旅のルート
- ※2016年6~7月に撮影したときの情報です。
- ※黄色の線は、鉄道のルートを簡略化したものです。
- ※列車運休のため、クニン~ザダルとクニン~ゴスピッチ間は代行バスでの移動となりました。
1スプリット
クロアチア最南端の駅があるクロアチア第二の都市。古くから海洋交易の十字路 として発展し、3世紀末にローマ皇帝が別荘として建てた宮殿が今も残っています。
2ドルニシュ近郊
石灰岩のカルスト台地が広がります。農業には向かないため、人々は牧畜で生活を支えてきました。
3クニン
町には今も、クロアチア紛争のときの銃撃の跡が残っています。
4ザダル
クロアチア紛争の激戦地のひとつ。戦後、人々の努力によって町は復興しました。ローマ時代から病気の治療にも用いられた「癒やしの泥」を求めて、海外からの観光客も多く訪れます。
5パグ島
ザダルの北にあり、冬の間、強風のために外に出られない女性たちの内職として生まれたレース編みは、ルネサンス時代から続き、「白い黄金」と呼ばれています。
6プリトゥヴィツェ湖群国立公園
カルロヴァッツ郊外にある世界遺産のプリトゥヴィツェ湖群国立公園には、16の湖と92の滝が織り成す絶景が広がっています。
7リエカ
クロアチアで3番目に大きな都市。ベネチアとも交易があり中世の時代から貿易港として栄えてきました。
8リエカ郊外
イタリアと同じ地中海性気候のため、質の良いオリーブやブドウのほか、「黒いダイヤ」とも形容されるトリュフが採れます。
9ザグレブ
クロアチアの独立とともに首都となりました。中世の頃から町が作られ、旧市街は当時の面影が残っています。
10コプリヴニツァ
ハンガリーとの国境近くの町。このあたりの農家の人たちが農閑期に自分たちの暮らしをガラスに描いた絵は、どこか懐かしく情緒的で「ナイーブアート」と呼ばれるようになりました。
11ナシツェ
かつてはクロアチア有数の穀倉地帯として農業が盛んだった地域。多くの若者たちが都会や海外に出ていってしまい過疎化が進む中で、村に残って、ジュース作りで村おこしをした家族もいます。
12ヴィンコヴツィ
オスマン帝国時代に女たちが男たちを命がけで救ったという伝説を語り継ぐ祭りがあります。
13ヴコヴァル
ドナウ川をへだててセルビアと国境を接しています。クロアチア紛争時には、激戦地として昼夜を問わず戦いが行われました。戦争の記憶をとどめようと、病院の一部が博物館になっています。
14スラヴォンスキ・ブロド
クロアチア紛争時に銃撃や爆撃が激しく、多くの市民が命を落としました。町の中心部で被害を受けなかった建物はないと言われ、犠牲になった子どもたちへの鎮魂の碑が建っています。