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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第九章 穏やかな日常、そして……

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第179話 不満を孕んだパーティ

「皆、突然の招集によくぞ集まってくれました」


 クリスティーナは階段上のスペースからよく通る声で告げると、会場内にいる参加者の貴族達を見下ろした。貴族達はしんと静まりかえって、クリスティーナが次の言葉を発するのを待っている。


「既に事情は知れ渡っているはずですが、この度、失踪していたフローラが無事にロダニアへと帰還しました」


 クリスティーナはそう言って、隣に立つフローラに視線を向ける。嬉しそうにざわめく眼下の貴族達に、フローラはドレスの裾をつまんでお淑やかに笑ってみせた。


「それもこれもすべてはアマカワ卿のおかげ。この場を借りて、アマカワ卿には改めてお礼申し上げます。この度は誠にありがとうございました」


 クリスティーナはそう言って、リオと向き合い会釈する。フローラも眼下の貴族達からリオに向き直り、今一度ドレスの裾を掴んで会釈した。リオは胸元に右手を添えて、恭しくこうべを垂れる。


「今宵はアマカワ卿へのお礼と、フローラの帰還を祝うべく、こういった席を設けました。ここしばらくは暗い雰囲気がロダニアに漂っていましたが、今夜は心ゆくまで楽しみましょう。早速ですが、乾杯へ移ります」


 クリスティーナは開宴の挨拶を手早く区切ると、進行を乾杯へと移す。会場内にいる貴族達の手元には現在進行形で迅速に杯が行き届いており、階段上に立つクリスティーナ達のもとにも杯が届いた。そうして、会場内に杯が行き届いたのを確認すると――、


「それでは、乾杯!」


 クリスティーナは高らかに杯を掲げ、乾杯の音頭をとった。


「乾杯!」


 貴族達も意気揚々と杯を掲げ、乾杯の声を上げる。そして、近くに立つ者達と目線を合わせ、軽く杯を持ち上げて微笑し合う。すると、場内の雰囲気は一転し、参加者達は談笑を始めた。とはいえ、中には依然としてクリスティーナやリオに注目する者達もいる。


「ご同伴くださり、ありがとうございました。アマカワ卿、セリア先生」


 当のクリスティーナはリオとセリアに視線を向けると、軽く杯を掲げた。


「こちらこそ光栄なお役目を賜り、恐悦至極に存じます」


 リオは会場の視線を意識しているのか、慇懃な所作で綺麗に畏まって応じる。セリアもリオに倣い、慎ましやかに頭を下げた。


「お二人とも、頭をお上げください」


 クリスティーナは間髪を入れずに告げる。


「恐れ入ります」


 リオとセリアは粛々と頭を上げた。


「フローラも望んでいないでしょうし、今宵は無礼講ということで。少なくとも我々だけでいる間は、あまり堅苦しい所作のことは気にしないでください」


 と、クリスティーナはフローラを見やりながら語る。


「はい!」


 フローラは元気よく頷いた。


「……承知いたしました」


 リオとセリアは顔を見合わせると、微笑して頷く。


 それから、リオ、セリア、フローラ、そしてクリスティーナはしばし四人だけで談笑を楽しみ、約十分が経過する。すると、階段を上ってリオ達に近づく者達が現れた。ユグノー公爵やロダン侯爵を始めとする高位貴族の面々と、付き添いの子息・令嬢達だ。

 通常、こういった場で最も目上の者や主賓に最初に声をかけるのは、次に位が高い者からというマナーがある。その点、ユグノー公爵とロダン侯爵は王族であるクリスティーナとフローラ、そして勇者である坂田弘明を除けば最も位が高い。

 弘明といえば開始早々、クリスティーナ達がいる階段上の広場には目もくれず、ロアナを引き連れてレストラシオン所属の下位貴族の令嬢達に声をかけているし、真っ先に階段を上ったところで目くじらを立てる者などいなかった。

 ユグノー公爵とロダン侯爵はクリスティーナ達に近づくと、階段の途中で立ち止まってひざまずく。他の貴族や付き添いの子息・令嬢達も一斉に畏まった(女性はドレスを着用しているので、跪いてはいない)。すると――、


「クリスティーナ様、フローラ様、お二人がお揃いになったお姿を再びはいすることが叶い、恐悦至極に存じます。おくつろぎのところ大変失礼いたしますが、しばしのお目通りをお許しいただけないでしょうか?」


