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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第98話 三人目の……

 結局、女性陣の入浴は想定以上の時間がかかり、リオと雅人が風呂に入り終えた頃には王都へ戻らなければならない時間となってしまった。

 今はこっそりと美春達を王都の宿屋へ送り届け、沙月を王城へと連れ戻しているところである。


「長居しちゃってごめんね。色々と話しておきたいことはあったんだけど、居心地が良すぎちゃった……」


 と、バツが悪そうに笑みを浮かべながら、沙月が言った。


「いえ、大丈夫ですよ。いつでも会えるわけではありませんが、また会って話せばいいだけです」


 答えて、リオが小さく首を横に振った。

 見知らぬ世界で果たした久々の再会だ。

 語りたいことは山ほどあるだろう。


「うん。そうよね」


 そっと微笑みながら、沙月が頷く。

 そして、数秒の沈黙が訪れた。

 沙月は先ほどから何かを言いたそうな雰囲気を放っていたのだが、このことを伝えたかったのだろうか。

 そんな疑問がリオの頭をもたげたところで、


「……美春ちゃん達に今後の話をしたわ」


 小さく息を吐くと、沙月がぼそりと呟いた。

 リオは逡巡するようにそっと目を瞑ると、


「そうですか」


 と、そっけなく相づちを打った。


「聞かないの? 何を話したのか?」


 おずおずと沙月が尋ねる。


「およその見当はつきますから」


 苦笑しながらリオが答えた。

 何故だか沙月の目にはその顔が少しだけ寂しそうに映った気がした。


「そっか……」


 と、沙月が呟く。

 二人の間に再び沈黙が降りた。


「すみませんでした。ずっと伝えないといけないと思っていたんですが、俺は状況に流されてしまって言えませんでした」


 リオが低く抑えた声で申し訳なさそうに言う。

 こんな時になんて伝えればいいのか、気の利いた言葉が一言も思い浮かんでこない。

 それゆえに自らの思うことを言い訳がましく表現することしかできなかった。

 そんなリオの言葉に、沙月が少し不満そうな顔を浮かべる。


「それは仕方ないと思う。一緒に暮らしている相手に『いつかここを出ていくつもりはあるか』なんて話しにくいのは当然だもの。相手が大事な人であればあるほどにね」


 沙月がきっぱりと首を横に振って告げた。


「……そうかもしれません。でも、やっぱり逃げてきた事実に変わりはありませんから」


 リオが自嘲じちょうをしながら語る。


「責任感が強いんだ」

「……我が身が可愛いだけですよ」


 などと、二人が言葉を応酬させた。

 沙月はほんの一瞬だけ微笑みを見せて、


「キミには本当に感謝してる。でも、こうして私が現れたことで止まっていた事態が動き出したんだもの。その責任くらい私にもとらせてほしいわ」


 と、そう言った。


「…………」


 刹那の逡巡を経て、リオは反論しかけた言葉を呑みこんだ。

 これ以上は掘り下げても栓のないことである。

 おそらく互いに譲らない展開が待ち受けているだけだろう。


「それよりも大切なことは今後どうなっていくのかってことよ。いつまでもこのままってわけにもいかないでしょう?」


 同じことを考えているのか、沙月が口を開く。

 リオはゆっくりと頷きながら、思考を切り替えた。


「そうですね。ですが、急いで答えを出す必要があるわけでもありません。焦りはミスの元ですから。それに周りも置いてけぼりをくらうかもしれない」


 どんなことにも時間はかかる。

 ならば焦りは禁物――、時間をかけることができる問題ならば、落ち着いて確実に答えを出せばいい。

 一人で勇み足になって先に進んでも、周囲が付いてこられるとは限らないのだから。

 それがリオの考えだ。


「そうね。私も美春ちゃん達と一緒に進んで、一緒に答えを出せたらいいなと思っているわ」

「そのためのサポートはしますよ」


 と、リオが優しく語りかける。


「……ありがとう」


 沙月がうつむき、小さくお礼の言葉を口にした。


「でもね。美春ちゃん達とのことはキミの問題でもあるでしょう。だから私はキミとも二人だけで話をしたいと思っているの」

「俺ともですか?」

「うん。だって、夜会の時は時間制限があってあまり話はできなかったし、お城を抜け出した後もすぐに美春ちゃん達の場所に着いちゃったから、色々と話したりないことがあると思わない?」


