第102話 選択肢
それは最終日の夜会が開催される日の午前中のことだ。
王都近郊の天気は快晴。
手すきの騎士が一人護衛につけられることになったが、知り合いに会いに行くという名目で、リオの外出許可はあっさりと下りた。
護衛の騎士はリオもまったく見知らぬ人物というわけではなく、賊の襲撃があった際に身を張ってフローラを守ろうとした若い男だった。
名をカイルというらしい。
(それじゃあアイシア。手はず通りに頼む)
右隣を歩くカイルを尻目に、リオは離れた場所にいるアイシアと念話で交信していた。
――わかった。今セリアとそっちに向かっている。このまま行けばすぐに接触できる。
リオが語りかけると、すぐにアイシアから反応が返ってくる。
アイシアと念話が可能な距離まで接近し、彼女を経由して簡単ではあるが美春達に事情を説明していたのだ。
貴久が美春達に会いたがっていること。
すぐに貴久と会うためには美春達から王城へ出向く必要があること。
お城に出向けば王侯貴族から注目を寄せられるであろうこと。
美春達のことを政治的に利用しようとする輩が近寄ってくるかもしれないこと。
今後、貴久と沙月と一緒に会える機会はいつ訪れるかはわからないこと。
再会後も貴久や沙月のいずれかと一緒にいるかどうかは美春達の意志を尊重すること。
そして――。
不安に思うのならば貴久や沙月と会うだけ会って、しばらくは自分と一緒にいても構わないこと。
伝えるべきことはすべて伝えた。
あまり時間はないが、少しでもゆっくりと考える時間を与えたかったことから、美春達にはそのまま宿屋に待機してもらうことになる。
しかし、知り合いに会うという名目で外出した以上、誰にも会いに行かぬままでいるわけにもいかない。
そこで、美春達が宿屋で話し合いをしている間に、リオはセリアと会ってカモフラージュを行うことにした。
リオと感応状態にあり位置を把握できるアイシアがいれば、街中で偶然を装ってセリアと遭遇することなど造作ない。
(ああ、見えた)
遠目から二人の姿を発見し、リオがアイシアに伝えた。
アイシアが白いワンピースの上にフード付きの黒いケープを被って顔を隠しているのに対し、セリアはレースの付いた可愛らしいピンクのチュニックワンピを着ている。
いつも通りのことであるが、セリアは白い髪の色を魔道具で金髪に変えていた。
その若々しい容姿と相まって、年齢は十代中盤くらいにしか見えず、良いところの御嬢さんといった感じだ。
――じゃあ私は美春達のところに戻るから。
リオがセリアと遭遇したところで、アイシアの念話が脳内に鳴り響いた。
視線の先にいるアイシアが身を
(ありがとう)
リオが礼を言って、そこで念話は終了する。
どうやらセリアもリオの姿を視界に収めたようで、僅かに目を丸くすると、うきうきと小走りで近づいてきた。
「ハルトじゃない。久しぶりね! 王都にはいつ来たのよ?」
あたかも久々に出会った友人のように、セリアがリオに話しかける。
「お久しぶりです。セシリア。王都に来たのは数日前のことです」
「そうなの? ならもっと早くに顔を見せなさいよね」
セリアが自然体でムッと可愛らしく頬を膨らませた。
即興で打ち合わせたとは思えない程に見事な演技である。
とはいえ、怒っていることは伝わるのだが、何故か全く迫力がない。
隣にいるカイルなどは、セリアの可憐な振る舞いに軽く忘我の表情を浮かべていた。
「色々と用事があったものでして。行き違いにならないで良かったです。これから会いに行こうと思っていたところでしたから。お出かけですか?」
「ううん、今なら大丈夫だけど、ちょっとお話できたりする?」
打ち合わせ通りの流れで、セリアが提案する。
「ええ、大丈夫ですよ。ちょっとお待ちください」
そう言って、リオが横にいるカイルを見やった。
「カイル殿、彼女が私の知り合いなんです。どこか店に入って話をしてきてもよろしいですか?」
「は、はっ、承知しました。自分は付近で待機しておりますので!」
カイルが慌てて右手を握りしめ、胸に当てて言った。
これがここいらの国では一般的な敬礼である。
「ありがとうございます。ではセシリア、行きましょうか」
「うん。でも、連れの人は放っておいていいの?」
