耳で演奏する

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わたしは音楽教育などまったく受けてないのだが、それがゆえに耳の問題が気になる。エレキギターを弾いていて、とりあえず運指が追いつかないことはあまりないが、耳が追いつかないのは普通である。もちろんTAB譜というものもあるから、それを見ながら弾けばいいのだが、しっくりこないことも多々ある。そもそもTAB譜で完全に再現出来てないこともよくあるから、そのとおりに弾けば正解というわけでもない。印象的なフレーズであれば聞き取りに問題はないし、わたしは運指は苦にしてないのでだいたいすぐに弾けるのだが、そういう明確なメロディーがあるとは限らないわけで、スケール音を鳴らしているようなアドリブ感があると耳が追いつかない。ここで再三「耳」と書いているのは当然ながら聴力ではなく、音楽を聴き取る能力のことなのだが、幼少期から訓練されていると理解が早いのであろうし、また教則本を書くのはそういう人だから、耳が追いつかないという問題は看過されている。

厳密には一秒前でも完全な過去であり、われわれはあくまで短期記憶で幅のある現在を体験している。五分の音楽を聴くとして、その音は絶え間なく過去に葬り去られているのだが、そうやって薨じた音色も脳の短期記憶で保持しているので、五分間通して聴いたということになる。短期記憶でつないで現在進行型として体験しているから音楽はあるわけだ。この手の記憶力に関してだが、やはり理解力の問題もあろうし、ソーシャルスキルに長けていても、難しい話はチンプンカンプンということもあるだろう。音楽の理解は難易度が高いので、短期記憶よりは音楽の理解力の方が重要であろう。

たとえばピアノ曲を聴くとして、ほとんどの人は主旋律を理解できる。だが、演奏者は主旋律の音だけ鳴らしているわけではなく、むしろそれ以外の音がたくさん鳴っているわけだが、これを本当の意味で聴き取るなら音楽教育が必須であろう。ピアノを弾けない人がピアノ曲を聴いて、理解できなくてもなんとなく凄いのがわかるということはあるし、感動できることも普通にあるのだが、これを自分で弾くとなると、また別の話である。

小さい頃に音楽教育を受けていないギターヒーローなんぞたくさんいるから、耳のよさという感性の問題もあるのだろう。ピアノは右手と左手でまったく違うのを弾いたりするから難度が高いが、ギターの運指はそれより単純なので、適性があれば後天的にマスターするのも難しくない。音楽理論を学べという話もあるだろうが、やはり根本的な耳のよさが肝心なのだろうと思う。
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