 茶目っ気のある笑みを浮かべて、沙月が尋ねる。

 リオは少し考えるように視線をさまよわせると、


「そうですね。沙月さんは空を飛ぶのに随分と夢中だったみたいですから」


 と、可笑しそうに同意した。


「う、うるさいわね。初めてああやって空を飛べば誰だって興奮するわよ。今は落ち着いているでしょ」


 沙月が顔を赤らめてそっぽを向く。

 しばらくして、視線だけをリオに戻すと、


「ねぇ、キミは何者なの?」


 ぼそりと、そう呟いた。


「……俺が何者か、ですか」


 リオが途端に真面目な顔つきを浮かべる。

 だが、すぐに柔らかな表情に改めると、


「それはまた随分と哲学的な問いですね」


 そう言って、沙月に微笑みかけた。


「そうね。でも仕方ないと思わない? 知れば知るほどキミが何者なのかよくわからなくなってきたんだから」


 沙月が静かに語る。

 誤魔化されたりはしない。

 そういった意気込みを宿していた。


「そうなんですか?」

「そうよ。最初はキミのことをリーゼロッテという子の協力者くらいに思っていたの。実はあの子のこともちょっと気になっていたから、そっち関係で接触してきたのかなとも思ったの。

 けど、何だかキミは単独で動いているように見えたし、実際にどこかの勢力に所属している風にも見えない。だから、私の中でキミという存在のことがよくわからなくなっちゃっているのよ」


 リオは僅かに目を細めて、その話を聞いていた。

 沙月がリーゼロッテのことをどう思っているのかについては僅かに興味を惹かれるが、話が脱線するだけなので、今は意図的に意識の端に捨て置く。


「まぁ、彼女には好意で夜会に招いていただいただけで、俺はただの取引相手にすぎませんからね」

「となると、夜会でリーゼロッテさんが言っていた通りの関係ってことかしら?」

「ええ」


 リオが静かに頷く。


「そっか。でも、私が知りたいのはそこじゃないの」

「俺が美春さん達に害悪が及ぼしうる人物なのか、ということですか?」


 リオが尋ねると、沙月はそっとかぶりを振った。


「違うわ。ここまでキミのことを見てきたけど、美春ちゃん達に害悪を及ぼそうとする人だとは思えない」

「それは……光栄ですね」


 リオがそっと頬を緩めて礼を言う。


「しかし、だとするとわかりません。沙月さんはいったい俺の何が知りたいのですか?」

「お城に着くまであまり時間もないし、まどろこっしいのは嫌いだから単刀直入にくけど、キミ、日本語を喋れるでしょう?」


 尋ねられると、リオは目を丸くした。

 だが、すぐにその理由について思い当たったのか、


「ああ、美春さん達から聞いたんですか?」


 と、まずは可能性が高い方に絞っていた。

 もしかすると美春達が自身の秘密を漏らしたかもしれないということについて、リオが特に不快感を抱いている様子はない。

 既に沙月はリオに関する情報を多少なりとも仕入れているのだから、不自然に隠蔽しようとすれば却って好奇心を刺激することになるだけだ。

 話の流れによってはある程度の情報は語らざるを得ないだろう。


「違うわ。美春ちゃんはキミのことをよく知らないって言っていた」

「では、どうして?」

「美春ちゃん達がこの世界にやって来た頃の話を聞いて、不思議に思ったからよ」

「何をでしょうか?」

「美春ちゃん達は言葉が通じなかったせいで奴隷にされそうになったと言っていたわ。そこをキミに助けてもらって、この世界の言葉もキミに教えてもらったって」

「なるほど。それでピンときたというわけですか」


 リオが得心したと言わんばりに頷く。

 それだけの情報を与えられれば、疑問を抱いても不思議ではない。


「ええ、美春ちゃん達がこの世界に来てからたったの三か月ちょっとしか経っていないんだもの。教材付きで講師がいたか、魔法でも使わない限り、この短期間に知らない言語を日常会話に支障がないレベルで習得するなんて不可能よ」

「ボディランゲージで意思疎通を開始するところから始めたら、日常会話が成立するまで気が遠くなるような時間が必要になりそうですものね」


 リオは苦笑しながら同意した。


「ええ。でも、美春ちゃん達はまだ言葉を学習中って言っていたし、魔法の線は自動的に省かれたわ。あとはお互いに通じる言語が何だったのかだけど、美春ちゃん達が使える言語なんて限られてるわ。

