本を読まない首相:安倍総理と菅総理
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歴史家の保阪正康氏は、安倍晋三首相と東条英機首相の共通点として「本を読まない首相」と評しました。保阪氏の著書から引用します。
東条もそうなのだが、安倍晋三という人は本を読んで知識を積んだ様子がない人に共通の特徴を持ち合わせているように思える。底が浅い政治家といえるだろう。
私は仕事柄、本を読むほうだろう。また、多くの人と接してきた。そのため、対話しているとわかるのだが、本を読まない人には三つの特徴があるように思う。
一つが形容詞や形容句を多用すること。二つ目が「侵略に定義がない」という風に物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しないこと。もう一つはどんな話をしても5分以上持たないこと。それ以上は言葉を換えて同じことを繰り返す。知識の吸収が耳学問だから深みに欠ける。さらにあえてもう一点つけ加えるなら、自らの話に権威を持たせるために、すぐに自らの地位や肩書を誇示する。
東条はこうした点をすべて身に着けている。だから弱みを見せまいと恫喝するわけである。安倍首相にもこのような傾向があるように思う。それが序章でも指摘したとおり、この社会から真摯な討議の気風が薄れていく因にもなったのではないか。これは誤解であればそれに越したことはないのだが、安倍首相はきちんと本を読んでいないのではないか。あるいは物事を深く考えていないのではないか。さまざまな発言は単なる付け焼刃ではないか。それが私の安倍に対する見方である。
つまり、安倍の国会答弁を見ていると、戦前の軍人が国会で答弁している姿によく似ていると思う。言葉として表すと「形容詞の多用」「立論不足」「耳学問」の三大特徴ということになる。あるジャーナリストが「意味不明の安倍語」と言ったが、それがあたっているようにも思う。
*出典:保阪正康、2016年 「田中角栄と安倍晋三」 朝日新書
この傾向は菅総理にも共通するように思えてなりません。菅総理のスケジュールなどを見ると、びっしり予定が詰まっていて多くの人に会っています。こんなに人と会っていたら、おそらく本を読む時間はないと思います。
おそらく菅総理も保阪氏の言葉を借りれば「耳学問」派だと思います。日本学術会議を敵視にしている様子を見ても、学術論文をきちんと読んだり書いたりした経験はないかもしれません。
保阪氏は「本を読まない人の特徴」として「物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しないこと」をあげています。まさに今の菅総理のやり方そのものです。プロセスの説明がありませんが、民主主義はプロセスや手続きも大切です。
本をあんまり読まない人が、学術に対して敬意を払わないのも何となく納得できます。「日本学術会議」から「学術」を削ったら「日本会議」になりますが、日本会議所属の政治家たちが、日本学術会議批判に力を入れているのは偶然ではないかもしれません。
英国労働党の党首だったマイケル・フットが次のように言いました(同氏の歴史的評価はおくとして、興味深い言葉です)。
権力の座にいる人には、本を読む時間がない。
しかし、本を読まない人は、権力の座に適さない。
権力の座に適さない人が、権力に座に続けて座っているのが、わが国の不幸かもしれません。一国の宰相は、学問に対する敬意を持ち、学問の自由や大学の自治、専門家の世界の職業的自治(professional autonomy)を尊重すべきだと私は思います。