◇
デミウルゴスが店の工房で作るものは、アクセサリーやちょっとした置物などの小さい作品が多いようだった。赤熱神殿にある作業場とは違ってそう広いわけではないから、あまり大きな物は作れないんだろうとレイスは思う。
作業台のへりに顎を乗せ、レイスはデミウルゴスの手元にじっと見入っていた。
まるで
「……そんなに見つめられると緊張しますね」
作業台のへりに両手をかけていたレイスが、ちらりと上目づかいにデミウルゴスを見る。
少し困ったような微笑みを浮かべていた。
「ごめんなさい、やっぱり邪魔でした?」
「まさか。貴女に見せるためにやっているのに、そんなことを思うわけがないでしょう」
レイスは赤熱神殿で、趣味にいそしむデミウルゴスの姿を見たことがなかった。
アインズとして頼んでもきっと喜んで応じてくれただろうとは思うけれど、それでは自分が楽しくない。
見たかったのは、シモベとして気を遣いながら作業する姿ではないのだから。
「ですがせめて、そこの椅子を使うなりしてはどうです? 貴女が疲労とは無縁だと知っていても、少々申し訳なくなります」
「あ……」
確かに、目の前でしゃがみこんでガン見されていれば、相手が誰でも落ち着かないだろう。しかし勧められた椅子にかけるとデミウルゴスの手元は見えても、うつむいた表情は見えにくくなる。
没頭している表情を盗み見るには、今の態勢が最適だと思ったのに……
逡巡を見せるレイスに、デミウルゴスがくすりと笑った。
「少し、貴女もやってみますか?」
「えっ……でも、それは誰かに頼まれたものなんでしょう? いいんですか?」
「構いませんよ、直すことになっても大した手間ではありませんから」
言いながら、デミウルゴスが動いた。
席を変わってくれるんだろうと思って立ち上がったが、彼は椅子ごと体をずらしただけで、レイスをにこにこと見上げている。
「どうぞ」
「え…ええっ?」
「特等席ですよ」
自分の膝の上に座れ、と。
両腕をひろげて笑っていたデミウルゴス。断るはずがないと確信している表情が憎らしかったが、結局おずおずと誘われるままに座ってしまった。
(あんな
くくっ、と押し殺した笑いをもらした。
だがすぐに我に返り、背後の気配をこっそり探る。ドアのそばに座っている当番メイドは身じろぎひとつしなかったようだ。
彼女に背を向ける格好で寝そべっていたアインズは、目の前で開いていた本を閉じた。それは最古図書館で探してきた、彫金の技術に関する本だ。
作業台とデミウルゴスに挟まれた格好で。
背中に体温を感じながら、両側に並んだ様々な工具を見下ろした。それらから使うものを選ぶそぶりで、デミウルゴスの手がこぶりのハンマーをさりげなく遠ざける。
あまりの過保護ぶりに内心で苦笑していた。危ないから? ──俺は子供か。
細いペンチを持たされて、その上から柔らかく手を握り込まれた。
「ここをつまんで、軽くよじれをほぐしていただけますか? こんな風に……」
耳孔のあたりにデミウルゴスの頬が当たって、手を握り込まれていなければペンチを取り落としてしまうところだった。
教えられた作業はデミウルゴスがやると綺麗にほぐれるのに、自分がやるとどうしてもつぶれたり歪んだりしてしまう。
「結構難しいですね、これ……」
「そうですか? 初めてにしてはお上手だと思いますが」
笑い含みの声が、言外に『下手』だと告げているのがわかる。しかしそれすらもなんだかくすぐったかった。
(……駄目だ)
こんな本を読んでいたら、気を紛らわせるどころか余計に会いたくなる。
もう一度開きかけた本をまた閉じた。
寝返りを打って時刻を確認してみれば、まだ21時にもなっていない。Change Avatar00のデメリットが働いていると知って、会いに行くのはやめようと決めたのだ。
次にレイスとして会うときは、「もう来ない」とデミウルゴスに告げるとき。
だから今夜は行かないつもりだったが、夜の長さを思うと憂鬱になる。
きっと今夜だけじゃない。これからはまた長い長い夜を、ひとりで過ごす日々が続いていくのだろう。もとの生活に戻るだけの話だ。
(眠ってしまえればいいのにな)
アインズはそっと視界を閉ざした。
◇
すみません、と言いながら眠りに落ちたデミウルゴスの顔を、レイスはじっと見つめ続けていた。どんな夢を見ているんだろうな、と思う。
(俺はもう、夢を見る感覚なんて忘れちゃったけど)
こうして寝顔まで堪能できるなら、眠れない体になったことも幸せに思えた。
レイスの姿でも
眠っていても、デミウルゴスはレイスの体をしっかりと抱きしめている。その上からさらに鋼鉄の尾まで巻きついていて、どのみち簡単に抜け出せそうにもなかった。
あの……どうしていつも……途中でやめるんですか?
