【評伝】無名の若者、パリで花開く 81歳で死去の高田賢三さん

2020年10月5日 16時00分 (10月5日 16時00分更新) 会員限定
 無名の日本人の青年がファッションの都パリで、クリスチャン・ディオールやイブ・サンローランら世界的デザイナーと並び称される存在に−。四日死去した高田賢三さんの来し方をたどると、まさに「レジェンド」という言葉がしっくりくる。
 戦争の足音が響く一九三九年、兵庫県姫路市の花街に生まれた。服飾専門学校「文化服装学院」(東京)が男子学生の募集を始めたと知り、両親の反対を押し切って上京。恩師小池千枝さんに学び、在学中に「装苑賞」を受賞した。
 転機は、卒業後勤務したアパレルメーカーを休職しての渡仏。「見るもの聞くもの全部楽しかった」興奮の日々が過ぎ、帰国の日が迫った高田さんは「旅の恥はかき捨て」と、自作のデザイン画をお気に入りのブティックに持ち込んだ。「ただ見てほしかっただけ」だったが、返ってきた言葉は「おいくら?」。次に持ち込んだ雑誌「ELLE」の編集部でも絵は売れた。人生は大きく動き始めた。
 折しも学生運動に端を発した「五月革命」が起き、服の意味も問い直されつつあった。その中で発表した高田さんの初コレクションは解放感にあふれ、雑誌に取り上げられ「ケンゾー」の名は一躍、知れ渡った。
 服飾研究家の深...

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