プロフィール
小松裕(こまつ・ゆたか)
昭和36年長野県生まれ。
伊那小学校、高島小学校、諏訪中学校、諏訪清陵高校を経て、信州大学医学部卒業。
医学博士。
東京大学病院、国立スポーツ科学センターなどで内科医・スポーツドクターとして活躍。5回のオリンピックをはじめ、野球、ソフトボール、体操、レスリング、などの世界大会に全日本チームのドクターとして多数参加。
アトランタ(1996 野球)・シドニー(2000 ソフトボール)・アテネ(2004 ソフトボール)・北京(2008 野球)・ロンドン(2012 本部ドクター)と5回のオリンピックにチーム・本部ドクターとして帯同。
また連覇した第1回・第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)においてもチームドクターを務める。
その他体操、レスリングなどの世界大会にも数多く帯同する。
平成24年、公募により自民党長野県第一選挙区支部長に選任され、同年12月の衆議院総選挙で初当選。
平成26年12月の衆議院総選挙で再選。
衆議院議員を二期務めた。
現在、国立スポーツ科学センター(JISS)非常勤医師、ハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)感染症特別対策プロジェクトアドバイザーとして、東京オリンピックパラリンピックを医学的にサポートする。
エピソード【幼少期】
昭和36年(1961年)12月3日 長野県生まれ。
小学生のときのあだ名は「よた」。ごたっこぞうだった。
好きな教科は、「体育」。
いい先生方に恵まれ、授業は真面目に聴く。
両親よりも先生の言うことをよく聞いていた。
小学校の北原先生からは正義感とスポーツの楽しさを教わった。
エピソード【中学・高校時代】
中学ではバスケットボール部、高校ではサッカー部と演劇部で活動。
この頃から、「世のため、人のためになりたい。病気で苦しんでいる人を助けたい。」と医者を志す。
当時流行していた「青葉城恋歌」の影響か、東北大学への進学を憧れた時もあったが、最終的には父の母校でもある信州大学医学部を目指し、猛勉強の末に諏訪清陵高校から現役で合格。
生物が好きで、また人を育てる仕事にも憧れ、もし医学部に進学できなかったら生物の教師になろうと思っていた。
エピソード【信大生時代】
医学部バスケットボール部で活動し、キャプテンも務めた。
未経験者の部員もいる中で、全員が辞めずに楽しく部活を続けて、その上で試合での勝利も目指す。
集団を率いるリーダーとしての勉強になった。
大学時代は
「何でも見てやろう!何でも経験してやろう!」という気持ちで6年間を過ごし、いろいろなことに挑戦。
バックパッカーとしてタイ、ビルマ、ネパール、中国とアジア各国をガイドブックも持たずに毎年貧乏旅行。
言葉は通じなくても想いは通じることを学んだ。
卒業式当日、当時の医学部長の祝辞の中で
「将来、進むべき道に迷ったら、困難な道を選びなさい。」という言葉が今でも心に残っている。
エピソード【研修医・内科医時代】
信大卒業後は、いろいろな診療科を経験する「ローテーション」の研修ができる病院を探し、東京・広尾にある日赤医療センターで研修医に。
当初、日赤医療センターでの研修は2年間だけで、修了後は長野へ戻る予定だったが、ある先生から声をかけていただき、東京大学第2内科で働くことに。
東大病院では当時誰もやっていなかった膵臓や胆管、胆のうなど、いわゆる「胆膵」という特殊な分野の専門家として、一からチームを立ち上げる。
それから約10年かけて、世界的なチームに育て上げた。
医師としての経験を積む中で、誰もが健康で幸せに生きるには医学の進歩は重要だが、それだけでは解決できない問題があることも感じ始めていた。
エピソード【スポーツドクターから政治の道へ】
日赤医療センター在職中、指導医がスポーツドクターをしていたことがきっかけで興味を持ち、スポーツドクターの資格を取得した。
バルセロナ五輪の後、野球の医科学委員会創設に携わり、96年のアトランタ五輪にチームドクターとして帯同。
野球からの縁でソフトボールのチームドクターにも就任し、シドニー、アテネ、北京五輪へ帯同する。
