう。人は好奇心を満たされれば満足する生き物であるからな」

「…………」


 貴久はまだ納得しかねている様子だが、フランソワの言葉に押し黙った。


(まぁ、こうなるよな)


 黙って話を静観していたリオであったが、特に今の状況に不満を覚えているわけではない。

 美春達を城に呼べば城主である国王の横やりが入ってくることは十分に予想できたことだ。

 今の展開は十分に想定内であるし、許容範囲内でもあるため、特に口を挟む気もなかった。

 沙月やリリアーナが特に異論を唱えず、黙って話を聞いているのは同じように思っているからだろう。

 ただし、リオの場合は、この場にいる人間達との間に明確な身分の差があるため、勝手に会話に割り込むことができないというのもあるが。


「それに昨日は賊の襲撃もあったばかりだ。今、城内の空気は張りつめている。だからこそ明るい知らせを貴族達に知らせてやりたいのだ。どうか承知してはくれぬか?」


 止めと言わんばかりに、フランソワが告げる。


「そう、ですね。そういうことでしたら……。ただ、謁見の場に彼女達を呼び寄せる真似はやめてくれませんか? 彼女達の意志に反して王侯貴族がいる場に連れ出したくありませんから」

「もちろんだ。余とて勇者殿方の連れ合いをさらし者にする気はないからな」


 貴久の言葉に、フランソワがおごそかに頷いた。


「ありがとうございます」


 ようやく気が済んだのか、貴久が得たりやおうと礼を言う。


「うむ。まあ、可能ならば今宵の夜会に参加してもらえればと思っているが、本人達の意志もあるからな。今後どうしたいのかも含めて、連れ合い方を交えて存分に話し合うとよい」

「……はい、もちろんです」


 貴久は顔を引きしめ、決然と首肯した。


(食えない王様だ)


 と、リオが内心で独りごちる。

 フランソワは嘘は言っていないが、本当のことを言っているとも思えなかった。

 日本にいれば中学校を卒業して高校に入学したばかりの貴久と、国王になるべくして生まれ育ち教育を受けて人生経験を積んできたフランソワ――。

 どちらが弁舌に長けているかなど比べるべくもない。

 とはいえ、積極的に何かを企んでいるわけではないだろうし、美春達に害悪が及ぶ真似をしようとしているわけでもないのだろう。

 勇者と真っ向から対立する真似は国王として最も避けなければならない事態なのだから、そこは嫌というほどに理解しているはずだ。

 だが、できるだけうまく立ち回って、あわよくば美味しいところを持っていこうとしているように思えた。

 まあ、ともあれ、これで美春達を城に呼ぶために必要な段取りがほぼ済んだことになる。

 後は細かい事務的な処理を行い、美春達を城へと呼ぶだけだ。

 それから、しばし必要な会話を行い、会談後、リオが騎士数名を引きつれて、宿屋にいる美春達を迎えに行った。


 ☆★☆★☆★


 美春、亜紀、雅人の三人が遂にガルアーク王国のお城へとやって来た。

 案内先は貴久とリリアーナが宿泊する客室。

 そこで、貴久と沙月、そしてリリアーナが待ち構えていた。

 美春、亜紀、雅人、沙月、貴久――、地球から召喚されて離れ離れになった五人が、この世界で初めて一堂に会した瞬間である。


「お兄ちゃん!」


 部屋に入り、貴久の姿を発見し、亜紀が歓喜の声を上げた。


「亜紀……、みんな!」


 貴久が感極まった顔つきを浮かべる。


「お兄ちゃん! お兄ちゃんだ!」


 亜紀が小走りで駆け寄り、貴久に近寄った。

 貴久が両腕を広げ、亜紀を受け止める。


「亜紀、良かった……。良かった!」


 言いながら、貴久が亜紀をぎゅっと抱きしめる。


「あはは、苦しいよ。お兄ちゃん」


 自らも貴久のことを抱き返しながら、亜紀が言った。


「っと、ごめん」


 慌てて貴久が亜紀を抱きしめる力を緩める。

 しかし、今度は、亜紀が貴久に抱き着く力をより強めた。


「んふふー、お兄ちゃんだ」


 と、貴久の胸に顔をうずめながら、亜紀が言った。


(……こんな表情もするのか)


