◇
(デミウルゴス……‼)
己を模した神像を前に、アインズは激しく辺りを見回す。
痛みに歪んだ彼の表情と、目の前で飛び散った彼の血しぶき。肩を押さえて崩れるように膝をついた姿ばかりが心を埋め尽くしていた。
自分が何をしているのか、何をすべきなのかも考えられない。
(嫌だ…! なんで、どうして──っ⁉)
恐慌をきたしかけた心に、沈静化の圧が忍び寄る。
デミウルゴスを想う気持ちごと強制的に押し込められるような嫌悪感に、一瞬心が抗いかけた。
だがそれは、本当に一瞬だけのことだった。
(そうだ……取り乱してる場合じゃない)
竜人化したセバスと、武装したプレアデスたち。
羽の怪我がなかったとしても、あれではデミウルゴスが圧倒的に不利だと焦る。
どういういきさつがあってのことかまではわからない。
だけどセバスたちが攻撃してきたのは、デミウルゴスと
(とにかく、アインズに戻ってあの場に──って、⁉)
取り出していたはずのChange Avatar00がない。
慌てて周囲──粗末な板張りの床──を見回してみても、どこにも落ちてはいなかった。
デミウルゴスに突き飛ばされた瞬間、手を放したか……? ならあれは戦場のただ中に残されたままだ。
ふたたび精神沈静化が起こりかけた時、アインズの後ろでドアが開いた。
「──っ‼ ゴウン様‼」
(え?)
ふり返れば、初老の女が花束をとり落としてまろびつくように駆け寄ってくる。
「お久しぶりです‼ よくお越しいただきました!」
一つに束ねた長い髪を、片側から前に垂らしたヘアスタイルだけはずっと変わらない。
素朴なしっかり者の少女の面影が、嬉しそうな笑顔の中にも残っていた。
「エンリ……エンリ・エモットか?」
「はい! 覚えていてくださいましたか……」
──では、ここはカルネ村か。
そういえばはるか昔、ここに礼拝堂が建ったという話を聞いていた、と思う。
(ん?)
ふと自分の姿を見下ろしたアインズに、エンリが青くなって息を飲んだ。
「ゴウン様! お顔に血が……」
心配そうな彼女の声に、アインズは内心で苦笑を漏らした。
どうやら、変身を解くことだけは間に合っていたらしい。そんなことにすら気づいていなかったことが滑稽だった。
だが、これならChange Avatar00はもう必要ない。
「気にするな、ただの返り血だ」
言いながら親指の先で頬を拭う。指先についたそれをアインズはじっと見つめた。
「手違いでここに飛ばされたようだが、私は戦場に戻らなくてはならない」
「え……」
「大丈夫だ、ここからは遠い場所だからな」
ほっとしたような表情を見せたエンリに背をむけ、アインズは転移魔法を唱える。
豪奢なマントをはためかせた
──転移阻害。
「……っ‼ 糞がぁっっ‼‼」
あの場所はいま、魔法的に閉ざされている。
それはデミウルゴスが、同じ魔法であの場を離脱できないということでもあった。
「あ、あの、ゴウン様──?」
戸惑い顔のエンリにアインズが詰め寄る。
「エンリ、済まないが馬車を貸してくれ! 御者も馬も必要はない‼」
「は…はいっ‼ こっちです、どうぞ──」
状況が切迫していることだけは伝わったのだろう。
さっと駆け出す彼女を追って、アインズも礼拝堂を飛び出した。
◇
(いない……誰も)
召喚したアンデッドの馬に引かせた馬車で。
もとの場所に駆けつけたアインズは途方に暮れかけていた。
視界に入るのは一面の焼け野原である。
中心まで炭化した樹木の残骸があちこち杭のように乱立しているさまは、朽ちた墓標の並ぶ陰惨な墓地を思わせた。
(いや、落ち着け。あいつのことだ、もしかしたら上手く逃げられたかもしれない)
大きく裂けた羽のことが頭にちらつくのを無視してそう考えた。
首のないアンデッドの馬に手を伸ばし、ねぎらうようにその肩をたたく。
「お前はこのまま村に戻れ。それで役目は終わりだ」
遠ざかっていく空の馬車を少しだけ見送り、アインズはふわりと
動揺している。鎮静化などなんの役にも立たない。
最初から飛行で駆けつけていれば、あるいは間に合ったかもしれなかったのに……!