 ユグノー公爵は一同を代表して、よどみなく語る。


「ええ、構わないわよ。立ち上がりなさい」


 と、クリスティーナ。


「恐れ入ります」


 ユグノー公爵達は今一度深くこうべを垂れると、粛々と立ち上がった。


「皆、パーティを楽しんでくれているようね」


 クリスティーナは眼下のホールを見回し、フッと口許をほころばせる。参加者達の顔は明るく、思い思いにこの席を楽しんでいるようだ。


「当然でございましょう。先立ってはクリスティーナ様がロダニアへお越しになり、失踪なさっていたフローラ様も無事お戻りになったのですから」


 ユグノー公爵は上機嫌に語ると、立役者であるリオに視線を向ける。


「それもこれもアマカワ卿のおかげ。いやはや、卿には頭が上がりませんな」


 ロダン侯爵はにこやかに微笑し、すかさず合いの手を入れるように告げた。リオは下手なことは何も言わず、笑みを取り繕う。


「ええ、アマカワ卿には返しきれぬ恩ができました」


 クリスティーナは小さく息をつくと、リオを見やりこくりと同意した。


「となれば、また新たに謝辞を尽くさねばなりませんな。とはいえ、アマカワ卿には既に邸宅を贈呈しましたし、まさかここロダニアにもう一つ家を構えていただくわけにも参りますまいが……」


 と、ロダン侯爵は愉快そうに笑って語る。


「ははは、少し気が早いぞ、ロダン卿。クリスティーナ王女殿下に何かお考えがあるやもしれん」


 ユグノー公爵は諭すように言って、クリスティーナを見据えた。


(見事なまでに予定調和の流れね。アマカワ卿への恩賞をどうするべきか)


 事前に誘導すべき話題は決まっていたのだろう。あわよくば婚約について話を持っていこうとするはずだ。クリスティーナはそう考え、気が重くなる。


「謝礼として具体的に何をすべきかは決めかねているわ。アマカワ卿のご意向を無視するわけにもいかないから」


 クリスティーナは牽制するように、前もって用意しておいた回答を流暢に告げた。


「然様でございますな。まあ、恩賞の内容はさておき、アマカワ卿には私からも直接にお礼の言葉を伝えたかったのです。お許しいただけないでしょうか?」


 ユグノー公爵はしれっと頷いてみせると、リオに礼を言う許可をリオ本人とクリスティーナに求めた。


「アマカワ卿が断らないのならば、私に断る理由はないわね」


 クリスティーナはリオを見て、そう語る。


「無論、私もお断りする理由はございませんが……」


 リオはどこか困ったように肩をすくめてみせた。


「では、この機会にありがたく。アマカワ卿、この度はフローラ王女殿下をお救いいただき、感謝の言葉もない。おかげでレストラシオンの士気はかつてないほどに高まっているよ。厚くお礼申し上げる。ありがとう」


 ユグノー公爵は改めてリオに向き直り、慇懃な所作とともに礼の言葉を口にする。


「いえ、偶然の成り行きによるものですので、お役に立てたのならば何よりです」


 リオは愛想良く応じて、かぶりを振った。


「ははは、やはりアマカワ卿はなかなかに恬淡てんたんな御仁だな。クリスティーナ様にフローラ様、我が国の王女殿下をお二人もお救いしたのだ。少しは若者らしく、いや、普通に誇ってもいいだろう」


 と、ユグノー公爵は上機嫌に笑って語る。


「ですな。まさしく英雄に値する働きをしたといってもいい」


 ロダン侯爵は深々と頷いて同意した。


「……恐れ入ります」


 リオは返答に困っているのか、笑みを取り繕って応じる。すると――、


「しかし、偶然の成り行きであることに違いはないのだろうが、単に偶然という言葉で片付けるのは戸惑うほどに数奇な巡り合わせではあるね」


 ユグノー公爵は「ふむ」と思案し、そんなことを言い始めた。


「私も他国の村でフローラ様をお見かけした時は、まさかと驚きました」


 と、リオは話を合わせる。


「話は聞いている。ルシウス=オルグィーユ……、まさか君が我が国の貴族だった男と因縁があったとはね。かつては王の剣の候補だったほどの男だ。とうに没落して我が国とはまったく無関係の人物だが、遠い身内の恥としてお詫び申し上げよう」