 一番可能性が高いと思えたのが日本語だったというわけ。付け加えるなら、あの和のセンスを感じさせるお風呂もヒントになっていたわね」


 と、沙月が自らの推理を述べる。


「ご名答です」


 リオは特に隠し立てすることもなく、沙月の推測を肯定した。


「えっと、隠しているというわけじゃないの? たぶんだけど、美春ちゃん達にはキミに関する情報を無暗に言いふらさないように頼んでいると思ったんだけど……」


 沙月が意外そうに尋ねる。


「ええ、その通りですが、よくわかりましたね?」


 頷いて、リオは沙月に感心の視線を送った。


「これでも美春ちゃんとはそこそこ付き合いが長いの。中学時代は一緒に生徒会役員をやったこともあったしね。何となくあの子がキミに関して何かを隠しているってことはわかったわ」

「なるほど。流石は生徒会長だったというわけですね」


 と、リオが冗談めかして褒める。


「……関係ないわよ。それに無暗に言いふらしていいような事実でもないじゃない。そんなことをよりもきたいことがあるの」


 沙月が気恥ずかしそうに語った。


「質問の内容はおよそ見当がつくんですが、先だって俺に関する情報を秘匿するという条件を呑んでもらってもかまいませんか?」

「もちろんよ。最初からそのつもりだったわ。というよりも貸しにしてもらってかまわないから」


 リオの条件は想定済みだったのか、沙月が鷹揚おうように頷いた。

 それどころか貸しにしていいとまで言っている。


「貸しですか?」

「うん。今の私じゃすぐに何かしてあげられるわけじゃないから、今後何かあった時に可能な範囲でキミの手助けをさせてもらうわ」

「大げさですね。別にそんな風に考える必要はないんですが……」


 リオが困ったように応じた。


「駄目よ。美春ちゃん達を保護してもらった件、こうして美春ちゃん達と会わせてもらった件、それに……」


 沙月は少しムキになって反論しかけたが、途中で不自然に言葉を途切らせる。


「それに?」


 不思議に思い、リオが尋ねた。


「……な、何でもない。キミにはたくさんの恩があるっていうことよ」


 沙月は頬を赤らめて言うと、リオから視線を外した。

 これ以上尋ねたところで話は聞き出せそうではない。

 それに無理に聞き出すことでもないだろう。


「そうですか。沙月さんがそう言うのなら心に留めておきますね」


 リオが少し可笑しそうに微笑んで言った。

 すべては美春達のために良かれと思ってしたことだ。

 恩に着せるためにした行動ではない。

 だが、沙月が感謝してくれるというのならば、素直に気持ちは受け取っておきたかった。


「そうしてちょうだい。借りを作りっぱなしというのは性に合わないしね」


 言って、沙月が肩をすくめる。


「では話を本題に戻しましょうか。沙月さんが知りたいのは地球に帰る方法を俺が知っているのかですよね?」


 と、リオがストレートに本題を尋ねた。


「……まぁ、突き詰めて言うとそうなるわね」


 こくりと沙月が頷く。


「ならば、隠し立てすることでもないので、結論から言います。俺は貴方が地球に帰るための方法を知りません」

「そう、やっぱり知らない……か」


 沙月は少しだけ残念そうであった。

 そもそもリオが地球へ帰還する方法を知っていれば、美春達はとっくに地球に帰っているはずである。

 制約があってすぐに帰れない可能性もないわけではないが、それならばとっくにその情報が開示されていてもおかしくはない。

 そんなわけで最初から過度の期待は抱いていなかったのだが――。

 それでも心のどこかで地球に帰るためのヒントが得られるかもしれないと期待していた面があったのも事実だった。


「その上で何か知りたいことがあればお答えします。残念ながら地球に帰るためのヒントになるとは思えませんが」


 あまり期待を持たせないよう、リオが前もって釘を刺す。


「とりあえず、何時、どうやって、この世界にやって来たのか知りたいんだけど……。えっと、キミって日本人のハーフかクオーター……だよね?」


 リオの顔を覗き込んで、沙月が尋ねた。

 パッと見た感じだと、リオの容姿は人種的に日本人のそれに近い。

 今は魔道具で髪の色を灰色に変えているが、黒くすればより日本人の容姿に近づけることができるだろう。

