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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第101話 貴久の気持ち

 賊の襲撃後、夜会は中断されることになった。

 実行犯である賊達が禁呪により死亡してしまったため、犯行動機や黒幕に繋がる情報を得ることはできていない。

 だが、賊を城内に招き入れた者が存在することはほぼ確実視されている。

 自国の人間に裏切り者がいたのか、あるいは招待された国に所属する人間の仕業なのか。

 いずれにせよガルアーク王国は顔に塗られた泥を拭って名誉を挽回しようと躍起だ。

 とはいえ、王城内には様々な国に所属する人間が招待されている以上、疑り出せばどの勢力に所属する者にも容疑をかけることができてしまう。

 国にできることといえば、城内の警戒度を最大限にまで引き上げることくらいしかなかった。

 お城の中には準戦闘態勢で兵士が配置され、外部からの侵入者に目を光らせているのはもちろん、城内の人間が不審な行動に出ないように監視も行っている。

 客人が城内を出歩くには届出という名の許可を必要とし、城に勤める人間であっても不必要に出歩けば兵士に誰何すいかされるほどだ。


「はぁ……」


 厳戒態勢の敷かれたお城の中にある立派な客室の中で、疲れを吐き出すように息を吐く音が響いた。

 溜息を漏らした人間――リオが豪華なベッドの上に腰を下ろしている。

 賊の撃退に大きく貢献したことを褒め称えられ、リオはクレティア公爵邸ではなく、王城に宿泊することが決まった。

 一人部屋とは思えぬ程に広い客室を用意され、快適で、悠々自適と何不自由なく過ごすことができる環境にいるのだが、リオが気を休めることはできていなかった。


(まさか世話役まで与えられるとは)


 リオがちらりと壁際に視線を送る。

 そこには女中が二名控えていた。

 いずれも歳は若く、見た目も美しい。

 客人の世話は下働きを担当する下女と呼ばれる下女中ではなく、上女中の仕事だ。

 彼女達はおそらく行儀見習いで城に仕えている貴族の娘なのだろう。


(……予定が狂うな)


 天井を仰ぎながら、リオが内心でぼそりと独りごちる。

 扉の外には多数の兵士が見回りをしているだろうし、室内には見知らぬ他人が二人もいて、こんな状態ではこっそりと部屋を抜け出すこともできやしない。

 多少の制約はあるものの、客人が城内を出歩くことは認められているが、リオが城内を出歩こうとすれば、漏れなく彼女達が一緒に付いてくるだろう。

 沙月に会いに行くのならば正面から堂々と訪ねるしかない。

 とはいえ、現時点でリオから沙月の部屋へ訪れるだけの表向きな口実がないのだが。


(別に容疑者扱いされているわけじゃないだろうけど、どうしたもんか)


 いくら恩人とはいえ、現状、国からすればあまり素性の知れない人間を一人で歩かせるわけにもいかないのだろう。

 世話役達はリオが勝手な動きをしないように観察する役割も担っているのかもしれない。

 このままリオが寝る時まで同室するとは思えないが、監視体制を完璧に把握していない以上、就寝時以降も不審な真似は可能な限り控えるのが無難だ。

 この厳戒態勢の中で不審行動に出たことが判明すれば、それだけで賊の件に絡めて追及されるおそれもあるのだから。

 しかし、他方で、事を急がなければならないのも事実だった。

 沙月はガルアーク王国で勇者をやっており、貴久はセントステラ王国で勇者をやっているのだ。

 貴久が帰国してしまえば、今後、全員が一緒に集まって話し合える千載一遇のチャンスがいつ訪れるかはわからない。

 明日の夜会が開催されるかは現時点では未定であるが、いずれにせよ貴久がガルアーク王国に滞在する期間は限られている。

 その間に色々と上手くやらなければならない。


(落ち着け。状況を整理しよう)


 今後の展開の予測を立てるためにも、冷静になって分析する必要がある。

 まず問題となるのは沙月が貴久にどこまで伝えたのかということだ。


(彼と最後に会った時の様子を見る限り、俺が美春さん達を保護していることはもう伝えてあるはず……)