 ユグノー公爵はそう言うと、リオに頭を下げた。リオがセリアの講義を聴き終えて別行動をしている間に、クリスティーナから色々と話を聞いたのだろう。


「滅相もない。ユグノー公爵閣下に謝っていただくことではございませんので」


 リオは鷹揚にかぶりを振る。


「ははは。けいにそう言ってもらえると、胸のつかえも取れるというものだ。まあ、せっかくの明るい席だ。辛気くさい話はこの程度にするとしよう。……クリスティーナ様、フローラ様、後ろの者達にもご挨拶の機会を頂戴できないでしょうか?」


 ユグノー公爵はちらりと背後に居並ぶ貴族達を見やると、クリスティーナとフローラに挨拶の許可を求めた。


「ええ、構わないわよ」


 クリスティーナは二つ返事で頷く。こういった席で目下の者から目上の者に挨拶をするのは慣例行事だ。目上の者はひっきりなしに声をかけられるので気が休まることはないが、よほど特段の事情がなければ断っていいものでもない。


「恐れ入ります」


 ユグノー公爵は深くこうべを垂れた。すると早速、付き添いの面々の紹介へと移る。まずは各家の当主と思しき男性の高位貴族達がぞろぞろと近づいてきた。


「クリスティーナ様とフローラ様におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」

「アマカワ卿とセリア君もご機嫌よう」


 と、貴族達は最初に王族のクリスティーナとフローラに紋切り型の挨拶を告げる。続けてリオとセリアにも挨拶の言葉を送った。今度は後ろで待機している子息や令嬢達の番だ。


「こちらへ来なさい」


 子息と令嬢達は各々の親にいざなわれ、静かに階段を上がると――、


「お久しぶりですわ。クリスティーナ様、フローラ様。ご機嫌麗しゅう存じます」


 親達と同様、まずはクリスティーナとフローラに挨拶をした。


「ええ、ご機嫌よう」


 クリスティーナとフローラは慣れた様子で子息や令嬢達に応じる。そして――、


「ハルト様、セリア先生、お久しぶりです」

「先生の講義、評判のようですね。私もまた受けたいですわ。学院時代を思い出します」


 とある令嬢二人が、リオとセリアにいち早く声をかけた。


「あら、エリーゼさんにドロテアさん、お久しぶりね。二人とも……、クリスティーナ様がロダニアへいらした時のパーティで、ハルトと知り合ったのかしら?」


 セリアは笑顔で令嬢達に応じると、小首を傾げてリオとの接点を確認する。エリーゼとドロテアはセリアの教え子であり、王立学院でリオのクラスメイトであった少女達だが、二人がリオの素性に気づいている様子はない。


「いえ、ガルアーク王国で開かれた夜会でお会いしたのです」


 と、ドロテアはリオに視線を向け、嬉しそうに言う。


「そう、だったのね」


 セリアはちらりとリオを見やって得心した。


「またお会いできて嬉しいですわ、ハルト様」


 エリーゼはそう言って、じっとリオの顔を覗き込む。


「ええ、私もです」


 リオは愛想笑いを浮かべて頷いてみせた。


「私もずっとお会いしたかったのです。ハルト様ったらどこでも人気者で、なかなかゆっくりとお話しする機会に恵まれないんですもの。今日はまた後で、ゆっくりとお話ししたいですわ」


 ドロテアは小さく唇をとがらせ、エリーゼに負けじとリオに存在をアピールし距離を詰める。


「まあ、ドロテアばかりずるい。私もお話ししたいですわ」


 エリーゼは拗ねた子供のように、上目遣いでリオに頼んだ。


「ありがとうございます、ドロテア様、エリーゼ様。叶うのならば喜んで」


 リオはやや困ったように笑みを取り繕いながらも、社交辞令で頷いてみせる。


「まあまあ、楽しみですわ」


 エリーゼとドロテアは声をそろえて喜んだ。


「ふふ、仲がいいみたいね」


 セリアは思わず苦笑してしまう。二人ともかつては周囲の生徒達と一緒に元孤児のリオを白い目で見ていたというのに、今はリオの気を引こうと積極的に好意を示している。二人には少し悪いが、真実を知らないとはいえ滑稽に思えてしまった。


