科技立国 落日の四半世紀(1)

 

 

日本の研究力低下、つまずきは若手軽視

 

 

ノーベル賞は40代前半までの業績で受賞する場合が多い(2014年12月、日本人3氏が物理学賞を受賞)=共同

科学技術が経済や安全保障を左右するいま、日本の研究力低下が止まらない。米欧の後追いを脱却しようと、国は1996年度に科学技術基本計画を打ち出し、90年代後半には米国などに次ぐ地位を誇った。その後も世界のけん引役を担うはずだったが、日本の研究力は中国などの後じんを拝し、今では世界9位に沈んだ。日本はどこでつまずいたのか。落日の四半世紀を検証する。

「科学研究から経済成長に必要なイノベーションを搾り取ろうとしたが、明確な成功はなかった」。英科学誌ネイチャーは8日付の論説で、約7年半にわたる安倍政権の科学政策を総括した。

安倍晋三前首相は「世界で最もイノベーションに適した国を造る」として、出口を重視するトップダウンの大型プロジェクトを相次いで立ち上げた。首相がトップの科技政策の司令塔を「総合科学技術・イノベーション会議」に改称するなど、イノベーションを重視したが、日本の研究力低下は止められなかった。

安倍政権下で策定され、20年度に終わる第5期基本計画は、初めて世界が注目する被引用論文の数などを目標に掲げたが、多くは未達で終わる。

論文の数は国の基礎科学力を示す。科学技術・学術政策研究所によると被引用数が上位10%の注目論文シェアで、日本は96~98年の平均で世界第4位だったが、16~18年は第9位に沈んだ。

注目論文数は中国が42倍、米国2割増と多くの国で増えたが、日本は1割減った。主要国で日本だけが取り残された。

この四半世紀、国主導で世界トップクラスの研究体制を目指してきたはずだった。2001年ノーベル化学賞受賞者の野依良治名古屋大特別教授は「科学技術基本法の精神は正しかったが、(明治以来の講座制などの)世界的に異形のシステムが実践を阻み続けた」と悔やむ。

95年に議員立法で成立した基本法は、科学技術が「我が国及び人類社会の将来の発展のための基盤」として、国の役割を強調した。

基本法成立に尽力した尾身幸次元財務相はかつて「(欧米から)技術導入できた時代は終わった。自ら未踏の分野に挑戦し、創造性を発揮して未来を切り開かねばならない」と語っていた。

90年代の日本はバブル経済崩壊の傷口が広がっており、次世代の産業の種を育てる狙いもあった。基本法に基づいて96年度に始まった第1期基本計画は、単年度主義の予算編成の常識を破った。5年間にわたる政府の研究開発投資の目標額を17兆円と設定し、達成した。だが、手応えがあったのはここまでだった。

第2期以降も投資額の目標を掲げ、「選択と集中」や「イノベーションの推進」などを矢継ぎ早に打ち出したが、思惑通りに進まない。改革が進まない旧来型の研究システムが災いした。

最たる犠牲者が、飛躍の源泉となるはずの若手研究者だ。「日本の若手が置かれた環境は日米欧中の中で最も苦しい」。脳神経科学者で米カリフォルニア大学アーバイン校の五十嵐啓アシスタントプロフェッサーは嘆く。

五十嵐氏が日本神経科学学会で優れた若手をたたえる奨励賞を海外で受賞した人の行方を調べたところ、9割が日本に帰国せず海外で自身の研究室を持ったという。五十嵐氏も英科学誌ネイチャーに論文を発表したが日本では任期付きポストしかなく、海外に残った。

欧米や中国では、優れた業績をあげた若手は研究室を主宰するポストと研究室立ち上げに必要な資金を手にする。五十嵐氏は大学から5000万円を用意された。外部資金も合わせて5年で4億円を集めた。