 リオは貴久とお互いに自己紹介をする前に、沙月と貴久が意味深長な会話をしていたことを思い出した。

 あの時、貴久はリオを指して沙月に何かを尋ねていた。そして沙月はそれを肯定した。

 この会話からリオが美春達を保護していることを貴久は知っていると予想できる。

 だが、沙月と貴久が別行動を開始してから、賊が襲撃してくるまで、時間にして十分も経っていない。

 その間にどこまで伝えることができたのか。

 不確定事項が多すぎて、リオの中で焦燥感が押し寄せる。

 だが、焦ったところで事態が好転するわけでもない。

 賊の襲撃によってリオの予想とは異なる展開で事態が進行しているが、人生にイレギュラーは付き物だ。

 人が人である限り、この世に起きるすべてのことを予想できるはずもないのだから。


(最低限、俺ができることはした。もしかしたら沙月さんが何か行動を起こしている可能性もある。大人しくこの部屋で待つしかない)


 リオから沙月に会う口実を作るのはともかく、勇者である立場を利用すれば、沙月からリオに会う口実を作るのはさほど難しいことでもないだろう。

 沙月からリオに会うべく行動を始めているかもしれないし、貴久と会っている可能性だってある。

 状況を把握しないまま下手に動くのはリスクが大きい。

 そう考えて、リオは意識を切り替えることにした。

 できることならば横になって身体を休めたいところだが、見知らぬ女性が二人もいる部屋の中でくつろぐことなどできるほどリオの神経は図太くない。


(……ん?)


 ふと、リオは女中達から自らに視線が寄せられていることに気づいた。

 物憂げな顔で天井を見上げるリオの横顔を、好奇のこもった目でじっと見つめていたのだ。

 リオは女中達に視線を向けて、


「どうかしましたか?」


 と、そう尋ねた。

 女中達はハッとした表情を浮かべると、


「い、いえ。なんでもございません。失礼しました」


 と、顔を赤らめ、慌ててかぶりを振る。


「そうですか……」


 そこで会話が終了する。

 会話が持たない。

 というよりも気まずい。


(何か話した方がいいのか? と言ってもな……)