 とはいえ、生粋の日本人として見るには、それでも少しばかり無理がある。

 せいぜいがハーフかクオーターといったところだ。

 沙月もそう考えたのだが、


「その点について大きな誤解があるようですね。俺はこの世界で生まれ育った人間です」


 リオはそう答えて、かぶりを振った。


「え……、そう、なの?」


 と、沙月がいぶかしそうに首をかしげる。

 では、なぜ日本語が喋れるというのだろうか。


「はい。出身はベルトラム王国。このことは沙月さんもいる前で自己紹介した時に言ったことですが、覚えていますよね?」

「……ええ。確かに言っていた……わね」


 沙月はこくりと小さく頷いた。


「それは真実です。俺には紛れもなくこの世界で生まれて育ってきた記憶がある」


 何となく解せない物言いであったが、沙月はひとまずリオの話を聞いてみることにした。


「けど、俺にはもう一人の記憶があります。日本という国で暮らしていた男の記憶が」


 リオが淡々と語る。


「え? 日本で暮らしていた……記憶?」


 想像の斜め上を行く説明に沙月の思考が鈍る。

 順を追って言葉の意味を噛み砕いてみたが、導き出される答えは一つしかなかった。


「つまり、生まれ変わった……ってこと?」


 と、沙月がリオの説明を一言で要約する。

 とはいえ少しばかり自信がなさそうであった。


「はい。その通り、だと思います」


 リオはひょいと肩をすくめて頷いた。


「今はこの世界の人間だけど、その前は日本人……だったの?」

「そうだと思います。だから日本語が喋れて、美春さん達にこの世界の言葉を教えることができました」

「そう、なんだ……。そういうこと……」


 ぽつりと言葉を漏らして、沙月はしばし呆然と宙を見つめていた。


「信じられませんか?」

「信じる……しかないわよね。そもそも私自身も異世界に来るっていうあり得ない体験をしているわけだし。よく考えれば生まれ変わりくらい普通……な気がする」


 沙月が悩ましげに語る。


「そうよ。もう空だって飛んでるんだし、そもそも私がこの世界の言葉を理解していることも不思議な現象なんだから、この世界なら何が起こったって信じるしかないわよね」


 片手で頭を押さえて、沙月が自らに言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。

 常識が納得を妨げてはいるようだが、何とか理解はできたようだ。


「まぁ荒唐無稽な話ですからね。普通は『はい、そうですか』と納得できなくて当然だと思いますよ」


 リオが苦笑しながら言った。


「ごめんなさい。取り乱しちゃったわね。何だかこの世界に来てから常識外のことが起こりすぎていて、状況を理解するのにも一苦労なことが多いの」


 小さく咳払いをして、沙月が謝罪する。


「お察しします」

「……ありがとう」


 気恥ずかしそうに沙月が礼を言う。

 だが、何となくバツが悪く感じているのか、


「ところで、一つ聞きたいんだけど、あのリーゼロッテという子もひょっとしたらキミと同じで、地球から生まれ変わった人間なんじゃない?」


 と、沙月は素早く話題の転換を図ってきた。


「ええ、間違いなくそうでしょうね。やはり気づいていましたか?」

「うん。やっぱり……って感じかな」


 沙月が腑に落ちたような表情を浮かべる。


「どうして気がついたのか、いてもいいですか?」

「あの子が会頭を務めるリッカ商会ってあるでしょう。そこが次々と発売している女性向けの流行商品が日本でありふれた物ばかりなんだもの。まずはそこで怪しいと思うのは当然ね」


 と、沙月がリーゼロッテを怪しく思っていた理由を語った。

 確かに女性である沙月なら、リッカ商会が販売している女性向けの商品を利用する機会は多いだろう。


「他にも何か理由があるんですか?」

「ええ、それだけだとちょっと決定打には欠けるからね。一番の理由はふとした日常会話がきっかけだったの」


 言って、沙月は少し得意げな笑みを浮かべた。


「この世界の人が喋っている言葉って明らかに日本語じゃないのよ。なのに私には日本語で聞こえる。口の動きは明らかに日本語じゃないのにね。逆に私が喋る日本語はこの世界の言葉で聞こえているらしいけど……と、まぁ、そこは置いておきましょうか」


