第196話 サヨとシン
リオとアイシアの帰還を祝う宴があった晩の翌日。昨夜は宴の後にサラにオーフィアにアルマ、コモモとサヨがアースラの家に訪れて、夜遅くまで宴の二次会が行われた。
必然的に起床時刻は普段よりも遅くなり、リオはアースラの家に宿泊した面々と一緒に遅めの朝ご飯を食べた。
それから、お茶を飲んで一息つくと――、
「サヨさん」
と、リオははす向かいに座るサヨに声をかけた。
「は、はい。何でしょうか?」
サヨは名指しで呼ばれるとは思ってなかったのか、びくりと身体を震わせて返事をする。
(そんなに驚かなくてもいいのに……)
リオは少し目を丸くして、くすりと口許をほころばせた。そして――、
「シンさんも一緒に少しお話をしたいので、滞在している場所まで案内してくれませんか?」
と、サヨに頼んだ。
「……はい」
何かしらの大事な話をされるとでも思ったのだろうか、サヨは微かに息を呑んで頷いた。
「リオ様、お父様のところまで行きたいので、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
コモモがリオに申し出る。
「ええ、もちろん」
リオは二つ返事で首肯した。
◇ ◇ ◇
一時間後、リオはサヨとコモモと一緒に、ゴウキ達が里から借り受けている邸宅を訪れた。邸宅はアースラの家からもほど近く、歩いて二、三分の距離だ。
ちなみに、ラティーファやアイシアはアースラの家で留守番をしており、「サラお姉ちゃん達と一緒にお昼ご飯を作るからお昼過ぎには帰ってきてね」とのことだった。
「ん~、ふふ♪」
道中、ご機嫌に鼻歌を奏でるコモモ。
「嬉しそうですね、コモモちゃん」
リオは右隣を歩くコモモに問いかける。
「はい、それはもう! こうしてまたリオ様のお隣を歩くことができているのですから」
コモモは満面の笑みで答えた。
「そうですか……」
屈託のない純粋な好意を向けられて、リオは少しこそばゆそうに応じる。
「あ、あそこがお父様達が里からお借りしている邸宅ですよ!」
コモモは前方に見えた大きなツリーハウスを指さすと、一人先に小走りで駆け出す。
「俺達も行きましょうか」
リオは左隣を歩くサヨに言った。
「はい」
こくりと首を縦に振るサヨ。そうして、リオはゴウキ達が暮らす邸宅へと歩いていく。コモモが先に家の中へ入っていくと、間もなくして――、
「これは、ようこそいらっしゃいました、リオ様」
ゴウキが玄関まで出てきて、リオに挨拶する。すぐ背後にはカヨコの姿もあった。
「こんにちは、ゴウキさん。シンさんも交えてサヨさんとお話をしたいと思いまして」
と、リオは隣に立つサヨを見ながら言う。
「然様でございますか。では、サヨよ、そなたはシンを呼んできなさい。今は裏庭で稽古をしているはずだ」
ゴウキはリオを邸宅内に招き入れつつ、サヨにシンを呼ぶよう指示を出した。
「はい」
サヨはゴウキに返事をすると、リオにぺこりと頭を下げてから立ち去っていく。
「リオ様はどうぞ中へ、落ち着いて話ができる部屋へご案内いたしましょう」
「ありがとうございます」
リオはゴウキに案内されて邸宅へ入っていく。
「昨夜はアースラ殿のお宅に泊まらせていただいて、どうだった、コモモよ?」
ゴウキは応接室の椅子に腰を下ろすと、サヨとシンが来るまでの間に隣に腰を下ろすコモモに訊いた。
「はい! それはもう大変素晴らしい一夜でございました! リオ様ともお話しさせていただきました!」
コモモはきらきらと目を輝かせてはきはきと答える。
「そうか、そうか。それは良かったな。とはいえ、失礼はございませんでしたでしょうか、リオ様?」
ゴウキは嬉しそうに相槌を打つと、リオに尋ねた。
「いえ、まったく。久しぶりにコモモちゃんとお話ができて、私も楽しかったです」
リオはくすりと笑ってかぶりを振る。
「それは何よりでございます。娘が世話になりまして、誠にありがとうございました」
ゴウキは恭しく頭を下げた。すると、扉がノックされる音が響く。
「兄を連れて参りました」
扉の向こうにいるのはサヨだった。兄のシンを連れてきたらしい。
「うむ。入るとよい」
「失礼します」