 彼女達の側から客に話しかけるのはマナー違反だが、客であるリオから話しかけるのならば話は別だ。

 だが、女中に接待された経験など皆無に等しいため、リオはこういう状況で何を話せばいいのかわからなかった。

 しかも相手は女中とはいえ、おそらく貴族の令嬢だ。

 対するリオはただの平民。

 身分的に上の人間が下の人間に尽くす。

 何ともあべこべな状況である。

 そうしてリオが妙な居心地の悪さに悩んでいたその時、部屋にノックの音が鳴り響いた。


「ハルト様、よろしいでしょうか?」


 ドア越しに男の声が聞こえた。


「はい。少しお待ちください」


 答えて、身を起こし、リオが立ち上がった。


「私が扉を開きます。ハルト様はそちらでお待ちくださいませ」


 客に仕事を奪われるという本末転倒な事態を避けるため、女中がリオを制止し、小走りで扉へと向かう。

 扉を開けると、そこには城の騎士が立っていた。

 廊下には巡回中の衛兵達の姿も見える。


「何のご用でしょうか?」


 女中が騎士に用向きを尋ねた。


「はっ。セントステラ王国の勇者、タカヒサ=センドウ様がハルト殿との面会を望んでおられます。ご同行願えますか?」


 機敏に敬礼を行い、騎士が通りの良い声で告げた。


「タカヒサ殿が私に、ですか?」


 部屋の中で話を聞いていたリオがく。


「はっ。『話をしたい』とのことです」

「なるほど」


 このタイミングで貴久から呼び出される理由があるとすれば、思い当たる節は一つしかない。

 だが、貴久はどこまで状況を把握しているのだろうか、沙月も一緒なのだろうか。

 リオの頭の中でそんな疑問がもたげたが、


「承知しました。案内をお願いします」


 頷き、リオは貴久がいる場所へと向かうことにしたのだった。


 ☆★☆★☆★


 女中一名を引きつれ、もう一人を留守番に残し、リオは貴久が宿泊している部屋の前までやって来た。

 扉の前には騎士服を身に着けた少女が二人立っている。

 歳はリオと同年代くらいと言ったところか。

 一人は小柄で、もう一人は女性平均よりやや高いくらいの身長である。

 小柄な少女はリオの顔を見ると、


「あー、さっきの強い人だぁ!」


 と、少し間の抜けた声で、そう言った。


「こら、アリス!」

「す、すみませーん。キアラ先輩」


 叱られて、アリスと呼ばれた小柄な少女が慌てて謝罪する。

 キアラと呼ばれた少女がにっこりと迫力のある笑みを浮かべてアリスをにらんだ。

 意訳すると、「謝る相手は私じゃないでしょう?」となる。


「す、すみませんでした!」


 アリスがリオにぺこりと頭を下げる。


「同僚が失礼しました。申し訳ございません」


 キアラもアリスに続いて謝る。


「いえ、問題ございませんので」


 リオが特に気にした様子もなくかぶりを振った。


「ハルト様ですね。タカヒサ様とリリアーナ王女殿下がお待ちになっております。少々お待ちください」


 そう言うと、キアラは扉に向き直ってノックした。


(リリアーナ王女もいる?)


 想定外の人間がいることに、リオがちょっとだけ面くらう。


「ハルト様がご到着になりました」

「どうぞお入りください」


 室内から男性の声が響いてくる。


「許可が下りました。どうぞお通りください」


 扉を開けると、キアラが入室を促した。


「では私はこの場でお待ちしております」


 リオに付いてきた女中が言った。

 流石に他国の王族がいる部屋にまで付いていく真似はできないようだ。


「承知しました。それでは行ってまいります」


 リオは身をひるがえすと、貴久達が待つ部屋へと歩き出した。


「失礼します」


 言って、リオが室内に入る。

 そこは高級感のあるクラシックホテルのような造りで、内装はリオが泊まっている部屋と変わりはない。

 だが、室内面積は貴久の部屋の方がだいぶ広いように思える。

 ベッドの数も何台かあることから、多人数で宿泊するために造られた部屋なのだろう。

 部屋の中央にしつらえられていた木製のテーブル。

 そこに貴久とリリアーナが座っていた。

 すぐ傍には騎士服を着た女性と、エプロンドレスを着た侍女と思しき少女がいる。


「よく来てくれました。ありがとうございます」


 椅子に座っていた貴久が立ち上がり告げた。

 リリアーナも席を立ち、にこやかにリオに微笑みかけている。


「いえ、暇を持て余していましたので」


 リオがほがらかに笑みを浮かべて応じる。

 だが、内心で疑問符を浮かべ、


(いったい何の用だ?)