 話が脱線しかけたところで、沙月が本線に戻す。


「口の動きを見ているとね。気がついたのよ。リッカ商会の製品の中でも特定の商品を口にするときだけ、口の動きが聞きなれた名称と完全に一致しているということに。この世界の他の固有名詞はまったくそんなことはないのに、リッカ商会が作っている商品だけは口の動きと聞こえる言葉の響きが完全に一致していたの。そんな偶然がいくつもあれば流石に怪しいと思うでしょう?」

「確かに、そうかもしれませんが……、よく見ていますね」


 リオは沙月の観察力の高さに感心した。


「まぁ、自分に起きた不思議な現象の検証くらいはしないとね。とはいえ、いまだに原理はよくわかっていないんだけど」


 謎の翻訳能力の正体を測りかねて、沙月が溜息交じりに語る。


「おそらくは勇者が持つ神装に備わっている古代の魔術の効果でしょうね。伝説通りなら神が作った武器らしいですから、現代魔術では説明するのも再現するのも難しいでしょう」

「神装、か。私も持ってはいるけど、これもよくわからない代物なのよねぇ」


 と、沙月が少し口をとがらせて言った。


「普段は持ち歩いていないんですか?」


 リオは一度だけ弘明が太刀の神装を使うところを隠れ見たことがある。

 弘明が武器の名称を叫ぶと、どこからともなく太刀が現れたのだ。

 確かあの時は弘明とスティアードと模擬戦を行っていた。

 だが、弘明が身体能力に物を言わせているだけで、技量があまりにもお粗末だったため、いまいち勇者の凄さを実感できていなかったりする。


「ああ、普段は概念武装として勇者の体内で霊体化? ってのをしているらしいわ。

 この世界に来た最初の晩に何か夢を見てさ。その中で変な光が使い方を一方的に説明してきたの。

 実体化して呼び出すと、その持ち主に相応しい形状の武器になるんだけど……正直さっぱりよ」

「なるほど。霊体化……ですか。空間魔術で呼び寄せるわけではないと」


 神装を呼び寄せた理屈に納得がいき、リオが興味深そうに頷いた。


「ちなみに沙月さんはどんな武器をお持ちなんですか?」

「私は短槍よ。日本では薙刀を習わされていたから、その応用で扱えるし、まぁ、ありがたいと言えばありがたいわね」


 沙月が小さく肩をすくめてから、そう答えた。


「ところで、話は戻るけど、日本語もこの世界の言葉も喋れるキミには私の言葉って何語に聞こえているの?」


 話題が神装から沙月の身に宿った不思議な通訳能力に戻る。


「今はこの世界の言葉で聞こえていますね。ただ、脳の意識を日本語に切り替えると、日本語で聞こえますよ。急に切り替えると違和感がすごいですが……」


 そう答えて、リオは苦笑いを浮かべた。


「へぇ、そうなんだ。じゃあ美春ちゃん達もそんな感じなのかな?」

「だと思います。セシリアとアイシアが一緒にいた時はこの世界の言葉で喋っていたみたいですけど、沙月さんと一緒になった時は日本語に戻したんじゃないですか?」

「みたいね。口の動きに違和感がなかったもの……って、もうお城に着いちゃうわね」


 会話をするために少しゆっくりと空を飛んでいたのだが、岩の家を設置した場所から城までの距離はそれほどあるわけでもない。

 話し込んでいるうちにあっという間に王都へ到着してしまった。

 周囲はまだ薄暗いが、東の空の地平線には薄っすらと日の光が溢れている。


「綺麗……」


