1章 26話 理由(他視点)
『それにしてもリーゼもだけど、あんたもあんただ。
何で魂が定着する前にでてきたのさ』
ファルネの膝枕で泣きつかれて寝入ってしまったリーゼを見つつシリルは呟いた。
そう――ファルネが目覚めるのはもっと先のはずだった。
まだ魂が定着していないからだ。
今はシリルに魂が身体から離れてしまわないように聖樹の指輪をもらっている。
「申し訳ありません。
この子にこれ以上人を殺させたくない一心で、気がついたら起き上がっていました」
そう言ってファルネは申し訳なさそうに微笑んだ。
ファルネも光の玉の中で、何となくではあるが外の様子が見て取れていた。
毎日リーゼがお花のベッドを作っていることも。
一生懸命に発声練習していることも。
寂しそうにこちらを見つめていることも。
『これ以上?あのゴロツキ共が殺されるのも見てたのかい?』
「はい、何となくではありますが」
ラムデムに負傷した部分を踏みつけられて、意識が遠のいたと思った瞬間。
魂は身体から離れていた。
何かに引っ張られる感覚はあったが、リーゼを助けようと手を伸ばした途端魂は宙に浮いていた。
結局は魂がとどまっただけで何一つしてあげられなかったのだが――。
そのまま何も出来ずリーゼを見守る事しかできなかった。
リーゼが必死に聖樹の子らに指示しているところも。
一生懸命自分に血を飲ませようとしているのも。
離れた状態でずっと。
何もできず、声をかけてあげることもできない自分を歯がゆく思いながら。
それでも気づいた事がある。
リーゼは人を殺す事に何の抵抗もない。
罪悪感すら存在していない。
死体を見ても怖がることもなく、何事もなかったかのように自分に駆け付けた。
必死に相手を無力化しようとしているのはわかった。
けれどそこに一切の躊躇がない。
小さい時から虐待されていたため、本来なら備わるはずの倫理観が全く備わっていないのだ。
体力を回復させることばかりに気を取られて。
リーゼの心の闇を知ろうともしなかった。
シリルに聞いたリーゼの過去は。残酷で。
本当は15歳だと聞かされ驚いた。
食べ物を与えられていなかったため実年齢より発育が悪く10から12歳くらいだろうとは推測していたが、それよりもずっと年齢が上だ。
そして何より――彼女が聖女なのが問題だ。
エルディアの聖女シリルの話ではカルディアナの聖女はリーゼだという。
シャーラは偽物の聖女であり、リーゼを虐待していた犯人だった。
リーゼをあのような状態にしたシャーラにどうしようもない嫌悪感を覚える。
最初に拾った時のリーゼは、抱きかかえただけでもいまにも折れてしまうのではないかというほど骨と皮ばかりで。
あそこまで酷い状態の彼女を放っておけるなど、人間だとは思えない。
そのような非情な人間が聖女を名乗っていることに憤りを感じる。
リーゼは状態が悪く、きちんとした施設に入れないのに回復したのが不思議なほどだった。
それも聖女故の回復力だと言われれば納得できる。
『それでその子をこれからどうするつもりなんだい?
私個人の意見としては人間の世界に戻すのはお薦めしないけどね』
言ってシリルがペロペロと毛づくろいをはじめた。
もちろんリーゼが心配というのもある。
けれどそれ以上にリーゼが他者に危害を加える事も心配された。
いまのリーゼでは通りすがりにファルネに文句を言っただけで殺しかねない。
「……そうですね。
どうしたらいいものか」
既に何人もの人間を殺してしまった状態で。
人間の世界に戻すのが果たして彼女の幸せなのかとファルネは迷う。
彼女のためを思うなら帰らずここで暮らしていたほうが幸せかもしれない。
人間と関わる事がなければ人を殺した事への罪悪感が芽生えることもないだろう。
けれどリーゼは聖女だ。
彼女が帰らねばカルディアナが滅びに向かってしまう。
そうすれば結局より多くの罪をリーゼが背負ってしまうことになる。
何よりカルディアナは大陸一の都市であり、そこが滅びれば連鎖してほかの都市も滅ぶ可能性もある。
それだけカルディアナの恵みは豊かで、食料の足りない他の都市にも出荷しているのだ。
経済の中心といってもいい。
その都市が滅びれば人類が衰退してしまう。
リーゼをカルディアナに戻さねばならないだろう。
『にしても、あんたも人間にしては変わっているね。
何でその子にそこまでしてやるんだい?
聖女と知る前からだろう?』
言われてファルネは、シリルを見た。
どうして……と言われても。
守りたいという気持ちが強いからとしか答えようがない。
哀れみなのか同情なのか愛情なのか。
自分でもそれはよくわからなかった。
「さぁ、どうしてでしょう……ですが。
これだけ好意を寄せてくれる彼女の気持ちを裏切りたくない。
では理由にならないでしょうか?」
初めてリーゼを拾った時。
あれだけ衰弱していたにも関わらず。
人の顔をみるとニコニコと微笑むリーゼによくわからない感情が芽生えた。
この子は自分が守ってあげないといけない気がしたのだ。
辛いときほど笑ってるのよ?
きっといいことがあるはずだから。
母がリーゼに贈った言葉。
そのせいで虐待が酷くなったことも知らずリーゼはずっと守っていた。
そしてその言葉を守ったお陰でこうしてファルネに拾われた。
眠っていてもファルネから離れないようにと、握った手を離さないリーゼにファルネは微笑むのだった。