 と、そんなことを思い、少しだけ目を細めた。

 部屋の中で待ち受けていた人物は貴久を含めて四人。

 沙月の姿はなかった。

 美春達の件について話をするというのなら、貴久以外の人間が三人もいる理由がわからない。


「どうぞ座ってください」


 貴久がリオに向かい側の席に座るよう勧めた。

 この状況は少しばかり解せないが、


「失礼します」


 軽く一礼して、リオは素直に従うことにした。

 キアラがリオの椅子を引く。


「ありがとうございます」


 リオがキアラに礼を告げ、着席した。

 一礼し、キアラが部屋の外へと出ていく。

 全員が着席したところで、侍女がお茶を用意し始める。


「ハルト様、先ほどはありがとうございました。おかげで助かりましたわ」


 にこにこと純真可憐な笑みを浮かべながら、リリアーナが礼を告げた。


「僕からも礼を言わせてください。リリィを守ってくれたようで」


 貴久も深く頭を下げて、お礼を言う。

 二人とも強い感謝の念が感じられる真摯しんしな態度だった。


「いえ、私は自分に襲いかかってきた賊を撃退しただけですから。リリアーナ王女殿下の身に危険が及ばずに済んだのは、お付きの皆様やこの国の騎士の方々のおかげでしょう」


 リオが小さく首を左右に振って語る。

 呼び出されたのは先ほどのお礼を言うためだろうか。

 それならリリアーナ達が同席している理由もわからないでもない。


「いえ、ハルト様がいらっしゃらなければ、私も襲われていたかもしれませんわ。もっとご自分のなされたことに誇りをお持ちくださいませ」


 くったくのない笑みを浮かべて、リリアーナが言う。


「私には身に余るお言葉です」


 リオが愛想笑いを浮かべて告げた。


「謙虚なのですね」

「いえ、そのようなことは」


 リオはゆっくりとかぶりを振った。


「そろそろ先輩……沙月さんも来るはずです。話はそれから」


 と、貴久が言ったちょうどその時、部屋の中に扉をノックする音が響いた。


「サツキ様をお連れしました」

「来たみたいですね。どうぞお入りください」


 貴久が言うと、素早く侍女が動き、扉を開ける。

 すると沙月が姿を現した。

 室内にいた三人の姿を視界に収め、沙月の目が小さく見開く。


「……どうも。こんばんは」


 入るなり目を丸くし、しかるのち沙月がぺこりと小さく会釈する。

 リリアーナは笑みを咲かせてそれに応えた。


「こんばんは。お呼び立てしてすみません、先輩。どうぞ座ってください」


 貴久が沙月に席を勧める。


「ありがとう。失礼するわね」


 頷き、沙月がおずおずとリオの隣にある空席に座った。

 一緒に入って来たキアラは沙月が座るのを手伝うと、またしても部屋の外へと出て行った。


「フリル、お茶を淹れたらヒルダと一緒に退室なさい。タカヒサ様がお二方に大切な話をしたいとのことですから」


 と、リリアーナが人払いを命じる。


「畏まりました。姫様」


 フリルと呼ばれた侍女が粛々と返事をした。

 ヒルダと呼ばれた女性騎士は微かに不満そうな顔を浮かべたが、異論を唱えることはせずに黙ったまま背後に立っていた。

 それから一分ほどでお茶を淹れ終えると、ヒルダとフリルが退室し、部屋にはリオ、沙月、貴久、リリアーナの四人が残されることになった。

 室内に数秒の沈黙が訪れる。

 ややあって、


「お二人を呼び出したのは他でもありません。その……今後の三人のことです」


 申し訳なさそうな表情を浮かべて、貴久が話を切り出した。


「今後の三人?」


 沙月が訝しげに復唱した。


「……彼、ハルトさんが保護している三人の事です」


 勘違いの余地がないよう、リオを見やって、貴久が断言した。


「ちょ、ちょっと待って。……教えちゃったの? お姫様に」


 沙月が泡を食ったように反応する。

 リリアーナはセントステラ王国の王族にあたる人間だ。

 つまり、彼女に知られるということは、彼女の背後に控えるセントステラ王国にも知られたことを意味する。

 リオと沙月が視線を送ると、リリアーナは少し困ったように微笑んでいた。

 リリアーナが何かを口にしようとしたその時、


「すみませんでした」


 机にぶつかるスレスレの位置まで、貴久が頭を下げた。


「先輩から聞かされた懸念はもっともだと思いました。俺もあの三人が政治の取引材料にされるなんて考えたくもない」


 罪悪感に押しつぶされそうな声で貴久が語る。


「なら……どうして? お姫様に教えるなら、せめて事前に相談くらいしてほしかったんだけど……」


 僅かに顔をしかめながら、沙月が呟いた。


「申し訳ございません。私が無理に尋ねたのですわ。夜会の後になって憔悴しょうすいしたタカヒサ様のことを不安に思ったのです」