 遠方の景色に視線を移し、沙月が感慨深そうに呟いた。

 その呟きに応えるためか、リオがお城の遥か上空で停止する。

 そのまま二人は黙って地平線を眺めていた。


「これで一先ずはお別れです。また今夜の夜会で会いましょう」


 たっぷりと景色を堪能すると、リオが告げた。


「夜会じゃ話しにくいことがまだまだたくさんあるんだけど、まぁいいわ。とりあえず今夜もキミに話しかけるから、お相手よろしくね?」


 と、からかうような目つきで沙月が言う。


「あまり過度に接触を図られると周囲の注目を浴びて困るんですが……、適度にお願いします」


 リオが苦笑して頼んだ。


「それは無理な話なんじゃないかなぁ。昨日のうちに十分目立ったみたいだし、今日も私がキミに語りかければ注目されることは間違いないと思う」


 言って、沙月が面白そうにくすくすと笑う。

 沙月の身体が小さく震えるのがリオの腕に伝わってきた。


「はは……」


 リオは乾いた笑みを浮かべると、軽く脱力した。

 沙月がそんなリオの顔をじっと見つめたかと思うと、


「その、ありがとね」


 そう告げて、すぐにそっぽを向いてしまった。

 はて、とリオが沙月に眼を向ける。


「何がですか?」


 いったい何に礼を言われたのだろうか。

 その疑問を声に出して、リオが尋ねた。


「色々と。美春ちゃん達のこともそうだし、その、私個人のことも……」


 と、少し聞き取りにくい小さな声で、沙月が口早に答える。

 そのまま小さく咳払いをすると、彼女は少し真面目な顔を浮かべた。


「私、この世界のことが大嫌いだった。つい昨日まではね。だから早く帰りたくて仕方がなかった」


 ぽつりと沙月が語りだす。


「けど、今は少し違うの。帰りたいと思う気持ちに変わりはないけど、少しはこの世界のことが好きになれた。そんな気がする」


 心なしかそう語る沙月の口許は少しだけ緩んでいる。

 リオにはそのように見えた。


「美春さん達のおかげでしょうか?」


 リオがいた。

 沙月は一瞬だけ微笑みを見せると、


「うん。美春ちゃん達と再会できて、自分でも不思議なくらいに心に落ち着きが生まれたから」


 そう答えた。

 だが、続けて、すぐに、


「でも、それだけじゃない。半分は美春ちゃん達のおかげだけど、残り半分はキミのおかげ」


 と、言葉を付け足す。


「キミが美春ちゃん達のことを教えてくれた。色々と話しを聞かせてくれた。外へ連れ出してくれた。空を飛ばせてくれた。美春ちゃん達に会わせてくれた」

「……あまり大したことはしてないと思いますが」


 少し考えてから、リオが言った。


「そんなことないわよ。今思い返してみると、キミと一緒にいた時間は楽しかったと思えるもの」


 語って、沙月が口元をほころばせる。


「夜会に参加する直前まで精神的な余裕なんてなかったけど、キミと初めて会った後から、光明? 目標? ……何て言うか、この世界で初めて希望を持てたのよ。

 心のどこかではずっと後ろ暗い気持ちになったままだったのに、気がついたら前を向こうと思えていた」


 数秒ほど、沈黙が続いて、沙月が再び口を開く。


「で、極めつけに空を飛んだらさ。この世界がすごく大きくて綺麗に見えたの。それに比べてうじうじと悩んできた私はすっごく矮小な存在に思えてさ。ちょっと吹っ切れたというか、少しはこの世界のことを好きになろうと思えたの」