「大丈夫です。彼は俺の護衛でして。言ったでしょう。これからセシリアに会いに行こうと思っていたって」
「そう? まぁ、大丈夫ならいいけど、そこら辺も含めて話を聞かせてちょうだい」
それから、リオとセリアは手ごろな喫茶店に入った。
外の喧騒が響く、見通しが良いテラス席に座って、二人が向き合う。
カイルは同席しないで、店の外から二人の様子を眺めていた。
流石に会話の内容を聞くことはないようだ。
「突然すみませんでした。少し事情が込み入っていまして」
注文を終えて、二人きりになったところで、リオがセリアに謝罪した。
「ううん、大丈夫よ。まさか騎士を同伴してくるとは思わなかったけどね」
「実は訳があって今は王城に客人として宿泊しておりまして、彼はその護衛です」
リオが苦笑して、簡潔に事情を説明する。
「お城の客人? クレティア公爵家のじゃなくて?」
「はい。昨晩から王城に宿泊することになりました。まぁ、事情はまた今度説明します」
賊の襲撃があったと言ってセリアに心配をかけたくはない。
そう考えて、リオは話を逸らすことにした。
「そう? 問題ないならいいけど……今はミハル達の件が先かしら」
「はい。お伝えした通り、美春さん達の探し人が見つかりました。沙月さんと連携して彼に事情を説明したのですが、少しイレギュラーな事態が起きてしまいまして」
語って、リオが困ったと言わんばかりの表情を浮かべる。
「すぐに彼と会うためにはミハル達の存在を国に知らせないといけない状況になっちゃったってところ?」
と、セリアが大まかな事情を集約して尋ねる。
「はい。一人部屋の沙月さんと違って、貴久さんのすぐ傍には常に王女様とお付きの人間達が付いていることが痛いですね。城に滞在することで俺の行動の自由がだいぶ制限されてしまったことも厄介ですが」
嘆息しながら、リオが答えた。
「なるほどねぇ」
と、セリアが得心したように頷いた。
「ただ、何よりもセントステラ王国の第一王女に美春さん達の存在が知られていることが最大の問題なんですけどね。幸い今のところは他言しないでくれるようですが」
リオが言うと、セリアが
「あちゃー、王族に知られちゃったの? そりゃあ厄介ね。信用できる人物なのかしら?」
「……一応は。とはいえ完全に信用することはできませんが」
セリアの問いに、リオが数瞬の間を置いて首肯する。
昨晩、貴久とリリアーナの両名はリオと沙月に対して誓った。
この先、仮に貴久が美春達を保護した場合、彼女達の意志を尊重し、政治的な道具として利用されないよう努力することを。
しかし、正直なところ、亜紀と雅人の血縁者である貴久はともかく、リオはリリアーナのことを信用しきれていなかった。
国のトップである国王ならまだしも、ただの王女にすぎない彼女が必ずしも政治的なしがらみに抗えるわけではないのだから。
とはいえ、リリアーナが大国の王族である以上、邪険に扱えるはずもない。
最低限リリアーナのことを信用するためには背後にいるセントステラ王国に同内容の誓約をしてもらう必要があるが、それは現段階では実現不可能な話である。
結果、不敬スレスレの行いではあるが、妥協点として彼女に努力義務を負うことを誓ってもらって、暫定的に信用することにしたわけだ。
「とはいえ、亜紀ちゃんと雅人にとって貴久さんは兄にあたります。家族がお互いに再会を望んでいるのに、外野が必要以上に口を挟んで結論を出すことが正しいとも思えません」
リオは亜紀や雅人のことを保護しているのであって、奴隷として所有しているわけではない。
何より兄である貴久は亜紀と雅人に関して正当な保護権を主張できる立場にいる。
離れ離れになった家族同士が再会するべきか否か。
「彼女達にはすべてを知って、その上で判断を下す権利と義務がある」
リオが
再会した先に危険を
その選択肢を選ぶことが正解なのか過ちなのか、それは血縁者でもない者が主体となって答えを出す問題ではない。
そんな思いがリオの中にあった。
「だからリスクを承知で貴久さんと会いたいのか、美春さんも含めて三人の判断を信じて尊重することにしました」
「正論……だと思うけど、貴方はそれでいいの?」
尋ねて、セリアが
「……それは俺が決める問題じゃないですよ」
少しだけ寂しそうに微笑んで、リオが言った。
その答えにセリアが小さく