 貴久の代わりに、リリアーナが申し訳なさそうな声で答えた。


「リリィは悪くないです! それは俺がっ!」


 机をたたくようにして立ち上がり、貴久がリリアーナを庇う。

 そうして少しばかり場の空気がヒートアップしたところで、


「落ち着いてください」


 と、リオが冷静に告げた。

 室内にいる他の三人の視線がリオに集まる。


「話してしまったものは仕方がありません。ですが、どうして話してしまったのか、貴久殿がどうしたいのか、順を追ってご説明くださいませんか?」


 語って、リオがそのままリリアーナに視線を向ける。


「リリアーナ王女殿下。夜会が終わった後、タカヒサ殿が憔悴なさったとのことですが、何があったのですか?」


 リリアーナの話を聞く限り、貴久が憔悴した原因はそのまま貴久がリリアーナに美春達のことを話した理由に繋がるように思える。

 リオはそれを知りたかった。


「それは…………」


 貴久が言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「おそらく心配で仕方がなかったのかと。この世界に来た当初、タカヒサ様はご家族やご友人のことをうれいて、ひどくお悩みになっておりましたわ。元の世界には大事な人達がいるのだと。

 それから、元の世界に戻る方法がないと知り、絶望もしました。ここ最近は随分と明るくなりましたが、その方々がこの世界にいらしているというお聞きになって、居ても立ってもいられなくなったのでしょう」


 リリアーナが貴久の様子を見かねて、滔々(とうとう)と語る。


「そもそも我々が今回の夜会に出席したのも、タカヒサ様のご友人であるサツキ様がガルアーク王国にいらっしゃるという情報を得たからです。

 サツキ様と別行動をして、賊が襲ってきた後に、急にタカヒサ様の顔色が悪くなったものでして、もしかしたらお知り合いの方々の情報を得られたのではないかと尋ねたのです」

「……なるほど」


 リオが納得したように頷く。

 一応、話の筋は通っているし、理解できない話でもなかった。

 家族、恋人、友人、そういった最愛の者達から引き離される心の痛みは想像に難くない。

 春人の両親が離婚した時、せっかく再会できた幼馴染が失踪した時、リオの母親が殺された時、この世界に転生して記憶を取り戻した時――。

 春人は、リオは、少なくとも四回はその喪失感を味わっているのだから。

 個人差はあれど、まるでごっそりと心臓を取り除かれてしまったかのような心の痛みからは、そう簡単に立ち直れるものではない。

 相手のことを強く思えば思うほどに、その痛みは一入ひとしお強くなることだろう。


「つまりタカヒサ殿はミハルさん達が地球にいると思っていたわけですか。ですが、最近になってサツキ様の情報を得て、ひょっとしたらミハルさん達もこの世界に来ているのかもしれないと思ったと。そして、そのことをリリアーナ王女殿下にお話になった」


 一緒にいた人間が傍にいなくなって、自分一人だけが異世界にやって来てしまったとしたら、不安に思って心理的に不安定になるのは無理もない。

 沙月もそうだったのだから。

 きっと現実世界に強い未練があったのだろう。

 そして、もしかしたらその未練は美春達の存在なのかもしれないと、リオは思った。


「……はい。そうです。彼女は俺に協力してくれると言ってくれたので……」


 貴久が戸惑いと悩みを織り交ぜた複雑な顔で肯定した。

 貴久や沙月がこの世界にやって来てから既に三か月以上が経過している。

 その間に少しずつ精神的なダメージから回復したのだろう。

 だが、そんな時に隣国に沙月も召喚されていたという情報がもたらされ、沙月からは美春達に関する情報がもたらされた。

 きっと動揺したに違いない。


(まぁ、彼が動揺するのは予想はできていたことだ)


 そう、程度の差こそあれ、貴久が美春達の存在を知って衝撃を受けることは事前に予想できていたことだ。

 計算外な点があるとすれば、予想の範囲を超えて貴久がショックを受けすぎたということか。

 美春達の情報を掴んだとたん、動揺を隠しきれず、リリアーナが異変に気づくきっかけを与えてしまった。

 彼女に尋ねられ、秘密を貫き通すことができず、秘密を漏らしてしまった。

 それらは貴久の弱さがもたらした結果なのかもしれない。

 あるいは、弱みを見せてしまうことができるくらいに、貴久がリリアーナのことを信頼しているか。

 だが、貴久はまだ高校一年生になったばかりの少年なのだ。

 十五歳、十六歳程度の少年なんて脇が甘くて当然、感情を抑えて振る舞えというのは酷な話なのかもしれない。


(俺の予想が甘かったか。自分が大丈夫なことが他人も大丈夫とは限らない。……いや、常にリリアーナ王女が傍にいる以上、いつ教えても同じ結果になっていた可能性は高い)