ゴウキに促され、扉が開く。サヨは折り目正しくお辞儀をして入室する。シンもぺこりと会釈してその後に続く。
すると、カヨコも遅れて入ってきて、三人分の茶とお菓子をテーブルに並べる。
「では、某らは退散するとしよう。ゆくぞ、カヨコ、コモモよ」
ゴウキが立ち上がり、愛妻と愛娘と共に退室していく。そうして、室内に残ったのがリオとサヨとシンだけになると――、
「お二人とも、座りませんか?」
と、リオは部屋に入ったところで立ち止まっていた二人に声をかけた。
「……はい。ありがとうございます」
サヨが礼を言って、おずおずとリオの向かいに腰を下ろす。シンもサヨに続き、その隣に腰を下ろす。
「シンさんとは昨日はあまりお話しできませんでしたが、お久しぶりですね、本当に……」
二人が座ったところで、リオから口を開いた。
「……ああ、まあ」
シンはちょっぴりバツが悪そうに応じる。久しぶりに再会したリオを相手に何を話せばいいのかわからないというのもあるのだろうが、気恥ずかしさを覚えているようにも見える。
「お兄ちゃん、リオ様にその言葉遣いは失礼だよ」
サヨはすかさずシンに苦言を呈した。が――、
「構いませんよ、村にいた頃のままで」
と、リオが言う。
「そういうわけにもいきません。リオ様は王族なんですから」
「母が王族だった……というだけで、私は正式な王族ではありませんよ」
「ですが……。兄だけ粗暴な言葉遣いのままでは、リオ様に敬意を抱かれているゴウキ様達に顔向けもできません」
渋るサヨ。
「うーん、まあ、この話はこのくらいにしましょう。久しぶりに会った顔馴染みに対して急に以前と態度を変えるのは小っ恥ずかしいものです。ゴウキさん達がいる場でのことはともかく、今はどういった口調でも構いませんので。本題へ移りましょう」
リオはぽりぽりと頬をかいて語った。
「……はい」
サヨは頷きつつ、横目でシンを見る。「わかっているよね? 失礼な話し方をしちゃ駄目だからね」と、目線で釘を刺す。
「ん、んん。それで、話というのは何なんでしょう?」
シンは軽く咳払いをすると、口調を改めてリオに尋ねた。どうやら丁寧な言葉遣いでリオと接することを決めたらしい。
(……以前のままで構わないんだけどな)
と、リオはわずかに寂しく思いながらも――、
「どうしてお二人は村を出ることにしたのでしょう?」
二人の顔を見つめて問いかけた。
「それは……」
言葉に詰まるサヨ。
「わかっているんだ……でしょう? うちの妹がおま……リオ様のことを好きだからですよ」
シンは少しムッとした口調でサヨの代わりに答える。少し素の口調が出ているのはまだ慣れていないからなのか……。
「お、お兄ちゃん!」
サヨは頬を紅潮させ、咎めるようにシンを見る。
「サヨさんのお気持ちに応えることはできないと、お伝えしたはずです。一緒にいることはできないと」
なのに、それでもサヨは村を出て、国を出て、危険な未開地にまで足を踏み入れて、リオを追ってこの里に来てしまった。
その理由は何なのだろうか。好きだから……という理由だけで納得してしまっていいものなのか、リオにはわからなかった。
だから、その答えを他ならぬサヨ自身の口から聞くことはできないだろうかと、リオはまっすぐと視線を向ける。
「…………諦めることができなかったから、です」
気持ちに応えることはできないと改めてリオに言われて顔を曇らせたサヨだったが、やがてぽつりと言った。
それはすなわち、サヨは今もリオを好きだということだ。
「そう、ですか……」
リオは後ろめたそうに顔を曇らせる。相槌を打つ以外になんと言えばいいのか、何も頭に思い浮かんでこない。それは今も同じだからだ。やはり自分ではサヨの気持ちに応えることはできない。だから、一緒にいるべきでもない。そう思ってしまう。
だが、同時にサヨが眩しくもあった。その理由が何なのかはやはりわからないけれど……。
「リオ様のお気持ちは今も同じですか?」
サヨがおずおずと訊いてきた。
「サヨさんのお気持ちに応えることができないのかという意味であれば変わってはいません」
リオは申し訳なさそうに語る。
「っ、じゃあ、一緒にいることを、せめて後を追うことだけでも許してはくれませんか?」