日本では旧帝大を中心に准教授や助教は教授の下に集うメンバーの一人にすぎない。若手の独立ポストは少ない。ノーベル賞級の成果の多くは30、40代であげられている。

国の経済規模が違うとはいえ、なぜ若手が自由な発想で研究できる環境が整わないのか。海外では、独立資金を提供する官民の予算があり、助教や准教授クラスの若手にも思い切って研究室の運営を委ねる傾向にある。

日本は大学の懐事情の厳しさが若手研究者を直撃する。04年の国立大学法人化で産学連携などが進んだ一方、運営費交付金削減の副作用で大学は人件費を抑制した。有馬朗人元文部相は「国立大学の法人化に伴い、交付金を削減したことが大きな間違いだった」と憤る。

研究者の卵である博士課程の学生にも悪影響が及ぶ。博士号取得後の将来展望も描けず、博士課程進学者は03年をピークに減少傾向だ。負のスパイラルに陥る。

「日本は人件費が無料で研究させられるから良いんです」。野依氏は日本の大学教授にこう言われてあぜんとした。野依氏は「博士課程の学生はただ働きで、日本の現状は憲法の精神に反する」とあえて憲法を持ち出して批判する。

問題の根源は国もわかっている。菅義偉首相のもとで大詰めを迎える第6期基本計画の策定を巡り、8月に出た検討の方向性では「研究力強化の鍵は、競争力ある研究者の活躍であるが、若手研究者を取り巻く状況は厳しい」と指摘した。1月には若手研究者を支援する政策パッケージを公表したが、抜本改革にはほど遠い。本気度が問われている。

 

 


 

科技立国 落日の四半世紀(2)

 

 

大学の研究力低迷、「選択と集中」奏功せず 広がる格差

 

 


「中国の大学は歴史的な躍進を遂げ、いくつかの研究分野では米国を追い抜いた」。英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)が9月に発表した最新の世界大学ランキングは、中国の清華大学(昨年23位)がアジア勢で最も高い20位に入るなど中国勢の躍進を改めて印象づけた。

【前回記事】
日本の研究力低下、つまずきは若手軽視
日本勢は東京大学が36位、京都大学が54位だったが、上位200位以内に入ったのは両校だけ。2004年の国立大学の法人化後、東大など上位大学に資金や人材が集まりやすい「選択と集中」の政策を進めたが、功を奏していない。上位大学が伸び悩むだけでなく、中堅大学も失速した。

安倍政権は13年の日本再興戦略で「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に10校以上入れる」ことを目標に掲げたが、達成は困難だ。ランキングは多面的な役割を持つ大学を評価する一つの指標にすぎず、政策目標にすることへの批判もある。それでも日本勢の停滞には大学の研究力の衰えが表れている。

ランキングで差がついたのが、研究成果の影響力を示す「論文の被引用数」だ。東大や京大は教育や研究の「評判」の点数はそれなりに高いが、被引用数では米欧中の上位大学に劣る。

「国立大の法人化後、日本の研究力が海外に比べて相対的に低下したと断定できる」。豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長はこう指摘する。三重大学学長も務めた豊田氏は日本の研究力低下を強く危惧し、論文数や大学ランキングなどのデータ分析に取り組んできた。国際比較から「最大の原因は大学の研究への政府投資が人口規模に比べて少ないからだ」と訴える。

文部科学省科学技術・学術政策研究所がまとめた「科学技術指標」によると、日本全体の研究開発費のうち大学部門は18年に00年比1.0倍と全く伸びていない。米国やドイツが1.8倍、英国が1.6倍、韓国が3.1倍、中国が10.2倍などと増えたのに対し、日本の停滞は明らかだ。

各国の論文数や政府の研究開発投資と、国内総生産(GDP)には密接な関係があるとされる。好例は政府投資がイノベーションを促し、GDPが伸びれば政府投資も増えるという好循環だ。