 言い終えると、沙月はじっとリオの顔を覗き込んだ。


「……それは良かったですね」


 フッと笑みを浮かべて、リオがそっけなく一言を返す。

 沙月は少しだけムッと口を尖らせると、


「他人事みたいに言っているけど、キミのおかげなんだからね。もうちょっと何か別な反応があってもいいんじゃないかな? 私、今すっごく恥ずかしいんだけど」


 ジト目でリオを睨む。


「あはは……。こう、面と向かって感謝を告げられると小恥ずかしいものでして。沙月さんって意外と素直なところがあるんですね」


 リオは少し困ったように思案顔を浮かべると、冗談めかして言った。


「う、うるさいわね! だから言いたくなかったの!」


 沙月の頬が真っ赤に紅潮する。


「別にそこまで無理をしてお礼を言わなくても大丈夫でしたよ。沙月さんの気持ちは既に十分に伝わってきましたから」


 リオが口をほころばせながら告げる。


「お礼を言わないままなんて恥ずかしいと思ったの!」


 言って、沙月はまたしてもぷいっとそっぽを向いた。

 妙なところで生真面目というか、難儀な人だ。

 リオはそう思った。

 だが、


「良いと思いますよ。沙月さんのそういうところ。好感が持てます」

「むぅ……」


 沙月が小さく口を尖らせる。


「それじゃあ、そろそろ沙月さんの部屋に戻りましょうか。そろそろ日が昇りますし」

「……うん。お願い」


 沙月が少し拗ねた口調で言うと、下降に備えてリオの服をぎゅっと掴む。


「承知しました」


 丁寧に返事をすると、沙月を抱いたまま、リオが上空から静かに下降していく。

 すたりと王城のバルコニーに着地する音が小さく響いた。

 続けて沙月も地面に降りると、少しばかり形容しがたい雰囲気が二人の間に漂う。


「じゃあ、またね。ハルト君。ありがと」


 そう言って、気恥ずかしさを誤魔化すように、沙月がそそくさと室内に戻る。

 リオはその後ろ姿をくすりと笑って眺めた。


「ええ、それでは」


 そう言い返すと、沙月の返事を待たずに、リオがふわりと飛び立つ。

 新鮮な夜明け前の空気を大きく吸いながら、空へぐいぐいと上昇していった。

 地上からでは正確に目視できない距離にまで到達すると、


「アイシア、いるんだろ?」


 と、おもむろにリオが呟いた。

 すると、どこからともなくアイシアが姿を出現させる。

 おそらくは霊体化して姿を消していたのだろう。


「わかっていたの? わたしがいること」


 小首を傾げて、アイシアが尋ねた。


「俺達は契約によって結ばれ、感応しあっているみたいだからね。近くにいれば何となくわかるよ」


 と、リオが優しく答える。


「そう……」


 アイシアが短く相づちを打つ。

 数瞬の沈黙が降りたところで、何となく話題に困ったのか、リオが懐からペンダントを取りだして、アイシアに差し出した。


「さっき渡しそびれたんだけど、これを美春さんに渡しておいてくれないかな? 使い方は後でまた説明するけど――」


 リオが途中まで語りかけたところで、


「誕生日プレゼント? 美春への」


 と、アイシアが言葉を被せた。

 シュトラール地方の暦で言えば今は春であり、時期的にちょうど美春の誕生日と重なる。

 それを察しての発言であろう。

 リオは意外そうにアイシアを見つめ返したが、


「違う。これはただのお守り……かな。作るのに苦労したけどね。今回のように長く別行動することもあるかもしれないし、作ろうと思ったんだ」


 ゆっくりと首を左右に振って、言った。

 そして、すぐに、


「沙月さんと会うまで踏ん切りがつかなったけど、誕生日プレゼントも渡すことにした。今日買ってくる。その時に言うよ。俺のこと」


 と、続ける。


「そう」


 アイシアが短く頷いた。

 リオは数秒ほどアイシアを見つめてから、


「……ありがとう」


 と、口許に微かな笑みを浮かべて、礼を述べた。

 アイシアが不思議そうな表情を浮かべる。


「心配して来てくれたんだろう?」


 と、リオがお礼の言葉を口にした理由を説明する。


「心配……?」


 何かを思案するように、ぼそりとアイシアが呟いた。


「わからない」


 続けて、そう一言漏らす。

 相変わらずの無表情だが、アイシアは少し困惑してるようだ。

 まるで自身が抱いている感情を理解していないような。


「そっか……」


 ――なら、どうして君は俺のところへ来たんだ?

 優しい目つきでアイシアのことを見つめながらも、リオがその言葉を口にすることはなかった。


「けど――」


 言いながら、何か戸惑いを振り切るように、アイシアが小さく首を左右に振る。


「けど?」

「春人と一緒にいたかった。だから来た」


 意味深長で不明瞭な理由。

 だが、同時に、この上なくシンプルで、明快な答えでもあった。


「そっか、ありがとう。アイシア」


 リオは再度お礼の言葉を口にした。


 ☆★☆★☆★


 それから、アイシアと別れてクレティア公爵邸に戻り、僅かな仮眠をとると、リオは睡眠不足を感じさせずに起床した。

 夜会の間までは特に用事もないため、リオが朝食の際に午前中から王都の市場へと繰り出したい旨をリーゼロッテに伝える。


「なるほど、お買い物ですか。ではナタリーを案内にお付けいたしますね」


 リーゼロッテが侍従の一人であるナタリーをリオの案内につけた。

 ちなみに、自らに案内の役目が回ってこなかったことで、同じ侍従のコゼットが秘かに歯ぎしりしていたことは一部の同僚しか知らなかったと明記しておく。

 王都の店は全く知らなかったし、行き先が女性向けの店だったので、ナタリーに案内をしてもらうことはリオとしてもありがたい。

 そうして二人は王都の市場へと繰り出した。

 帯剣している以外は私服姿のリオと業務用のエプロンドレスを身に包んだナタリーの組み合わせは少しばかり目立っていたが、傍から見れば富裕層の子弟がメイドを引きつれて買い物をしているようにしか見えない。

