海外派遣スタッフの声

回復していく患者の姿に感激も:京寛美智子

ポジション
正看護師
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ポートハーコート
派遣期間
2007年11月~2008年5月

なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

子どものころから外国に興味がありました。旅行、留学、ボランティア、色々と経験しましたが、看護師であることが生かせる活動がしたいと思うようになりました。ある本をきっかけにMSFのことを知り、医療に手が届かない人や社会で弱い立場にある人に医療を提供している活動に共感し、参加しました。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

大学卒業後、大学付属病院の循環器、呼吸器内科、地方のホスピスや内科のクリニックで勤務しました。その後は海外旅行や語学留学をし、インドとエチオピアではキリスト教系の施設でボランティアをしていました。2005年からはMSFを中心に活動しています。

語学力、オープンマインドであることは現地スタッフや多国籍の同僚とのやり取りには不可欠だと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

ナイジェリアのポートハーコートにある外傷専門の病院で、看護スタッフのマネージメントを担当していました。具体的にはER、ICU、外科病棟、外来部門で質の高い看護が行われているか監督し、改善を求めたりしながら看護の質の向上に努めていました。また、各病棟にいる看護師長にマネージメントや人事などの指導を行い、現地スタッフがさらに自立して看護活動が行えるようにしました。

また、レイプの被害者が多いところだったので、学校や地域社会を巡回し、被害者にカウンセリングや医療的治療が必要であることを説明することもありました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

休みは日曜日だけだったので、ひたすら寝ていました。正午近くには起きましたが、特にすることもなく家でだらだらすることが多かったです。外国人の誘拐に備えて外出が制限されていたので、病院と家の行き来だけだったと言っても言い過ぎではありません。近くのレストランやバーには行けましたが、6ヵ月も同じ店に通い続けたため結構うんざりしていました。

一週間の休暇はガーナに行きました。特別な観光地ではありませんでしたが、ナイジェリアやポートハーコートの喧騒や無法地帯から離れ、ゆっくり落ち着いた時間が過ごせました。

現地での住居環境についておしえてください。

大きな屋敷に共同で住んでいました。一人部屋で、トイレ・シャワー付きです。MSFのスタンダードからすると、5ツ星でした。きれいな湯船のあるお風呂で、よく長湯しました

良かったこと・辛かったこと

多国籍のチームで、慰め合い、愚痴をこぼし合いながらみんなで協力しあい、活動できたことが良かったです。日本人の派遣スタッフがおり、日本語で会話が出来たことも大きな助けでした。

多国籍のスタッフのなかには仕事、私生活で上手く合わない人もいたので、いろいろと大変なこともありました。

外科の病院だったので、ほとんどの患者は回復して退院し、外来診療に来ていました。中には見込みのなかった患者が自力で歩けるまでに回復し、退院することもあり、スタッフみんなで感激しました。元気になった患者を見るのは日本でも海外でも嬉しいことです。

派遣期間を終えて帰国後は?

旅行などしながら、ゆっくりと今後のことを考えたいと思っています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

私は以前に、青年海外協力隊やMSFの面接に落ちた経験があります。もし参加したいと思うなら、是非挑戦してみてはいかがでしょうか?結果が駄目でも、それは次にまた挑戦する第一歩になるし、何か他のことへの第一歩になるかもしれません。

参加してみても、向き不向きはあると思います。自分の合った活動が見つかればいいですね。

MSF派遣履歴

派遣期間
2005年7月~2006年1月
派遣国・プログラム地域
シエラレオネ・ボー
ポジション
看護師
派遣期間
2006年8月~2007年3月
派遣国・プログラム地域
スーダン・ダルフール地方
ポジション
看護師