◇
新作の香炉をテーブルに置いて、デミウルゴスはもう一度部屋を見回した。
テーブルクロスの角はきちんと折れているし、真っ白なティーセットにはわずかな曇りひとつない。
チェスト大のオルゴールには、吟味に吟味を重ねた円盤がセットされている。巨大なコイルは充分に巻かれていて、ひと晩じゅうでも演奏が可能な状態だ。曲のペースをコントロールする部品にも摩耗や損傷はないことをあらためて確認し直した。
少し家具の配置を変えることになったが、見苦しくはないだろうか?
椅子に置いたクッションはあれでいいだろうか?
(…………)
顎に手をかけた姿で佇み、チェック項目をひとつひとつ脳内で吟味する。
ひとつ小さく頷くと、くるりと背を向けて続きの部屋に入っていった。
ここのドアはやはり開けておくべきか。
作業場にそろえた素材の種類に欠けはないか、どんな物でも作って見せられるか?
工具類の手入れは本当に万全か。
わずか3つしかない部屋を出たり入ったり。
デミウルゴスはそわそわとせわしなく歩き回っていた。もう何度目になるかもわからないチェックをひとおり済ませ、大オルゴールを据えた最初の部屋に戻って来る。
懐中時計を取り出し、蓋をはじくように開いて時刻を確かめた。
まるで魔法に掛かったように、時の流れるのがことさら遅く感じられる。
ため息をついてカーテンを引けば、満月もまだ低い位置にあった。
星の光がかすむ夜空。ガラスに映る自分の姿が不意に意識されて、姿見でもう一度身だしなみを整え直そうと考えた時、ノックの音が耳を刺した。
(──‼)
鋼鉄の尾が、ぴん! と一瞬高く跳ねる。
喜色満面、だらしなく緩みかけた頬を意識して引き締め、穏やかな笑みに変えながら小走りでドアに駆け寄った。
ノブを回すのももどかしく、少し勢い込んでドアを開ける。
「やあ、レイス。今夜は──」
歓喜もあらわに言いさしたデミウルゴスの笑顔が、訪れた者を見てひきつった。
◇
すとん、と小さな音が立つ。
「はあ……馬鹿だよなあ、俺──」
がっくりと肩を落とし、レイスはひとりごちた。
骨の手でChange Avatar00をもてあそぶように転がしながら、様々な色合いに輝くそれをじっと見下ろしていた。
自分はこんなにも意思が弱かったのか?
少し空を眺めて、それで部屋に戻るつもりだった。
だけどあいにくの満月。星も確かに綺麗ではあったけれど、月光にかすんであの日見たような豪華さは感じられなかった。
(言い訳だろ、そんなの……)
デミウルゴスが寂しがるかもしれないから、とか
散歩のつもりだった、とか。──どれもこれも言い訳だ。
だがこうしてChange Avatar00を使ってしまった以上、このまま引き返したところで最大魔力の低下に見舞われるのはほぼ確定だ。
それなら行かずに済ませるのは馬鹿々々しい、と開き直り、レイスはすたすたと歩き出した。
散歩のつもりで、と自分に言い聞かせていたせいか、いつも念のためにと持ってくる転移の
辻馬車の時間はとうに過ぎている。
街中では禁制としている
やはり転移の
(何が散歩のつもりで、だ)
そのくせChange Avatar00だけはしっかりと持ち出してくるのだから、自分の気持ちの定まらなさに嫌気がさしてくる。
(この調子だと、着くの絶対に遅くなるよなあ……)
時間を確認するつもりで見上げた満月に、羽をひろげたデミウルゴスのシルエット。
「えっ……⁉」
一瞬自分の視覚を疑ったが、妄想が見せた幻ではなかった。
夜気の静けさを破って、羽ばたきの音がはっきりと響く。シルエットはみるみる近づき、切羽詰まった表情の彼がレイスの前に降り立った。
「レイス‼」
「ど──」
どうしてここに、という間もなく強い力で抱きすくめられる。
あわあわとうろたえるレイスに構わず、抱きしめる腕にさらに強い力がこもった。
「貴女を探していたんです。会えてよかった……」
感極まったような言葉の響きに、レイスの胸がつきりと痛んだ。
つい今しがたまで、ぐだぐだと繰り返していた愚痴もイライラした思いも、跡形もなく消え去ってしまっていた。
「ご、ごめんなさい。遅くなってしまって」
「いえ。行きましょう」
「えっ…、ぅわっ!」
いきなり抱き上げられて、全身に空気の重さがかかる。
急上昇する風圧が消えて閉ざした視界を開けば、目の前いっぱいに大きな満月──
(うわあ……)
きららかな星々を従えて、女王のように鎮座する天体。
ナザリックが世界にその名をとどろかせる、そのきっかけになったあの夜のことがまた思い出された。
デミウルゴスは、これを
複雑な気持ちで見上げれば、デミウルゴスはレイスを見ていなかった。
その表情はどこか硬く緊張していて、レイスが想像したような優しさをたたえたものではなかった。
