なぜ、女性は劣るのだろうか?

 ゴルフの藍ちゃんは女子ゴルフではダントツに強い。日本ばかりではなく世界でもトップを争う。それでも日本の男子のトーナメントに出ると予選も突破できない。テニスやマラソンでもそうである。男と一緒に競ったら問題にならない。

 野球やサッカーのようにさらに筋肉の力が必要なスポーツになると男女の差は更に歴然としてくる。相撲となると女性はほぼ無理である。なんでこんなに女性は劣るのだろうか?

 学問の世界でもそうだ。女性のノーベル賞受賞者は100年ほど前、キュリー夫人が出て以来、ほとんどいない。少しはいるが比率は圧倒的に男性である。私は工学を教えているが、女子学生が男子学生より機械加工ができ、物理の計算ができることはほとんど希である。

 女性はどうしてこんなに頭が悪いのだろうか?スポーツもダメ、学問もダメということではどうにもならない。なぜ、男女共同などが達成できるのだろうか?

 私は大学に移るまで企業で技術職にあった。女性もいた。でもほとんど女性は役に立たず、むしろトラブルメーカーだった。夜になるとすぐ帰りたがるし、汚い仕事はイヤ、力仕事はイヤ、お客さんのところに行けば、責任をとらないから、すぐお客さんから文句が来る。

 それだけではない。技術を担当している職場は緊急の業務が起こる。JRの列車が脱線したらJRの職場の技術陣はすぐ救出に向かわなければならないし、停電になれば直ちに出動して高圧電線を保全しなければならない。そんな時、女性は「子供が発熱しているから」「そんなことはやりたくない」と逃げる。肝心な所で役に立たないから普段、優れた女性も引き立てることができない。

 なぜ、こんなに女性は劣るのだろうか?

 男子フィギュア・スケートは力強くて良い。でも、女性のフィギュアと比較すると劣る。確かに技術は男子が上だが、美しさや芸術性においてまったく勝負にならない。男はなぜ、劣るのだろうか?

 私の研究室では研究を進めるのに英語は必須である。論文も英語で書かなければいけないし、外国に行って発表もしなければならない。私は毎年5人の学生を研究生に受け入れる。そして2年に1人程度の女子学生も来る。今まで、どんな女子学生でも男子学生より英語ができた。例外はない。なぜ、男子学生は、それほど劣るのだろうか?

 私が企業で仕事をしている時に、窓口に若い男性を当てるとすぐトラブルになる。口数は少ない。攻撃的である。お客さんはほとんど嫌気をさし、もう二度と問い合わせはこない。でも親切で感の鋭い若い女性を当てると、必ず成功する。男は、なぜ対人能力に不足するのだろうか?

 私の友達には多くの単身赴任者がいる。決まって毎日、酒を飲み、時に高血圧になり、時にアル中になる。彼らの奥さんは根気よくそんな旦那を指導し、言いつけ、家族の健康を保ってくれる。どうして女性は粘り強く、家族思いで、優しいのだろうか?

 もちろん、女性の方が平均寿命が長い。それも少しの差ではない。8年も長い。男女共同参画が叫ばれ、国家をあげて進めているのは「女性が恵まれない」からである。そんなに恵まれない女性がなぜ8年も寿命が長いのだろうか?現在の日本が本当に女性を差別し、女性が不利なのに、8年も長生きしているとすると、男女共同参画になると女性は何歳まで生きるのだろうか?

「女性はなぜ、劣るのだろうか?」
という問いの答えは簡単である。それは、
「白人男性の決めたルールで戦えば男性に負ける」
ということである。

 現代の世界、特に欧米の文化を取り入れた社会は白人男性の論理で作られたルールに基づいている。そのルールとは、
1) 筋肉の強いものが、筋肉の弱いものを支配して良い。
2) 家庭を犠牲にして働くものが上位でよい。
3) 語学の通訳より、物理の出来るものの方が優れている。
などである。

 これらのルールは正しいと錯覚され、それが前提になっている。野球でも相撲でも筋肉が強いものが上である。だから女性はもちろん劣る。実は、フィギュア・スケートですら本質的には白人男性のルールが通っている。

 三回転より四回転の方がよい・・・これは力の論理である。スポーツウェアーをまとっているよりほぼ裸の女性が滑った方がよい・・・これも白人男性の見方である。それを克服しても女性のスケートが優れているのだから、この分野ではよほど女性が優れているに違いない。

 生物学的、歴史的、そしてDNA的に考えると、女性は「争う」という必要性がない。それは「子供を産む」のが本業だからである。一匹のメス、あるいは一人の女性が産むことができる子供の数は制限されている。それは自らの細胞をかなり取られるからである。

 だから女性はその社会のトップに立っても、何らメリットがない。産む子供の数は変わらないからである。争う必要のあるのは男性であり、女性ではない。だから女性は争うことを本質的に好まない傾向にある。

 魚の集団でよく見られることだが、10匹ぐらいで集団をなしている。一匹がオスで残りがメスである。メスは日常的な生活を楽しみ、オスは外敵と戦い群れを守る。だからそのうち、オスが死ぬ。戦って死ぬ。

 そうすると、群れの中の一番、体の大きなメスがオスに変わる。体の筋肉も変われば神経系統も代わり、当然、性器もオスに変わる。そうしてその日から「メスがオスに変わったオス」が群れを守る。それでもその群れの生活はまったく変わらない。メスは日常的な生活を楽しみ、争いには荷担しない。

 人間がサルから進化して以来、社会は場所を争い、食料を争ってきた。だから男性の論理・・・力の強い方を上位にする・・・という不文律ができた。歴史的に見ても現代の白人男性の世界はその極端な例である。

 特に現代の日本は、自由主義と資本主義の中にいる。これこそ白人男性の築き上げたものであり、その枠に女性も有色人種も取り込み、白人男性の優位性を際だたせるというのが彼らの陰謀であるとも言える。日本女性は有色人種で女性だから、もしこのまま白人男性の論理に巻き込まれると二重のハンディキャップを背負うことになる。

 すでに他国の国境を侵すことも、食料を争うことも無くなった。だから男性の論理は後退して良い。すでに10匹の集団でも群れを守るべきオスは不要なのである。大切なのは日常生活であり、それにはメスの論理が表面に出なければならない。

 女が男より劣るという結果になるのは、女が好んで白人男性のルールに入るからである。そのルールのまま男女共同参画などと言うものだから、ハンディが必要となる。男女を普通に比較すると女性が劣るから「女性の比率を30%にしろ」などと政府が命令する。

 でも本当は女性が女性のルールのものを作れば男性が劣る。女性にとって間違った社会の中にそのまま女性が入るのではなく、女性は女性のルールを作るのが本当の男女共同参画だと、私は思う。

おわり