我ながらとんでもないことを言ってしまった、と思う。
口に出した瞬間デミウルゴスの纏う空気が変わって慌てた。今のは無しで! 聞かなかったことにしてください! と叫ぶより先に抱き上げられていた。
浮遊感に驚いて、少しばたついたかもしれない。
「つかまってもらって構いませんよ。そのままでも落としたりはしませんが」
「デミ……」
見上げたデミウルゴスの眼鏡の奥。ぎらついた色を見て言葉を飲み込んだ。
何も言わずに首筋にしがみついて、そのままこの部屋まで運ばれてきたのだ。
私はこれ以上ない幸せ者ですね。
この身が明日には滅ぶとしても、まったく悔いは残りませんよ
なっ…、何言ってるんですか‼
ただの例えです。怒らないでください。
(…………)
眼鏡をはずしたデミウルゴスの寝顔。眉間に少ししわが寄っていて、それだけのことが妙に気になった。
(そういえば、今日はしてなかったか? 指輪)
確かめようと身じろぎすると、寝言のような唸りが聞こえてきた。起こしてしまわなかったかと息をひそめるように聴覚を澄ませて──それを聞いた。
「……せん、──様……」
(──‼)
申し訳ありません、アインズ様……
お許しください、と続いた。
幸福感も、わずかな心配も一瞬で吹き飛んでしまった。腕の中で硬直したまま、レイスは驚愕をもってデミウルゴスを凝視する。
なんで今まで忘れていたんだろう、と胸が痛む。
デミウルゴスはレイスの恋人である前に、ナザリックのシモベだ。隠れて
夢の中に入り込んで、自分はアインズだと言ってしまいたかった。
だけどもしそんなことができたとしても、デミウルゴスにとってはただの夢だ。
もちろん、現実に口にするなんてできるわけがない。
これが潮時か?
(そうだよ……。あの時だって、もう終わりにしないとって思ってたじゃないか)
だけど──
あの夜のことがあってから、隔週での訪問は毎週になった。
(レイスが急に来なくなったら、あいつはどう思うだろう)
寂しがってくれるだろうか。
まだ一週欠けるだけだ、そんなに気にもとめないかもしれない。
あるいは、罪悪感から解放されて安心する……んだろうか?
自室のベッドの上で、アインズはまたごろりと寝返りをうった。
時刻はまだ21:30を過ぎたところだ。
転移の
(1%ダウンだぞ……いや、もしかするとそれ以上に落ちる可能性だってあるのに)
デメリットを回避できる方法は、あるのかどうかさえわからない。
我慢しなければいけない、とアインズは自分に言い聞かせる。
(仮に10%落ちたって、問題ないんじゃないか?)
領土を拡げることをやめてから、膨大な魔力にはほとんど使い道もない。
90%も残っていれば、なんとかなるんじゃ──
(いや、駄目だ! この思考は危ない)
一度タガが外れてしまえば、80%残っていれば、いや70%でも、とずるずる甘くなっていくだろう。それは予想ではなく確信だった。
(敵対する可能性のある神人が、もうこの世界に残ってないと確認できたわけじゃないんだぞ。弱体化したところを襲われでもしたら、誰がシモベたちを守る?)
新人たちなど、カンストプレイヤーに比べれば問題にならない。
(とびぬけた者が今後も生まれてこないとは言い切れないじゃないか)
異なる思考が入り混じって、迷いに迷う。
抗っても抗っても、もう一度デミウルゴスに会っていい理由を心が探そうとする。
沈静化ぎりぎりまで感情が乱れ、ふつりと焼き切れるように思考が途切れた。
「…………」
「アインズ様?」
やおら起き上がったアインズに、当番のメイドが声をかける。
「少し、上に出る。すぐに戻るから供は必要ない」
「かしこまりました」
ドアを開けるメイドに鷹揚にうなずきかけて、アインズは自室を出て行った。
頭の中にあるのは、表層部を覆っているであろう満天の星だ。
(外の空気を吸えば、ちょっとは落ち着くだろう)