 心底嬉しそうに貴久に甘える亜紀。

 普段はどちらかというとクールというか、口数が少なく人見知りな亜紀の姿を目にしているせいか、リオは少しだけ驚いていた。


「亜紀、元気だったか?」

「うん……、元気だったよ。お兄ちゃんは?」


 腕の中の亜紀がうるんだ目で貴久を見上げた。

 これまで感じてきた不安と悲しみ。

 その抑圧からようやく解放されたのだ。


「俺も元気だ。みんなのことだけが気がかりだったけど、会えて良かった……」


 会いたかった。

 愛おしい者達がすぐ目の前にいる。

 触れられる。

 ただただ、それが嬉しかった。

 貴久はそれが嬉しくて、仕方がなかった。


「えへへ……」


 亜紀はしばらく貴久に抱き着いたままであったが、ひとしきり兄とのスキンシップに満足すると、僅かに顔を紅潮させてそっと後ろへ身を引いた。


「雅人も元気だったか? もっと近くに来いよ。よく顔を見せてくれ」


 亜紀の背後に立っていた雅人に視線を送り、貴久が語りかける。


「いいよ、俺は。恥ずかしいだろ」


 抱き着かれてはたまらないと、雅人が照れくさそうな笑みを浮かべてぶっきらぼうに言った。

 久々に目にした弟の反応に、貴久が優しく顔をほころばせる。


「良かったね。みんな」


 仲睦まじい兄弟三人の様子を見守りながら、美春が優しく微笑んだ。


「えへへ、うん!」


 喜色満面の笑みで頷く亜紀と異なり、貴久と雅人は顔を見合わせ、気恥ずかしそうにはにかんでいた。


「雅人、少し大きくなったか? 立派になったな」


 まじまじと雅人の姿を見つめながら、感心したように貴久が言う。


「ん、そうか? まぁ成長期だからな」


 自分の手足を見ながら首を傾げ、雅人が答える。


「そうか」


 フッと笑みを浮かべ、貴久は雅人の肩にぽんと手を触れた。

 そのまま数歩離れた位置に立つ美春へと視線を移す。

 貴久はそっと目を瞑り、息を吐くと、決然と美春に近づいた。


「……会えて、良かった」


 言って、貴久が唐突に美春を抱きしめる。

 すると、その場にいた者達がそろって目を丸くした。


「え……?」


 あまりの突然のことに、美春も不意打ちを食らってしまったようだ。

 美春の身体は硬直し、数瞬の間、されるがまま抱きしめられていた。

 だが、ふと、ある時。


「ぁ……」


 美春が大きく目を見開いた。

 その視線の先に貴久は映っていない。

 映っているのは美春にとって幼馴染の少年、天川春人――の幻影。

 つい最近見たばかりの夢で、成長していた彼が、悲しそうな目で美春を見ていた気がした。

 それは夢の中で起きた出来事なのに、何故だか今も鮮明に美春の記憶に残っている。

 その悪夢が凝縮されたように一瞬でフラッシュバックしたのだ。

 やがて我に返った美春は色を失って、


「っ、や!」


 反射的に貴久を突き放した。

 明確な拒絶。

 普段の柔和な美春からは想像もできない反応に呆然としつつ、貴久が一歩、二歩と後ろへ下がる。

 貴久は目をしばたかかせると、


「え、っと……」


 貴久は愕然がくぜんと自らの両腕を見下ろした。

 まだ柔らかな美春の温もりが残っている。

 決して嫌がらせ目的で抱きしめたわけではない。

 再会できたことが嬉しくて、たまらなくて、感情が高ぶって、気づいたら身体が動いていたのだ。

 だが、結果的に美春を嫌がらせてしまったことに気づき、貴久はひどくショックを受けた。


「あ、その……」


 突き飛ばしてしまったことを悪く思っているのか、美春が済まなそうな表情を浮かべる。

 だが、美春はすぐに貴久から逃れるように視線をさまよわせた。

 怖い。

 何故だか怖くて堪らなかった。

 そうして、ふと、リオと視線が重なる。

 どこかかげりはあるが、リオは取り乱した美春を案じるように優しい顔つきを浮かべていた。