 そう結論を出して、リオが小さく嘆息する。

 じっと考え込むように机の上に置かれた茶器を眺めていたリオだったが、ふと隣から視線を感じた。

 何やら沙月がすがるような視線をリオに寄こしている。

 これで良かったのだろうか、と。

 それに気づき、リオは柔らかな笑みを浮かべると、


「タカヒサ殿はどうしたいとお考えなのですか?」


 と、そう尋ねた。

 知られてしまった以上は貴久をとがめても仕方がない。

 生産的な話をするためにも、リオはひとまず貴久の意志を確認することにした。


「……俺はあの三人を保護したいと思っています。俺がこの手でみんなを守りたい。悔いが……ないように……」


 ぎゅっと拳を握りしめ、貴久が言った。

 この答えは十分に予想の範囲内である。


「なるほど。では、仮にあの三人がお城での生活に不安を抱いているとして、付いていくのが怖いと答えたら、貴方はどうしますか?」


 そう尋ねるリオの口調は実に淡々としたものであった。

 貴久が僅かに目を丸くする。


「そんなことはありません。きちんと説得します」


 貴久の語気が少しだけ強まった。

 亜紀や雅人とは妹弟きょうだいなのだ。

 見知らぬ他人から一緒にいようとすることをとやかく言われる筋合いはない。


「説得するのとお城での生活が安全と言えるかは別問題でしょう?」

「リリィなら大丈夫です! 俺は彼女のことを信頼しています。リリィは王族だけど、俺の理解者だ。あの三人を政治の道具にさせないように協力してくれると言ってくれました」

「その言葉を保障できる根拠は何ですか?」

「彼女は王族です。俺も勇者だ。俺達が協力すれば国内で口出しできる貴族なんていない!」


 リオの言葉に揺さぶられ、貴久が少しずつ熱くなって反論する。

 随分と強い自信を持っているが、具体性には欠ける。


「どうやら貴方はリリアーナ王女殿下を強く信頼しているようですね。ですが、私もサツキ様も殿下のことはほとんど何も存じておりません。お二人がセントステラ王国でどのような立場にいるのかも」