だが、日本は厳しい財政事情で政府投資が停滞した。イノベーションが生まれずに低成長に陥り、投資が増えないという悪循環は「貧すれば鈍する」の結果を生んだ。限られた予算規模の中で「選択と集中」による効率的な投資を狙ったが、もともと企業経営の概念だった「選択と集中」が大学や科学技術の政策でも有効とは限らない。

法人化後、国立大の基盤的な研究費となる運営費交付金は年々削減された。その上で、公募で獲得する競争的資金の拡大や、再生医療やナノテクノロジーなどの重点分野へ大型プロジェクト、運営費交付金の一部を傾斜配分する制度などを通じ、東大や京大のような上位大学への「選択と集中」を進めた。

ただ大規模な大学のほうが地方大学などの中小規模大学より研究の生産性が高いという明確な根拠はない。豊田学長によると公的な研究投資(人件費と研究費)当たりの注目論文数は同程度だ。

日本の大学は既に米欧に比べて研究資金の格差が大きく、格差をさらに拡大させる政策の効果は不透明だ。欧州など海外にも大学予算の傾斜配分を導入した事例はあるが、「国の研究力が上がるという根拠になる事例はない」(豊田学長)。検証が不十分なまま「選択と集中」の政策は続く。

安定的な研究予算が縮小するなか、規模に劣る地方大などの研究環境は厳しさを増している。

 

高知大海洋コア総合研究センターも資金確保は綱渡りの状況という=同センター提供

高知大学の海洋コア総合研究センターは深海底の堆積物「コア試料」を保管・分析し、日米が主導する国際プロジェクトの中核機関だ。地球・環境科学の分野で注目論文を多く発表してきた。それでも実情は、基盤的経費と競争的資金を組み合わせて「どうにか食いつないでいる状況だ」(徳山英一センター長)。

こうした状況に見直しの声はある。21~25年度の「科学技術・イノベーション基本計画」の策定を巡る議論では、慶応義塾大学教授の安宅和人ヤフーCSO(最高戦略責任者)らから政府投資、特に交付金の増額を求める意見も出た。ただ、次期計画の方向性に明確に盛り込まれていない。

国立大法人化の法律は「法人化前の公費投入額を十分に確保」などの付帯決議とともに成立したが、ほとんど尊重されなかった。20年の科学技術基本法改正でも「科学技術関係予算の拡充に努める」といった付帯決議がなされた。今度こそ着実な実施が求められる。

文部科学省と内閣府は運用益で大学の研究開発を支援するファンドの設立を21年度予算の概算要求に盛り込んだ。厳しい財政事情が続く中、単年度予算だけに頼らない資金確保も重要になる。

 

 


 

科技立国 落日の四半世紀(3)

 

 

「卓越」研究者も定職なし 採用は昨年度15%どまり 

博士離れ加速、研究力を左右

 

 

「2020年度はポストがちゃんと見つかるのだろうか」。地方の国立大学で任期付きの特任教員として働く30代半ばの男性Aさんは不安を抱える。19年度に政府の卓越研究員事業に応募し、候補者に選ばれた。

 

博士号取得者は研究力の源泉だ(9月の筑波大の学位記授与式)=同大提供

16年度に始まった同事業は政府が第三者機関を通じて「世界水準の研究力を有し、新たな研究領域や技術分野等の開拓が期待される」若手研究者を認定する。受け入れを希望する大学や企業などがポストを提示し、互いに合意すれば2年で最大1200万円の研究費などを政府が補助する。

任期の定めがない職への登用で、安定かつ自立して研究できる環境に優秀な若手を導くはずだった。Aさんは19年度に3つのポストに応募したが採用されなかった。候補者資格は20年度まででポスト探しを続けている。