 その表情は夢の中の春人にとても似ていて、


「え……、あ、は……る、くん」


 夢の中の春人の顔が、リオの顔に重なったような気がした。

 次の瞬間、美春の顔がサッと青ざめる。


「ち、違う。違うの!」


 心臓が凍りついたような感覚に襲われ、気がつけば、何かを否定するように、美春は叫んでいた。

 突然に大きな声を出した美春に、その場にいた者達が目を丸くする。


「ど、どうしたの? 美春ちゃん、大丈夫?」


 沙月が明らかに冷静さを欠いた美春の両肩を掴んで、落ち着かせるように声をかけた。

 それで美春はハッと我に返り、目をしばたかせた。

 身体が鉛のように重い。

 だが、頭が急速に冷静になってくる。

 いったい何をしているのだろうか、自分は――。

 美春は急速に気恥ずかしくなり、忸怩じくじたる思いを抱いた。


「その……すみません! 驚いちゃって……」


 美春が申し訳なさそうに謝罪する。


「本当? 気分が悪くなったとか?」


 いて、沙月が美春の顔をじっと見つめた。


「い、いえ、そんなことないです」


 美春がぶんぶんと首を左右に振る。

 その顔色は少しだけ青白い。

 しばし、二人の視線が重なり続けた。


「そっか、まぁ、いきなり抱きつかれれば無理もないか」


 やがて、苦笑して言うと、沙月がジロリと貴久をにらんだ。


「貴久君。美春ちゃんと再会できて嬉しいのはわかるけど、女の子はデリケートなのよ。扱い方がまるでなってないわ。ただでさえ美春ちゃんは大人しい子なんだから」

「す、すみません。亜紀と抱き合った直後だったからというか、その、雰囲気に押されたというか、すごく嬉しくて、衝動的に……」


 貴久が顔を真っ青にしてしどろもどろに謝罪する。


「まぁ、気持ちはわかるけどね」


 沙月が憮然と溜息を吐く。


「もう大丈夫、美春ちゃん?」


 美春の肩に手を回すと、沙月が改めて顔を覗き込んで尋ねた。


「はい。その、本当に驚いただけで……、いきなりで混乱しちゃったというか」

「そっか……」


 沙月がじっと美春の顔を見つめる。

 美春もじっと沙月の顔を見つめ返した。

 先ほどの顔色の悪さはもうなくなっている。

 どうやら本当に驚いて少し混乱しただけのようだ。

 それがわかり、沙月はほっと息を吐いた。


「その、ごめん! 本当に!」


 不必要な弁明はせず、貴久が美春に深く頭を下げた。


「う、ううん。私こそごめんね。思いきり突き飛ばしちゃって……。痛くなかった?」


 美春がいたわるように突き飛ばした部位を見る。


「いや、全然。そんなに力はこもってなかったし。そんなことより俺の方が悪かったから! 本当にごめん!」


 勢いよくかぶりを振って、貴久が謝罪する。


「うん。その、私も大丈夫だから……」


 慎ましい微笑を浮かべて、美春は貴久の謝罪を受け入れた。

 だが、何となく微妙な空気が二人の間に流れる。

 亜紀がそんな二人のやり取りをやるせない思いで見つめていた。


「ねぇ、お兄ちゃん。なんかしばらく見ないうちに大胆になったね。前は美春お姉ちゃんの手すら握れなかったのに」


 と、努めて明るく、亜紀がニヤリと笑みを浮かべて茶化した。

 言われて、貴久が顔を真っ赤にする。

 そんな言い方をしたら自分が美春のことを好きなことがわかってしまうではないか。


「なっ、ばっ! 亜紀! そ、それは……」


 慌てて弁解しようとしたが、上手い言葉が出てこない。

 おそるおそる美春に視線を送ると、不思議そうに首を傾げていた。

 視線が合い、美春が愛想笑いで口許くちもとをほころばせる。

 そんな美春の表情を見て、貴久は胸が強く締めつけられるような気持ちになった。

 二度と会えないと思っていた絶望から解放され、喜びのあまり衝動的に美春を抱きしめてしまった貴久。