「だとしたら嬉しいですわ」

「ええ」


 エリーゼとドロテアは満足そうに頷く。すると――、


「ははは、盛り上がっているようだね」


 ユグノー公爵が他の令嬢を何人か従えて近づいてきた。


「はい。おかげ様で」


 リオはいち早くその存在に気付き、微笑して頷く。


「エリーゼ君もドロテア君も、アマカワ卿と会えるのを随分と楽しみにしていたようだからね。そして、この子達もだ。時間が許す限り相手をしてやってくれたまえ」


 ユグノー公爵はそう言って、自らの背後に立つ令嬢達に会話に加わるよう促す。いずれもクリスティーナとフローラへの挨拶を終えた者達だ。


「よろしくお願いします」


 少女達はお淑やかに頭を下げて、リオの周囲に群がった。


「こちらこそ」


 リオは見事に笑みを取り繕って、頷いてみせた。


「では、未婚の男女同士、弾む話もあるだろう。老人は立ち去るとするよ」


 ユグノー公爵はそう言い残すと、さっさと立ち去ってしまう。未婚の男女同士という部分を強調することで、話題を誘導しようとしている節が窺える。案の定、その後の話題は恋愛方面に自然と流れていった。

 ある程度、話が盛り上がり始めたところで――、


「ところで、ハルト様はご結婚をお考えでないのですか?」


 と、ドロテアが単刀直入に尋ねる。令嬢達の注目は見事にリオに集中した。

 セリアも興味深そうにリオの横顔を覗く。


「……今のところは特に」


 と、リオは微妙に間を置いて答えた。


「まあ、そうなのですか?」


 エリーゼとドロテアを始めとする令嬢達はじっとリオを見つめる。それはセリアも同じだった。


「ええ」


 リオは苦笑いを浮かべて頷いてみせる。すると――、


「アマカワ卿、セリア先生、少しよろしいでしょうか?」


 クリスティーナがフローラを引き連れて現れ、リオとセリアに声をかけた。二人の背後には所在なさげに立ち尽くす貴族の子息達がいる。彼らとの話を切り上げてきたのだろう。狙いはリオを令嬢達から引き離すことだ。


「これはクリスティーナ様、フローラ様」


 リオは王女二人の登場を察し、恭しく応対した。セリアや令嬢達もすぐにこうべを垂れる。


「そろそろダンスの演奏が始まる時間です。今日の主賓はアマカワ卿ですから、お二人で踊ってきてはいかがかと思いまして」


 クリスティーナはそう言って、リオとセリアを見やった。


「……私とハルトが、ですか?」


 セリアは惚け顔でリオの顔を見て、ぱちりと目を瞬く。一方、フローラはクリスティーナの発言に意表を突かれたのか、びくりと身体を震わせていた。


「ええ。今宵のアマカワ卿のパートナーはセリア先生ですし、久しぶりに再会したのですから」


 と、クリスティーナはフローラを横目に語る。

 未婚の男性貴族がパーティに女性、すなわち異性のパートナーを引き連れて登場する意味はシンプルだ。相手と一定以上の関係にあることを示すこと。とはいえ、その一定以上の関係が具体的にどのような関係を意味するのかはさらに検討を要するため、この場にいる令嬢達はリオに近づき探りを入れていたわけだが……。

 しかし、クリスティーナがこうして現れたことで、話の流れは変わろうとしている。ここでリオがクリスティーナの提案に乗っかれば、令嬢達もリオの男女関係を探るのを中断せざるをえない。


「では、この機会にありがたく。セリア、私と踊っていただけませんか?」


 リオは空気を読んだのか、セリアに対して恭しく手を差し出した。


「……ええ。喜んで」


 セリアは手を伸ばし、そっとリオの手を掴んだ。令嬢達はなす術もなく、ジトッとした眼差しでその様子を眺めている。まさか王女が仕向けた流れに異議を唱えるわけにもいくまい。フローラもどこか羨ましそうにセリアの手を掴むリオを眺めていた。すると――、


「アマカワ卿。よろしければ、後でフローラとも踊ってあげてください」


 クリスティーナはフローラの心情を慮ったのか、後でフローラの相手もしてくれないかとリオに頼んだ。本来なら身分が下の男性が王族の女性をダンスに誘うことはあまり好ましくないが、同じ王族の女性が促したとあれば例外である。というより、ここで断れば却って不敬になりかねない。


