◇
アインズは執務室で、いつものようにデミウルゴスからの報告を受けていた。
魔道国の統治はずっと安定している。
現在、国の領土は世界の6割を占めるまでに拡大していた。全世界を手中にするという最初の目標にはほど遠いが、アインズはもう国を大きくする意思をほぼ失っている。
ナザリックが積極的なマッチポンプを仕掛けなくなったのは、転移してきてからおよそ50年が経過した辺りからだ。
最強の巨大国家、しかも手本になるほど平和的に治まっているとなれば軽々しく喧嘩を売ってくるような国もない。アインズは有能なシモベたちに囲まれて、何の問題もない日々を送っていた。少なくとも、表面上は。
「──本日のご報告は以上となります」
「……っ。あ、ああ。ご苦労」
「もったいなきお言葉でございます」
頭を下げるデミウルゴスを、アインズはちらりと見上げた。
「何かご命令がおありでしょうか?」
「いや……」
「ではなにかお気づきの点が? どこか報告に不手際でもありましたでしょうか」
「そうではない。私はお前たちの働きに満足している。何も心配することはない」
「は……ですが──」
言い淀むデミウルゴスは気がかりそうだ。
その表情に、アインズはようやく重い口を開いた。
「例の侵入者の件、あれはその後どうなっている?」
「……!」
デミウルゴスの頬がぴくりと強張る。
平静を取り繕ってはいるものの、かすかに蒼ざめているようにさえ見えた。
「申し訳ございません。いまだ発見はできておりませず……」
「い、いや! 構わない。もともと私は問題にならないと考えていたのだからな。まあ、まだ探させているならいずれ見つかるだろう」
「は。」
「……話はそれだけだ、下がれ」
「では、失礼いたします」
優雅に一礼すると、デミウルゴスは執務室を出て行った。
当番メイドの手によって扉が閉められた瞬間、アインズの全身からどっと力が抜ける。
(あああああああああ……)
両手で顔をおおい、天井を仰ぎながらアインズはうめいた。
余計なことを言ってしまったような気がして仕方がない。あの一件に関してはずっと無関心をつらぬいてきたというのに、何かおかしいと思われなかっただろうか?
(はあ……)
アインズはデスクに突っ伏した。
ごろりと寝返りをうつように、横向きに顔をあげる。
頬骨の下に敷いた腕とは反対の手でものうげにインベントリを開き、中からあるものを取り出した。
目の前にかざしたのは、様々な色合いにきらめくオパールのような宝玉だ。
大粒のそれはパンドラズ・アクターが、宝物殿の屑山から偶然見つけ出したアイテムだった。
◇
何の変哲もないただの宝玉。
宝物殿にこれ見よがしに積まれた宝剣や金貨、装身具のたぐいと同じく屑アイテムだろうとパンドラは思ったそうだ。
しかし、なんとなく引っかかるものを感じて鑑定魔法をかけてみたところ──意外にも何もわからなかった。
たとえただの宝玉であろうとも、鑑定魔法をかければその名称や正確な重さ、金貨に換算した場合の価値程度の情報は得られるはずなのに、だ。
宝玉自体が強い魔力を帯びていて、鑑定魔法に対するノイズになっているという可能性は彼も考えた。しかしそれなら魔力があることは最初からわかる。
何者か──元の持ち主、もしくはこれを入手した至高の誰かが鑑定を阻害する魔法をかけているという可能性についても同じことで、情報そのものは得られずとも、阻害魔法がかかっているということはわかるはずだった。
しかし、手にした宝玉はそのどちらでもない。
これは一体どういうアイテムなのかと不思議に思ったパンドラは、アインズに連絡して教えを乞うてきたのだった。
だがアインズにしてみても、パンドラにわからないようなアイテムを正しく鑑定できる自信があったわけではない。それでも宝物殿に出向いたのは、実際目にすれば何か思い出すかもしれないと考えたからだった。
そうして──
(全っ然、まったく覚えがないぞ……)
差し出された宝玉を前に、アインズは内心で冷や汗をかいていた。
これは何か逸話を捏造するべきかと思いながら、時間稼ぎのつもりで鑑定魔法をかけてみると意外なことにすんなりとそれの正体が知れた。
名称:Change Avatar00
(えっ?)
「アインズ様、それは一体どのようなものだったのでしょうか⁉」
半ば食い気味に聞いてくるパンドラを片手をあげて制しながら、アインズはちょっとこめかみのあたりをおさえて考えこんでしまう。
(Change Avatar00……)
脳裏に鮮明によみがえったのは、平面的な画面に表示されたフォルダ画像。
それはユグドラシル時代、まだモモンガだった頃のアインズがギルメンのひとりに教わりながら組んでいたプログラムのデータだった。
だがそれはフォルダに入れたままのデータで、データクリスタルなどに書き込んでゲーム内での『形』を与える前の段階のものだったはずだ。
なのにどうして宝石という『形』になってしまっているのかが謎だった。
例えば液体が一定の条件下で球体になるように、データそのものという不定形の存在は、この世界では宝石のこの形が一番安定する、ということなのだろうか?