 彼が美春と出会ってからもう数年が経つが、これまで貴久は美春のことを好きでいながらも面と向き合う勇気がなかった。

 もちろん、希望的観測にすぎないのかもしれないが、美春が自分のことを嫌ってはいないとは思っていたし、美春と一番仲が良い男は自分だという自負もあった。

 中学に入って以降は、少しずつ周りの男子達も美春のことを意識するようになって、危機感を覚え、告白しようと思ったことも何度もある。

 ひょっとしたら告白したら普通にオーケーしてくれるかもしれない。

 そんな淡い妄想を抱いたこともある。

 だが、貴久は知っていた。

 自分と初めて会うずっと前から、美春が亜紀のことをずっと優しい笑顔で見守り続けてきたことを。

 亜紀も美春のことを実の姉のように慕っていることを。

 そして、そんな二人がお互いの関係をとても大事にしていることも。

 だからこそ、自分が美春に告白してしまうことで、亜紀と美春の関係を崩してしまうことが怖かった。

 元からあった二人の仲に雅人と一緒に入り込んで、その関係を維持しようと頑張ってきた。

 そうして四人でいる時間は、とても居心地が良くて、幸せだったから。

 まだ告白しなくとも、すぐに付き合えなくても、それでも構わないと思って、流されるように日々を過ごしてきた。

 そんな幸せな日々はずっと変わらずに進んでいくと思えたから。

 だが、ある日、貴久はたった一人でこの世界へと召喚されてしまう。

 その時、つい先ほどまであった幸せな場所が奪われたことを知り、貴久はただただ絶望した。

 見知らぬ人間、見知らぬ景色、見知らぬ環境、見知らぬ常識に、貴久は自暴自棄になってしまいそうにもなったが、そんな自分をリリアーナが癒してくれた。

 彼女のおかげで少しずつ元気を取り戻していき、ようやくこの世界に慣れてきたところで、貴久は地球にいた頃の夢を何度も見るようになる。

 自分がいて、美春がいて、亜紀がいて、雅人がいて、みんなが笑っている。

 それはとても優しくて、とても幸せな夢だった。

 だからこそ貴久は再び切望するようになる。

 みんなに会いたい。

 美春に会いたい。

 会うことが出来たなら、もう怯まない。

 何が何でも、今度は美春達のことを離して堪るものか。

 そんな想いを吐露すると、リリアーナは貴久に協力してくれることを確約してくれた。

 どんな些細な情報でも手に入ったらすぐに伝えると。

 貴久は強く歓喜し、リリアーナに強く感謝した。

 彼女のことを強く信頼するようになった。

 いつの間にかリリアーナも美春達と同じくらいに大切に思うようになっていた。

 そんなある日、リリアーナが約束通り手に入れた情報を教えてくれた。

 隣国にあるガルアーク王国にて開催される夜会で、皇沙月すめらぎさつきという勇者のお披露目を行うということを。

 そして、今日に至る。

 失ったはずの未来。

 それを前にして、美春達のことを絶対に離すものかと、貴久は再び想いを固めた。

 もう気遅れなんてしない。

 衝動的に美春を抱きしめてしまったのは、そんな強い気持ちの現れである。

 だが、冷静になって考えると、いきなり抱きしめてしまったのは本当にやりすぎだったと、猛省した。

 湧き出てくるのは気恥ずかしさと罪悪感。

 だが、不思議と後悔はしていなかった。

 今後は逃げずに直視しようと、今なら思えるのだから。


(温かかったな……)


 美春とあんなに密着したことなど初めてのことだった。

 押せば簡単に倒れてしまいそうな華奢きゃしゃな身体。

 柔らかな黒髪から放たれるふっと鼻をくすぐる甘い匂い。

 きょとんと目を見開き、至近距離から自分の顔を見上げている可愛らしく整った容貌。

 いとおしかった。

 その感覚が今もなお鮮明に身体に残っている。

 一瞬のことだったが、どうせならちゃんと感触を味わっておけば良かったのでは――。


(っ……何を考えているんだ! 俺は!)