「……昔から思っていたけど、ハルトって人間関係に対して現実的というか、すごくドライよね」
やがてセリアがそんなことを語り始めた。
リオがきょとんとした表情を浮かべる。
「もっと……こう……周りに依存するというかさ。その――」
「お待たせしました! ご注文の品になります」
セリアが何かを伝えかけたところで、店員の女性が愛想良く注文の品を運んできた。
「どうぞ!」
見事な営業スマイルを浮かべて、彼女が金属製のティーポットに入った紅茶を陶器製のカップに注いでいく。
おかげで会話の流れが完全に断ち切られてしまった。
「どうも」
苦笑してリオが礼を述べる。
大事なところで話を中断されて、セリアが店員の女性をジトッと見つめた。
だが、それがすぐに逆恨みだと思ったのか、溜息を吐いて視線を解いてしまう。
しばし微妙な沈黙が二人の間に流れた。
「……いただきましょうか?」
「うん……」
リオが提案して、二人が温かい紅茶に口をつけた。
そうして喉を
「なんにせよ。私が宿を出る前の様子だと、ミハル達も悩んでいたわよ」
ややあって、セリアが言った。
「……そうですか」
リオの頬が
「もしミハル達が王城に出向くことになったとしたら、その場合の予定を
「俺はいったん王城へ戻って登城の段取りを整えてきます。その後、国の人間と一緒に出向いて美春さん達を迎えにくることになるかと」
「了解。私にできることはある?」
「いえ、大丈夫です。今、ガルアーク王国の城にはベルトラム王国の人間が大勢いますから、セシリアはアイシアと一緒に留守番をお願いします」
と、リオが首を左右に振って告げる。
流石にセリアをガルアーク王国の王城へと連れて行くわけにはいくまい。
今、あの城の中にはベルトラム王国の貴族も大勢いるのだから。
セリアは一瞬だけ目を見開くと、
「そっか。お城にはベルトラム王国の人達がいるんだ……」
呟いて、少しだけ顔を曇らせた。
リオがそんなセリアの表情の変化を機敏に察する。
「中には王立学院で俺と同期の人間もいました」
と、おもむろにリオが語りかけた。
セリアがぎょっとする。
「大丈夫だったの? 気づかれたりしなかった?」
「はい。素性が割れることはありませんでしたよ。ただ、フローラ王女からどこかで会ったことがないかと尋ねられた時はひやりとしましたが」
そう語るリオの
「そう、フローラ王女が……。意外かもしれないけど、殿下は人の本質を見る素晴らしい観察眼をお持ちだわ。貴方の雰囲気で何となく違和感を覚えられたんじゃないかしら」
「そう、なんでしょうか? ちょっと想像しにくいですが……」
リオはフローラに対して物静かで引っ込み思案な少女という印象を抱いていた。
王族とは思えないくらいに腰も低い。
いつもおどおどした態度で、どこか人の顔色を窺っているような節がある。
もしかしたらセリアの言う観察眼とはそういったところを指しているのかもしれない。
そう思った。
「少しわかるような気もしますね。勘も鋭そうではありました」
「でしょう?」
と、少し誇らしげに、セリアが言った。
「セシリアこそよく見ているじゃないですか、生徒のこと」
「え? うーん、まぁこう見えても教師歴は長かったからね。何年も生徒と接しているうちに少しずつ……ね」
セリアが少しだけ照れ臭そうにはにかむ。
だが、その笑顔は少し寂しそうでもあった。
「気になりますか? ベルトラム王国のことが」
じっとセリアの瞳を覗き込んで、リオが
セリアは少し面食らったような表情を浮かべたが、
「まぁ……そうでもないわよ」
と、そっけなく答えた。
そんなセリアの反応に、リオが小さく息を吐く。
「王城にいるベルトラム王国の貴族達はフローラ王女を盟主に添えて、レストラシオンという特別政府を正式に設立しました。勇者であるヒロアキ=サカタも
リオが唐突にベルトラム王国の現状を語り始める。
「……へぇ、そうなんだ?」
台詞とは裏腹に、セリアが興味を惹かれた様子を見せた。
やはり祖国のことは気になるようだ。
「加えて、一昨日の夜会で、ガルアーク王国はレストラシオンと連携を組むことを正式に表明しました。クーデター以降、ベルトラム王国本国とガルアーク王国の二か国は表向き同盟関係を維持したままでしたが、両国の同盟が破棄される日も近いでしょう」