サヨはきゅっと唇を噛むと、リオに尋ねた。
「……俺にはわかりません。どうしてサヨさんが諦めないのか、どうしてそこまで俺という人間を好きでいてくれるのか」
リオは逡巡した面持ちで、自信なさげに語る。自分が美春への思いを自分でも意外なほどあっさりと諦めてしまったからこそ、わからなくなってしまう。
本人が自覚しているかどうかはともかくとして、リオがサヨの気持ちに応えることができないのは、自分という人間に自信を持つことができないからなのだ。だから、サヨの気持ちに応える自信もない。
いや、サヨだけでない。ラティーファに、サラに、オーフィアに、アルマに、他の里のみんなに、自分に好意を向けてくれているたくさんの人達に、後ろ暗くて顔向けができない。復讐のためだけに生きてきたこんな自分が、と。
「それは……」
サヨは咄嗟には上手い言葉が出てこなかったのか、口を噤んでしまう。すると――、
「難しく考えすぎだろ……じゃないですかね」
シンがぶっきらぼうに話に加わった。
「…………」
リオは何も言わず、シンが続きを語るのを待つ。
「こいつがお前……じゃなくて、リオ様のことを諦められないのは、それだけ好きだって気持ちがそれだけ強いからじゃないんですかね。理由なんてそれだけでしょう。他に理由があるとすれば、こいつが馬鹿だからですよ。こっぴどくフラれたってのに、あんたを嫌いになることができなかった。ただの馬鹿なんですよ」
シンはふんと鼻を鳴らして語り、むすっとリオを睨む。
「お、お兄ちゃん!」
サヨは怒っているような、気恥ずかしそうな、いずれにしても顔を赤くしてシンを咎めた。
「もしそれで納得できないってんなら、本気で人を好きになったことなんてないんじゃないですかね。だから人から寄せられる好意を軽んじられるんだ」
と、シンはリオに言葉の刃を突きつける。グサリと音が響いたかのごとく、その言葉はリオの胸に深く突き刺さる。
「……かも、しれませんね」
瞠目してから、複雑に自嘲して頷くリオだが――、
「ですが、理解はできました。確かに、俺は難しく考えすぎていたのかもしれません」
そう語って、今度は苦笑した。
自分は復讐を試みている人間だ。復讐を果たした人間だ。だから、人に近づきすぎてはいけない。人を遠ざけるべきだと思っていた。人から好意を向けられるに値しない人間だと思っていた。人と向き合うことが怖かった。
だが、それは少なからず人から向けられる好意を軽んじていることになるのではないかと、シンに言われてそう思った。
「では、シンさんはどうして、サヨさんについてきたんですか?」
リオはシンにも尋ねる。
「…………馬鹿な妹だけど、こいつの家族は俺しかいないんだ。俺以外の誰かこの馬鹿の面倒を見てくれる奇特な奴が見つかってちゃんと嫁入りするまでは、一緒にいてやらないといけないって思っただけですよ。兄としての責任を果たしているだけだ……ですよ」
シンは照れくささを隠そうとしているのか、ぶっきらぼうに答えた。が、同時にすっきりしているようにも見えた。
というのも、リオがサヨをフッて里を出てから、ずっと言ってやりたいことを考え続けてきたのだ。それらを口にできて清々した。そう言わんばかりの顔をしている。
「お、お兄ちゃん……」
サヨは気恥ずかしそうに俯いてしまう。
「なるほど……」
リオは納得し、思わず口許をほころばせる。シンは良い兄だと、心の底からそう思ったからだ。己の復讐のためのラティーファをほったからしてあちこちで出回ってきた自分とは違う。同時に忸怩たる思いもこみ上げてきた。
(見習わないとな、俺も……)
こんな自分に兄の役が務まるのだろうかと、そういった思いはまだある。だが、それを含めての反省点だ。ここで逃げてはいけない。それを教えられた気がする。
「折に触れて外出はするかもしれませんが、当面は里を拠点に暮らさせていただくつもりです。よかったらまた村で暮らしていた頃のように接してもらえませんか?」
リオはほんの少し照れくさそうに、二人に頼む。怖がらずに自分を知ってもらおうと、そう思ったから。
「……はい!」
サヨはぱちぱちと目を見開くと、嬉しそうに返事をした。