 とんでもなく不埒ふらちなことを考えてしまい、貴久が激しく自省する。

 亜紀は顔を真っ赤にしてうつむいた貴久の顔をまじまじと見つめると、


「んふふー」


 と、実にご満悦な様子で、微笑んだ。

 その笑顔を見ていると、貴久は何だか力が抜けてしまった。

 この後、美春にもう一度ちゃんと謝ろう。

 貴久はそう決めた。

 すると、その時、


「お話し中に申し訳ございません」


 と、リオが語りかけた。

 室内にいる者達の注目がリオに寄せられる。


「私はこれから陛下との謁見に参らねばなりませんので、これで失礼させていただきます。細かい話はまた落ち着いた時にでも」


 柔らかな笑みを浮かべて、リオが言った。


「ごめんなさい。私も謁見の間に行かないといけないから、また後で話しましょう」

「私も参ります。外には護衛の騎士もおります。お世話役にフリルを置いていきますから、どうぞごゆるりとお待ちくださいませ」


 沙月とリリアーナもリオと一緒に謁見の間へと向かうことを告げる。

 貴久と美春達はこの部屋で留守番だ。


「それでは……。また後ほど」


 告げて、リオは美春達に微笑みかけた。

 美春、亜紀、雅人。

 三者三様に少しずつ異なる表情を浮かべているが、恐怖や不安といった感情は見受けられない。

 どこか安堵している様子も伝わってくる。

 そんな美春達の表情を見ていると、きっとこうして会えたことは間違いではなかったのだと、そう思えた。

 ふと、リオと沙月の視線が重なる。

 沙月も四人が再会できたことを良かったと思っているのか、穏やかな表情を浮かべていた。


「謁見が終わったらすぐに戻って来るからね。みんなでゆっくり話しましょ」

「はい!」


 沙月が語りかけると、元気な返事が戻ってきた。


「行きましょうか」

「ええ」


 頷き、リオ達が退室しようと身を反転させた。

 すると、その時のことだ。


「ハルトさん! ……あの……」


 貴久がリオを呼び止めた。


「はい。何でしょう?」


 ぴたりと足を止め、リオが振り返る。


「その、……すみませんでした! 昨日は熱くなってしまい、失礼なことも言ってしまいました」


 言って、貴久が深く頭を下げた。

 リオはきょとんとした表情を浮かべると、


「そのようなことは……。大切なご家族のことです。離れ離れになって会えないとなれば不安に思うのは当然のことでしょう。熱くなるのも無理はありません。むしろ私の方こそ申し訳ございませんでした」


 そう言って、貴久に頭を下げ返した。


「いや、ハルトさんは謝るようなことは何も……」


 戸惑い、貴久が否定する。


「いえ、会ったばかりの人間が踏み込むべき領域を越えていたことは確かです。兄である貴方を試すような発言をしてしまった」


 と、リオが静かに告げた。

 見た目の若さにそぐわぬリオの落ち着き払った対応に、貴久は驚いたように目を丸くする。

 大人だ、それに比べて自分は――。

 と、忸怩じくじたる思いを抱き、貴久は唇を噛みしめた。


「……謝るべきことはそれだけじゃありません。みんなを保護してくれた件でもお礼が遅れてしまった。……ありがとうございました。みんなを無事に保護してくれて、こうして俺達が再会できるように尽力してくれて」


 強い感謝の念を言葉に乗せて、貴久が再び頭を下げる。

 リオはゆっくりとかぶりを振って、


「みんなが喜んでいるのならそれでいい。それだけです」


 言いながら、リオが貴久の背後にいる美春達に微笑みかけた。

 視線が重なり、美春達が照れ臭そうにはにかむ。


「ありがとうございました! ハルトさん! 本当に……」


 美春達が強い感謝の気持ちを込めて、リオに頭を下げた。

 リオが穏やかに頷いて応じる。

 その様子を見て、四人の間に強い信頼関係があることを貴久は悟った。

 だが、どうしてだろうか。

 原因は不明だが、胸の内がかすかにざわめくのも感じてしまった。

 貴久が慌てて首を左右に振って、その感情を振り払おうとする。


「それでは。遅れるわけにもいきませんので、これで失礼します」


 突然に首を振り始めた貴久のことを不思議に思いながらも、時間に押されて、リオはいよいよ部屋を後にすることにした。


「はい、ありがとうございました」


 貴久は妙な胸騒ぎを押し殺し、立ち去るリオの背中に頭を下げ続けた。

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