視線に気づいてこちらを見ても、その表情は硬いままで──
気づけばデミウルゴスの手が、ローブの上から体をまさぐろうとしていた。
「えっ……⁉ ちょ、待って‼ こんなとこで──‼」
レイスが慌てる間にも、恐ろしいスピードで下降が始まっていた。
どこに降りるつもりなのかと、尋ねられるほどの余裕もない。思わずデミウルゴスの胸元にしがみつきつつ、なんとかデミウルゴスの腕をおしとどめようとしていた。
「……っ、大人しくしていてください。すみません、あまり時間がないんです」
あまりといえばあんまりな言いぐさに、レイスの怒りゲージが跳ね上がる。
体が目当てか‼ などと責めるつもりがないといっても、さすがにこれは許しがたかった。
大切にしてもらえてる、と思っていたのに。
◇
──済まないな、……特に、デミウルゴス。
もうこれ以上、領土を拡げることは考えなくていいとシモベたちに告げたのは転移してから50年が過ぎた頃のことだ。その時もアインズはあの日の星空を思い返していた。
(遠くにあって眺めるからこそ、星は綺麗に輝くのかもしれない……)
そんなふうにうそぶいて。
私の望みを叶えてくれるのが、お前たちの務めなのだろう? と。
突然の方針転換にどよめくシモベたちに、泣きそうな気分で、軽口のようにそう言った。
決してお前たちが必要でなくなったわけではないから、と告げた。
あの日、従容として頭を下げたデミウルゴスは落胆していただろうか?
もしもそうなら、デミウルゴスが『宝石箱』をアインズ以外の誰かに見せようとしたって責められはしない。
シモベとしての彼の気持ちを、踏みにじるような宣言だったかもしれない。
素晴らしく美しい星空を、デミウルゴスが見せようとした相手はどのみち『自分』だ。
レイスはこの上もなく大事にされていて、だから思い出を穢されたように感じるのはおかしいだろうと考えたのに、レイスに対してもいきなりのこの扱いだ。
地面が近づくのを感じて、レイスはまたデミウルゴスを押しのけようとした。
「放してください。もうここからでも飛び降りられる」
「……っ、お願いですから、どうか──」
暴れたにも関わらず、着地の衝撃は覚悟したほど強くなかった。
「帰りますから!」
「駄目です、まだ──」
もみあいのさなか、デミウルゴスがはっと息を飲む。
離れようとした腕を引かれて抱きこまれ、くるりと位置を変えられた瞬間、彼の体ごしに衝撃が伝わってきた。
ぴちゃっ、とレイスの頬骨のあたりに生暖かい何かがはじける。
「──……っ!」
一瞬痛みに歪んだ表情が、遅れて心に迫ってきた。
「デミウルゴス‼」
肩を押さえたデミウルゴスが、崩れるように膝をつく。
蝙蝠の羽をざっくりと裂いて、肩まで届いた何かの攻撃。押さえた指の間から彼の血が滴っていた。
「なんで、こんな……」
詰め寄りかけたレイスは、自分たちを取り囲むように現れる複数の足音を聞く。
「──娘、ひとまずその男から離れていなさい」
底冷えのする声に顔を上げれば、瞳に怒気を宿したセバスが、傲然と自分たちを見下ろしていた。
いつもの老紳士然とした姿ではない。全身を竜の鱗で覆われた本来の姿だ。常の執事服は焼け焦げており、炭化した布地の残骸がわずかにへばりついているばかりだった。
ぐるりと周囲を見渡せばプレアデスたちが、それぞれの武器を構えている。血の気が引くような思いと共に、ナザリック内を逃げ回った時のことが脳裏をよぎる。
まずいと思うより先に、レイスの手はChange Avatar00を掴もうとした。だが──
「逃げてください!」
「──⁉」
突き飛ばされた瞬間、レイスの視界が闇に覆われる。
後ろに数歩たたらを踏んで顔をあげれば、
目の前に佇んでいるのは魔道王、アインズ・ウール・ゴウンの神像と供物台……。周囲は板塀に囲まれていて、デミウルゴスたちの姿はもちろんどこにも見えなかった。
◇
頭上から青い光がさして、
あと一瞬動くのが遅れていたら、レイスを逃がすことができなかった。
ちっ……、と誰かの舌打ちが聞こえる。
肩を押さえたまま、デミウルゴスはゆっくりと立ち上がった。
「私ごときに大層なお出迎えもあったものですね」
「あの娘がどの程度のものか、予測がつきかねましたのでな」
「なるほど、それで彼女たちを総動員、ですか」
「釈明があるのならお聞きしましょう」
「…………」
鼻で笑うかのように、デミウルゴスは口の端を吊り上げる。
セバスが鼻白み、その気配にプレアデスたちも色めき立った。彼女たちを抑えるように、セバスが視線を走らせて。
「あの者をどこへやったのか、教えていただきましょうか」
「お断りだね」
その瞬間、プレアデスたちが一斉にデミウルゴスにとびかかった。