野球の世界大会WBCにも帯同し、連覇に貢献。
またロンドン五輪では日本選手団の本部ドクターに。
トップアスリートの競技能力だけではなく、人としての高い人間力・精神力に触れ、「スポーツの力を、世の中を変える力にしたい!」と思うようになった。
2004年ごろから、医師不足や「患者のたらい回し」など「医療崩壊」が社会問題に。医学が進歩しても、救急車が来なければ助かる命も助からない。
医療現場の声が、医療制度を作る「政治」にきちんと伝わっていないと感じていた。
医療だけでは解決できない問題を解決し、誰もが健康で幸せに生きることができる社会を創りたいと考え、政治家を志すようになった。
2012年、自民党の衆院選候補者公募に応募。
長野県第一選挙区支部長に選任され、同年12月の第46回衆議院総選挙で初当選、衆議院議員を二期務めた。
経歴
- 昭和36年
- 長野県生まれ
- 昭和55年
- 長野県立諏訪清陵高校卒業
- 昭和61年
- 信州大学医学部医学科卒業
- 昭和61年
- 日本赤十字社医療センター内科研修医
- 昭和63年
- 東京大学第二内科 医員
- 平成元年
- 公立学校共済関東中央病院消化器内科医員
- 平成2年
- 東京大学第二内科 医員
- 平成9年
- 東京大学第二内科 文部教官助手
- 平成12年
- JR東京総合病院消化器内科医長、東京大学非常勤講師
- 平成13年
- 東京大学消化器内科 文部科学教官助手
- 平成17年
- 国立スポーツ科学センター スポーツ医学研究部 副主任研究員
- 平成24年
- 国立スポーツ科学センター スポーツクリニック長
- 平成24年
- 自由民主党長野県第一選挙区支部長に公募で選出
- 平成24年
- 衆議院議員 初当選
- 平成26年
- 衆議院議員 当選(2期目)
国会役職歴
- 衆議院 厚生労働委員会 理事
- 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 理事
自由民主党役職歴
- 国会対策副委員長
- 女性局長代理、スポーツ立国調査会事務局長、2020オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部事務局次長
など
議員連盟など役職歴
- スポーツ議連 常任幹事
- 「女性アスリート支援のためのPT」事務局長
- 「スポーツ基本計画『7つの柱』推進PT」事務局次長
- バスケットボール議連 事務局長
- 脳卒中対策を考える議員の会 事務局次長
- 農民の健康を創る会 事務局次長
- 砂防事業促進議連 事務局次長
など
スポーツ関係役職
現職
- 日本アンチドーピング機構(JADA)評議員
- 日本アンチドーピング機構(JADA)学術委員会医科学部会委員
- 日本オリンピック委員会(JOC)情報・医・科学専門委員会医学サポート部門員
- 国立スポーツ科学センター(JISS)非常勤医師
- ハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)感染症特別対策プロジェクトアドバイザー
元職
- 日本プロ野球機構(NPB)医事委員
- 日本野球連盟医科学委員
- 日本高等学校野球連盟医科学委員
- 全日本アマチュア野球連盟医科学委員
- アジアオリンピック評議会(OCA)医事委員会委員
- 日本オリンピック委員会(JOC)アンチドーピング委員会委員
- 日本体操協会医科学・アンチドーピング委員会副委員長
- 日本テニス協会アンチ・ドーピング委員
- 日本レスリング協会医科学委員
- 日本バスケットボール協会医科学委員
長野県での主な役職
- 信州ブレイブウォリアーズ顧問
- 長野県ゲートボール連盟顧問
- 長野県卓球連盟顧問
主な全日本ナショナルチーム帯同歴
平成8年 | アトランタオリンピック日本選手団ドクター(野球) |
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平成12年 | シドニーオリンピック日本選手団ドクター(ソフトボール) |
平成16年 | アテネオリンピック日本選手団ドクター(ソフトボール) |