 つまりは「信用できない」と、リオは遠回しに言っているのだ。

 面と向かって言ってしまえばリリアーナに対する不敬罪になりかねないため、それをストレートに口にすることはしなかったが。


「っ……それは……」


 何となくリオが言わんとしていることを察したのか、貴久は言葉に詰まった。

 だが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、


「話せば……みんなと会って話せばわかります」


 やがて、じっとリオの顔を見据えて、貴久が言った。

 リオは小さく溜息を吐くと、


「サツキ様、どうするべきだと思われますか?」


 と、隣に座って思案顔を浮かべていた沙月に尋ねた。


「お姫様に知られてしまった以上、もうさいは投げられたわ。彼の意志も決まっている。なら後は美春ちゃん達の意志次第……だと思う」


 軽い頭痛がしているのか、沙月が左手で頭を抱えながら答える。

 亜紀と雅人の兄である貴久に面会を認めないだけの権限が血縁者でもない自分達にあるのだろうか。

 そう悩んだ挙句、沙月が出した答えだった。


「問題はどのようにして会うかですね」


 リオが肩をすくめて言った。


「どのようにって……そうね、それが問題ね」


 沙月が反射的に「昨日と同じように」と言ってしまいそうになったが、口を噤んで、問題を提起するにとどめる。

 流石にリリアーナの前で城を抜け出して会えばいいとは言えるはずもなかった。

 まさか他国の王族を連れて城を抜け出すわけにはいくまい。

 それに今夜のお城の警備はかつてない程に厳重だ。

 灯りの量を増やし、上空への警戒も強めている。

 リオも世話役が同伴しているし、今回ばかりは密会にも反対であった。


「お二人はいつ帰国されるのでしょうか?」


 と、リオが貴久とリリアーナに尋ねた。


「残念ながら長居はできません。滞在を引き延ばす理由ができれば別ですが、夜会が終了すれば帰国することになっております」


 リリアーナが答える。


「なるほど。そうなるとますます揃って再会するのは難しそうですね」


 言って、リオは小さく嘆息たんそくした。


「あの、みんなは今どこにいるんですか?」


 貴久がおもむろに尋ねる。


「この王都にある宿屋に宿泊しています」

「宿屋って……警備は大丈夫なんですか?」


 貴久の眉根にしわが刻まれる。


「富裕層が泊まる高級宿です。すぐ傍には見回りをする兵士の詰所もあって、兵達が常に巡回している。そんな場所で問題を起こそうとする愚か者はそうそういません」


 リオが落ち着き払った声で答えた。


(それに強力な護衛も一緒にいるしな……)


 美春達と一緒にいるアイシアやセリアのことを考え、強い安心感を覚える。

 だが、現時点でアイシアやセリアの情報は伏せておきたい。

 セリアはお忍び中の身なのだから。


「でしたらお城に呼び寄せてみてはどうでしょうか?」


 リリアーナがおもむろに提案した。

 リオと沙月が目を見開く。


「お城に……ですか」


 リオが渋い顔を浮かべた。

 城に呼び出してしまえば、美春達が勇者と密接な関係にあることが公に露呈してしまう。

 だが、密会が封じられている以上、貴久が美春達と会う手段は正面から会うことしか残されていないことも事実だ。

 美春達がそれを望むならば、考慮の余地はあるかもしれない。

 個人的には心理的な抵抗を覚えたが、感情とは切り離して、リオはそう考えた。


「さっき賊の襲撃があったばかりですよ? 二度目の襲撃があるかもしれないのに……」


 と、沙月が自らの危惧したところを述べる。


「流石に賊が二度目の襲撃を行うことはないかと」


 リリアーナがきっぱりと告げた。


「どうしてですか?」


 疑問に思い、沙月が尋ねる。


「手練れを集めて、策を練って、警戒態勢の隙を突いて、それでも失敗したのです。目立った痕跡も残さず、あれだけの犯行を行える者達です。少なくとも近日中に二回目の襲撃を行うほど考えなしではないでしょう。ガルアーク王国も警戒を強めましたから」


 と、リリアーナが自らの考えを述べた。

 その点についてはリオも同じように考えている。

 相手が警戒している時に奇襲を仕掛けるのは戦術的に下策だ。

 奇襲は相手の油断をついてこその奇襲なのだから。

 そもそも城の内部に潜り込んで王族を害しようとする大それた計画に、第二波を想定して補欠の人員を用意しているとも思えない。


「なるほど。確かに……」


 沙月が納得したように唸った。


「しかし、現状で城内に共犯者が潜んでいる危険性は排除できていません。その点についてはどのようにお考えなのでしょうか?」


 リオがリリアーナに尋ねる。


「ご懸念は理解しております。まず、私から申し上げることは、セントステラ王国第一王女リリアーナが責任を持って三人を保護することを誓わせていただく、ということです」


 真面目な顔つきを浮かべ、リリアーナが答えた。


「具体的にはどのように保護していただけるのでしょうか?」

「私とタカヒサ様の世話は国から連れてきた信頼できる者だけに行わせております。優秀な護衛騎士達も複数連れております。なので、私達の部屋に連れてきてもらえれば、外部から関与するリスクは大きく減らすことができます」


 貴久とリリアーナが滞在するこの部屋にはガルアーク王国とは別に独自の警戒態勢が敷かれていることから、確かに部外者が関与する隙はないように思える。

 内通者が潜伏している城内で安全を確保するための必要十分な処置といえるだろう。

 リオは逡巡するように顔をしかめると、


「……私個人はあまり気乗りしません。ですが、ミハルさん達に意志を確認して、王城に来たいというのならばそれでもかまわないと考えております」


 と、そう言った。


「なるほど。サツキ様はいかがでしょうか」

「私も……あまり気乗りはしないです」

「それはどうしてでしょうか?」


 リリアーナがいた。


「不慣れなお城での生活を強要されるとなれば心労が生まれます。それに外部からの干渉も予想されます。彼女達を王城に呼ぶとなれば、城主である国王に説明を行わなければなりませんから」