「卓越」候補者は安定したポストに就けない人が大半だ。19年度は329人の候補者がいたが提示ポストは130、採用に至ったのは候補者の約15%の48人にとどまる。

政府に有望な研究者だと認定されたにもかかわらず、定職にありつけない若手の間では「卓越浪人」という言葉も飛び交う。文部科学省の担当者は「提示ポストが減っているうえ、受け入れ側のニーズと候補者の間にミスマッチが起きている」と話す。仲介を促す機関を設けるなどしているが、機能するか不透明だ。

博士号取得者は研究力の源泉だ。政府は1996~00年度の第1期科学技術基本計画で、研究現場の活性化を目指し「ポスドク(博士研究員)1万人」を打ち出した。博士号取得者と任期雇用の若手研究者を増やした。

だが国立大法人化のあおりで常勤ポストは増えず、企業による博士号取得者採用も広まらなかった。その結果生じたのが任期付きの不安定な研究職を転々とし「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれるポスドク問題だ。

文科省が20年9月に公表した調査では、全国のポスドクは1万5591人(18年度速報版)。この10年で13%減った。文科省関係者は「足元ではポスドク問題は落ちついている」と言うが、博士号取得者は06年度をピークに減少傾向にある。ポスドク問題の改善は研究者の雇用環境の需給が緩んだ面が大きい。

ポスドク問題に詳しい一般社団法人「科学・政策と社会研究室」の榎木英介代表理事は「いまだに若手研究者の多くは不安定な雇用が続いている。博士号に希望がない状態で進学を諦める人が多く、日本の研究力をそいでいる」と話す。

指摘を裏付けるデータもある。文科省科学技術・学術政策研究所の調査では、修士から博士課程に進まず就職した人の大半が「生活の経済的見通しが立たない」と考えていた。大学教員への定点調査でも、「望ましい能力を持つ人材が博士課程に進んでいない」との認識が強まっている。

大学では常勤教員が高齢化している。90年代には3割を超えていた40歳未満の教員の割合は16年度に23.3%まで下がった。逆に50歳以上は46.5%で上昇が続く。

政府は大学に若手登用を働きかけてきたが、運営費交付金が減りポストを増やせない大学側の事情もあり、あまり改善しない。大学の定年延長で、新陳代謝が進みにくくなった面もある。

そこで19年度に若手教員の割合が高い大学に運営費交付金を多く配るようにした。財政難で教員が定年退職しても補充しない例が多かったが、工夫する大学も出始めた。

企業で活躍も

若手比率が低い岩手大学は若手向け特別予算を用意し、20年度に「特別助教」制度を設けて4人を採用した。経験と実績を積んでもらい、将来大学教員となるためのキャリア形成につなげる。山梨大学は各学部に割り当てる人件費を工夫し、定年退職者の代わりに若手を採るよう促している。

民間で活躍する若手を増やすことも急務だ。日本の企業は欧米に比べ、博士号取得者の採用に消極的だった。産学連携支援などを手掛けるepiST(エピスト、東京・新宿)の上村崇社長は「正しく評価されてこなかったが、AI(人工知能)などの普及で先端技術を取り込める博士人材の採用は広がる」と話す。

同社は20年5月、博士人材と企業を仲介するサイト「博士のキャリア」を始めた。取り扱う求人は専門性を評価するジョブ型採用が原則だ。インターネット広告会社のデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC、東京・渋谷)は17年に初めて博士号取得者を採用した。担当者は「広告主の課題は複雑になっており、高度な人材の採用が必要だ」と説明する。

データ解析を担当する川崎達平さんは東京大学大学院で神経科学を研究し、博士号を取ってDACに入った。「最新の論文を読み込んで試すといったプロセスは研究と共通する」(川崎さん)

政府は21年度からの科学技術・イノベーション基本計画の策定に向け「博士号取得者が学術界でも産業界でもやりがいを持って活躍できる社会」をあるべき姿に位置づけた。博士人材が増えている米国・中国などとの差は開くばかり。次世代の研究を担う若手が日本にいなくなる事態を防ぐため、産学官による環境整備が求められる。

 

 

 

もどる