浄慶寺砥石採掘場探訪
一乗城下町の発掘調査では、砂岩系の荒砥から粘板岩系の仕上げ砥まで各種の砥石が出土している。
第44次調査出土の砥石未使用品は、「浄慶寺砥石」(江戸時代の『和漢三才図絵』に、浄教寺町で採掘される刀剣用の中砥としてその名が全国に知られていた)ではないかと考えられている。
平成14年10月16日、管理人は、朝倉氏遺跡資料館のM氏が、砥石について詳しい東京都のK氏を戦後まで採掘していたという採掘場に案内するというので同行した。
管理人の車で、一乗滝まで走り、横の山道から滝の上部に回り込み、450mほどそのまま南下した。道が分岐しているので、右方向にさらに600mほど走って車を置き、
谷川に沿って狭い山道を200mほど歩き、途中、山道をはずれて右側の段々を少し登ると砥石の屑片が山のように堆積した場所に出た。
そこにトロッコ(懐かしい響き)の鉄製車輪が転がっていた。レールは埋もれて?分からなかったがその跡を辿って行くと、山を露天掘りで切り崩した幅約70~100mの採掘場が眼前にそびえていた。
「感動した。石見銀山が世界遺産なら・・・!」とその日の日誌に記している。
採取した浄慶寺砥石の特長は、第44次調査出土の砥石未使用品と同じような鉄線があり、コバルトの黒斑状のものがあり、石英が入っている。
管理人は、K氏から、福井県内の砥石採掘場11個所の一覧表を頂いた。そして白っぽい砥石原石をサンプルとして1点持ち帰った。
【留意点:浄慶寺砥石採掘場への山道は、平成16年の福井豪雨災害でかなりの被害を受けた。現在どの程度復旧しているかは管理人には分からない】。
なお、この採掘場から約300m西南西方向に砥山(標高465.2m)が位置しており、
鯖江市寺中町(じちゅうちょう)でもこの砥山周辺で幻の「寺中砥石」を採掘していたと河和田町の塗師山本英明氏から教えていただいたことがある。
浄慶寺砥石と同じ採掘場所のことなのか、別の場所でも採掘していたのか、その場所はどこなのかなど、生前にきちんと聞いておくべきだったと悔まれてならない。
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