スペースJ凍結 再起の芽を残したい

2020年10月24日 07時33分
 国産初のジェット旅客機「スペースジェット(SJ、旧MRJ)」の事業化が凍結される見通しとなった。甘い計画にコロナ禍がとどめを刺した形だが、再起の芽まではつぶさないでほしい。
 二〇一五年十一月。初飛行を終えて名古屋空港に戻ってきたMRJは秋の日差しを受けてきらきらと光っていた。機体を背に誇らしげに手を振るパイロットら。この光景に「早く『国産の翼』で飛んでみたい」と思った人は多いのではないか。しかし、その夢はついえてしまいそうだ。
 三菱重工業(東京)がSJの事業化を凍結する方向で調整していることが明らかになった。三十日に発表する中期経営計画で説明するが、事業化の断念に近い。
 国産旅客機「YS11」以来、半世紀ぶりの国産機開発プロジェクトは二〇〇八年にスタートした。同社の開発子会社、三菱航空機(愛知県豊山町)からは「日本人がつくる日本の飛行機」との言葉が聞かれた。米ボーイングなどへの部品供給が主だった日本の航空産業を完成機メーカーへと脱皮させる。だが、描いた夢は遠くなった。
 航空機には百万点の部品が必要で自動車と同様に裾野が広い。次世代の主力産業に育てようと、国や愛知県は各種補助金や人材育成などで手厚く支援した。部品製造を請け負うため先行投資をして量産を待っていた多くの部品メーカーもはしごを外された形だ。
 不首尾の原因を煎じ詰めれば、事業計画や自己分析の「甘さ」に行き着く。安全基準などが欧米主導で進み高度化・複雑化する航空機造りの実情を十分に把握せず計画を進め、基本的な設計ミスなどで時間を空費。国産へのこだわりや能力の過信から当初は積極的に外国人技術者を登用することもなかった。新型コロナウイルスにより航空需要が低迷しているのは事実だが、SJ事業化凍結に関して言えばコロナは最後の一押しにすぎない。
 「SJがダメなら、日本では二度と旅客機を造れない」。業界の定説である。だが航空機産業には多くの「夢」を生み出す力がある。SJ事業は三菱重工の経営の重荷になっており今回の判断自体はやむを得ない。しかし航空機の開発・製造は数十年単位で収益化を図るものでもある。商用化に必要な「型式証明」取得の作業は続けるという。将来的な環境変化もあり得る。再起の芽をつぶさない努力はしてほしい。

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