(CNN) 米ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館は22日までに、イランのモハマド・モサデク政権が倒れた1953年のクーデターは米中央情報局(CIA)が主導したことを示す機密文書を公開した。
CIAがクーデターを仕掛けたことを明確に示す初の公式文書としている。文書は2011年に機密指定が解除され、同公文書館は情報公開法に基づき入手していた。この文書は1970年代半ばからのCIAのイラン介入の歴史の記述の中で見つかった。
文書を精査した公文書館の編集者によると、CIAはこの中でクーデターへの関与に詳しく言及。「モサデク首相率いる国民戦線内閣を打倒した軍事クーデターは米外交政策の一環としてCIAが率先して実行された」と明言。クーデターは米政府の最高レベルも承認したとしている。
クーデター画策はモサデク氏が1951年に首相に就任した直後から始められた。同氏は政権を握った後、即座に石油会社の国有化を図り、米国と英国は旧ソ連に利する動きとの警戒を強めた。米国は当時、石油政策や他の多くの問題についてイランと交渉していたが成果は得られず、イランは旧ソ連になびくとの危惧(きぐ)を深めていた。
CIAによるクーデター謀議は「TPAJAXプロジェクト」と暗号を持つ作戦で、モサデク政権の駆逐、当時のパーレビ国王の威信や権力基盤の強化をにらみ、ザヘディ将軍を首相にかつぐのが目的だった。
クーデターの準備には英国の秘密情報機関も加担し、プロパガンダ戦術で反モサデク首相の世論醸成を狙った。メディア、宣伝ビラや僧職者を通じ、モサデク政権の弱体化を狙ってあらゆる手段を講じたという。
クーデターは1953年8月19日、CIAと英情報機関が国王支持勢力を結集させ、大規模な反政府デモを実現させたことで成功。文書によると、イラン陸軍も国王支持に転じ、同日昼までには首都テヘランや他の州などで国王支持者が路上に集まり、陸軍部隊がこれに同調したことで大勢が決まった。19日夜にはモサデク政権の要人らは逃走もしくは監禁される事態となった。
CIAはまた、ザヘディ首相の権力基盤の強化などを狙い、首相就任の2日内に500万米ドルの資金援助を密かに行ったという。クーデター後、モサデク氏は死刑判決を受けたが、執行はされなかった。1967年にテヘランで死去している。
クーデターへの米政府の関与はこれまで再三取り沙汰されていた。オバマ大統領は2009年、エジプト・カイロでの演説で「冷戦のさなか、米国は民主的に選出されたイランの政権の転覆に関わった」と認めた。オルブライト元国務長官も2000年、米国のクーデターへの関与に言及していた。
クーデターは米国、イラン両国関係には今なお影を落としており、イランの政治家や宗教指導者は反米感情を煽る材料にも使っている。05年から今年まで大統領を務めたアフマディネジャド氏はクーデターでCIAが犯した犯罪への謝罪を米国に要求もしていた。