 沙月が答える。

 が、その反論は織り込み済みだったのか、


「仰る通り、王城へ招く以上、陛下にお伺いを立てることは避けられません。それに陛下がお三方に会いたいと仰られましたら、王女にすぎない私に止める術はございません。

 ですが、それは我々の方から出向いたとしても同じことですわ。この国の勇者であるサツキ様や外賓である我々が外を出歩こうとすれば、間違いなく護衛が付きますから。そのような状態では密会することも叶わない以上、陛下に事情を説明することはやはり避けられぬことかと」


 と、ほとんど間を置かず、リリアーナは答弁した。

 勇者二人が一緒に外出する理由など簡単に作り出せるものではない。

 それを行うとすれば素直に美春達のことを打ち明けなければならないだろう。

 美春達の情報を国に公開した場合、王城の内部と外部のどちらで面談を行うのが安全かといえば内部だろう。


「それはそうなんですけど……」


 沙月としては何とか国に情報を公開せずに、面談を行うことが可能な方法はないかと模索せずにはいられない。

 ネックとなるのは夜会が終了してしまえば貴久がセントステラ王国へと帰国してしまうということだ。

 時間が押しているという状況が選択肢の幅を著しく狭めている。


「ハルト様が保護されているお三方の中にはタカヒサ様のご妹弟きょうだいがいらっしゃると伺いました。ご家族に会いたいというタカヒサ様のお気持ちもおもんぱかってはくださらないでしょうか?」


 リリアーナが真摯しんしに訴えかけた。


「それはもちろんです。私達が懸念しているのは彼女達の安全ですから」


 沙月が即答し、リオも隣で頷いた。


「彼女達を王城に招くという意見には賛同します。ですが、代わりに誓ってくださいませんか? 仮にあの子達が貴久君と一緒にいる道を選んだとしても、本人達の意志に反して政治の道具とさせないよう努力すると」


 沙月が難しい顔を浮かべて言った。


「私も同じです。何をするにせよ、三人の意志を尊重することを約束していただきたい。それがミハルさん達を王城へ招く条件です」


 リオからも条件を提示する。

 王族に向かって約束を強いるなど不敬なことはなはだしいが、リオはそれでも言わなければならなかった。

 今のリオでは美春達とは強い繋がりもなく、踏み込む領域ではないことは明らかだが、それでも――。


「誓います。俺は誓います。会って話がしたい。政争なんかに巻き込む真似はしない」


 いたたまれない表情を浮かべていた貴久であったが、ここぞとばかりに必死に誓約した。


「私も誓いましょう。私はタカヒサ様の意志に従うのみですから」


 胸に手を当て、リリアーナも落ち着いた口調で宣言する。

 リオはじっと二人の瞳を覗き込んだ。


「……承知しました。王城へ来るか、明日までに彼女達の意志を確認します。午後からは国王陛下との謁見もありますので、午前中の間に済ませ、この部屋へとご報告に伺います」


 賊を撃退した件で、明日の午後に、リオは国王フランソワ=ガルアークと謁見することになっていた。

 午前中ならば同行者付きかあるいは単独で外出の許可も下りよう。

 リオならば勇者や王族よりも行動の自由が認められやすい。

 その間に宿屋に近づき、知り合いがいるからと適当に理由を作るか、アイシアと念話で接触を図ればよい。


「ありがとうございます」


 貴久とリリアーナが礼を告げる。

 そんな二人が喜ぶ顔を見て、リオの中で理屈と感情がせめぎあう。

 リオの心は複雑にうごめいていた。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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精霊幻想記のドラマCD第2弾が14巻の特装版に収録されます
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2019年7月26日にコミック『精霊幻想記』4巻が発売します
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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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