「もちろん、私でよろしければ喜んで。光栄です」

「っ!」


 リオが首肯すると、フローラは嬉しそうに顔を明るくした。すると、ちょうど会場の隅に控える演奏者達がダンス用の曲を奏でるべく、調律を開始する。


「では、フローラ様。また後ほど参上します。行きましょうか、セリア」


 リオは胸元に右手をそえて会釈すると、セリアを誘い階段を降りていった。すると、会場の注目がリオとセリアに集まる。ダンスの舞台となるホールの中央には何組ものペアがいるが、視線を釘付けにしているのはこの二人だった。


「よくよく考えてみると、公の場でセリアとダンスを踊るのは初めてのことですね」


 リオはホールの中央でセリアと向き合うと、くすりと笑って告げる。


「そういえば、そうね」


 そう答えるセリアの声は少し上ずっていて、照れくさそうだ。


「周囲の視線が気になりますか?」


 と、リオは周囲のギャラリーを見回すと、はにかむセリアを見据えて可笑しそうに尋ねる。


「へ? あ、ううん。そんなことはないわよ」


 セリアは一瞬、不思議そうな顔を浮かべたが、すぐにかぶりを振った。


「そうなんですか?」


 今度はリオが不思議そうな顔を浮かべる番だ。


「ええ……。リードしてもらってもいいかしら?」


 セリアはリオの顔を上目遣いにじいっと覗き込むと、わずかに唇をとがらせて尋ねる。


「もちろん」

「よろしくね」


 リオが微笑して頷くと、セリアは透き通るような笑みを浮かべた。それから、互いの手を取り合うと、身体が触れあうほどの距離に身を寄せ合う。リオはそっとセリアの腰に手を回した。


「っ……」


 セリアはわずかに身体を震わせたが、優しい手つきでリオを抱き寄せ返す。すると、二人の準備が整うのを待ちわびていたかのように、まもなくして演奏が始まった。

 リオはセリアをリードし、身体を揺らしながらステップを踏む。くるくると動き回りながらも、視界に映るのは互いの顔だけだ。ターンを踏む度に、セリアのドレスの裾は美しい花びらのようにたなびく。

 しかし、気がつけば演奏は終わりを迎える。セリアにとっては無限に封じ込めておきたいほどに輝かしい時間だったが、体感的には刹那だった。ダンス中はすっかり二人の世界に入り込んでいたが、ふと拍手の音が鳴り響いていることに気づく。


「終わっちゃったか。残念。素敵な時間だったわ、ハルト」


 と、セリアは言葉通り残念そうに言った。


「もう一曲、といきたいところですが、流石にマナー違反ですね。よろしければまた後で踊りませんか?」


 リオは柔らかな笑みを口許に浮かべると、そう提案する。


「ええ、喜んで!」


 セリアは満足そうに頷いた。そして――、


「さあ、上でフローラ様が待っていらっしゃるわ。参上しましょう」


 と、階段の上を見やって言う。そこにはリオとのダンスを待ちわび、そわそわとたたずむフローラがいる。


「ええ」


 リオはセリアの手を優しく掴むと、階段に向かってゆっくりと歩き出した。そして、ほぼ階段を上りきったところでセリアの手を離し、フローラと向かい合う。


「フローラ様、ぜひ一曲お相手いただけないでしょうか?」


 リオはフローラの前で跪くと、粛々と手をさしのべた。


「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします!」


 フローラは上ずる声を精一杯に抑えて、嬉しそうに首肯する。その後、セリアの時と同じように二人で階段を降りると、間もなくして演奏が始まった。

 フローラは演奏中、もじもじと恥ずかしそうにリオの顔を窺う。王族ともなればダンスは幼少期から完璧に身につけているようにも思えるが、緊張しているのか、少しばかりミスが目立ってしまう。とはいえ、その度にリオが巧みにフォローするので、傍から見れば実に優雅なダンスと相成った。

 失踪して帰還したフローラと、その立役者であるハルト=アマカワ。二人の組み合わせは会場中の貴族達の視線を集めていた。その中には勇者である坂田弘明の視線も含まれている。