 いくつか案内されたお店を巡り、じっくりと品物を吟味したところで、リオは目当ての品を購入した。


「お礼に昼食でもどうでしょうか?」


 案内のお礼を兼ねて、リオが昼食を二人でとろうと提案する。


「そんな滅相もございません。使用人風情の私が主のお客様とお食事をご一緒するなど……」


 自らの立場を踏まえ、謹んで辞退しようとしたナタリーであったが、最終的にはリオの説得もあって一緒に昼食を済ませることになる。

 リオが適当に選んで入ったのはかなり良い値段のする一流どころのレストランであった。

 ナタリーも一度は入店してみたいと思っていた店であったが、仕事の関係で休みもなく、王都に来る機会もほぼないため、半ば諦めかけていた店でもある。

 折よく舞い込んだ絶好の機会に、ナタリーは内心で秘かに歓喜した。

 仕事の付き合い、かつ年下とはいえ、異性と一緒にである。

 仕事ばかりで男っ気のないナタリーが舞い上がるのも無理はない。

 ちなみに、料金は自分で支払おうとしたのだが、リオが注文後にさりげなく席を離れた際に会計を済ませており、その目論見は儚くも崩れ去ることになる。


「申し訳ございません。ご馳走になってしまい……」


 食事を終えて、店に出たところで、ナタリーがすまなそうに腰を折る。

 味は語るまでもなく美味しかったし、接客態度は良好で、店内の雰囲気も非の打ちどころがない。

 加えて、同席相手のリオが聞き役に徹して、言葉巧みに反応を返してくれたおかげで、時間も忘れて非常に気持ちよく喋ることができた。

 ここ最近では珍しく充実して楽しいと思えたひと時であったことは間違いない――、のだが、すっかり楽しんでしまったことについて、ナタリーは忸怩じくじたる気持ちを抱いていた。

 本来ならばゲストを楽しませるのは接客する側の務めなのだから。


「いえ、ナタリーさんのおかげで楽しいひと時を過ごすことができました。お店も案内してもらいましたし、とても助かりましたから。そのお礼です」


 と、リオがにこやかに笑み浮かべて礼を言う。


「それではお屋敷に戻りましょうか」


 そう言うと、リオが身をひるがえし、屋敷への道を歩き始めた。

 ナタリーがその背中にぺこりと頭を下げて、リオの後ろを静かに付いていく。

 それから屋敷に帰った後も時間は平穏に過ぎていき、いよいよ夜会二日目の始まりを迎える時間が到来した。

 何やら昨晩と比べて夜会に出席している者達は少しばかり地に足がつかない雰囲気を放っている。


「少し会場の雰囲気が騒がしいですね」


 会場を見渡しながら、リオが言った。

 その隣には同伴しているリーゼロッテがいる。


「新しい勇者様の出席が急遽決まったからだと思います」


 と、リーゼロッテが会場の雰囲気が落ち着かない理由を口にした。


「新しい勇者様ですか?」


 リオが興味を惹かれた様子で尋ねた。


「はい。セントステラ王国と言って、普段はあまり他国の行事に顔を出さない国なんですけどね。そこの国にもこの夜会の招待状を送っていたんです。

 どうやらその国の勇者様が是非参加したいと仰られたようでして、この夜会へいらっしゃる運びとなったようです」

「なるほど。道理で……」


 リオが得心したように呟く。


「お城に出席の通知が届いたのが今日の午前中のことでしたので、おそらく耳の早い方々が色々と噂しているのでしょう。間もなく会場にお越しになると思います」

「……そうなんですか。どのようなお方なのでしょうね?」


 リオはセントステラ王国の勇者について探りを入れてみることにした。


「若い男性の勇者様みたいですね。お名前はタカヒサ=センドウ様だとか」

「タカヒサ=センドウ……」


 瞬間。

 リオは胸の内がざわりと騒いだような感覚に襲われた。

 その名前には聞き覚えがある。

 当たり前だ。

 千堂貴久――。

 亜紀と雅人の兄であり、もしかしたら美春にとって特別な異性にあたるかもしれない人物の名前なのだから。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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精霊幻想記のドラマCD第2弾が14巻の特装版に収録されます
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