そんなことを考えつつ凝視すれば、霞が晴れるようにして新たな情報が意識に流れこんでくる。それは記憶が次第に戻ってくるのにも似た感覚で、プログラムの内容を実行できる宝石だと知れた。
期待を込めたパンドラのまなざしが暑苦しいほどに近い。
若干引き気味になりながら、アインズはこほんとひとつ咳ばらいをした。
「ああ、やはりそうか。いや、知ってはいたがあまりに懐かしかったのでな。つい鑑定魔法などかけてしまったが……これは簡単に言えば、別の存在になれるアイテムだ」
「なるほど、つまり変身アイテムなのですね」
パンドラのテンションがこころなしか低下している。
期待していたほどのものではないのかとがっかりしているのがよくわかった。
「お前に与えた変身の能力などとはまた違うものだぞ? タブラさんに化けたお前を、アルベドはすぐに見破っただろう。それはお前が姿を変えても、
「おお……‼ つまり、完全なる変身をもたらすアイテムなのですね‼」
「あ、ああ」
(NPCの視点だったら、そういう感じだよな? たぶん……)
このデータは、プレイヤーが瞬時にアバターを交換するためのプログラムだから。
当然サブアバターの用意は必須で、アバター自体が本性のような状態のNPCの視点でいうならそういう感じなんじゃないかと考えていた。
「それを使用すれば、守護者の方々にも見破られない変身が可能であると!」
(……ん……?)
「なんと素晴らしいアイテムなのでしょうか‼」
「あいにくだが、これはプレイヤーにしか使えないものだぞ?」
もっと言うならば、アインズにしか使えない可能性が高かった。
データにサブアバターとして設定されているのは魔法職LV30相当のスケルトン。軽い悪ふざけのつもりで女性の骨格だ。
今からでもデータの上書きが可能ならばいざ知らず、いったん書き込んだものを変更する手段などこの世界には存在しない。それができるならアルベドの設定だってとっくに元に戻していた。
つまりこれを使って変身できるのは、女性体のスケルトン一種類だけ。
プレイヤー専用だとしても希少だとひとり盛り上がっているパンドラをよそに、アインズは別のことを考え始めていた。
ついさっきのパンドラの指摘が、がらんどうの頭蓋の中で反響しているかのようだ。
(守護者たちにも見破られない……)
デミウルゴスはかつてアインズに、ナザリックのシモベたちは表層部の木っ端スケルトンに至るまで間違いなく至高の気配を感じ取ることができると語っていた。
だがシモベたちが感じ取っているのが
こればかりは実際に確かめてみなければなんとも言えなかった。
(だけどこのデータ、何か問題があるとか言われてなかったか?)
もの言わぬ宝石をじっと見つめる。
データだと認識して眺めているからか、その内側に理解しづらいプログラミング言語の文字が透けて見えてくるような気がした。
(あの人はどんな風に言ってた? ~~~~だめだ、よく思い出せないな……)
記憶の底で、理解できない文字の羅列が蛇のようにうねっている。
ただのイメージだったそれが、次第に実感を伴った意味として意識に浸透してくるような感じがすることにアインズは気づいた。まだ鑑定魔法の効果時間が残っているのだ。
魔力最大値3%DOWN
効果が切れる直前、点滅して見えたのはアイテム使用に伴うデメリット。
一回の使用ごとにではなく、使用して一日が経過するごとにだと効果時間ギリギリで理解された。
時間差で情報が伝わってきたのは、少しずつ思い出した『記憶』の影響だろうか。
古典的な対話式のゲームの中で『INTの値が一定値を超えていると魔法の成果判定にボーナスがつく』というルールがあったことを思い出していた。
調べるアイテムに対する正しい予備知識があれば、鑑定結果の情報量が増える?
確証はないものの、そうであるならパンドラの鑑定魔法が通じなかったことにも一応の納得はできる。
デメリットについてはゲーム時代に指摘された問題と別物のような気もしたが、そもそも指摘された内容を当時ちゃんと理解できていたとはいいがたかった。
この鑑定結果を疑う理由はどこにもない。
(3パーセントか……)
人間であれば、ごくりと唾を飲みくだすような心境だ。
ステータスの最大値が減少する攻撃、というのは様々なゲームに存在していた。
それらの効果は戦闘終了と同時に消え、減少したぶんの数値は戦闘後、もとに戻っているというのが常識だ。
だがそれはユーザーに配慮した不文律であって、配慮する立場の運営やゲーム会社がいないこの異世界でも同じルールが働くとは考えにくかった。
レベルがカンストしている状態では、レベルアップによる回復もあてにできない。
たかが3パーセント、されど3パーセントだ。
単なる好奇心で使用するには高い代償ではないだろうか……特にアインズの場合、魔力がべらぼうに高いだけに3パーセントといっても失う量は大きいだろう。
(だけど──)
一度だけなら……
誘惑に負けて、アインズはChange Avatar00を使用した。
低レベルのスケルトンとしてナザリック内を散策したアインズは、パンドラの指摘が正しかったと身をもって知ることになるのだった。