ベルトラム王国の特別政府であるレストラシオンを公式に支持すると表明した以上、ガルアーク王国がベルトラム王国本国との同盟関係を維持することは名実ともに不可能となった。
ここ最近は沈黙したまま動きを見せていないベルトラム王国本国であるが、自政府の承認を得ていない特別政府が正式に誕生してガルアーク王国と同盟を締結したとなれば、今後きな臭い空気が漂うことは避けられないだろう。
「っ、そう……」
祖国を巡る
「これまで通りベルトラム王国本国は目立った動きを見せてはいないようですね。内乱で二分し国力が低下した状態にありますから、荒事は避けたいと思っているのでしょう」
「まぁ……、今のベルトラム王国の状態でガルアーク王国と戦争はしたくないでしょうね。北方にはプロキシア帝国もいるし。あの国がこの情勢でどう動くかは読めないもの」
眉間にしわを寄せて、セリアが語る。
「そうですね。その牽制の意味を込めて、ガルアーク王国は今回の夜会で勇者であるサツキさんの存在を大々的に公表したんでしょうが……」
途中まで言って、リオが言葉を不自然に切る。
リオの脳裏には昨晩に起きた賊襲撃の件がよぎっていた。
昨今の国際世情を
ガルアーク王国内に二か国のスパイが潜り込んでいたか、夜会に招待した国々の王侯貴族の中に二か国の息がかかった人物がいたか。
そこまで考えて、リオが思考を打ち切る。
どちらにせよ自分には関係のないことだと思ったからだ。
「当面は三国が牽制しあう形で冷戦に発展するんじゃないか、というのが俺の予想です。クーデターの背後にはプロキシア帝国の影がちらついていたという話もありますが、ベルトラム王国本国も素直にプロキシア帝国に恭順するとは思えませんしね」
「……そうね。今リオから聞いた話を前提にすると、私もそう思う」
セリアが少し難しい顔をして首肯する。
「確かクレール伯爵領はベルトラム王国東部に位置していましたよね。付近にはレストラシオンの本拠地であるロダン侯爵領もあります。そのことも踏まえてご実家に戻る心構えをしておくとよいでしょう」
語って、リオが困ったように微笑んだ。
「……それって……」
リオから差し向けられた視線に、セリアが困惑した表情を浮かべる。
「貴方を助ける時、言ったでしょう? 俺はセシリアには幸せになってほしいんです。だから貴方が幸せになる居場所があるのならいつでも言ってください。そのための助力は惜しみませんから」
少しだけ照れくさそうにはにかんで、リオが告げる。
それは、つまりは――。
リオが言わんとするところを薄々と察して、セリアが目を丸くする。
「今回の件が片付いたら予定通りクレール伯爵領へ向かいましょう。おそらく数日中には出発できると思いますので、それまでアイシアとお待ちください」
普段通りの柔らかい口調で、リオが言った。
「……うん。ありがとう……」
何だか無性に泣きたくなってきたが、セリアはぎゅっと唇を噛みしめて、頷いた。
別に脅迫まがいの政略結婚から逃げ出したことに後悔はない。
だが、国が大きく二つに分裂しているというのに、家族がそんな国で貴族の役目を果たしているというのに、自分だけがのうのうと幸せに日々を過ごしてもいいのだろうか。
今までセリアは心の中で常にそんな疑念を抱えていた。
自分としては上手く隠して暮らしていたつもりだったが、この話の流れだとリオにはすべて見透かされていたのだろう。
その上で今リオは背中を押してくれているのだと、セリアは気づいた。
後悔しないよう、好きな道を選べばいいと。
選択肢を提示してくれた。
今、美春達に対してしていることと全く同じだ。
セリアが名状しがたい感情を抱く。
と、その時、
――春人、美春達が貴久と会うことを決めた。
リオの脳内にアイシアの声が響いた。
突然に語りかけられるこの感覚は何度経験しても慣れるものではないなと、リオが苦笑する。
(……わかった。これから先生と別れてお城に戻る。今度はお城の人間を引きつれて宿屋へ戻ってくると思うから、アイシアは先生と一緒に別行動してくれ)
――わかった。
念話を終えて、短い沈黙が二人の間に降りた。
一秒、二秒。
そうして、
「美春さん達が貴久さんと会うことを決めたようです」
少し硬い声で、リオが言った。