 しばらくして、二人のダンスが終わると、会場中に大きな拍手が鳴り響く。会場中の貴族達がリオとフローラのダンスに魅了されて、どよめいているのだ。そんな中――、


「……ふん」


 と、弘明はつまらなさそうに鼻を鳴らし、階段を上ろうとするリオとフローラの背中をじっと見つめる。弘明の隣には気まずそうにたたずむロアナの姿があった。


 ◇ ◇ ◇


「ハルト様、ありがとうございました。私、何度かミスをしてしまって。でも、ハルト様のおかげでなんとかなりました! すごく楽しかったです!」


 フローラは階段を上りながら、興奮気味にリオに語りかける。


「いえ、フローラ様のおかげで素敵な体験をさせていただきました。お礼を申し上げるのは私の方です」


 リオは微笑ましそうにフローラに応じた。それから、フローラはリオの隣を歩きながら、そわそわとリオの横顔を窺う。何か言おうとしては言葉に詰まるが、不思議と沈黙を気まずいとは感じなかった。そうして、すぐに階段の上で待つクリスティーナやセリアのもとにたどり着く。


「ありがとうございました、アマカワ卿。フローラも喜んでいるようです」


 クリスティーナは優しい笑みをたたえて、リオとフローラを出迎えた。


「いえ、大変光栄なお役目を賜りました。お礼を申し上げるのは私の方です」


 リオはそう言って、微笑んでかぶりを振る。すると――、


「あ、あの。よかったらお姉様もハルト様と踊ってみてはいかがでしょうか?」


 フローラが思い立ったように、突然そんなことを言った。


「……私が、アマカワ卿と?」


 クリスティーナはいかにも困惑した面持ちを浮かべると、ぎこちなくリオを見やる。周囲には着飾った少女達がリオと踊りたそうに様子を窺っている。可愛げのない自分なんかと踊っても迷惑をかけるだけと言わんばかりだ。


「はい。お姉様、普段はパーティでもあまりダンスを踊られませんし、せっかくの機会ですから、その……」


 フローラはおずおずと発言の意図を語った。すると――、


「でも……」


 クリスティーナは少し緊張した様子で、ちらりとリオの顔を見やる。


「クリスティーナ様にお許しいただけるのであれば、私は喜んで」


 リオは空気を読んで、そう言った。


「……ええ、こちらこそ」


 クリスティーナは珍しく気恥ずかしそうに頬を赤らめた。すると、階段を上って近づいてくる人物が現れる。弘明だ。


「あー、よう」


 弘明はつかつかと歩いてリオ達の側で立ち止まると、すまし顔で一同に声をかけた。


「これは勇者様、お楽しみいただけているでしょうか?」


 今になって現れた弘明に、クリスティーナは見事な笑みを浮かべて応じる。


「ん、あー、まあな。脇役なりに隅っこで楽しませてもらっていたぜ? さっきもフローラとダンスを踊るところを見ていたしな。クリスティーナもそいつと一緒に踊るのか?」


 弘明はそう言って、リオ、フローラ、クリスティーナを順繰りに見やった。笑みを取り繕おうとはしているようだが、目と口は笑っていない。


「はい」


 クリスティーナは弘明の内心を見抜いているのか、いないのか、しれっと頷いてみせた。その表情からは何を考えているのかを窺うことはできない。


「ふーん、ずいぶんとチヤホヤされているみたいだな。ま、新たな英雄の誕生だしなあ」


 弘明はスッと目を細めると、今度はリオに水を向けた。


「滅相もございません。英雄とは、勇者様にこそ相応しい称号ではないかと」


 と、リオはよどみなく答える。


「謙遜するなよ。これだけ注目されているんだ。みんな気になっているんだろ。お前の真価をな。あまり騒がれるもんだから、俺も興味が沸いてきたんだぜ? お前がどの程度のもんなのかをな」


 弘明は「はん」と鼻を鳴らすと、不敵な眼差しでリオを見据えた。何を言おうとしているのか、弘明の話はいまいち要領を得ない。


「……恐れ入ります」


 リオは警戒しつつも、無難に受け答えた。クリスティーナも弘明が何を考えてこの場に現れたのか、見極めようと動向を見守っている。その一方で、セリアとフローラはどこか心配そうにリオの顔を窺っていた。すると――、


「そこで、一つ余興を思いついたんだが……」


 と、弘明は不意に口を開き――、


「俺とお前で決闘をしてみないか?」


 何を考えているのか、リオに対し、突然の決闘を申し入れた。

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登場人物紹介(第115話終了時点)
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