いや、きっと無事なはずだと、もたげてくる不吉な想像を押し込めて飛んだ。
深更を過ぎた夜空は、地平の辺りから濃紺の色に変わりつつある。月は沈み、黎明の気配に星々の輝きも解け始めてまばらだった。
(あんな状況で、ナザリックには戻れないだろう……)
ふらふらと幽鬼のように空を渡っていくうちに、アインズは地上から人々の騒ぐ声を聞いた。
見下ろせば、郊外の街中に巨大な灰色のクレーターが出現していた。
視覚を凝らせば、灰色の中には網目のようにはしった赤いすじが脈打っている。
それらはまだ冷めきっていない溶岩の赤だ。
クレーターのふちに建っている家屋は半壊あるいは全壊しているものがほとんどだった。風圧と炎で崩れたとおぼしきそれらの中には、いまだ細い黒煙をあげ続けているものもある。それらに群がる人々の姿が蟻のように見えた。
灰色の円の中心は……デミウルゴスの店があった場所だ。
(なんで……)
頭の中は真っ白だった。
遠く見はるかす山々の稜線から、ゆっくりと太陽が昇ってくる。
眼窩の炎に黄金色の輝きが混ざっていたが、見えているものはアインズの心に届いていなかった。
だしぬけに襲ってきた脱力感に体がかしいではっとする。
空中で反射的に態勢を立て直し、アインズはうっそりと自分の腹部を見下ろした。
ぴしり、という小さな音を聞いていた気がする。
案の定、モモンガ玉には小さな亀裂が入っていた。
三吉君が見つけたものよりは少し大きい、もうひとつの亀裂。自分の状態を感覚で探れば、最大魔力が欠けこぼれたのがわかる。
おおよそで3%程度。──鑑定魔法で得た情報と同じだ。
どうやら『一日』の区切りは零時ではなく日の出のようだ、とぼんやり考えて。
「──それがどうした⁉」
とどろかんばかりの大声で、腹の底からそう叫ぶ。
意味のなさない言葉で、怒りを、苦しみを、嘆きを、怒りを。
空中でもんどり打ちながら、アインズは狂ったように叫び続けていた。
◇
ナザリック地下大墳墓──。
第9階層の廊下は、珍しくあわただしい雰囲気に包まれていた。
41人の一般メイドたちが、ひっきりなしに走り回っているようだ。
「あっ! アインズ様‼」
転移で現れたアインズが廊下に降り立った瞬間、背後からシクススの声がした。
ふり返ればどこかほっとしたような顔つきで、ととととと…と駆け寄ってくる。
「よかった、お戻りになられていたのですね!」
「この騒ぎはどうした? まさか私を探しているのか」
「はい。すぐお戻りになられるというお話だったとのことでしたので……」
ということは、彼女たちはひと晩じゅう走り回っていたのか?
一瞬そう考えてアインズはげんなりしかけたが、それは不自然だとふと思った。
「ああ……遅くなって済まなかったな」
「いえ、とんでもございません!」
「ほかのメイドたちにも、私が戻ったと伝えてやってくれ」
「かしこまりました。あの、アインズ様──」
「ん? なんだ」
「セバス様から、早急にお目通りを願いたいとことづかっておりますが」
(…………)
いかがいたしましょうか、と上目づかいに見上げかけたシクススが、びくりとすくみあがる。どす黒くゆらめくアインズの怒りにあてられて、あえぐように震えていた。
「──謁見の間で待つ。セバスにはそう伝えよ」
「はっ、はいっ‼」
ほとんど飛び上がるようにして、シクススは脱兎のように駆け出していく。
怖がらせてしまったことを意識して、アインズはゆっくりと深呼吸のまねごとをした。
(落ち着け……。まだ何も決まっていない)
デミウルゴスはどうなったのか。
セバスたちは何をしたのか──いったい何があったのか。
逸る気持ちをなだめつつ、ローブの裾をひるがえしてアインズは歩き出した。