平成18年 | ワールドベースボールクラッシック(WBC)チームドクター |
平成20年 | 北京オリンピック野球チーム(星野ジャパン)チームドクター |
平成21年 | ワールドベースボールクラッシック(WBC)チームドクター |
平成24年 | ロンドンオリンピック日本選手団本部ドクター |
ナショナルチームへの帯同歴の詳細
平成6年 | 野球 | アジア競技会(広島) |
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平成8年 | 野球 | オリンピック競技会(アメリカ・アトランタ) |
平成10年 | 野球 | アジア競技会(タイ・バンコク) |
平成11年 | 野球 | オリンピックアジア予選(韓国・ソウル) |
平成12年 | ソフトボール | カナダカップ(カナダ・サレー) |
平成12年 | ソフトボール | オリンピック競技会(オーストラリア・シドニー) |
平成13年 | ソフトボール | カナダカップ(カナダ・サレー) |
平成14年 | 野球 | インターコンチネンタルカップ(キューバ・ハバナ) |
平成15年 | 野球 | オリンピックアジア予選(札幌) |
平成16年 | ソフトボール | オリンピック競技会(ギリシャ・アテネ) |
平成17年 | JOC本部 | ユニバーシアード競技会(トルコ・イズミル) |
平成17年 | 野球 | ワールドカップ(オランダ・ハーレム) |
平成18年 | 野球 | WBC(アメリカ・アナハイム、サンディエゴ) |
平成18年 | 体操 | アジア選手権(インド・スーラト) |
平成18年 | 野球 | アジア競技会(カタール・ドーハ) |
平成18年 | 体操 | 世界選手権(スウェーデン・オーフス) |
平成18年 | レスリング | 世界選手権(中国・広州) |
平成19年 | レスリング | 女子ワールドカップ(ロシア・クラツノヤルツク) |
平成19年 | JOC本部 | ユニバーシアード競技会(タイ・バンコク) |
平成19年 | 体操 | 世界選手権(ドイツ・シュトゥットガルト) |
平成19年 | レスリング | 世界選手権(アゼルバイジャン・バクー) |
平成19年 | 野球 | オリンピックアジア予選(台湾・台中) |
平成19年 | OCA委員 | アジアインドアゲーム(中国・マカオ) |
平成20年 | レスリング | 女子ワールドカップ(中国・太原) |
平成20年 | ソフトボール | カナダカップ(カナダ・サレー) |
平成20年 | 野球 | オリンピック競技会(中国・北京) |
平成20年 | レスリング | 女子世界選手権(東京) |
平成20年 | OCA委員 | アジアビーチゲーム(インドネシア・バリ) |
平成21年 | 野球 | WBC(東京ラウンド) |
平成21年 | レスリング | 女子ワールドカップ(中国・太原) |
平成21年 | JOC本部 | ユニバーシアード競技会(セルビア・ベオグラード) |
平成21年 | レスリング | 世界選手権(デンマーク・ヘルニング) |
平成21年 | 体操 | 世界選手権(イギリス・ロンドン) |
平成21年 | ソフトボール | アジア選手権(マレーシア、クアラルンプル) |
平成22年 | レスリング | アジア選手権(インド・ニューデリー) |
平成22年 | ソフトボール | 世界選手権(ベネズエラ・カラカス) |
平成22年 | JOC本部 | ユースオリンピック(シンガポール) |
平成22年 | レスリング | 世界選手権(ロシア・モスクワ) |
平成22年 | 体操 | 世界選手権(オランダ・ロッテルダム) |
平成22年 | OCA委員 | アジア競技会(広州) |
平成23年 | JOC本部 | ユニバーシアード競技大会(中国・深圳) |
平成23年 | レスリング | 世界選手権(トルコ・イスタンブール) |
平成23年 | 体操 | 世界選手権(日本・東京) |
平成24年 | レスリング | オリンピックアジア予選(カザフスタン・アスタナ) |
平成24年 | JOC本部 | オリンピック競技会(イギリス・ロンドン) |