「有害な男らしさ」とはなにか

いきなり説明もなく「有害な男らしさ」という言葉を使ってしまいましたが、これは、1980年代にアメリカの心理学者が提唱した言葉です。1980年代にアメリカの心理学者が提唱した言葉です(英語では Toxic Masculinity)。

社会の中で「男らしさ」として当然視、賞賛され、男性が無自覚のうちにそうなるように仕向けられる特性の中に、暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする有害(toxic)な性質が埋め込まれている、という指摘を表現しています 。

『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著、フィルムアート社)という本に紹介されている、社会心理学者による「男性性の4要素」は、1「意気地なしはダメ」2「大物感」3「動じない強さ」4「ぶちのめせ」です。弱音を吐かず、社会的な成功と地位を積極的に追求し、危機的状況があっても動じずにたくましく切り抜け、攻撃的で暴力的な態度をとることも含めて、社会の中で「男らしさ」といわれている、という説明ですね。 

社会で「男らしい」要素とされるものがすべて有害な行動に結びつくとは限らず、向上心や克己心の源になることもありますし、社会的に成功することも勇敢に行動することも、もちろん何も非難されることではありません。でも、良い面ばかりではなくネガティブな面もあるのではないか、ということへの着目が少なすぎたことの弊害が、男性の問題行動の遠因にあるのではないでしょうか。

「男なら出世を目指して当然」という価値観は、いまなお日本社会に強く残っている。photo by iStock

「男らしさ」を良しとする価値観をインストールされた結果、競争の勝ち負けの結果でしか自分を肯定できなかったり、女性に対して「上」のポジションでいることにこだわりすぎて対等な関係性を築くことに失敗してしまったり、自分の中の不安や弱さを否定して心身の限界を超えて仕事に打ち込んでしまったり......といったことが、男性にはしばしば起こっているのではないか。

私が離婚事案やハラスメント事案で見てきた男性の行動の背景には、そんなこともあったのではないかという気がします。 

だからこそ、そのような「有害な男らしさ」が自分にも無自覚にインストールされてしまっていることを意識し、その悪影響から脱却することが男性には必要ではないでしょうか。 

「有害な男らしさ」をめぐるそんな問いかけは、これから大人の男性に成長していく息子たちの幸せな人生を願う私には、とても大事で切実なものに聞こえます。